第38話『ビジターの世界』



 なにもない、無機質で真っ白な部屋。その広い部屋の中心に、純白の机が置かれている。

 責任者不在の部屋に、黒人の男が姿を見せる――ゼロだ。




「主任、お呼びですか?」 



 すると誰も居なかったはずの机の椅子に、いつの間にか白人の老人が腰を下ろしていた。彼は034785‐θ‐63562―― 個人識別名称、ピーター・ウッドウォード。技術研究機関と統計観測機構という二つの重要機関を掛け持ち、組織を取り仕切る人物である。

 ゼロの上官である統括主任ウッドウォードは、無表情かつ淡々とした口調で喋る。抑揚の乏しい機械的な口振りにも関わらず、どこか物腰の柔らかさを感じさせる、不思議な口調だった。


「ゴボラの回復は順調のようだな」


「無事に肉腫の切除に成功。新しい腕にも慣れたようです。現在リハビリを行いつつカリキュラムを受講。このまま予定通り、研究員として参加してもらいます」


「すべて順調という事か」


「はい。計画進行の遅延は皆無です。彼の要望を反映させた研究セクターも、すでにテスト稼動を終了。待機モードでロックダウンしています。ゴボラの回復を待つだけです」


「ゴボラを研究員として招き、治療と引き換えに、こちらの世界で協力を仰ぐとは……本来の予定とはたいぶ異なる形となったな。試験対象素材が喪失ロストした以上、これが最善のプランだな」


「ダエルとその手下は、とても友好的ではありませんでした。確かに実験用の生物資源としては、これ以上にない価値のある逸材でしょう。ですが、ダエルらは知的存在とは言い難く、自らの欲望を満たすためなら、他者の人権を平然と踏み躙る集団です。だからこそ、こちらとしても容易に切り捨てることは可能でしょう。

 しかし現段階において、我々は魔法や魔力という概念を認知できていません。いくら高度なテクノロジーを持つ我々でも、初歩的な部分ですらも解明できていない、見えざる力、、、、、の前では、対処を見誤る危険性があります」


「ふむ。実験用のモルモットが牙を剥き、我々の脅威になる可能性を含んでいた。これ以上、我々の世界ホームを破壊されるわけにはいかない――そこで、の出番というわけか」


「その点ゴボラは友好的で、研究協力に関しても意欲的です。もちろん彼に対し、ダエル鹵獲時に想定していた、肉体損壊を招くような過負荷実験はできません。

 しかし軍師である彼ならば、初歩的な魔法から高度な魔導力学に至るまで、様々な知識や技能に精通しています。それらを我々に教示できるとなれば、ダエルとは比べ物にならない有益な情報を齎す、貴重な存在と言えるでしょう」


「つまり“不幸中の幸い”ということか」


 ゼロは『ええ、その通りです』という強い視線で頷いた。


 ウッドウォードは無表情の下に困惑を滲ませながら、『やれやれ……』と考えに耽る。すべての未来を正確に観測できるはずのビジターが、ダエル喪失という未来を予測できなかったのだ。そればかりか、レイブンが用意していたプランB――つまり折衷案で事を濁している。技術研究機関としては安全かつ最善の道を歩むことになったが、統計観測機構としては、まったくもって好ましくない結果だった。


 様々な世界線の未来を観測し、これから何が起こるのかをすべて把握しているはずの機関が、それをまったく予測できなかったのだ。


「我々ビジターが誤算、、を目にする日が来ようとは……――。D.E.A.‐0056……彼がこの世界に現れてから、予測不能な事態イレギュラーリバウンドが頻繁に発生するようになった。そして彼の出現と同時にセクター内に広がった、あのミーム汚染……その件も未だ解明されていない。D.E.A.‐0056がこの世界に居なければ、事態はより深刻になっていただろう。まぁ彼こそが、その汚染を引き起こした主犯と見ている者もいるが――」


「D.E.A.‐0056――レイブンがそのような事をするとは思えません。彼は事件に巻き込まれた被害者であり、我々を救ってくれた恩人です。あの事件の際、彼はたった一人でインターネサインを死守したのですから」


「確かに敵ならば、命を危険に晒し、そのような行為をするはずがない。今日こんにちにおける我々ビジターとインターネサインの健在は、レイブンの功績と言っても余りある。

 しかしそれこそが、我々に取り入るための自作自演という見方をする者がいるのだ。現に君もよく知る人物は、トラムステーションで騒動を起こしている」


彼女、、ですね……」


 ウッドウォードは無言で頷いた。


「あの一件で、彼女はD.E.A.管理局から交渉管理局への移動となった。事実上の更迭だ。発作的とはいえ、その行為に手を染めてしまった彼女の心情は、察するに余り有る。あの事件によって彼女の所属していたD.E.A.管理局は壊滅。家族コミュニティ同然だった、多くの部下を失ってしまったのだ。

 それにも関わらず、汚染発生時になにが起こったのか――その真相は依然として闇の中。答えを求めるばかりに “レイブンがミーム汚染の引き金となった” 次期早々に、そう結論付けてしまうのも……無理はない。彼がこの世界に出現したと同時に、あのミーム汚染が発生したのは紛れもない事実なのだから。

 それだけではない。彼の出現に端を発したかのように、今まで観測されていなかった世界が、次々に姿を現した。水面に落ちた雫が跳ね、それが新たな波紋を生み、撹拌するかのように……」


「可能性の枠を越えた、増殖する世界」 


「我々の常識を越える、異質な特異点――イレギュラー。そんな渦中の中心部にいた人物であり、あの事件の生き証人であるレイブンを疑い、目の敵にしたくなるのは当然だろう。あの日……彼女はすべてを失ったのだから」




「科学者が推論や憶測を語るのは、あってはならないことです。違いますか?」




 ゼロとウッドウォードの会話に、第三者が割り込む。まるで最初から聞き耳でも立て、傍観していたかのように会議に参加したのだ


 ゼロはその第三者の方向に視線を移し、彼女の名を口にする。



「レオナ……なぜここに?」



 前D.E.A.保管室副局長にして、現 交渉管理局補佐官に属する女性。識別コード566737‐λ‐94282 パーソナルネーム レオナ・D・ウェザリー。噂の人物が、自ら姿を現したのだ。

 レオナはゼロの問いかけに対し、同じく問いで返答する。


「ゼロ、まだあの容疑者に入れ込んでいるの?」


「訂正を要求する。彼は容疑者ではない。そもそも、インターネサインが脅威でないと判断した以上、容疑者から除外すべきだ」


「その要請は受理できません。早急な改善対策として、D.E.A.‐0056から自由行動を剥奪し、厳重な管理下に置くべきと宣言します。そして事件の全容が解明するまで、すべてに疑いの目を向けるべきであり、事件再発防止と、事件解決に向けて全力を注ぐべきです」


「インターネサインの判断に誤りがあると?」


「あなた達の好きな推論ですか? 結構。では仮にインターネサインが、完璧な判断を下す存在だと仮定した場合。あのミーム汚染はどう説明をつけるのですか? それともあれが、停滞している我々の進化に必要な措置だったとでも?」



 ゼロは解答を導き出せず、無表情のまま押し黙ってしまう。

 レイナは無言という解答に対し、自らの持論を展開する。それはビジターの世界では禁忌に該当する。“インターネサインを疑いを持つ”という過激な意見だった。



「インターネサインは原理主義を主体とした宗教対象でもなければ、唯一神として崇拝すべき対象でもありません。我々ビジターを管理し、この社会を動かす歯車なのです。

――摩耗した歯車に固執する必要はない。インターネサインが完璧な数値を算出できなくなった場合。我々の判断基準は、我々で判断すべきです。現にD.E.A.‐0056は、インターネサインを使って導き出した、“勝利への方程式”とやらを途中で放棄したそうですね。あれはインターネサインの算出結果に『疑問を持つべき』という明確な答えではないのですか?」



「レオナ、なぜそれを知っている。それはレイブンと私との秘密のはず――」



「なぜ? おもしろい質問ですね。交渉管理局に秘密は通用しません。捜査のためなら、インターネサインを通じて様々なログにアクセスできるのですから」


「レオナ。君は今、なんの捜査をしているんだ?」


「捜査内容は民間人に公表できません。あなた方に本件へのアクセス権限はないのです」




 レオナは踵を返すと、『もう話すことはない』と、壁に向かって歩き出す。



 だがそれをウッドウォードが呼び止める。



「ウェザリー捜査官。私からも質問いいかな?」



「なんでしょう?」


「たった今、統計観測機構からある算出結果が届いた。D.E.A.‐0056がインターネサインを使用して導いたとされる、演算結果の詳細な履歴だ。これを見る限り、彼の計算にまったく問題はなく、それどころか我々と大差ない完璧な計算式だった」


「つまりそれは、D.E.A.‐0056が使用したインターネサインに問題があった――という事ですか」


「――それと、もう一つ。D.E.A.‐0056のいる世界に、こちらの世界から何者かが踏み入った形跡が確認された。それも、彼が修正不能な誤差に踏み入ってしまう直前に、だ。

 ここからは我々が好む推論だが、『その人物がバルドの骸を、奇襲の際に使用した穴へ蹴り落としたのではないか?』 私はそう思っている。どうだろう。あの暗闇に逃げ込めば、魔界のヒルは天空石の光から逃れ、安全に自己修復できる。介入者の狙いはそれだった」


 レオナは「興味深い意見です。こうして推論を立てるのも、なかなか面白いものですね」と延べ、それ以上深く言及しなかった。彼女は知っていたのだ。レイブンのいる世界に、何者かが介入していたのを――。



「捜査協力に感謝します。それではこれで――」



 立ち去ろうとする彼女を、今度はゼロが呼び止める



「待つんだレオナ」



 レオナは、無表情の中に輝く鋭利な視線で、ゼロをキッと睨んだ



「ゼロ。そのパーソナルネームを貰ったからといって、レイブンに肩入れするのは止めなさい。我々を正しい方向へ導いていたインターネサインも、時として過ちを犯すことがあるのだから。――それと、レオナと呼んでいいのはコミュニティに属する者だけだ。そして私は、もう捜査官ではない。ウェザリー軍曹、、だ」



 その言葉を残し、レオナは姿を消した。


 

 ゼロとウッドウォードは危機感を抱く。


 ビジターの社会はインターネサインを中心にした超個体である。インターネサインによって世界は制御され、この世界における民族・宗教的対立――そして戦争は根絶された。従って現在、ビジターの軍事力はモスボール状態で保管されている。日の目を見るとすれば、過去の技術を見返す時ぐらいだ。そしてそれを使用する軍組織もまた、育成施設を残すだけに留まっている。


 レオナの言い放った最後の言葉、それは軍の復活を意味していた。


 他の世界からの脅威が拡大した場合、軍組織は復活――予備役兵を中核組織として再編されるのだ。おそらく度重なる異常事態に対し、インターネサインはビジターを守るため、軍隊を再配備すべきと判断したのだろう。

  

 ウッドウォードはこの厄介な胤に眉を顰めた。


「プロトコル2315が発令されたか。恐れていたことが現実となったな」


「ミーム汚染が発生したあの時から、遅かれ早かれこうなるのは必然でした。しかしレイブンにとっては悪い報せです」


「最悪のシナリオとして、レイブンを排除するということはインターネサインに対する反乱だ。レオナがそれを望んでも、交渉管理局がそれを許すはずがない。そして彼は我々の庇護下にある」


「個人的な見解ですが、元・コミュニティのメンバーとして、彼女が二度と過ちを犯さないと信じています。しかし残念ながら、それは私的な意見であり、私の望む願望です。現段階で、レオナが再犯を犯さないという論理的根拠はありません」


「……ゼロ。そこで提案だ。私は技術研究機関と統計観測機構を掛け持っている。そして我々は他の世界とを繋ぐ架け橋であり、そこで得た様々な情報によって、この世界をより良くするという使命がある。インターネサインが、我々の進化を促す鍵であると指し示した人物――レイブンは、我々の希望なのだ。そして我々にも、軍隊にはない守るための“力”がある」



 ウッドウォードは椅子から立ち上がり、ゼロの元へと歩む。そして懐中時計を差し出した。それは技研が開発したワンオフの一点――そして精度と機能を格段に向上させた、最新鋭の高機能端末だった。



「ゼロ。我々の使命と未来を、お前に託す」


 

 ビジターの未来。その使命を託されたゼロは、懐中時計を見つめる。そしてウッドウォードに視線を合わせ、その使命を担った。




「その使命、確かに承りました」




 そしてレオナと同じように、ゼロは白い部屋から姿を消した。



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