番外編『エレナとレイブンの異世界交流』
エストバキアとの開戦より、遡る事 数日前。
――魔法都市 アルトアイゼン
食料や嗜好品は、アルトアイゼン国内でも生産が行なわれている。だが地下という限定的な空間では、国内のみの生産では賄えなかった。
そのためアルトアイゼンには、魔界から定期的に物資が搬入される。
それを行うのが、ゲートを呼ばれる、魔界と、この世界を繋ぐ
その門の前に、一人の男が立っている。
異世界の雰囲気とは相反する、フォーマルスーツに袖を通した人物。彼は感慨深い瞳で、ゲートに視線を注いでいた。
その男に向かって、魔族の女騎士が足を進めて行く。
アルトアイゼンの全騎士を束ねている、騎士団長のエレナだ。
「レイブン、ここでなにをしている! ここは関係者意外、立ち入り禁止だぞ!」
「それに関して問題はありません。陛下から許可は得ています」
「なに、陛下が?」
レイブンは書簡をエレナに渡す。書簡には、レイブンの申請を受諾したという事が書かれていた。
エレナは、まるで愛しき人からの恋文のように、その書簡を丁重に扱う。
それがどれだけ自分の意にそぐわない内容でも、ガレオン陛下の印が押されたものだ。乱雑に取り扱うことは絶対に許されない。粗雑に扱うこと即ち、陛下に対する侮辱であり、死罪に等しい行為だからだ。
レイブンは、返された書簡をジャケット裏に戻しつつ、再びゲートに視線を戻す。
「にしてもすごいですね……この設備は」
「このゲートが? なにを言っている。貴様の世界にも、似たようなものがあるだろう」
エレナはレイブンの住む世界が、高度なテクノロジーによって発展していることを知っていた。もちろん自分の目で、彼の住む世界を見たわけではない。魔王ガレオンから説明を受けていたのだ。
高度なテクノロジーを持つということは、ゲートというこの世界の既存技術を越えた、想像すらできないものを所持しているに違いない。
エレナはそう考え、レイブンが口にした言葉を、謙遜か皮肉と捉えたのだ。
だがレイブンは顔を横に振る。
「いいえ、ありませんよ。こういったものが存在するのは
「はひ? ふぃ、ふぃくしょ? らいと……のべる???」
レイブンもまた解りやすく、噛み砕いてライトノベルを説明する。
「あー、……解りやすく言うと、子供から大人まで手軽に楽しめる小説のことです。この世界の小説のように、文学的要素に重みを置くのではなく、純粋に楽しみのみを追求した小説のことです」
エレナは会話のイニシアチブを握ることを忘れ、半ば童心に帰ったかのような瞳で尋ねた。
「楽しみを追求した小説? じゃあ本を開くと、蜂蜜酒やパンが召喚魔法のように自動で現れるのか?! いやもしくは! 読み上げてくれる語り部が現れて、本を読み上げてくれたりするのか!!」
レイブンは思わず「発想が貧困」と言いそうになったが、間一髪で口内に押しとどめる。
「なんとも素晴らしい発想ですね。そんな超技術が存在していたら、このゲートだって、すでに存在していますよ。いえそもそも、語り部なんて出て来られたら、とてつもなく読書の邪魔でしょうに」
「た、例えで言ったまでだ! 鵜呑みにするでない!」
エレナは『常識のない人だ』と思われたと感じ、恥ずかしげに顔を背けてしまう。内心、もしかしたらそんな超技術が存在しているのでは? という、淡い期待感を抱いていたからだ。
エレナは一呼吸置き、解けぬ謎に自問自答する。どうしてもレイブンの住む世界が、頭の中で思い描けないのだ。
「……わからんな。聞いたところでは、人を乗せて大陸から大陸へと飛ぶ巨大な鳥や、雲まで届くがあると聞いた。そんな技術を持つ者たちが、ゲートを造れぬわけがない。どういうことだ?」
「その二つは、おそらくジェット機とスカイツリーですね」
レイブンのさりげない合いの手に、エレナは「そうそれだ」と頷いた。
「そういったものが造れて、なぜゲートを造れないのだ?」
「それが無理なのですよ。我々の世界には、このゲートを動かすための魔法そのものが、存在しないのです。――いえ正確には、魔法発動に必要な魔素やマナといったものは、我々の世界にも存在しているのかもしれません。
ですがそれらは、科学の観点から認知できていないばかりでなく、その概念や理屈、どういった作用で動いているのかさえ分からないのです。
向こうの世界の人々から見れば、エレナが今感じている感情と同じように、超技術に見えるでしょう」
「魔法のない世界……じゃあどうやって騎士や市民は、他国からの侵略や侵攻から、国を守っているのだ? まさか外交だけで済んでしまうような、平和に満ち溢れた世界ではなかろう」
「もちろん隣国からの脅威は、日増しに増大しています。陸を防衛するのは陸上自衛隊。主に化石燃料によって動く、10式戦車や16式起起動戦闘車、人員を輸送する機械の鳥UH-60Jが配備されています。
そして海の平和は海上保安庁と海上自衛隊が守り、空からの脅威は、航空自衛隊が常時対応しています」
「兵士を乗せて空を飛ぶ鳥……。その機械の鳥は、どういう構造をしているのだ? 巨大な鳥を捕獲し、腹を裂いて作り変えてしまうのか?」
突然飛び出した物騒な言葉。レイブンは思わず「プッ!」と吹き出してしまう。
「いえいえ、そんな残虐なことはしませんよ。機械の鳥と例えましたが、実際はこの世界の乗り物と同じです。すべて一から、人の手によって造られるのです」
レイブンは小型の端末を取り出す。
彼の私物であるタブレット携帯だ。レイブンは携帯の電源を入れ、プログラムを立ち上げる。
インターネットで画像検索――とは、さすがにいかなかった。
なにせここは異世界。レイブンのいた世界と何らかの方法で繋がないかぎり、インターネットは使用することはできない。そのため、保存していたピクチャーフォルダから、陸自の輸送ヘリUH-60Jの画像を探す。
口頭で説明するよりも、画像を見せて説明したほうが、遥かに分かりやすい。レイブンはそう考えたのだ。
とくにエレナは異世界の住人であり、ヘリやジェット機という存在ですら見たことがない。産まれてこのかた、目にしたことがない異界のものを、想像だけで理解するのは、あまりに酷な話である。
タブレット携帯を操作していると、エレナが目をまんまるにして、興味津々といった表情で食いついてくる。
「ちょっと待てレイブン! お前が手にしているそれは?!」
「これですか? これはタブレット携帯です」
「たぶれっと、けいたい?」
レイブンはタブレット携帯を頬につけ、話す素振りを簡単に見せる。
「これは遠くの人と話すことができる、通信機器です。この世界ではできませんが、元いた世界ではこうやって、同じ機器を持つ人と話すことができたんですよ」
「つまりそれは、どれだけ離れていても、伝えることが可能なのか? 例えば、大陸や海を越えた向こう側の相手……でも――」
「ええもちろん出来ますよ。通信局などの通信を経由させる施設があれば、海の向こう側の相手とも、ほぼリアルタイムで会話できます。ですが残念なことに、この世界では通信局や通信相手の携帯もないので、使用することはできません」
レイブンは通信機能について、当たり前のように話す。
しかしそれを聞いているエレナにとっては、まるで御伽話や神話の一節のように感じていた。
大陸や海を越え、離れている相手と会話ができる。――この世界の人間にとって、もはやそれは神の領域である。
エレナは蚊の泣くような声で、ボソリと呟いた。
「信じられない……」
そんなエレナの横で、レイブンは画像探しを再開し、ピクチャーフォルダからUH-60Jの画像を見つけ出す。その小さな画像をダブルタップし、見やすいよう拡大してからエレナに見せた。
「あぁありました! これが、陸自が使用しているUH-60Jです」
「これは……本当だ、鳥というよりも乗り物だ。ふむ、どちらかと言うと形状は魚に近いな。ん? 棒に支えられた車輪があるな。馬車のように地上を走るのか?」
「この車輪は地上を走るためでなく、あくまで格納庫へ移動しやすいように付けられたものです」
「レイブン、この鳥……じゃなかったな。UH-60Jというものには羽がない。どうやって空に上るのだ?」
「ちょっと写真では見にくいのですが、ローターというものを高速で回転させて、揚力――つまり浮き上がる力を得て、空へと上るのです」
「ローター? それを高速で回転? ……分からないな」
「風車を想像して下さい。風車は風を受けて回りますが、このUH-60Jは逆に内部の動力でローター、つまり風車の羽根を回し、人工的に風を生み出して空へ浮き上がるのです」
「なるほど……そういう理屈で飛んでいるのか! 理解できたぞ!」
エレナはポンと手を叩き、理解できた喜びに顔を綻ばせる。
綻ばせると言っても、僅かに口端が緩んだ程度だが、付き合いの長いレイブンには、彼女が喜んでいるのが手に取るように分かった。
エレナは騎士としての性なのだろう、国防に関することは、敵国であれお伽噺のような異世界であれ、どうしても知りたいという想いに駆られるのだ。
とくに、敗戦という苦汁を呑まされた経験が、彼女の勉強熱心さに、さらなる拍車をかけていた。
敗北と屈辱は、いつの世も人の考えや生き方を改めさせ、突き動かす原動力となる。形は復讐や報復という負なものも存在するが、エレナの場合は追求と分析という考えに行き着いていた。
情報の軽視と、負けるはずがないという過信。
そして敵を知らずして戦うのが、いかに危険でリスクが高いか。
エレナはその身で、苦々しい経験をしてきた。
エレナの心にあるのは、自国の民に二度と、あのような敗戦と屈辱を味あわせたくない。その想いだった。
だからこそ、エレナは訊き出そうとする。
魔王によって召喚され、その魔王から不自然なまでに、全幅の信頼を置かれている男。レイブンの本心を――
「レイブン。その自衛隊というのが、アルトアイゼンに攻め込むとしたら……どうする?」
レイブンは音速の如きスピードで即答する。
「あー、それはまずないですね」
エレナが作り上げた真面目なムードは、レイブンの即答によって一瞬で崩壊した。
どんな答えがくるのかと、真剣に身構えていたエレナ。彼女の緊張感は空振りに終わり、眉をピクつかせて拍子抜けしてしまう。
「な、ないって……そんな――」
なぜそれが有り得ないのかを、事情を知らないエレナに分かるよう、レイブンは事細かに説明する。
「彼等は専守防衛を掲げる組織です。アルトアイゼンが、私の住む世界に侵攻、侵略行為などの敵対行動をとらない限り、戦争なんて起きませんよ」
「専守防衛? 守りに徹して国を守るなだと? フンッ! 吐き気がする詭弁だな」
なぜかエレナは、眉を顰めてしまう。
彼女自身どうして、ここまで不快感を抱いたのか分からない。だがなぜか、専守防衛という単語が無性に気に入らなかった。
一方レイブンは、エレナの酷評を交えた問いに対し、『痛いところを疲れましたね』という声で答える。
「それに関しては……いやはや、耳が痛いですね。ですが統率・指揮の高さ、そして兵器の駆動率といった間接的なもので、敵国を牽制しています。
そして
(なるほど。演習で多大な成果を見せつけ、間接的な牽制に繋がるというのか。――だがレイブンの言う通り、そう都合よくいくものなのか? 他国から侵略を受けないように、直接的な牽制こそ国を守れる手段のはず。レイブンの世界の世界常識は、我々のものとは違う――ということか)
エレナは様々な疑問を抱きながらも、再度、どちらの側につくのかと問い詰める。『さぁ早く答えるんだ』と攻め立てるように、
「それで。私はまだ答えを聞いてないぞ。貴様の国が、このアルトアイゼンに攻めて来たら……どうする気だ? 自衛隊とかいう組織と剣を交えるか。それとも “我々に仇なす敵”――となるのか」
エレナは敢えて、“我々に仇なす敵”という部分を強調した。これはレイブンの神経を逆撫でし、本心を引き釣り出すためだ。
人間であれ魔族であれ、自分の祖国に矛を向ける事が、どれだけ苦渋の決断になのか。それは想像に難くない。だからこそエレナは、それを承知の上で質問――いや、レイブンを挑発したのだ。
エレナはさらにレイブンの心を逆撫でする。
彼の怒りを買い、紳士的な仮面の裏にある本心を、暴くために。
「貴様は人間だ。自分の祖国に忠は尽くせても、昨日今日出逢った我々魔族に、人間である貴様が忠を尽くす義理はない。人間は所詮、我々魔族の敵なのだよ」
「それが……貴女の本心ですか?」
「言っておくが、こうした考えを持つ者は私だけではない。この国の人々全員が、お前に対して不信感を抱いていると言っていいだろう。誰にも信用されず、仲間すらいない貴様が、このアルトアイゼンを守――」
エレナの言葉を遮るように、レイブンはこう告げた。
「守りますよ。そのために今、私はここにいるのですから」
それは一切の迷いのない、まるで告白するかのように真っ直ぐな、言葉だった。
あまりの真っ直ぐさに、エレナはなにも言い返せなくなり「ぁうっ……」と言葉を詰まらせてしまう。尋問するエレナを押し黙らせるほど、レイブンの言葉は純粋さを感じるものだった。
「なぜ……なぜなんだ。貴様は望んで、この世界に来たわけではないのだぞ!」
「私にとってこの国には、返さなければならない恩があるのです。そしてこの国には、命を捧げるほどの価値があります。
豪勢なベッドに温かな食事。あんな贅沢な枉駕来臨を受けていながら、それに応えないのは道理に反するじゃないですか」
そしてレイブンは悲しそうな瞳で、エレナのことを見つめた。
「それにあなたには……とても大きな“借り”がありますからね」
「借りだと? いったいなんの話だ」
「いずれ分かりますよ……いずれね」
レイブンは、その含みのある言葉を言い残し、ゲートから去っていった。
エレナはレイブンの背中を見送りながら、あることに気付く。自分がなぜ、専守防衛という言葉に不快感を抱いたかを。
――専守防衛。それは、このアルトアイゼンが置かれている状況そのものだったからだ。
もちろん望んで、この状況に甘んじているわけではない。
兵士、領土、資源……大戦によって生じた、目を覆うほどの多大な損失。
そして国力低下によって、悩みの種となっている継戦能力の問題。
それら課題を克服できていない今、再び大規模戦争が勃発すれば、その被害は先の大戦を遥かに凌ぐものになるだろう。
なにせ人間側は、兵も資金も補給もあらゆるものすべてが、魔族よりも上なのだ。
だが幸いにも、人間たちは魔族に気にも留めず、嗜好品という美酒に魅了され、酔いしれている。
こちらに見向きもしていないのにも関わらず、悪戯に刺激するは危険だ。
騎士団長であるエレナにとっても、英霊として旅立った同胞の無念を晴らせないのは、とても心苦しかった。
しかしこの決断は、この国を預かる魔王ガレオンが下したものである。娘の仇討ちができない陛下を差し置いて、殺された同胞のために立ち上がろうなどと、不敬極まる愚行ではないか。
そしてレイブンが見せた、UH-60Jと呼ばれる乗り物。
あの異界の乗り物には、赤い丸の外枠に白枠を足した、実に特徴的なエンブレムが描かれていた。
エレナはかつて、そのエンブレムを目にしたことがある。
――先の大戦。
連合軍壊滅の危機に降り立ち、瞬く間に、魔族の竜騎兵を壊滅へと追い込んだ――あの、『超空の神兵』。
その深緑の翼に刻まれていたエンブレムと、瓜二つだったのだ。
解けない謎と言い知れぬ不安感を前に、エレナは、まるで弱音を吐くかのようにポツリと呟く。
「レイブン……お前はいったい、なにをしようとしているんだ?」
その切なさすら感じる言葉は、レイブンに届くことはない。それは誰にも届くことのなく、虚空へと溶けるのだった。
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