第39話『プロローグという名の エピローグ』



――アルトアイゼン騒乱勃発の3ヶ月前




 魔法都市 アルトアイゼン 旧魔界への門ゲート


 城の地下に広がる薄暗い空間。その場所は、楽にドラゴン三体は入るであろう巨大な円卓の間だ。その場所はかつて、大戦時に使用されていた魔界への門ゲートである。かつて魔界とこの世界を繋いでいた門――その巨大な円状の石畳の上で、一人の少女が首を絞められていた。高貴かつ楚々としたドレスに身を包んだ少女。――彼女は少しでも息を吸おうと、必死にもがいている。


「ケハッ?! あぁッ?!! クハッ!!」


 首を絞めている男は、嬉々とした目で少女を見つめ、邪悪な笑みを浮かべていた。まさに狂喜だ。そして捲し立てるように、悦に浸った言葉を吐きつける。


「ハハハッ! まさか、あの聖女イレーヌが生きていたとはな!」


 言葉を吐きつけた先は、目の前で首を絞めているイレーヌに対してではない。拘束魔法によって壁に磔にされている、王女エリスに向かってだった。


「ガッドナーやめなさい! 彼女を――イレーヌを放して!!」


「ぁあ? 聞こえんなァ! 亡霊の戯言が、生者の耳に触れるわけがないだろ! いいかエリスよく聞け。私は城内に潜伏していた、人間の子供を殺そうとしているだけだ。しかも、勇者を召還させ、アルトアイゼンを内部から転覆させんと目論んだ、エストバキアの姫君を――だ。ククク……この勲章必至の手柄を、止めることなどできはせんわ!!!」


 ガッドナーは興奮冷めやらぬ様子だった。それもそうだろう。目の前で苦痛にもがくイレーヌは、勇者を召還できるほどの、並々ならぬ高い魔力を持つ王女であり聖人――魔族であるガッドナーが、こうしてお目にかかるのでさえ奇跡のようなものなのだ。


 彼がこうして喜んでいるのは、それだけではない。


 嘘か真か、彼女の魔力を含んだ歌によって、難病や奇病が瞬く間に癒えたという逸話が存在していた。プロパガンダという要素も捨てきれないが、もし本当に未知の力を持っているとなれば、イレーヌは今までにない、格好の実験素体である。それがまさに今、自分の手の中にあるのだ。


 そんな彼女とまぐわい、実験用のツノツキを産ませるもよし。イレーヌの幼い肢体からだを使い、魔界のヒルの苗床にするのもよしだ。


 聖女イレーヌだけではない。元王女のエリスもイレーヌ同様、ガッドナーの手中に収まっていた。なにせ彼女はもう死んだはずの存在。国葬によって弔われたエリスを、どう使おうが罰せられる事はない。誰にも知られない限り、道徳や倫理観さえ目をつむれば、すべてが許されるのだ。


 エリスとイレーヌに拒否する権利はない。二人はこれから人体実験の道具として、捕虜や奴隷以上に過酷で凄惨な未来が待ち構えていた。


 エリスは拘束魔法の中で抗いながら、ガッドナーに向かって叫ぶ。


「ガッドナー! なぜこの場所を知っている! ――それだけじゃない。なぜ私達の存在を知っているの! いったい誰が?!」


「この手紙だよ」


 ガッドナーは懐から、赤い封筒を取り出して見せる。そして器用にも右手でイレーヌの首を締めたまま、左手で手紙を広げた。


「ここには、こう書かれている。『エリスとイレーヌは生きている。そして今は亡きガレオンの皮を被り、その身を鎧の下に隠して』――と。この手紙の主が教えてくれたのだよ」


「その手紙を送ったのは誰! 誰も知るはずのないそのことを、いったい誰が!!」


「さぁな。手紙の主には、明日の夜に会う予定だ。なにか彼に伝えたいことはあるか?」


「くたばりなさい!! この下衆め!!!」


「ハハハハハハッ! 『くたばりなさい、この下衆め』――か。わかった。彼にはそう伝えておくよ。

 それにしても、随分と威勢の良い死人だ。しかしそのような口汚い振る舞いは、歓心しませんなぁ~。たとえ娼婦であっても、私の前では気品ある振る舞いと、色気のある言葉を用いるように。それと――気の利かない女は嫌いだ。反吐が出るんだよ」


 ガッドナーは主従関係を明確にするため、拘束魔法陣に電流を流す。軽度とはいえ、少女一人を痙攣させるには十分だった。エリスは苦痛に身悶えし、甲高い悲鳴を上げた。


「おやおや、ずいぶんと良い声で鳴きますね~。エリス元殿下。これからのお前の仕事は、その駄肉を使って私を満足させることだ。明日からは牢屋の中で、よ~くその身に覚えこませてやる! じっくりと丹念になァ!!!」


 そしてガッドナーは、左手にあるこの手紙が、いかにして自分の手に渡ったのかを語る。


「私の机の上に、いつの間にか赤い封筒が置かれていたのだ。それもほんの少し、目を離した隙に。

 いやぁ~その中身には心底驚かされたよ。誰も知るはずのない、私が行なった極秘の実験や未発表の研究書。そして、どの侍女と、夜な夜などれだけ親密な関係を築いているのか――その場に居たのではと思わせるほど、正確かつ緻密に書かれていたよ。そして最後に、手紙はこう締めくくられていた。


『信頼の証として、君に特別な情報を与えよう。先に書いた通り、エリスとイレーヌはまだ生きている。あの二人が今日の夜、旧魔界の門で勇者の召還が行うだろう。


 もちろん君も知っているだろうが、あの二人は勇者に及ばないまでも、並々ならぬ魔力を持っている。そしてあの美貌だ。君の好きな手篭めにするも良いし、不老不死の実験台に使うのも良いだろう。好きな使い方を選びたまえ。


 それでは明日の夜、君の父が使用していた秘密の屋敷で逢おう。吉報を期待しているよ。“君を崇拝する信奉者”より――』


――いったいどこの誰かは知らんが、どうやら私とは趣味が合うらしい。熱烈な私のファンというやつだ。ふ~む、礼の一つでも綴らんといかんな。私に最高の実験材料を提供してくれたのだからな」


 かつて民衆を虜にし、憧れと希望、そして羨望の眼差しを向けられていた二人の王女。それを、自らの欲望赴くままに私物化できる。しかも魔族を人間の二匹の種族を――。ガッドナーは感情が沸騰するほどの喜びに満ち、思わず表情をほころばせてしまう。


(ククク。あまりの都合の良さに、これが罠と勘ぐっていたが……どうやら私の取り越し苦労だったようだな)


 ガッドナーはこれが罠でなく、本当のタレコミだったと悟る。そう判断させたのは王女二人の眼だ。心の弱いイレーヌの瞳は完全に怯えきっており、底知れぬ絶望色に侵食されている。まるで牢屋に一週間監禁された少女のような目つきだ。

 一方のエリスは彼女とは相反し、向ける視線は刺々しい殺意に満ちている。まるで監禁された妹を守ろうとする、健気な姉ではないか。


 誰よりも女の扱いに慣れ、その観察眼に長けているガッドナーは、これが演技でないと見抜く。演技なら表情の違和感や微かな仕草で、必ずボロが出るものだ。しかし彼女達にその徴候はない。人体実験の被験者としての未来を想像し、視線が定まらずに身震いしている。恐怖に脅かされた者のみが見せる視線が、なによりもの証拠だった。


「喜ぶがいい、エリス! そしてイレーヌよ! お前たち二人は、その身を捧げ、魔導学の発展に貢献できるのだ! 心と体――そして穢れなき無垢な魂も含めて、すべてが俺のものなのだ!! 真に価値のある、本物の人生というもの歩ませてやる!!」


 ガッドナーは、明日からの研究スケージュールを頭の中で変更させつつ、未だ興奮の冷めあらぬ様子で叫んだ。 


「ハハハハハハッ! 今こそ我が人生最高の時! この手紙を贈ってくれた信奉者ファンには、感謝せねばな!!」





「――それはずいぶんと、安い人生ですね」





 ガッドナーの背後で光の壁が出現する。彼は何事かと振り向こうとしたが、それは叶わなかった。光の壁から出現した銃口――そこから二発の銃弾が放たれ、ガッドナーのアキレス腱を撃ちぬいたのだ。

 ガッドナーは自分の身に何が起こったのか分からず、バランスを崩して転倒する。そして数秒の間を置いて激痛が走った。



「ぎゃあぁあぁああぁあぁ?! あしが! 俺のあしがぁあぁ!!!」



 ガッドナーは腰を抜かしたかのような姿勢で、血まみれの脚を動かして逃げようとする。そしてその目で、脚を撃ちぬいた人物を見る。見慣れない異国の服装に身を包み、黒髪で、アーモンド色の瞳を持つ人間だった。



「人間……だと?! まさか勇者を召還したのか! そんなバカな! ありえん!! 詠唱を妨害したのになぜ??!」



 召還された男は、手の中でリボルバーを回しながら、ガッドナーに向かって歩いていく。そしてなぜ、中断したはずの詠唱が成功したのか――その解決へと繋がるヒントを告げた。



「あなたが召還詠唱を妨害した後、耳に届かない声亡き声、、、、で、必死に詠唱を続けていた少女がいたのですよ。どうやらそれに、気付いていなかったようですね」


声亡き声、、、、……だと? ――イレーヌか!!!」


「正解」


「あの糞ガキがぁアァぁあッ!!!」


 ガッドナーは「姑息な真似をしおって!!」と憤怒の声を上げ、イレーヌを睨みつけた。イレーヌは怒気を孕んだ気迫に押され、磔にされているエリスの元まで逃げ果せる。


 ガッドナーは杖を掲げ、エリスとイレーヌに向かって攻撃魔法を放とうとした。


「小娘如きが調子に乗るなよ!!」


 しかし攻撃魔法が放たれることはなかった。杖の先端で輝く魔光石が弾丸によって砕かれる。さらにダメ押しにと、杖を手にした手首に、銃弾が喰らいつく。


 再びガッドナーの悲鳴が轟く。彼は「ひぃ! ひぃぃいいッ!」と情けない声を上げ、殺さないでくれと懇願する。


「待った! 頼む待ってくれ勇者様!! こ、ここ、殺さないでくれ!!!」


「……」


「そうだ! 好きなものをなんでもやろう!! 金か? それとも女か!! 秘蔵の禁書? いや権力か? な、なんでもやる!!! お前の望むものをなんでもやるから!! だから殺さないでくれ! 頼む!! 頼むうぅぅう!!!」



 男は立ち止まると、考えなおすようにガッドナーの言葉を復唱する。



「私の望む……もの、ですか?」



 ガッドナーは高速で数回コクコクと頷く。その仕草は笑いを誘うほどコニカルなものだが、本人はいたって真剣そのものだ。なにせ自分の生き死にが掛かっているのだから。


 ガッドナーは助かるかもしれないという淡い希望を抱く。だがそれは儚い夢・幻であり、目の前で粉々に砕け散った。


 男はガッドナーにこう言い放ったのだ。




「私が望むのは、ただ一つ……――あなたの“死”です」




 リボルバー式の拳銃から、5発目の弾丸が放たれる。その殺意は、絶望色に染まったガッドナーの額を貫き、彼の命を奪った。


 男はガッドナーの生死を確認することなく、エリスとイレーヌへ歩んでいく。イレーヌは敵か味方かわからぬ男を警戒し、エリスを守るように、男の前に立ち塞がった。


「――ッ!!」


 男はそんなイレーヌの肩に手を置き、「御安心下さい殿下。私は味方です」と告げる。そして彼女の後ろで磔にされていた、エリスの拘束魔法を解呪する。解呪といっても詠唱の類は一切ない。男が魔法陣に触れた途端、拘束魔法はなんの前触れもなく崩壊したのだ。


 拘束を解かれたことにより、重力に導かれて落下するエリス。男は光の粒子と共に落ちてきた彼女を、両腕でしっかりと受け止める。そしてエリスを優しく、慎重に石畳の上へと下ろした。二人は怯えた表情で警戒しながらも、男に向かって尋ねた。



「あ、合言葉は?」



 エリスの問いかけに、男は答える。



「合言葉は『夜烏は涙を流さない』。すべては打ち合わせ通りですね。お見事です。そしてイレーヌ殿下、ガッドナーを欺くためとはいえ、精神的負担の大きい怖い役を任せてしまい、大変心苦しくありました。怪我は……ありませんか?」


 イレーヌはまだ目の前の男が味方と信じられず、警戒したままだ。イレーヌはまるで小動物のように、エリスの後ろにひょいっと隠れてしまった。男は「やれやれ、嫌われてしまったようですね……」といった表情で苦笑する。


 エリスは落胆する彼に向かって、再度問いかけた。



「貴方は……本当にこの手紙を差し出し、我々にアドバイスをした人物なの?」



 その白い封筒には、魔族王家の紋章が金箔によって刻印されていた。ガッドナーが見せたあの手紙とほぼ同一のものだが、決定的な違いは、王家の紋章が有無。そして穢れ無き純白の色だ。

 その手紙を見せられた男は、ゆっくりと、様々な想いを噛みしめるように頷く。そして二人に、自らの名を名乗った。





「紛れもなくその手紙は、異世界から私が差し出したものです。申し遅れました。私の名はレイブン。エリス陛下、、とイレーヌ殿下によって召喚された勇者――魔王、、に召還された勇者です」




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