第33話『魔都防空決戦』

 フォルクスイェーガーが、ついに第一陣に追いついた。交戦区域に突入すると、体内から意志を宿した剣を射出した。


「ソードフィッシュ射出!」


 ソードフィッシュはまず手始めに、近くを飛行していた竜騎兵に牙を剥く。

 人造ドラゴンであるフォルクスイェーガーはソードフィッシュの格納容量確保のため、大型化を余儀なくされた。そのため肥大化してしまった体は否応にも目立つ。そのため少しでも手柄を立てようする者の目を、奪う形となってしまった。

 名声に飢えた傭兵たちがフォルクスイェーガーに集り始める。しかし彼等がその名声を手に入れる事は、永遠の夢となった。ソードフィッシュが彼等の首や喉を掻き斬り、その息の根を止めたのだ。


 そしてアーシアの駆るフォルクスイェーガーは、敵陣を突破しながら交戦空域の奥へ奥へと進む。フォルクスイェーガーの目を通じ、アーシアの瞳にグレイフィアの姿が映った。


「お姉さま!!」


 だがグレイフィアは無事ではない、敵の竜騎兵に追われている状態だった。彼女の編隊は不覚にも、敵に後を取られ、追撃を許してしまったのだ。


 アーシアはソードフィッシュを使おうとするが、それを止める。ここからでは距離が離れすぎていたのだ。――アーシアはフォルクスイェーガーに搭載されている、適切な武装を選択した。


「カラミティブリンガーなら、あの距離でも届く! お願い間に合って!!」 


 フォルクスイェーガーの胸鱗が開き、拳大ほどの赤い瞳が露出する。それは魔界に住むクリーチャー、オーブズヴァイ・ゴアの邪眼だった。

 フォルクスイェーガーは邪眼獣の幼体を移植し、収束型魔導光学兵器として搭載していたのだ。その名はアーシアの口にした、災厄を齎す者カラミティブリンガー。仰々しく物騒な名であるが、それは逆にガッドナー博士の期待の現れでもあった。

 フォルクスイェーガーの貴重な容量を裂いてまで、この武装を搭載する恩恵は計り知れない――。なぜなら低コストの魔力で並みの砲撃魔法を凌ぐ、遠距離攻撃アウトレンジが可能となるのだ。

 そして博士の仮説は、実戦において立証される。


 オーブズヴァイ・ゴアの赤き単瞳が、ドラゴン胸部で不気味に輝き始めた――そして紅蓮の怪光線が放たれる。射線上の物質を焼き尽くす熱線は、周囲を赤く染めながら突き進む。そしてグレイフィアを追撃していた編隊に直撃した。先頭から順に、次々に竜騎兵が炎に包まれていく。後続が燃え上がる僚騎気付き、一斉にその足並みを止める。そして状況を把握するために散開した。



「なんだ?! 今の光の線は?!」

「砲撃魔法? 新手かよクソがッ! いったいどっから撃ってきやがった!」

「もうダメだ、逃げるぞ! このままじゃスペッサルトの二の舞いだ!!」

「ここまで来て、手柄なしで逃げ帰れって言うのかよ! 冗談じゃねぇ!」

「アホが! スペッサルトが死んだ時点で、俺達のタダ働きは決定なんだよ! それに手柄を得ようにも、神機に神竜エンシェントドラゴンのお出ましと来て、挙句には今の新手だ! このまま戦ってたら、命を落とすぞ!」


 彼等が口にした言葉は、魔族の女によって実現された。

 グレイフィアの砲撃魔法による反撃が開始されたのだ。範囲攻撃魔法である雷滅の十字架クロイツリヒトシュトラールが、散開した竜騎兵に紫色の稲妻を叩き落としていく。その光景はまさしく紫電雷光――傭兵たちは容赦ないいかずちの洗礼に為す術なく、命を落として逝った。


 範囲攻撃に成功したグレイフィアは、周囲を見渡し、援護射撃を行なった竜騎兵の姿を探す。


「さっきの攻撃はアーシア?」


 それが正解と言わんばかりに、遠方からフォルクスイェーガーが飛来した。その巨体に似つかわしくない速度で旋回。シュバルツヴィントの後方から距離を詰める。そしてフォルクスイェーガーの鱗を開け、目視でグレイフィアの無事を確認した。


「お姉さまご無事で?!」


「アーシア! やっぱりあの攻撃はアーシアだったのね! 第二陣と三陣の護衛は!」


「問題ありません! 信じられない話ですが、エンシェントドラゴンが襲来した敵を、すべて薙ぎ払ってくれたのです! 現在私達に代わり、神竜が戦線の最終防衛ラインを死守してくれいます!」


「なぜエンシェントドラゴンが私達に味方を?!」


「神竜曰く、恩があって手を貸したと」


「恩?」


「それが妙なんです。エンシェントドラゴンはお姉さまの名前や、私の名を知っていました。なんでも『私と神竜とは出逢ったことがある』と言っておられたのです。もうなにがなんだか……」


 グレイフィアはアーシアに『身に覚えは?』という視線を投げかける。アーシアは視線での問いに顔を横に振って答え、エンシェントドラゴンに視線を移す。そんなアーシアに釣られるように、グレイフィアも神竜の姿を見た。

 件のエンシェントドラゴンは、まるで戦を見守る女神のように、遠方で神々しく輝いている。鱗をキラキラと煌めかせ、日輪を背にしたその姿はまさしく神と称して遜色ない姿だ。

 第二陣と三陣も空戦区域に侵入する。第一陣と交戦している敵残存兵力を蹴散らしていった。すでに多くのエストバキア兵は撤退し、数では魔族が優勢である。そしてなにより魔族側には、エンシェントドラゴンという絶対的な加護がある。神々アスガルドがこの舞台に上がらない限り、もはや魔族に敗北する要素はなかった。


 グレイフィアは、眼前に広がる現実離れした光景に、妙に納得した様子で頷き、笑った。


「なるほど。あれがレイブンの用意していた、保険ってわけね」


「レイブン? まさか彼が! あのエンシェントドラゴンを寄越したのですか?!」


「神竜を当たり前のように調達して、まるで仲間のように理路整然と配置する――こんな馬鹿げた事する男、彼を置いて他にいないじゃない。違って?」


 そしてグレイフィアは「やれやれ」といった呆れた様子で溜息を吐く。


「まぁなんにせよ。実際、レイブンのアドバイスと神竜がいなければ……私達は全滅していたわ。

 しかも相手に情報は筒抜けで、こちらの戦力の倍はある竜騎兵を相手にしなければならなかった。とても勝てる戦いじゃない。――レイブンがああして予防線を張っていなければ、エストバキアの侵攻を許していたわ」


 アーシアは魔都に火の手が上がる悪夢を想像し、背筋に悪寒を走らせる。――そしてハッ!と我に返った表情で、グレイフィアにあることを報告した。


「報告遅れました! 実は先程、超空の神兵と思われる騎影とすれ違いました。――まさかあれも、レイブンが関与を?」


 グレイフィアは『そのまさかよ』といった顔をする。そしてあっけらかんとした口調で答えた。


「あぁ、アレね。あれに乗っていたのは絶対にレイブンよ。間違いない。冷徹なまでに鮮麗された軌道。そして効率優先の戦い方。現にゴボラを落としたあの手練を、遥かに上回る圧倒的な強さだった。あの不気味なまでの強さは、レイブンを置いて他にいないわ」


 アーシアは思わず、零戦が向かった方向を見ながら、「ほんと信じられない」といった顔をする。

 それを見たグレイフィアは、なぜ神機に乗っていたのが『レイブンである』と断言できたのか。その見解をさらに語った。


「もしも仮に敵であるのなら、そもそも私達のこと放っておかないでしょ? エストバキアの重要兵力を削ぐだけ削いだら、さっさと交戦空域から去っていった――どう考えても敵がとるべき行動ではない。だとすれば、彼しかいないじゃない」


「ですがなぜ、レイブンが神兵の所持していた神機に? 神機は亜人戦争後、忽然と姿を消しています。彼が召還される遥か以前のものを、いったいどこで?」


 その問いかけにグレイフィアは、肩を竦めて考察を放棄した。さすがにそればかりは、当事者に訊くしかない。


「さぁね。エンシェントドラゴンとお友達になれる非常識な人間に、もはや私達の一般常識は通用しないわ」


 そう口にしたグレフィアの口元は、仄かな笑みを伺わせていた。



           ◇



 渦中のレイブンは、零戦で魔都を目指していた。そしてその途中、魔都防衛に着いていたエンシェントドラゴンとすれ違う。レイブンはすれ違う前に零戦の風防を開け、「うまくいった」というハンドサインを神竜に送った。

 それを目にしたエンシェントドラゴンは、零戦を見送りながら祝意を贈る。


『死と再生を繰り返す、あの無限地獄を断ち切ったか。だがレイブン油断するなよ。まだ戦いは、終わっていないのだからな……』



           ◇



――魔法都市 アルトアイゼン


 魔都は厳戒態勢が敷かれていた。


敵地上部隊の侵攻に備え、市民総出で街の各所に、バリケードや障害物が設置されていく。市民の中には、かつて大戦を経験した古参や予備役兵がいた。彼等が率先して市民を指揮し、彼等を一つの部隊として動かしている。


 もっとも市民は常日頃から、こうした訓練を受けているため慣れたものだった。市民同士が阿吽の呼吸で作業を重ね、防衛網を構築していく。

 なにせ地上は人間達の勢力圏なのだ。ここから人間達の国までかなりの距離はあるが、攻めてこないという保証はどこにもない。一旦陥落すれば最後、人間達がここでなにを仕出かすかは容易に想像できる。現に大戦中、人間達に捕らえられた魔族の女性達は、凄惨な目に遭っていた。彼等との間に産まれてしまったツノツキという忌むべき子ども達――あの惨劇を、二度と繰り返してはならない。市民達はその想いを胸に、日頃の備えを怠らなかった。


 そしてその努力が実を結び、魔都の防衛は着々と、速やかに固められていった。


 そんな魔都にゼノヴィアが舞い戻る。彼女はダークエルフから借りた馬を走らせ、ある場所を目指した。それは魔都の市街地で一番広い街道である。

 普段は露店が軒を連ねているメインストリートではあるが、戦時下となった今は閑散としている。そして木製の歩兵止めバリケードが運ばれ、市民の手によって今まさに設置されようとしていた。

 ゼノヴィアは街道に設置された臨時の指揮所まで馬で乗り継ぐ。そして馬から降りると、市民を指揮していた兵士に街道を空けるよう下知を下した。



「ちょい待った! 待て待て待て! 歩兵止めを置くんじゃない! コイツを今すぐココから撤去してくれ!!」


 市民と避難経路の話し合いをしていた指揮官が、強襲騎士団からの思わぬ要望に目を丸くする。突然、四天王の一人であるゼノヴィアが現れたと思いきや、突拍子もない意見を口にしたではないか。現場の指揮官のみならず、歩兵止めを運び込んでいた市民も、何事かと目配せしている。


 指揮官は要望を却下する。それもそのはずだ。これから敵が攻め込むかもしれないのに、わざわざ城への道を開けろと言っているのだ。事情を知らない指揮官は、ゼノヴィアがどうかしているとしか思えなかった。


「なにを言っておられるのです! エストバキアが攻めて来るのですよ! そんな悠長なこと言っている場合では――」


「いいから早急にどけるんだ! 強襲打撃騎士団の権限持ち出したくねぇが、これはマジで重要な事なんだよ!!」


「ダメです! ここは城まで直通している大通りなんです! 守りを手薄にするわけにはいかない!!」 


「最重要事項なんだ、理由はあとで話す! だから今すぐに――」


 二人が口論している中で、突如爆発音が鳴り響く。その衝撃で市街地が震え、建物の窓がガタガタと揺れた。


「なんだ今のは?!」


 ゼノヴィアは聴覚と持ち前の嗅覚を駆使し、爆発の発生源を探った。


「爆発?! 方角は竜騎兵用の地下洞窟からか。この臭い……――?!!  この臭いは魔族のドラゴンじゃない! まさかコイツは――」


 彼女の言葉を裏付けるように、立ち上った爆煙の中から白い竜騎兵が現れる。それを目にしたゼノヴィアが、力一杯に叫んだ。


「敵だ!! みんな逃げろぉおおおお――――ッ!!!」


 それはギルバルドが率いる魔王討伐部隊だった。魔族の竜騎兵が偵察時に使用している地下洞窟。その裏口からギルバルド部隊は魔都に侵入を果し、ところ構わず攻撃を開始する。それは市民や兵士も関係ない、無差別攻撃だった。

 

 何故、彼らが強硬な防衛網が敷かれた魔都に、こうも易々と侵入できたのか。それは魔族の裏切り者である、内通者の根回し斥候があったからだ。内通者は厳戒態勢が敷かれたのを利用し、洞窟を護る守備隊の人員を言葉巧みに移動させ、ギルバルドが侵入し易いよう、わざと守りを手薄にしたのだ。そのためギルバルドの部隊は、目立った損害なく、魔族の本拠地に堂々と足を踏み入ることができた。


 人類の悲願だった魔族本拠地への空襲。そして魔族にとってはもっとも防がなければならなかった、魔都制空権の喪失。地下という天井のある空は、ギルバルド竜騎兵団の独擅場と化す。

 魔都の空を護るべき魔族の竜騎兵団は、ゴボラの立案した奇襲攻撃のために、全騎出撃していた。敗戦の雪辱を晴らし、亡きエリス殿下に捧げる勝利のため。魔族の威信を賭けたこの戦いを優先し、城を守る竜騎兵も駆り出されていたのだ。今回その大博打が、最悪の形となって表面化してしまう。


 白きドラゴンの群れが、街にいた市民に襲い掛かる。対空手段を持たないどころか、戦う術すらない者達にどうすることもできなかった。竜騎兵から見れば、彼らは動き回る生きた的。弄ぶには絶好の獲物である。


 人間達にとって魔族は異種族であり、人としての権利はない。そこに兵士や民間人という境すらもないのだ。角を生やした頭部に紫色の肌を持ち、人の言葉を話すバケモノ。人里襲うオークやゴブリンと同列と見なされていた。だからこそギルバルドの部隊は、武器を持たない者に対しても躊躇いなく攻撃することができた。なにせここに居る者達は人類に仇なす敵――存在することさえ許されない敵なのだ。


 ギルバルド竜騎兵団は、目に入るものすべてに攻撃行う。それはもう無差別攻撃だった。


 教会に砲撃魔法が着弾し、倒壊した塔がメキメキと音を立てて傾斜し、市民の上へと降り注ぐ。下に居た者達は間一髪で下敷きから逃れることができた。だが塔内の鐘は勢いが止まらず、凄まじい鐘の音を奏でながらバウンド――最終的に歩兵止めをなぎ倒して、ようやく静止した。



 ゴォオオォォオォオォオオォン!! オォオオォン―――……



 まるで魔都の終焉を報せるかのような鐘の音に、ゼノヴィアは怒りを抱く。人の国に土足で上がり込んだ挙句、我が物顔で飛び回り、無抵抗な市民を襲っているのだ。それに怒りを抱くなというのが無理な話である。そしてゼノヴィアは憤怒の眼差しで、空を我が物顔で飛行する竜騎兵を睨んだ。


「ふざけやがって!! ここは魔法都市アルトアイゼン! この空は! てめぇら糞野郎が飛んで良い場所じゃねぇんだよ!!!」


 ゼノヴィアは近くにあった、木製の歩兵止め力強く掴む。そして砲丸投げのように体を一回転させ、遠心力を利用して歩兵止め投げ飛ばした。木製とはいえ、歩兵を足止めする障害物である。かなりの重量がある物が、ゼノヴィアの怪力によって空を舞った。


 投げられた歩兵止めが、飛翔するドラゴンに当たることはなかった。低空飛行していたドラゴンをかすめ、見世物小屋前に落ちていく。しかしその行動が災いし、ゼノヴィアの存在を竜騎兵に誇示する形となった。

 だがそれはゼノヴィアにとって好都合な展開だった。周囲には、まだ大勢の市民がおり、加えてここは戦闘に不向きな市街地である。市民が多くいるこの市街地から、ギルバルドの竜騎兵団を引き剥がす必要があったのだ。


 ゼノヴィアは持ち前の脚力で跳び上がり、壁を蹴って屋根へと上がる。そして、ドラゴンに跨る人間達に向かって叫んだ。


「聞けぇ! 腰抜けの卑怯者どもめ! 人間共がこんなに臆病な連中だったとは、失望もいいところだ! 俺の名は強襲打撃騎士団 アサルトナイツ四天王の一人! 獣魔族のゼノヴィアだ! なんなら四天王直々に、てめぇらの騎士道精神叩き直してやろうか!!」


 竜騎兵の注目を集めるだけ集めたら、ゼノヴィアは両腕を広げて、ニヒルな笑みで最後にこう締め括る。


「どうした? ほら、かかってこいよ! それとも魔族と殺り合うのが怖いか?」


 魔族の分際で、そこまで騎士を愚弄するか! ならば受けて立つ!!


 挑発されたギルバルド竜騎兵団が、ゼノヴィアに矛先を定める。狙われるゼノヴィアは圧倒的に不利だ。なにせ向こうは重力に逆らい、三次元を自在に飛び回る存在である。しかし対するゼノヴィアはほぼ平面な起動しかできないのだ。地を這いずる猫が、白き鷹という巨大な獲物を、仕留められるわけがない。


 それでもゼノヴィアは戦うしかなかった。この魔都にいる強襲打撃騎士団は彼女を置いて他にいない。そして彼女の後ろには、命に換えても守らなければならない、アルトアイゼン市民がいる。


 今こそ、四天王の存在意義――その真価が問われる時だった。


 挑発を終えたゼノヴィアが駆け出す。彼女は屋根伝いを跳躍し、市民の少ない場所へ移動する。ゼノヴィアの挑発が効いたのか、ギルバルド竜騎兵団が群れをなしてその後を追う。彼らは宣戦布告も家名を名乗ることもなく、ドラゴンブレスや砲撃魔法で一方的な戦いを挑んだ。

 ゼノヴィアは攻撃の着弾位置を読み、ジグサグに走りながら建物から建物へと跳躍――竜騎兵からの攻撃を避け続けつつ、屋根伝いを走り抜ける。さすがにギルバルド部隊も、四天王という人並み外れた存在との交戦は想定していなかったのだろう。予測不能なゼノヴィアの動きに翻弄され、手玉に取られる形となった。ゼノヴィア優勢とは言い難いが、敗北が目に見えた劣勢とまではいかない。

 ゼノヴィアは建物の上を駆け抜けながら、心の中で自らを奮い立たせた。


『レイブンが苦しんで、血反吐を吐きながら守ろうとしてるんだ。人間であるアイツが、この地を、この国を、俺たち魔族を……それなのに魔族であるこの俺が、怖気づくわけにはいかねぇよなァ!』


 そしてゼノヴィアは自分に喝を入れる、その際に思わず、心の声を叫んでしまう。


「レイブンは必ずアルトアイゼンに還って来る!! だからその瞬間まで! 俺は時間稼ぎをするまでだ!」


 ギルバルド竜騎兵団が攻勢に出る。ドラゴンブレスと魔導騎士が放った雷撃による同時攻撃だ。火炎が屋根を燃やし、無数の雷撃が建物に降り注ぐ。雷撃と火炎が降り注いだ建物の一つに、小麦粉の卸売問屋があった。建物内に堆積していた小麦粉に引火――大爆発を引き起こす。ゼノヴィアは爆発によって生じた粉塵に紛れ、敵に勘付かれぬよう、密かに建物の上から裏路地へと下りる。


「チッ! 敵地だからって見境なく撃ちまくりやがって!! 見てろよ人間ども……逃げまわってばかりと思ったら、大間違いだ!」


 ゼノヴィアは粉塵の中、大通りに出る。

 ギルバルド竜騎兵団はゼノヴィアを見失ってしまう。立ち上る煙柱の周囲を飛び、彼女の姿を探していた。

 その隙にゼノヴィアは、目的の品である油が入った樽まで走る。この油は、敵を足止めするために用意されたものだ。城に続くこの大通りは、少し傾斜している。大通りに油を流すことで、重い装備の騎士や馬車の足を滑らせ、横転させるためのものだった。

 ゼノヴィアは油の入った樽を、本来の目的とは違う別の用途として使用する。


「魔都まで出向いて、タダで返すわけにはいかねぇよな! よい、しょっと!」


 ゼノヴィアは樽を担いだ時だった。その姿を一人の竜騎士が見つけ、彼女に襲い掛かる。ドラゴンに口内に火炎が迸り、獄炎の凱歌が解き放たれようとしていた。


「これは俺からのサービスだ! 喰らいやがれぇえええぇえぇえッ!!!」


 ゼノヴィアは襲い掛かろうと下降してきたドラゴンに、担いでいた樽を投げつける。投げられた樽は見事ドラゴンの顔面に直撃し、口内に貯めていた炎へと引火。ドラゴンと跨っていた竜騎士を、炎の中に誘った。ドラゴンと竜騎士は断末魔を上げ、その苦痛から逃れようと大通りでもがき苦しむ。


 撃退に成功したゼノヴィアは、「どうだ見たか!」と赫々たる戦果に息巻いた。空戦能力皆無の戦士が、樽一つで竜騎兵を墜としたのだ。


「ハハハッ! ザマぁ見やがれってんだ! せっかく遠路遥々アルトアイゼンまで来たんだ、特製のファイヤカクテル驕ってやるよ!」


 だがゼノヴィアの善戦もここまでだった。ギルバルド竜騎兵団の魔導師が、拘束魔法を詠唱したのである。ゼノヴィアの足元に魔法陣が輝き、その中から帯状の光る紋符が顕現する。魔力で構成された紋符が、ゼノヴィアの腕、脚、腰、首に纏わり付き、彼女の身動きを完全に封じた。


「うぐッ?!! し、しまった!!!」


 ゼノヴィアは力ずくで拘束から逃れようとする。だが彼女の力を持ってしても、拘束魔法はビクともしなかった。


「うぎぎ! クソッ! くそがぁああああああぁあぁあ!!」


 魔導師の杖が頭上に掲げられ、再び詠唱が開始される。先の拘束魔法よりも詠唱時間が長い――高威力の攻撃魔法だ。ゼノヴィアは骨が折れるのも覚悟で、紋符を無理矢理引き千切ろうとする。


「ぬううぅ! ウォオオオオォオォオォ―――――ッ!!!!」


 だが高尚な魔術師による拘束魔法なのだろう。四天王随一の力を持ってしても、引き千切ることはできなかった。


 詠唱を終え、ついに魔導師の杖がゼノヴィアに向けられる。

 ゼノヴィアは必死に足掻く。自分の命欲しさではない――もし自分が死ねば、きっとレイブンが悲しむからだ。誰も死なないように、アイツはそうならないように何度も死んで、何度も蘇って、ようやくここまで導いてくれた。なのに……こんなところで、


「死んでたまるかぁ! まだ死ぬわけにはいかねぇんだよ! お前らなんかに殺されてたまるかアァアァアアアァアアァ!!!」


 だがゼノヴィアが拘束魔法を破壊することはできなかった。そしてついに、アルトアイゼンに裁きの光が耀く。ゼノヴィアは死の淵で、レイブンの名を叫んだ。助けを求めているのではない。ただ自分の力が及ばなかったばっかりに、彼を苦しませてしまうのが、どうしても許せなかったのだ。


 すまないレイブン。最後の最後に、ミスしちまって……――。


 閃光が罪人を裁く――裁かれたのはゼノヴィアではない。ドラゴンに跨り、無抵抗な市民に暴虐を働いた魔導師の方だった。


 ゼノヴィアの眼に救済者の姿が映る。まるで鳳凰の間で世話になった恩を返すかの如く、その深緑の鳥は颯爽と、ゼノヴィアの頭上を通り過ぎていく。魔族の地に、皇國の翼が舞い降りたのだ。



「零戦?! レイブン!!」



 零戦は建物に接触するギリギリの低空で飛行し、魔術師のみを屠る。無人となったドラゴンは、魔導師の下半身を振り落とすと、どこかに飛び去っていってしまった。


 ギルバルド竜騎兵団は、突如現れた思わぬ伏兵に戦慄する。それもただの伏兵ではない。過去からの亡霊――しかも魔族の竜騎兵を葬った鳥が、今度は自分たちに牙を剥いたのだ。その絶望感と恐怖たるや、想像以上のものだっただろう。だがしかし、彼らもこの作戦に参加するに当って、二度と故郷の地は踏めぬと覚悟を決めていた。

 逃げるどころか肉薄し、零戦に向かって一斉に襲い掛かる。


 大空のない天井のある空で、ドラゴンと零戦の大空中決戦が開幕する。


 死を覚悟した人間の動きは、常人とは並外れて違う。生という執着が剥離した分、その攻撃や軌道に躊躇いがないのだ。適切な距離を取ろうとせず、まるで体当たりを仕掛けるような勢いで踏み込んでくる。

 零戦は砲撃魔法やドラゴンブレスを避けながら、その速度を上げた。


「富や名声に固執せず、自らの命を擲つその覚悟。その心意気はお見事と評価します。――しかし私としても、これ以上仲間を失うわけにはいかない!!」


 レイブンはカウルフラップが開放させると、プロペラピッチ可変握手を奥へスライドさせる。そして左手でスロットルを全開にし、零戦の速度を上げた。


 まるで風の精霊の加護を受けたかのように、零戦の速度は上がり、ギルバルド竜騎兵団を引き離していく。

 ヤツに追いつくのは無理だ――そう判断した竜騎士や魔導師は、射程外へ逃げられる前に一斉攻撃を仕掛ける。雷撃や砲撃魔法、火球弾の軌跡が零戦に向かって放たれた。

 レイブンは操縦桿を右いっぱいに引き付けると同時に、フットバーを右に踏み込む。すると零戦は水平飛行から、左右に横転した。――これは回避行動の一つ、『急横転』である。竜騎兵では絶対に真似できないこの回避方法で、襲い掛かるすべての攻撃を躱す。


 零戦は高速でも低速でも、操縦桿の操作が同じように行える利点がある。これは零戦の設計主任である、堀越二郎が考案したケーブルの伸びを利用した仕組みだ。こうした操縦系統の改善を重ねた結果、零戦は上昇・降下・旋回といった巴戦における重要な要素を兼ね揃えた機体となった。

 幸いにも、地下に建設された国家、アルトアイゼンには、零戦が自由に飛べる広さがある。仮にF4FワイルドキャットやP‐40ウォーホークならば、この天井のある空ではあまりに窮屈で、満足な空戦はできなかっただろう。それは零戦という機動力に特化した機体だからこそ、不自由なく行える戦いだった。


 零戦は完璧な位置取りで、ギルバルドの竜騎兵団の後ろに回り込む。そして弾丸を惜しみなく放った。


「墜ちなさい。この空は、あなた方が飛んでいい場所ではない」


 ドラゴンが悲鳴を上げ、次々に墜とされていく。零戦は多勢に無勢という不利な状況にも関わらず、ドラゴンの火炎袋を避けて攻撃していた。直撃することは許されない――火炎袋が裂ければ、ドラゴンそのものが凶悪なナパーム弾と化し、火の玉となって街に降り注いでしまうからだ。街に被害が及ばないよう、胴体部への被弾を避け、翼の皮膜や尾に狙いを集中し、攻撃していく。


 しかし零戦には、竜騎兵にはない致命的な弱点が存在していた。


 レイブンはARデスプレイに赤い警告表示が点滅する。それは機首部の13ミリ機銃の弾薬が欠乏した事を意味していた。

 レイブンはコックピットの中で、自身が置かれた状況を確認する。


「機首の13ミリ機銃が底をついたようですね。残るは翼部の20ミリと13ミリのみ……街に流れ弾が行かないよう、細心の注意を払わなくては――」


 だがレイブンにとって、それは重大な問題ではなかった。レイブンが零戦に乗るのは、なにも今日に限ったことではない。熟練パイロットと肩を並べてもおかしくないほどの航行時間と、それに似合った腕前を持っているのだ。そして脳内に表示されたARシステムにより、残弾管理も十分に行き届いている。どの敵にどれだけの弾を割り当て、効率的に消費するか――それを脳内で戦闘プランとして組み立て、正確に実行すればいいだけの話だ。


 しかし翼部の機銃は、機首に比べて命中精度が低下するのは明白である。


 とくに注意せねばならないのは20ミリ機関砲だ。航空機を一撃で葬れるこの機銃は、この場所とドラゴン相手では火力が高過ぎる。胴体を貫通し、流れ弾となって市街地に降り注ぐ危険性があった。

 レイブンはいつも以上に神経を研ぎ澄まし、狙いを定め、慎重に敵騎を叩き墜としていく。


 レイブンは魔族を守る勇者として、零戦の操縦桿を握り、引き金を引き続ける。殲滅の咆哮が、アルトアイゼンの空に鳴り響いた。



           ◇



 零戦とドラゴンによって繰り広げられる、大空中決戦。

 その光景を、城のバルコニーから見守っている人物がいた。この国とアイゼルネ・ユングフラウ城を治める魔王――ガレオンである。魔王は出撃したい衝動に駆られながらも、その感情を人知れず留めていた。魔王には課せられた使命があったからだ。


 城に爆発音が鳴り響き、轟音が窓を揺らす。その衝撃で謁見の間の蝋燭立てが倒れ、太いロウソクが赤絨毯の上を転がった。城をここまで揺らすということは、爆発の発生源はかなり近い。城内での爆発と見て、間違いないだろう。



「――――来たか」



 ついに、この城に足を踏み入れる侵入者が現れたのだ。

 魔王ガレオンは、王座に腰を下ろして待つ。魔族の本拠地に堂々と足を踏み入れる猛者が、この謁見の間に現れる瞬間を。


 そして重厚な扉が開き、その人物が姿を現す。エストバキアを守るため。そして魔族の存在を絶つために、聖剣を振るう男――白銀の騎士ギルバルドだった。



「魔王ガレオン!」



 ギルバルドの目は使命感を超越し、殺意と執念に彩られていた。対する魔王ガレオンは王座に腰を下ろしたまま、どこか懐かしむような口ぶりでこう言った。


「やはりお前か」


「魔王ガレオン……内通者の言うとおり、まだ生きていたとはな。あの時、確かにこの剣でお前を仕留めたはず。なのになぜ? なぜあの傷で生き延びることができた!」


「決まっておろう……お前と再び、こうして相見あいまみえるためだ」


 魔王はそう言いながら立ち上がると、腰から下げていた剣を鞘から引き抜く。

 ギルバルドも剣を構え、柄をギリギリと強く握り締めた。まるで、魔王ガレオンの首を締め付けたいという衝動を、剣の柄で抑制するかのように。


「フンッ! どうせ魔族のやることだ。死から逃れるために禁忌に触れたのだろう。私はそういった貴様らを根絶するために! この邪悪なる地へ遣わされたのだ! 魔王ガレオン、死ぬ前に懺悔の言葉はあるか」


「ギルバルド、お前は馬鹿な男だ。宰相グエムに利用されているとも知らず、彼奴きゃつの傀儡として無様に踊り続けるとは……。つくづく度し難く、哀れで愚かだ――グエム共々な」


「なぜグエムの名を知っている? ま、まさか! お前が内通者を遣わせ、わざと情報を漏洩させていたのか!」


「ほう。では魔王が裏切り者で、民をあのように危険に晒してまで、お前達を城内に手引したと言うのか? 馬鹿馬鹿しい……エストバキア流のジョークは笑えんな。小国は冗談の質も、大国に遠く及ばないのか?」


 愛する祖国を馬鹿にされ、ギルバルドはギリリと歯ぎしりする。だがすぐさま平静な振る舞いを見せ、魔王の皮肉を皮肉で返した。



「ならその質の悪い冗談を、うんざりするほどエストバキアで聞かせてやろう。首だけになった、さらし首の魔王ガレオンとしてな!」



 そしてギルバルドは魔王に向かって駆け出す。



「今の冗談はおもしろかったぞ! 実に痛快だ!」



 魔王ガレオンも王座の階段を跳び越え、宙からギルバルドに剣を振り下ろした。剣の刃と刃が交差し、眩い火花が飛び散る。


 謁見の間を舞台に、魔王ガレオンと白銀の騎士ギルバルドの戦いが始まった。


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