第37話『眠れる淵の勇者』

――アルトアイゼン騒乱から、一週間の月日が経った。



 

 戦争の事後処理が終わり、その後に訪れるのは勝利の宴だ。武勲を立てた者を表彰し、斃れた戦友や戦士、民の魂を弔い、癒やす。市民は彼等の奮闘と加護に改めて感謝しながら、騎士の武勇伝を語り、その勇姿を称える。それこそが、戦争に勝利した国のみが味わうことのできる、至高の美酒だ。


 魔都アルトアイゼンは戦勝に沸いていた。大通りはパレードで賑わい、出店の屋台が軒を連ねている。戦勝国になった熱狂が、首都を包み込んでいたのだ。


 先の大戦以降、ここまで明確な勝利を手にできずにいた。


 しかし今回の騒乱において、魔族はエストバキア竜騎兵の猛攻を退けただけでなく、悪しき勇者達を殲滅するという、赫々たる勝利を手にしたのだ。悲願達成と言っても過言ではない。

 もっとも。レイブンや零戦、エンシェントドラゴンという反則的な力あっての勝利だが、それでも勝ちは勝ちだ。現に先の大戦では、人間側は超空の神兵という異世界の力を借りたからこそ、魔族の竜騎兵を討ち滅ぼすことができたのだ。それを考慮すれば、文句を言われる筋合いはあるまい。


 とくに、小国の中でもっとも危険な存在である、エストバキアの勇者達。魔族だけでなく人間からも恐れられる、劫掠を生業とする賊徒。将来の不穏分子をここで一掃できたのは、多大な功績だ。あのまま彼等が力を蓄え続ければ、周辺諸国だけでなく、大陸全土を巻き込んだ争いの火種になっていたのは明白。エストバキアの尻拭いする形となったが、結果的にレイブンは、これから起こる大戦を未然に阻止したのだ。



 ある意味、今回の騒乱で敗者となったのは、エストバキアの裏で手を引いていた列強国だろう。



 今回の戦いは、武器輸出のためのお膳立てのはずだった。レイブンの世界で例えるなら、投資家や出資者へのデモンストレーションであり、列強国の製造した兵器がいかに優れているか、顧客に向けたプロモーションなのだ。


 この世界における武器製造は、ベルカ率いる列強国の独擅市場だ。今でこそ平穏の世であるため、嗜好品の価格が高騰し、兵器や武具の価値は水準以下にまで下落している。だが魔族の脅威が再燃すれば、兵器の需要が爆発的に上がり、価格が高騰するだろう。


 昨日まで安い価値だった株券が、一夜にして高額なものへと変わる。そして融資を行なった者には、莫大な額の富が転がり込んでくるのだ。


 そのために世界中から名立たる鍛冶屋や職人を集め、自国内に大規模な製造施設を整えたのである。すべて事が順調に進めば、プロモーションは大成功に終わり、今頃は、贅の限りを尽くした祝賀会が開かれていただろう。


 戦時需要を故意に生み出す出来レース。しかし彼等の目論見は、最悪の形で幕を閉じた。


 列強国が拵えた名立たる防具や武器。それを身に付けたエストバキアの勇者達は無惨に敗れ、なんの成果を上げることなく全滅したのだ。

 挙句の果てはエストバキア遠征旅団である。地下迷宮に足を踏み入れる前に、野営地を放棄して敗走するという大醜態を晒した。

 敵本拠地に裏口から強襲した、ギルバルド部隊。しかし彼等は勇者達と同様、本隊を突入させるための捨て駒である。切り捨てられた彼等が、エストバキアに帰還することはなかった。


 どこを取っても良いところなし。まさに絵に描いたような敗北だった。


 これにより、兵器プロモーションは大失敗に終わる。


 報告を受けた融資者達は、顔を真っ赤にして激怒したことだろう。なにせ確実に儲かると豪語されていた投資が、蓋を開けてみれば、目も当てられない惨状だったのだ。


 しかも魔族は、エンシェントドラゴンという神話の存在を味方に付けていた。そんな神と対等に戦う存在に、人間ごときが対抗できるはずがない。エンシェントドラゴンの前では、どんな高価な武器や防具も、“檜の棒”と“木の盾”同然なのだ。それこそ、神の御加護を得た神機や聖剣、聖遺物でもない限り、神話級の存在には到底あらがえない。武装や抵抗におけるすべてが、まったくの無意味なのだ。したがって戦時需要を見込んで用意された、大規模な武器製造拠点や流通網が破綻。その存在意義を完全に見失ってしまう。


 エンシェントドラゴンこそが、世界を治めている神――そう崇める国家もある。そのような土着信仰を持つ国が、崇め奉るエンシェントドラゴンに矛を向けるはずがない。それどころか魔族を、“神竜が遣わせた使徒”と崇める国も出てくるだろう。


 列強国は想定しうる限りで、最悪のシナリオを歩んでいた。


 一夜にして儲け話はふいになる。莫大な富を産み出す武器市場は豹変――見たこともない未開の地へ変貌を遂げたのだ。入念に準備して登山したつもりが、いつの間にか大海原で遭難したようなものである。


 策士策に溺れる。


 戦場と兵器市場を舞台にした、超巨大ビジネス。

 名立たる富豪や資産家、貴族や豪族、国王までもが、この絶対に儲かる賭け、、、、、、、、に、こぞって参加。世界の裏で、巨万の富が動いていたのだ。

――しかしその賭け金が、国家予算数年分にも及ぶ莫大な負債へと産まれ変わってしまう。投資した巨額の資金や、配分されるはずだった利益配当もまた、跡形もなく消滅したのだ。



 人の死で儲けようとした、罪深く、欲深き者達の夢――その源となる金は、泡沫となって消えたのである。




 権力者や貴族の富を無に返し、魔都陥落を阻止した功労者――レイブン。彼は今、床に臥している。王室で使用されているものと同じ、金刺繍が施された天蓋のベッド。まるで聖遺物を祀るが如く、彼は丁重に寝かされていた。レイブンの体に異常は見受けられない。だが魔界のヒルが放った最後の一撃は、彼の記憶をズタズタに斬り裂き、脳内の意識や人格を破壊したのだ。


 外見は無傷でも、中身は忘却の魔法によって、深刻なダメージを受けていた。


 その世話をするのは、殿下の直命を受けた専属の侍女達である。彼の上半身を起こし、少し遅めの朝食を食べさせていた。端から見れば、その姿は寝たきりの要介護者――出される食事を反射的に口にする、老人そのものである。


 あの一件以来、レイブンはこのよう状態だった。

 生きながらにして死んでいる無残で痛々しい姿。光を喪失したうつろな瞳は死んだ魚の眼に等しく、一切の言葉を口にすることはない。こうして侍女の世話がなければ、食べ物すら口にできない有り様だ。



 レイブンの朝食が済み、侍女達は皿を片付け始める。トレーに食器が置かれ、美しいレリーフが施されたワゴンに載せられていく。



 ちょうどその時だった。式典用の衣装に身を包んだ、騎士団長エレナが姿を見せる。彼女はこのあとに表彰式に参加するため、その場に相応しい出で立ちだった。鎧表面にはエングレーブが刻印され、彼女の持つ美しさと聡明さを最大限に引き立たせている。


 侍女達はエレナに一礼し、レイブンの寝室から去っていく。


 エレナはベッド横の椅子に腰掛け、レイブンに話しかけた。



「レイブン、どうかな? この衣装、似合っているか?」



 レイブンは答えられない。その視線はどこにも定まらず、空を見ている、果たして彼女の言葉が届いているのかさえも、分からない状態だった。

 それでも彼女はこうして、一日も欠かすことなく彼に話しかけ、今日あった事を報告している。もちろん誰に頼まれたわけでもない。そして、言葉が返ってこないという事も、彼女自身承知の上だ。だが、いつか彼の意識が覚醒し、勇者レイブンとして再び立ち上がる――エレナはその日が来ると信じ、こうして声をかけ続けていたのだ。



「レイブン、今日は表彰式だ。今回の戦いで一番貢献したお前が、こんなところで寝ていてどうする。もう起きてもいいんだぞ」



「…………」



「あ! そうそう、殿下から聞いたぞ。ユーミルがエンシェントドラゴンだったとはな! どうりで私よりも、早く城に戻ることができたわけだ。なにかしらの手段は使ったことは見抜いていたが、まさかエンシェントドラゴンを移動手段に使ったとは、夢にも思わなかったぞ。


 レイブン、光栄に思うことだな。伝承の存在に乗ることなど、この世界で誰も成し遂げていない偉業なのだ。エンシェントドラゴンは普通のドラゴンとはまったく違う存在だ。例えるなら……そうだな――人と神、大きさも形もほとんど一緒らしい。


 まぁもっとも、アスガルドの神々をこの目で見たことは私もないが。とにかく外見上は同じとして、中身はまったく違うだろ?

 なにせ神と人なのだからな。エンシェントドラゴンもそうだ。ドラゴンと名はついているが、魔力を生み出す力創生量も桁違いなら、それを制御する高度な知能も兼ね揃えている。既存のドラゴンとはまったく違うだろ。そんな存在の背中を、畏れ多くも借りられたものだ」



「…………」



「まぁそういったことに関しては、君の方が詳しかったな。なにせ君は、この世界のすべてを知っている。それにしても……君は本当に非、常識的な男だ。いったい彼女と、どこで知り合った? 護衛の兵士の目を盗み、私に知られることもなくエンシェントドラゴンと共闘関係を結ぶなどと……非常識、まったくもって非常識な男だよ、君は」



「…………」



「彼女は……ユーミルはあれから姿を見せていない。いったいどこに行ってしまったのか。行き先を知っているのは、おそらく君だけだろうな」



「…………」



「レイブン……私の声は、君に届いているのか?」





「…………」




「……いや、聞こえている。私はそう信じているぞ。いつかきっと目を覚ます。だから君はあの時、自分の未来を私に託した。そうだな?」



 エレナは面と向かっては言い出せなかった事を、この機会に伝える。相手が眠っているのか、それとも聞こえているのか曖昧な状況だからこそ言える話題だ。内心、そんな自分を卑怯者と感じながら、


「君に――いや、私から貴方あなたに、この口で直に伝えたいことがあるんだ。国の裏で暗躍していた者を見抜けず、事態を悪化させた責任は、すべてこの私にある。それもすぐ側にいたのに……見抜けなかった……実に情けない話じゃないか。やはり私は騎士失格だ。表彰されるに値しない。だが君は……貴方は違う――」


 エレナはレイブンの手を取る。そして心を込め、今まで言えなかった感謝の言葉を贈った。


「レイブン。生まれ故郷でもないアルトアイゼンを、人生のすべてを捧げて護ってくれた。貴方こそ真の騎士――この国のために戦った、真の愛国者だ」




 そして立ち上がると、彼女の顔に唇を近づける。そして――、






「オ――――スッ!!! レイブン生きってかァ!!」


「キャアアアアアアアア―――――ッ!!!」





 突如ノックもなく現われたゼノヴィアに、エレナは悲鳴を上げてしまう。そこに騎士団長としての威厳も糞もへったくれもない。まるで着替えを覗かれた少女のように、甲高い悲鳴をあげていた。


 その異常事態にゼノヴィアは目を丸くし、何事かと狼狽える。


「って、なになに?! え? 俺なんかした?!」


「あ! い、いやなな、な、なんでもない! なんでもないからな! いやちょっと待て、なんでもある!! 大問題じゃないか! なぜノックをしない! 部屋に入室するときはノックをするものだろう!! 扉をそのまま開けるなんて失礼極まりない!!!」


「わりぃ驚かせちまったか? いつもレイブンのとこに来る時はノックしないで入っているから。つい」


 ゼノヴィアは頭の後ろをかきながら、「えへへ」と済まなそうな顔をする。

 エレナは恥ずかしい場面を見られたのではないかと、半ばパニック状態だ。そして「ノックは大事!」と説教を続ける。


「つ、ついじゃない! レイブンが着替えていたらどうするんだ! 来賓者がいたらどうするんだ! そもそも――」


「そういえばエレナ。今レイブンに顔を近づけてたけど、なにをしようとしていたんだ?」


「うわぁあああああァアアァ―――――ッ! そんなことするわけないだろうおぉおおぉオォオォ――――ッ!!」


「え?! おいおいどうしたんだよ! そんなこと? 俺はただ、ここでなにをしていたのかを訊いただけだぞ? なにか悪いこと訊いたか?」


 それはあまりに無垢な問いかけ。エレナはその質問に、プライドと恥ずかしさ――そして本人さえも、その存在を否定している、レイブンへの想いがぐちゃぐちゃに入れ混じってしまう。エレナは頭を掻きながら「なにもしていないなにもしてない!」と、自分の記憶を自己暗示で塗り潰すように連呼する。


 しかしこういう時に限って、状況を悪化させる存在が舞い込むものだ。


「あらエレナ、貴女もお見舞い?」 



「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」



 エレナはグレイフィアとアーシアの襲来に、戦々恐々と悲鳴を上げる。

 当のグレイフィアは、鼓膜の底にまで響く悲鳴を浴びせられたにも関わらず、物怖じも動じることもなかった。それどころか「まったく……なに一人で盛り上がっているのよ」と、冷ややかな対応を見せる。淑女たる者、常に気品を忘れず、無闇やたらに声を上げるな――それを実践していた。


「エレナいったいなに? どうしたの? まるで春画本を母親に見つけられたかのような声あげちゃって。もしくは、人目を盗んでレイブンにキスしようとしてたら、誰かに見られたかのようなリアクションね」



 そのものズバリな解答に、エレナはただでさえ血色の悪い肌を青ざめさせ、吐血でもしたかのように「グハッ!」と吹いてしまった。



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