第32話『覚醒の零戦(ゼロ)』


 朝日はすべての者を平等に照らし出す。そこに種族の境も、敵も、味方もなかった。月の光を遮るほどの分厚い雲が、まるで光によって掻き消されたかのように、薄まり、陽の光の中へ溶けこむ。



 夜明けとは新たな一日の始まりであり、同時に、希望の象徴でもある――しかし魔族の竜騎士達にとって、朝日が照らし出した光景は、希望とは程遠いものだった。200を越えるエストバキア竜騎兵団。それが進路を塞ぐ形で展開していたのだ。


 その末世的光景に、第二陣と三陣の竜騎士達は絶句し、愕然としてしまう。目の前に広がる戦力は、小国が保持する戦力ではなかったからだ。

 フォルクスイェーガーを駆るアーシアも、救いようのないこの現実を前に、心を黒く塗り潰されたかのように絶望してしまう。


 行くも地獄、還るも地獄だった。

 交戦が無謀と言えるほどの圧倒的戦力差。新兵が相手にするにはあまりに酷な状況である。もはや態勢を立て直すため、後退もできない。

 仮にこのまま本陣に帰投すれば、敵を本拠地へと案内するようなものだ。それはだけはなんとしても防がなければならない。つまり自分たちいるこの場所こそが、魔都を護る最終防衛ラインとなった。



 アーシアの脳裏に、グレイフィアと別れ際に交わされた言葉が過る。



『アーシア! 第二陣と第三陣の護衛をお願い!』



 飛ぶので精一杯の学徒兵や竜騎士見習い――、まだ顔にあどけなさが残る少年達を、なんとしても死守しなければならなかった。それは断じて、作戦に必要だからという安易な理由からではない。彼等は国の明日を創る若者なのだ。彼等なくしてアルトアイゼンの発展はあり得ない。

 だからこそグレイフィアは、自らの危険を顧みず、一騎当千を誇るフォルクスイェーガーを護衛として残したのだ。


 アーシアは、そのグレイフィアの意向を汲むと同時に、彼女との約束を破ることを決める。『お互いに無理はしない』――つまり『生きてまた逢いましょう』という、グレイフィアとの約束。それを今ここで破ろうというのだ。


「お姉さま……強襲打撃騎士団アサルトナイツ四天王――アーシアは、死に場所を見つけました。祖国アルトアイゼンを護るため、この命、捧げます!」


 フォルクスイェーガーが覚悟を決め、第二陣と三陣の前に出る。そして陣を任されている指揮官に向け、毅然とした態度をとるよう活を入れた。


「臆することはありません! 奴らは数だけが取り柄の有象無象の雑兵! このフォルクスイェーガーが露払いを行い、奴らの出鼻を挫いて見せましょう! その隙に、戦いに不慣れな学徒兵や竜騎士見習いは、この場から離脱! 残る者達は空戦の用意を!」



 敵を雑兵と吐き捨てたが、もちろんそんな根拠はない。ただ嘘でもいいから臆した心を洗い流し、仲間の士気を上げる必要があった。嘘やハッタリは劇薬だが、正しく使えば人を正す妙薬となる。



 アーシアは指揮官の仕事を奪う形になってしまったが、空戦ではこういった事が度々起こる。空戦において、階級や称号よりも竜騎士としての質や、指揮官としての技量が優先されるからだ。

 地上戦とは違い、空戦では指揮官が墜とされる危険性が極めて高い。そのため、指揮系統の速やかな分散と併合を行える順応性が要求されるのだ。そうでなければ、目まぐるしく状況が変化する空戦において、生き残る事はできない。


 アーシアは声を上げて叫んだ。一人でも多くの騎士の心に届くように――。





「栄えあるアルトアイゼン竜騎兵は、聖域に足を踏み入れる人間共に、代償を支払わせるのです! 魔都に土足で踏み入る事が、いかに愚かで、勇敢とは程遠い無謀な決断であったのかを!

 この戦いは、双方の歴史に残る戦いになるでしょう! 靦然たる人間共の歴史に、我が竜騎兵団の活躍を栄光と共に刻むのです!」



 歯の浮くような台詞と自覚しながらも、アーシアは仲間の視線を確認する。すでに彼等から臆した心は消え、その瞳に闘志が宿っていた。

 人類に敗北した屈辱の歴史――その歯痒さを、アーシアの言葉が呼び起こしたのだ。



「総員戦闘用意! 陛下に勝利を! そして祖国アルトアイゼンに長寿と繁栄を!!」



 戦意向上を見届けたアーシアは、彼等のために露払いをすべく、フォルクスイェーガーの速度を上げた。


 彼女は敢えて真正面から戦いを挑む。あれだけ高説を論じておきながら、姑息な戦いをするわけにはいかない。四天王の一人として、そして竜騎士として、歴史に残る威厳ある戦いをしなければならないのだ。だからこそアーシアは戦略性を無視し、正面から正々堂々、軍場いくさばに足を踏み込む。


――だがその時だ。アーシアは思わぬ方向から出鼻を挫かれてしまう。それを行使したのは、エストバキアの竜騎士でも、スペッサルトが拵えた傭兵達でもなかった。


 空が金色に染め上がる。それは陽の光によるものではない――朝日を越える光源が、真っ直ぐエストバキア竜騎兵へと向かっていったのだ。



「この光は! まさか……砲撃魔法?!」



 その光景を目にしているはずのアーシアが、砲撃魔法と断定できないのも頷ける。なにせその規模、、が、砲撃魔法と思えないほど桁違いなのだ。

 朝の木漏れ日を金色に染め直し、巨大な魔力の柱が空を両断する。

 それはまるで、古の伝承である神々アスガルド神竜エンシェントドラゴンの聖戦を彷彿とさせ、絵画に描かれた神話の景色を、顕世で再現したかのような攻撃だった。


 その光の渦は、魔族の第二陣・三陣の上を何事も無く通過し、エストバキアの竜騎編隊に直撃した。


 エストバキア竜騎兵団に為す術はなかった。200を越える圧倒的軍勢が、量を越える質の前に敗北したのである。高額の報酬と魔族を斃したという名声。その餌に釣られて参加した者達の代償は、命をもって支払われたのだった。


 すべてを無に帰す光。その一撃によって、エストバキアの竜騎士や傭兵は、一瞬で消し炭と化した。直撃を受けたものはまだ幸運である。光の渦から逃れてしまった者達は、高温化した魔力の波に呑まれて、生きたまま火達磨と化す。


 あり得ない方向から放たれる、超弩級の援護射撃。アーシアはフォルクスイェーガーの目を使い、砲撃魔法が放たれた方向を確認する。そして彼女は、二度目の喫驚を味わうことになった。



「エンシェント……ドラゴン?!」



 アーシアがその目で捕らえたモノ。それはこの世界でありふれた存在である、ドラゴンなどではなかった。ドラゴンどころか、人間や魔族を遥かに越える存在であり、神々と対等な力を持つ伝承の巨兵――神竜エンシェントドラゴンだった。


 白い鱗に、黄金の角を生やしたエンシェントドラゴンが、魔族の竜騎編隊を追い越す。その桁違いの巨体さを物語るように、編隊が影に覆われる。

そしてエンシェントドラゴンの姿は、畏怖するほど神々しく、高潔な存在感だった。鱗そのものが魔力によって光沢を帯び、形容しがたい未知の輝きを放っている。

 そして中でも一際目を引くのは、背に展開している魔法陣だ。

 翼を羽ばたかせることなく飛翔できるのは、おそらくこの、黄金に輝く日輪によるものだろう。今の魔導力学では説明できない、未知の技術で重力に抗っているのだ。


 魔族が駆るドラゴンとは、一線を画している神の如き存在。――その魔族達の目を虜にする神話が、徐ろに語りかける。



『魔族の竜騎士達よ、恐れることはない。魔都の防衛は、妾が引き継ごう。行け。お前達は第一陣の増援に向かうのだ』



 その言葉に疑問を抱いたアーシアが、思わずエンシェントドラゴンに訪ねてしまう。


「どうしてエンシェントドラゴンが味方を?!」


 アーシアの訴えに、エンシェントドラゴンは耳を傾ける。どこか愉しげな笑みを含んだ声で、こう答えた。


『妾を自由の身にしてくれた恩人の頼みでな。それに、あの男が創りだす未来というものを、この目で見てみたいと思ったまでだ――アーシア』


「なぜ私の名を?! あなたは……いったい――」


『しれたこと。妾とお前は、すでに出逢っている。名を知っていて当然であろう』


 その言葉に、アーシアはさらに困惑する。いくらドラゴンやエルフが存在する異世界とはいえ、エンシェントドラゴンと知り合いなわけがない。なにせ相手は、名立たる神々と肩を並べる伝説の存在なのだ。『神と知り合い』という単語を耳にするのは、他愛もない冗談の時ぐらいだ。――今日、この瞬間を除いては。


 アーシアは『妾とお前は、すでに出逢っている』という言葉の真意を、なんとか読み解こうとする。しかし状況は考察する時間すら許されないほど、逼迫していた。エンシェントドラゴンはそんな彼女を差し置き、ある方向を指さす。


『アーシア、あれを見ろ』


 アーシアは、その指し示された方向を見る。地平線から顔を出したばかりの太陽――その朝日を背にした、不気味に蠢く黒い渦を目撃する。


「あれは……鳥の群れ? ――違う! まさかあれ全部が竜騎兵!! エストバキアはこの戦いに、どれだけの兵力を投入しているというの!」


『安ずるな、残るエストバキアの空中戦力は、あれで最後だ。とは言っても残存兵力は200騎あまり。相当数が未だ健在だがな。

 あの中にグレイフィアを始めとする第一陣がいる。奴らの包囲網によって、身動きができない状況だ。妾の攻撃魔法では、威力が強すぎて手が出せぬ。つまり彼女達を救えるのは、――アーシア、お前達だけなのだ。一刻も早くグレイフィアの元へ向かえ! すべてが、手遅れになってしまう前に!』


 アーシアは礼を告げるのも忘れ、フォルクスイェーガーの速度を上げた。その巨体に似つかわしくない韋駄天な速度で、第一陣の元へと急ぐ。


 あの渦の中に第一陣がいる――そう思っただけで、神竜に礼を言い忘れてしまうほど、居ても立ってもいられなかったのだ。



           ◇



 エンシェントドラゴンの放った砲撃魔法の光。それはスペッサルト卿の目にも届いていた。彼はその光に釣られて魔都の方角を見る。そして信じられない者の出現に、自分の目を疑う事となった。


 

「――――ッ?! そ、そんな馬鹿な!! エンシェントドラゴンだと?! そんなバカな話があってたまるか! 魔王は神竜をも使役し! 自軍に取り込んでいたのか!!! おのれ魔族の内通者め……虫のいい話だと思ってはいたが、やはりこういう事だったのか!!」



 スペッサルト卿だけではない。エストバキアの竜騎士や傭兵達もまた、まるで登場する舞台を間違えたかのような役者の出現に、動揺を隠しきれない。彼等はその方向を凝視し、鳥肌をザワつかせて額に汗を流す。そして口の中に溜まった唾を、ゴクリと息を呑む。

 エンシェントドラゴンの神々しさは、戦闘を忘れてしまうほど現実離れで、美しかった。現にエストバキアの竜騎兵達は、白銀に輝く鱗に目が釘付けだった。


 グレイフィアはこの予期せぬ事態を利用するため、第一陣に向かって叫ぶ。彼等を指揮していた副官は、すでにこの世にいない。スペッサルト卿率いる編隊の餌食となり、空中で斬り刻まれてしまった。だがただでは死ななかった。最後の一撃を刺そうと接近した、スペッサルトの部下に取り付くと、体内の魔力をオーバーロードさせて自爆したのだ。

 勇気ある行動ではあったが、魔族は作戦の指揮を行う重要な要、副官を失ってしまう。ゴボラに続いて副官を失ったことにより、指揮系統が乱れ、戦意を喪失しようとしていた。しかしそれを、グレイフィアが仲間を鼓舞し、必死に束ねる。普段の彼女想像できない声を上げ、『勝機はある!』『諦めるな!』と、第一陣の士気を上げ続けていた。

 そして今、勝利の女神が魔族に微笑みかける。グレイフィアはその一瞬を見逃さなかった。



「全騎へ通達! 敵の足並みが乱れた! 包囲網を突破するのは今しかない! 全騎私に続け!!」



 グレイフィアは手のひらに魔法陣を展開させる。そして『敵陣強行突破』を意味する信号弾を放った。エンシェントドラゴンに気が散っている今が、包囲網を突破する絶好の機会。この機を逃すわけにはいかなかった。


 目を丸くしているエストバキア竜騎兵の面々。もはや彼等にとって戦闘どころではなかった。そのエストバキア竜騎兵の眼前や真横を、グレイフィアの駆るシュバルツヴィント黒き旋風が飛翔する。その速度は高速でありながら、竜騎兵と竜騎兵のわずかな間を縫う、並々ならぬ軌道で飛行している。敵との接触ギリギリで飛行する様は、熟練者のみに許される卓越した飛行技術だ。


 高速で飛翔する黒き旋風――傭兵や竜騎士達がその姿に狼狽し、その一点に集中してしまう。

 ドラゴンに跨る一人の傭兵が叫んだ。



「しまった! 一騎逃げられたぞ! エストバキアの連中はなにをしていた! 早くヤツを―――グアァアアあぁあああッ!!!」



 傭兵はグレイフィアに気を取られ、死角から襲来した魔族によって討ち取られる。攻撃魔法がドラゴンの火炎袋に直撃したため、傭兵とドラゴンは爆煙を広げながら墜ちていった。

 犠牲者は彼だけではない。

 神竜やグレイフィアに気を取られていた者達は、後続の第一陣によって次々に葬られていく。戦場では一瞬の油断が命取りだ。数にものを言わせて構築していた包囲網を、わずか数秒で崩されてしまう。

 苦戦を強いられていた魔族の第一陣竜騎編隊――彼等は一瞬の隙を突き、200余りの軍勢から、脱出を果したのである。


 不意を突かれたスペッサルトは、自分の不甲斐なさに怒りを抱く。



「し、しまった! ええい! なんという事だ! 戦いの中で戦いを忘れてしまうとは!!」



 エストバキアの軍勢が、追撃戦を敢行した時だった。彼等の耳に、聞き慣れない音が舞い込む。それは異世界から奏でられた、死を齎す戦狂曲だった。


 だがこの中で唯一、その音を知る人物がいた。スペッサルト卿である。彼の背筋に稲妻が駆け抜け、真っ青な顔へと豹変した。そして彼の瞳がある機影を捉える。もう二度と見ることはないと思っていた、あの異形の鳥の姿――そして、その翼に刻み込まれた太陽のエンブレムを。


「まさか……まさかあの騎影は!!!」



           ◇




 零戦が急降下爆撃を開始する。進入角80度。使用する兵装は翼に牽引されている4つの爆弾だ。


 本来、零戦での急降下は避けるべき飛行である。


 同世代の中でも高い機動力を誇る、零式戦艦上戦闘機型。しかし軽量化を徹底した機体は、多大な負荷が掛かる空気抵抗に耐えられなかった。限界速度を超えた場合、零戦の翼は根本から千切れ、機首を持ち上げる前に空中で分解してしまう。それは、翼を切り詰めた零式艦上戦闘機52丙型も同様だった。


 レイブンは限界速度と、リアルタイム超音波スキャンに注視しながら、零戦を急降下させる。脳内に表示されたHUDに、零戦の主翼付け根に負荷が掛かっていることを示す、黄色の警告表示イエローコーションが点滅していた。だがまだ裂壊危険域レッドコーションにまで到達していない。レイブンは絶妙な加減で速度を調整させ、空中分解ギリギリのところで急降下していたのだ。


 レイブンは零戦を震わす空気抵抗を肌で感じながら、HUDに表示されている照準で狙いを定める。三式弾に誘導機能はない。そのため無誘導投下型爆弾を使用する際に表示される、円型サークルレクティル――ピパーで、狙いを定める必要があった。

 


 零戦の主翼は大きな揚力を発生させる反面、同時に空気抵抗が大きく生じる。レイブンはガタガタ震える零戦に、優しい言葉を投げかけた。レイブンの住む世界では、零戦はとうの昔に退役している老兵の中の老兵である。すでにその余生を博物館や資料館で過ごしているのが大半だった。

 それが異世界にまで遠征し、今もなお最前線で矛を交えようとしているのだ。無機物の兵器とはいえ、労りの一言もかけなくなるのが人というものだろう。



「もう少しの辛抱です! 耐えて下さい!」



 円型の効果範囲を示す照準が、自機の速度、進行方向から導き出した着弾位置を示す。零戦の速度が増加し、破線のラインの先にある小さな円が中央部に移動する。そしてピパーと敵編隊が重なった瞬間――レイブンは爆弾投下レバーを引いた。


 ガッコン!


 翼下面に装備された爆弾架から、4つの殺意が切り離される。


 二式二五番三号爆弾。元々は敵飛行場を使用不能にすべく開発された対地用爆弾であったものを、戦況悪化に伴い、重爆撃機に対する攻撃兵器へと再改良された、特殊対空爆弾だ。


 零戦は爆弾の行方を見届けることなく、機首を上げて上昇していく。一方投下された三式爆弾は、そのままエストバキア竜騎兵団に向かって降下していった。そして編隊の中心部に差し掛かると、その殺意を一斉に解き放つ。

 4つの爆弾が炸裂し、中から散弾効果を与える対空用マイクロフレシェット超小型針矢と、焼夷効果を齎す小爆弾をバラ撒いた。

 貫通性に優れた小さな針矢が、文字通りドラゴンを槍衾へと変えていく。それで撃墜できなかった竜騎兵は、燃えながら飛散する小爆弾の餌食となった。


 三式爆弾が描く放射状の白煙。攻撃性を感じない煙の帯びに見えるが、その下にいたエストバキア竜騎兵団が、その身を持って否定する。針矢と炎を浴びせられたドラゴンが、次々に墜ちていく光景を――。


 もはやエストバキアは、魔族を追撃するどころの話ではなかった。

 エンシェントドラゴンに続き、かつて大戦の戦況を塗り替えた神機――零戦が登場したのだ。神話の降臨に神兵の再来。それはまるで、神の悪戯によって時間軸が歪んでいるかのような、悪夢の光景だった。


 戦々恐々。エストバキアの士気は地に墜ち、混乱状態に陥る。



「神竜に超空の神兵だと?! こんな話聞いてないぞ!」

「チキショウ! こんなんじゃ割にあわねぇ!!」

「魔族を斃した超空の神兵が……魔族に味方しているだと?! いったいなにがどうなっているのだ!」

「無理だ……勝てるはずがない! て、撤退! 撤退だ!!」



 引き際を弁えた竜騎士や、怖気づいた傭兵が次々に撤退していく。


 だがここまで戦況が不利に陥っても、スペッサルトを始めとする軍勢や、未だ欲にしがみつく傭兵は退く事を選ばなかった。


 “魔族を討ち斃した”という何ものにも代え難い名声。列強国の騎士ですら敬意と瞻仰の眼差しを向けるであろう、その誉れを手放したくなかったのだ。とくにスペッサルトのような没落騎士ならば、魂を売り渡してでも手に入れたいと渇望するはずだ。

 手を伸ばせば届くような距離に、魔族や神兵がいる。大きな代償を払い続けてまで、ここまで来たのだ。今さらおめおめと手を引けるはずがない。この機会を逃せば、その名声を手に入れることは永遠にできないからだ。


 だからこそ、これだけの戦力差がありながらも、スペッサルトやその家来達は矛を収めようとしなかった。それどころか大戦時に奪われた名誉を取り戻し、神兵から受けたあの時の雪辱を晴らそうと、血走った眼で息巻く。

 名誉を奪い、スペッサルト家を没落させた元凶――超空の神兵が、目と鼻の先で飛んでいるのだ。


 スペッサルト率いる部隊が編成を整え、零戦に戦いを挑む。


 スペッサルトは喜びに震えていた。

 もう二度と目にすることすらないと思っていた、あの異界の鳥と出逢うことができたのだ。かつて無敵を誇り、束の間栄華をものにした神兵部隊。その猛者との邂逅に、スペッサルトは、殺意と喜びに満ちた笑みを浮かべる。相手は自分の人生を狂わせた原因なのだ。彼は長年研ぎ続けた爪を、憎悪と共に向ける。

 そしてスペッサルトは確信した。すべては、この時のためにあったのだ――と。



「ハハハ……ハハハハハッ! 超空の神兵! 生きていたのか! 待っていた! この時をずっとずっと待っていた!! お前と戦ってみたかったのだ! おぉ戦女神ネーノイシスよ! 貴女の厚意に感謝しますぞ!!!」 



 対零戦用加速魔法、ブラス・シュタイフェヴィントが展開する。スペッサルト編隊の前に、青白い魔法陣が次々と現れた。ドラゴンの鼻先がその魔法陣の中へ侵入した瞬間――竜騎兵は凄まじい速度で加速し、上昇する零戦に牙を剥いた。



「行くぞ! ゼロ!!」



 スペッサルトは零戦の弱点を知っていた。

 零戦は竜騎兵と比べて視界確保が難しい。それもそのはず、零戦は風防の中に身を置いているのだ。しかし竜騎兵は真逆――外気に晒されている状態で、防弾板や分厚いアクリルなどの身を守るものは、何一つない。あるのは剣を退く鎧くらいだ。それもドラゴンの負担にならないよう、必要最低限の装備。零戦と比べればその差は歴然である。竜騎兵は無防備ではあるが、それを補って余りある利点が存在していた。視界の良好さと攻撃範囲だ。

 空戦ではそれが敵の早期発見に繋がり、勝敗を分ける大きな起因となる。コックピットの中にいる零戦では、機体を逆さにでもしない限り、真下を見ることはできない。


 竜騎兵に搭乗する魔導騎士は、砲撃魔法を真下や後方――あらゆる方向に放つことができる。しかし零戦の攻撃方法は一つ――翼の先と頭部(?)から放つ、あの奇っ怪な攻撃だ。しかもそれは一方方向、前面に対してしか使用できない。つまり、零戦の真正面を飛行しない限り、攻撃されることはないのだ。


 スペッサルトは部下に念を押す。


「いいか! 神機の前には絶対に出るな! ヤツは前面にしか攻撃できない!」


 スペッサルト編隊は零戦に気づかれないよう、背後の後方下から奇襲しようとする。


 若き竜騎士の一人が、己の勝利を確信する。そして敗北するであろう零戦を、裏切り者めと捲し立てた。



「亜人連合の亡霊め! 人類に楯突いた戦犯者が、空を飛ぶ資格なんてないんだ! 死ねぇ!!」



 だが零戦を駆るレイブンは、その攻撃をすでに察知していた。機体が左に回転し、風防越しにスペッサルト編隊の接近を確認する。そして機首を真下へと向けて下降、その速度を上げた。



「攻撃が読まれていた?! クソッ!」


「よせ! 深追いをするんじゃない!」



 スペッサルトの制止する声は、若き竜騎士に届かなかった。彼は編隊を離れ、零戦の後を追ってしまう。

 本来なら態勢を立て直し、再度、奇襲する機会を伺うか、もしくはそういった場面を作り出すべきところである。しかし若き竜騎士は、人類を裏切った零戦を憎み、冷静さを欠いていたのだ。


 地面に向かっていた零戦の機首が、不意にその顔を上げる。その起動は、若き竜騎士の想像を遥かに越える速度だった。



「――ハッ! 疾い!! これが魔族を葬った力なのか!」



 この世界に存在するはずのない零戦が、ドラゴンとは違う牙で相見える。機首に装備された三式十三粍固定機銃が、敵意を向けた若き騎士に咆哮したのだ。


 零戦が機首を持ち上げてから3秒。魔法の詠唱すら行なわず、零戦はわずか数秒で一騎を墜とす。空を飛ぶ資格を剥奪されたのは、先に牙を剥いた若き竜騎士だった。


 彼の死を無駄にすまいと、スペッサルト率いる編隊が行動に出る。零戦の背後へ回り込もうとしたのだ。しかし零戦は持ち前の機動力を発揮する。得意の左捻り込みによる急速旋回を行い、逆にスペッサルト編隊の後ろへ回り込む。

 まるでその軌道は、スペッサルト編隊がどのような策で、どういう行動をとるのか――すべて事前に打ち合わせでもしたかのような、有り得ない動きだった。


 まるで心を読まれているかのようなその動きに、スペッサルトは汗を流し、不快感極まる悪寒に蝕まれる。



「さ、先読みされている?! なぜ? なぜ我々の策が……零戦に乗る騎士は、予知能力でも持っているというのか! それにこの機動力……あの時よりも遥かに早く、鋭いだと?!」



 当たらずとも遠からず――レイブンはすでに何度も、スペッサルトと空戦を交えていた。彼の率いる編隊が、どのような攻撃方法で、どのような戦法を取るのか――すべて、その手の内を熟知していたのだ。


 レイブンにだけ、すべてが見えてしまう手札を使用した、いかさまポーカー。零戦がこの空域に踏み込んだ時点で、スペッサルトの命運は尽きていた。


――だがそれ以前に、スペッサルトは大きな見当違いを犯していた。彼は大戦中、零戦の起動をその眼に焼き付けていたが、レイブンの駆る零戦はその時とは大きく異なる。


 零戦そのものは、スペッサルトの知る大戦時のままだ。エンジン換装などの大規模改修は行なわれていない。 

 しかし零戦原動力となるガソリンは、異物のない純粋なガソリンである。そのオクタン値の高いガソリンに加え、機内の消耗品はすべて最新のものに交換してある。つまり、最高コンディションの零式艦上戦闘機 52丙型なのだ。

 もはやその機動力は別物。本来あるべき零戦の姿へと生まれ変わった零戦である。つまりスペッサルトの知る零戦とは、桁違いのスペックを叩き出しているのだ。


 大東亜戦争の最中さなか、設計者が思い描いた理想の起動。零戦は機体本来が持つその機動性能を、異世界の空で発揮する。そして翼部の九九式二号20ミリ固定機銃四型で、襲い掛かる火の粉を払い除けた。


 手の長さよりも大きく、指の太さよりも太い20ミリの弾丸。その過剰とも言える暴力の鉛矢が、スペッサルト編隊を一騎、また一騎と墜としていく。ドラゴンの鱗を安々と貫き、人を肉片へ加工していく弾丸の集中豪雨だ。


 覚醒した零戦の前では、スペッサルトの考案した戦法や魔法はまったく歯が立たなかった。


 まるで先の大戦再来――魔族が抱いたトラウマを、今度は人間達に植え付けるかのように、スペッサルト編隊を次々に葬っていく。


 もはやスペッサルトに勝ち目はない。彼に生き残る道は、戦線の混乱に乗じて逃げるしかなかった。

 まだ撤退していない血気盛んな傭兵たちが、今も魔族と交戦している。その空域に乱入し、傭兵たちと零戦を戦わせているのだ。零戦が傭兵を相手にしている隙に、逃げるしかない。だが捨て駒である傭兵たちが先に全滅すれば、魔族の矛はこちらに向けられることになる。そうなればスペッサルト編隊は、零戦と魔族を同時に相手にしなければならない。


 もはや撤退するには、今を置いて他になかった。


 だがスペッサルトは心の声に耳を塞いだ。魔族をここまで追い込み、もう少しで全滅させることができるのだ。零戦を斃すことができれば、苦戦は必至であるが、魔族の竜騎兵団は全滅させられるだろう。

 まだ策はある。そもそもここまで来て、諦めることなどできるものか。

 スペッサルトは弱気になった心を締め上げ、自らの言葉で撤退を全面否定した。



「撤退だと? できるものか……またあの屈辱の中に! この身を晒せというのか! ふざけるな! 私は誇り高き騎士なのだ! もう二度と汚れ仕事を請け負う毎日に、身を窶すものか!」


 零戦に向け、スペッサルトは憎悪の眼差しを向ける。


「あんな鳥一匹に! スペッサルト家の栄光を潰されてたまるか! 我が家名はユージア大陸全土に知れ渡るのだ! 魔族を一匹残らず滅ぼし! 超空の神兵を討ち取った伝説と共に!!」



 だがその希望は脆くも崩れ去る。たった数分たらずでスペッサルト編隊の部隊は崩壊――スペッサルトを除いてすべて駆逐されてしまったのだ。いくら零戦の前面を避ければ問題ないとはいえ、本来の機動力を取り戻した零戦の前では、あまりに無力だった。



「バカな……私が手塩にかけて育てた教え子が……雑魚扱いだと? 傭兵のようなならず者とは違うのだぞ!! それがこうも簡単に? ありえん! あってはならんことだ!!」



 一騎当千。零戦はわずか一機で、スペッサルト編隊を壊滅へと追い込む。残るのは、部隊を束ねていた指揮官、スペッサルトただ一人だ。


 スペッサルトは狂った笑い声をあげながら、零戦に決闘を挑む。



「フハハハハハハ! お前ごときに恐れるものか! お前さえ! お前さえいなければ!! 私は魔族の首を掲げ、竜騎士としての名声を手に入れることができたのだ!!」



 報復に燃えるスペッサルトは、逆恨みな言葉を並べ立てながらも、己の騎士道を貫く。危険と知りながら、あえて真正面からの戦いを挑んだのだ。


 スペッサルトのドラゴンが、展開された魔法陣――ブラス・シュタイフェヴィントへ飛び込む。翼を折り畳み、零戦に向かって加速した。



「必ず討ち取って見せようぞ! そしてお前が奪い去った名声をこの手に取り戻し、スペッサルトの名を永久の栄光へと誘う!! 覚悟ぉおぉおぉお!!!」



 スペッサルトはただ加速したのではなかった。防御魔法のエンチャントを、自分とドラゴンに幾重にも施したのである。銃弾から己の身を守り、その防御力を攻撃に転換させるのだ。


 零戦の猛火がスペッサルトを襲う――しかしブラス・シュタイフェヴィンヴィントで急加速・急減速を行い、銃弾を間一髪で躱す。ただしそれには強烈なGが掛かる。その多大な負荷に耐えながらも、スペッサルトは無事に零戦へと接近した。そしてランスを突き出し、零戦に向かって射出する。

 ランスには、魔法を起爆剤とした射出機能が備わっていた。砲撃魔法が使えない際の飛び道具や牽制、または大打撃を与えたい時に使用される、隠し武器だ。


 加速魔法によってランスは勢いよく射出される。だが零戦は螺旋軌道でそれを回避――再び機首をスペッサルトに定める。

 その隙にスペッサルトは、さらに防御魔法で鉄壁の守りを固めた。自らの竜騎兵そのものを攻撃とした、体当たり攻撃を敢行する。



「うぉおぉおおおぉおお――――ッ!!!!!」



 決死の攻撃――だが、それが成就することはなかった。


 零戦の持つすべての銃火器が、スペッサルトに向けて注がれる。幾重にも施された防御魔法によって、数秒は弾丸を弾くことはできた。しかしそれ以上は無理だった。防御魔法を貫通し、弾丸がスペッサルトを貫いていく。大口径の洗礼によって、スペッサルトの体はバラバラに斬り刻まれ、愛騎と共に命を落とした。


 彼の遺体と相棒であるドラゴンは、鬱蒼と生い茂る森へ落下していく。


 魔族の竜騎兵の殲滅と、かつて栄光を奪い去った零戦との雪辱戦。憎しみで空を飛び続けた結果――スペッサルトは深淵の森に没するという結末を迎えたのだった。


 魔族が束になって敵わなかった、スペッサルト率いる竜騎編隊。

 覚醒した零戦の介入がなければ、その栄光と勝利はスペッサルトに輝き、魔族の竜騎兵は一騎残らず全滅していただろう。


 レイブンは、グレイフィアの救援に間に合ったのだ。


 零戦が旋回し、グレイフィアの姿を探す。彼女は無事健在だった。勇敢にも仲間と一糸乱れぬ編隊を組み、残存兵力である傭兵たちを返り討ちにしている。遠方では第二陣と三陣――そしてフォルクスイェーガーが増援として向かって来ている。これ以上、零戦が手を貸す必要はなかった。




 レイブンは彼女達の無事を見届けると、その進路を魔都に定める。

 彼にはまだ、どうしても斃さなければならない敵がいた。


 

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