第31話『ゼロ戦 異世界ニ飛翔ス!』



 ヴェノムドラゴンが首を左右に振りながら仰け反り、断末魔を上げる。狼の遠吠えのように背筋を曲げ、体全体で咆哮した。


 レイブンはその隙に、気を失っている少女を一旦地面に下ろし、倒れているダエルへと駆け寄る。



「ダエル、これはもう必要ないですよね? 返してもらいますよ」



 返答が来ないと知りながらも、あえて承諾を得ようとするレイブン。彼はダエルの手に握られていた柄を引き剥がし、私物を取り返した。そして彼の腰に下げられていたレーヴァテインの鞘を回収すると、その足で少女の元に戻る。

 レイブンはレーヴァテインに走り寄ると、優しく、彼女を労る口調で囁いた。



「レーヴァテイン。ほんの少しの間、また眠りについてもらいますよ……」



 泣き疲れ、眠りについているレーヴァテイン。レイブンはそっと、彼女の肩に手を触れる。――すると彼女の全身が光に包まれ、剣の姿へと変わった。その秘剣レーヴァテインを、レイブンは慣れ親しんだ手つきで鞘に戻す。



 彼がこの世界に召還されてから、レーヴァテインを手にするのは初めだ。しかしそこは勝手知ったる他人の剣――死んでは黄泉還る無限地獄コンティニューの中で、レイブンは幾度となくレーヴァテインを手にし、数々の窮地を共にしていた。


 イレーヌ殿下を除けば、この世界の誰よりもレーヴァテインの性格や癖、特徴や秘密までもを網羅している存在である。


 また一つ、レイブンが目的を達成したその時だった。


 大砦に一点の光が煌めき、閃光がレイブンの真横を通過する。それは対物ライフルから放たれた弾丸の光跡だった。

 レイブンは弾丸の行く末を目にする前に、臨機応変な対応をしたゼノヴィアに賛辞を送る。


良い腕ですナイスワーク


 彼の言葉を裏付けるように、弾丸は然るべき目標を達成した。レイブンの背後から襲い掛かろうとしていたダエルに、クリーンヒットしたのである。

 対物用の弾丸が圧倒的運動量を持ってして、彼の上半身を粉々に粉砕したのだ。

 ダエルの上半身は爆発したかのように炸裂し、肉片が周囲に飛散する。 


 レイブンは、背後の襲撃者に視線を向けることなく、大砦に向かって走る。石畳によって舗装されている主道に出ると、その一本道を全力で疾走した。


 一方ダエルの体も、ボロボロになった上半身を修復させながら、なんとかレイブンを追撃しようとする。頭部のない遺体。その体に残された生前の記憶――残留思念によるものだろう。


 大砦まで行なわれる命を賭けた徒競走デッドラン。しかしそれは、唐突に終わりを告げた。


 ヴェノムドラゴンの振り上げた前脚が、自己修復を行なっていたダエルに降り注いだのだ。ヴェノムドラゴンの前脚はタール状と化し、ダエルの体を吸い上げるように摂り込んでいく……。

 ダエルの体は太い脚の中でジタバタともがくが、毒を盛られたかのように痙攣し、やがてその動きを止めた。そして液状化したドラゴンの脚から胴体部へと流れ、仄暗い闇の中へと消えていった。



 その光景を目にしたレイブンは、思わずこんな言葉を呟いてしまう。



「『牙を持たない弱者は強者に弄ばれ、殺されるしかない』――バルドがこの光景を見たら、きっと、ほくそ笑むでしょうね」



 ダエルの最後を一瞥し、レイブンは大砦まで走る。


 だがヴェノムドラゴンが、それを見逃すはずがない。主従関係の逆転――。そしてダエルという統率器官を失ったヴェノムドラゴンは、本能の赴くまま、高い魔力を暴食する巨大なクリーチャーへ変貌していた。


 ヴェノムドラゴンの巨大な眼球がギョロリと動き、レイブンを凝視した。



 ダエルに勝る強大な魔力を持つレイブン。その背中に狙いを定めた刹那――視界が漂白されたかのように、真っ白に染め上がった。



 神が邪な心を見透かし、邪念に満ちたドラゴンに制裁を加えるが如く、奇っ怪な現象が起きる。ヴェノムドラゴンの巨体が、突如として燃え上がったのだ


 ヴェノムドラゴンの眼前に産まれ、地下を照らし出した陽光。だがその暁の光は、断じて神の御業や奇跡ではない。紛れもなく人為的に、人の手によって引き起こされたものだった。


 エストバキア弓兵部隊を束ね、部隊随一の弓の名手である弓兵――ポニーテールの少女。彼女がヴェノムドラゴンに向け、天空石の矢を放ったのだ。


 天空石の矢によって生み出された光が、ヴェノムドラゴンの体表である魔界のヒルを燃やしていく。邪竜は全身を焼き尽くす苦痛に身悶え、断末魔を上げながら後退した。


 その隙にレイブンは、カインフェルノの柄を交換する。投げ槍のようにクロスステップを踏むと、渾身の力でカインフェルノを投擲した。



「フンッ!!!」



 カインフェルノはスラスターベーンから燃焼光を輝かせながら、大砦に向かって飛翔する。そしてトップアタックのように大砦上空で急激に侵入角度を変えると、城壁にいた魔剣の主――エレナの足元に突き刺さった。


 それとほぼ同時に、レイブンは大砦入りを果たす。重厚な扉に開いた、人一人が通れる隙間目掛け、レイブンは飛び込んだ。

 ダークエルフ達は英雄の帰還を確認すると、大砦の扉を急いで閉じる。


 扉の閉まる重厚な音。レイブンはそれを背中で受けながら、エレナがいる城壁を見上げた。


 勝利と共に帰還したレイブンに、エレナが城壁の上から叫ぶ。



「レイブン! 怪我はないな!」



 レイブンは無事であることを報せるため、さり気ないサムズアップと共に返答する。



「こちらに問題ありません! エレナ、もう夜明けまでもう時間がない! エステラと共に円卓の間へ急ぎ、フェーニクスツァイヒェンの再起動を! ゼノヴィアは打ち合わせ通り、アルトアイゼンに向かって下さい!」



「わかったわ!」「了解した! 任せとけ!!」



 レイブンに休む間はない。一刻を争う中、急いで鳳凰の間へ向かう。




          ◇ 




 鳳凰の間では、すでに出撃準備が整った零戦と、その支度を整えてくれたシルエラの姿があった。

 レイブンの姿を見たシルエラ。彼の健在に感極まってしまい、少し上ずった声で叫んでしまう。



「レイブン! よかった……奴に勝ったのね! 零戦の発進準備はすでに完了しているわ!」



 彼女の言葉を裏付けるように、すでに零戦のエンジンに火が灯り、プロペラブレードとスピナーが高速で回転している。

 この世界の住人でありながら、熟練整備員に匹敵する手際の良さ。レイブンはそれに感賞し、感謝の言葉を贈った。



「助かりました……シルエラ。やはりこの世界で零戦を扱わせたら、貴女あなたの右に出る者はいませんよ」



 シルエラは恩人からの賞賛に、充足感に満たされた表情を浮かべる。今まで窮地を救ってもらってばかりだったが、ここに来てようやくレイブンの助けになれたのだ。



「今まで助けられてばかりだったけど、これで借り、、が返せたわ――ほんの少しだけどね」



 シルエラは期待に応えられた喜びから、顔が綻んでしまう。だがまだ戦いは終わっていない。シルエラは思わず見せてしまった少女の表情を、すぐさま、族長という仮面で隠す。そして真剣な声色で情報共有を行った。



「エレナ卿から、作戦の概要を聞きました。空へ上がるのですね」



 シルエラはそう尋ねながら、零戦のパイロットシートから降りる。それと入れ替わるように、今度はレイブンが零戦の操縦席に付いた。

 レイブンが操縦席に座るやいなや、すぐに発動機の回転数を確認する。そしてエンジンオイルの温度をチェックしながら、発電機から電力が送られているのか目を通す。計器の中にはエンジンから送られて来る空気圧で作動するものもあるからだ。

 油圧計、発電機の具合、排気温度を確認しながら、シルエラに現在の状況を語った。



「ヴェノムドラゴンを、この場所に置き去りにすることはできません。それに魔族の竜騎兵も、危機に立たされているはず。援軍に向かう必要があります。この零戦があれば、それらすべての問題に対処できる。今こそ、この零戦が目覚める時です」



 超空の神兵――またの名を、神威実カムイノミ島守備隊。

 シルエラは彼等と共に生活し、異世界の価値観や文化に触れた、希少な存在である。だからこそ彼女は、同じ日本人であるレイブンに対し、ある懸念、、があった。

 シルエラはそれを払拭させるため――そしてなにより彼の身を案じ、この言葉を渡した。



「馬鹿な真似はしないでね。“生きて勝利を手にし、還って来てこそ武人の誉れ”よ」



 その言葉に、発進準備をしていたレイブンの手が一瞬止まる。そして感慨深い想いを馳せながら、シルエラに応えた。



「懐かしい台詞だ……。安心してください。死ぬ事にはもう飽々しました。それに皇國の遺産であるこの零戦つばさ、傷一つ付ける気はありません。そんなことをすれば先人の方々に、会わせる顔がありませんから」



 レイブンが『必ず生きて還る』と、確固たる意志を告げた瞬間だった。まるでその言葉を待っていたかのように、鳳凰の間が動き出す。鳳凰の間全体が、エレベーターのように上昇を始めたのだ。数秒の軽い浮遊感の後、ガコンという重々しい固定音が室内に響き渡った。



「どうやら、フェーニクスツァイヒェンが再起動したようですね。――時間だ」



 そして零戦の前に聳えていた壁がなくなる。壁を構成していたブロック一つ一つが、エステラの意志によって折りたたまれていったのだ。それと連動するように、大砦を護る重厚な扉が解放され、地上へ通ずる道が切り開かれる。大地を鳴らす轟音と共に天井が割け、夜空が顔を覗かせた。


 主道まで続く一直線の滑走路が、零戦の前に現れる。


 わずかに開いた雲の切れ間から、青白い月光が差し込んでいる。その月明かりは零戦を空へと誘うかのように、滑走路である主道を照らし出していた。

 だがその青白さは月明かりだけではない。

 フェーニクスツァイヒェンで詠唱された魔法ブリーズシュトラーセが、主道全体に展開していたのだ。紋状の直線的な魔法陣が浮き上がり、揚力補助となる風が、下から突き上げるように流れ始める。



 準備は整った。



 レイブンは操縦桿を強く握りしめる。

 かつてこの零戦のパイロットに乗り込み、己の信念の元、異世界を飛び続けた皇國の侍。レイブンはそんな彼に向けて、決意に満ちた言葉を捧げた。




「中尉……あなたの力、今一度お借りします!」




 主道の末端で暴れ狂うヴェノムドラゴン――。レイブンは斃すべき敵を見据えながら、フットレバーを踏みこむ。


 栄二一型が鋼鉄の唸りを上げ、離陸を開始する。


 焼け焦げた皮膚を修復していたヴェノムドラゴンが、野太い鳴き声を放つ怪鳥の存在に気付く。ドラゴンの視線を釘付けにしたのは、見慣れない異界の鳥だからではない――魔力だ。レイブンが発する魔力が、先程以上に強く感じたからだ。

 だがヴェノムドラゴンは目移りしてしまう。異界の鳥が出てきた砦――その中からも、同様に強い魔力が溢れ出ていた。


 レイブンとフェーニクスツァイヒェン。どちらの魔力も遜色なく膨大である。

 魔力を糧とし、その魔力によって巨大な体を繋ぎ留めているヴェノムドラゴンにとって、この二つは無くてはならないものだ。どちらも舌鼓を打つに相応しく、至高かつ絶世の魅惑に彩られていた。これらを摂り込めれば、飢えという乾きは消え去り、至福の多幸感に満たされるだろう。


 ヴェノムドラゴンが目移りしている内に、揚力を得た零戦が羽ばたいていく。離陸した零戦は、未だ決めかねているドラゴンを挑発するように、眼前スレスレを飛び、漆黒の夜空に向かって飛翔して行った。


 それを見たヴェノムドラゴンは、生物として、新鮮な獲物を捕食したいという欲求と、狩猟本能にかられる。それと共鳴するかのように、摂り込んだダエルやその仲間達が、ドラゴンの中で一斉にざわめき始めた。

 レイブンに対する恨みや憎しみ――、混ぜ合わさったそれらが報復感情となって、ヴェノムドラゴンの隅々まで汚染していく。


――許せない。

 魔界のヒルに摂り込まれ、醜く、悍ましい人外と化してしまった。

 そして肉体の自由を奪われ、この癒えぬ苦痛と飢えの中で一生を過ごさなければならない。もはや人間に戻ることはできないだろう。

 しかし奴はどうだ? 英雄として勝利と栄光を手にしたばかりか、その自由の翼で空に上がっていくではないか。


 まるで自ら手にしている自由という権利を、誇示するかのように……


 逃がさない……絶対に逃さない! 奴も道連れだ!! 奴にもこの生き地獄を味あわせてやる! 永遠に! 俺達と同じこの腹の中で苦しませてやるんだ!!



 生者に対する妬みと憎悪の声。摂り込まれた者達が叫ぶ、傲慢と呪詛に彩られた狂騒曲。それに感化され、ヴェノムドラゴンが復讐の怪物と化す。


 報復に取り憑かれたヴェノムドラゴンは、巨大な翼を広げて羽ばたく。そして深緑の鳥に復讐の牙を突き刺すべく、夜空に向かって飛び立っていった。





           ◆





 城壁で弓や杖を構え、その光景を見守っていたダークエルフ達。彼女達は焼け石に水と分かっていながらも、弓や杖を手にし、この大砦と運命を共にする覚悟だった。だが幸いにも、レイブンの陽動作戦は無事成功し、最大の脅威は過ぎ去る。それを見届けると、皆一同に強ばっていた肩の力を緩め、互いの無事を喜びあった。


 エストバキアの弓兵であるポニーテールの少女。彼女もまたダークエルフ達と同じように、脅威が過ぎ去った事に胸を撫で下ろす。万が一に備え、引いていた弓の弦を緩める。

 三本しかない天空石の矢を、ここぞという時に放つ大役。その緊張から解放され、ポニーテールの少女は安堵の息を漏らした。


 そんな彼女の元に、シルエラが走り寄って来る。



「行ったわね……」


「ええ。レイブンが計画した作戦通り、うまく事が進んでくれたわ。後は彼の仕事。空を……飛べないのが、こんなに歯痒いと思ったのは初めてよ」



 二人は目を合わせて微笑む。命の危機が去った時の多幸感は、実際に戦場を生き残った者に分からない、最高の喜びである。


 そして二人は、祈るような気持ちで空を見上げた。


 勝利を齎し、その身を呈して大砦を守り通した勇者。輪廻を断ち切った彼だが、まだ予断を許さない。無限地獄を生み出すエストバキアの勇者を摂り込み、さらに強大な力を手にした邪竜――ヴェノムドラゴン。その肥大化した脅威と対峙しているのだ。



 だからこそ彼女達は空を見上げ、願う。英雄の無事な帰りを……――。





           ◆





 星空の見えない純黒の闇。


 先程まで零戦を照らしていた青き月光は、分厚い雲に阻まれ、すでに消え失せてしまっている。


 レイブンの駆る零戦は、計器類に照明機能が備わっていない。そのためコックピット内は、ほとんど見えない状態だった。この状態で上下感覚を喪失すれば、自機がどの体勢で、どの方角を向いているかが分からなくなる。

 しかし、レイブンになんら支障はなかった。すべての計器類は、メガネに備わっているAR拡張現実機能によって代行され、すべて脳内に表示されているのだ。


 飛行に必要な高度や速度のみならず、攻撃に必要なレティクルやターゲットボックス、攻撃の要となる機銃のコンディション、装填されている残弾情報までもが正確に表示されている。


 零戦は、ほぼ垂直で上昇しているため、高度計の数値が瞬く間に加算されていく。


 ヴェノムドラゴンは垂直で上昇していく零戦を追う。しかし零戦の速度に追随できず、みるみる離されていった。

 追いつけない原因は、ヴェノムドラゴンの巨体さではない。むしろヴェノムドラゴンは巨体さに似合わず機敏だった。レイブンの世界で換算した速度で、約170キロで飛行している。その巨体からは想像できない速さだ。

 対する零戦の速度は、それを遥かに上回る時速400キロ。ヴェノムドラゴンがどう足掻いても追随できない、倍以上の速度で飛行している。そしてこの比類無き速度こそが、異世界という未知の世界にも関わらず、無敵を誇り、魔族の竜騎兵を打ち破ることができたのだ


 レイブンはヴェノムドラゴンに速度に合わせ、わざと減速する。あまり離れすぎては、追跡を諦めてしまうからだ。攻撃がギリギリ届かない具合の距離を維持しつつ、適度な距離感を保ちながら飛行する。


 そしてレイブンは、操縦席左側の赤いレバーに手を載せた。そして――、




「憎しみで空を飛ぶと死にますよ。顔を洗って出直して来なさい!」




 レイブンはそんなアドバイスを添えつつ、赤いレバーを手前に引く。すると、機体下部に下げられていた増槽タンクが外れ、重力に導かれて落下していった。


 落下していく増槽タンクの名は、『総一型落下増槽』。頑丈な作りであるが、材質の大部分は木製である。過度な衝撃を受ければ一溜まりもない。そして案の定、タンクはヴェノムドラゴンの顔面にクリーンヒットし、バラバラに砕け散った。内部に満載されていたガソリンが、ドラゴンの顔面のみならず、首や胴体にも振りかかる。


 ヴェノムドラゴンの肉目角にガソリンが侵入し、それが激痛となって全身を駆け巡った。その痛みが憎しみに変換され、憤怒に満ちたヴェノムドラゴン――その怒りに、火に油ならぬ、火にガソリンを注いだのだ。


 ヴェノムドラゴンの逆襲心が紅蓮に燃え、その赤く血走った眼球で零戦を睨んだ。そして距離を詰めるのを諦め、反撃に打って出る。体の表面がブクブクと泡立ち、その中から無数のなにかを射出した。


 まるでダガーナイフと魚が融合したかのような、歪なる存在――ソードフィッシュだ。魔界のヒルが記憶していた形状をコピーし、それを自分の体内で量産したのである。



 一匹や二匹ではない。何千というソードフィッシュが大群となって飛び立っていく。

 ヴェノムドラゴンは、その生きた矢を零戦目掛けて放った。



 夥しい数の獰猛な魚達。その群れが一斉に、一つの目標に狙いを定めた――零戦を駆る宿敵、レイブンだ。短剣の先が、その一点のみに集中する。


 レイブンは、この攻撃をまったく予想していかった。想定外の危機的状況にも関わらず、彼は笑みを浮かべて感心してしまう。




「考えましたね! 知性があった時よりも、ずいぶんと利口な手口じゃないですか!」




 レイブンは回避行動をとる。零戦を180度ロールして、操縦桿を引いた――零戦は捻りこむような形で、上昇から一気に下降状態に入る。


 急激な方向転換に追随できなかったソードフィッシュは、零戦のすぐ真上を通過していく。レイブンは風防越しにその光景を確認しながら、再び操縦桿を引き、進行方向を地面から空に戻した。


 ソードフィッシュの群れは、零戦の起動力マニューバに対抗できず、翻弄される。彼等はこのままでは太刀打ちできないと判断し、攻撃方法を変更する。動物的な群れによる襲撃ではなく、編隊を組み、規則的な攻撃を開始したのだ。


 零戦を追い回しつつ、死角から回り込んだ別働隊が、行く手を遮りろうとする。



「挟み撃ちか!」



 だが搭乗者の直感と、零戦の起動力が上だった。

 行く手を塞がれる前に、零戦は速度を上げ、包囲網を間一髪で突破する。

 軽快なはずのソードフィッシュが、こうも追いつけないのは無理もない。零戦は防御力を削ぎ、機体を限界まで軽量化している。それが生み出す機動性は伊達ではない。

 


 レイブンは攻撃が当たらないよう、不規則な螺旋を描いて回避し続ける。そして隙を見てエンジンフラップを開放――出力を上げ、上昇へ転じた。


 攻撃に失敗したソードフィッシュの群れは、態勢を立て直しながら、その後を追う。


 零戦はソードフィッシュの体当たり攻撃を先読みし、機体を左右に振りながら避ける。ソードフィッシュは翻弄され、足並みを乱しながらも執拗に食い下がろうとしていた。そして零戦目掛けて何度も突貫するものの、まるで霞を斬るかのように手応えはなく、ひらりひらりと躱されてしまう。



 ヴェノムドラゴンは、ソードフィッシュでは役不足と悟り、再びクリーチャーを錬成する。肩の部分がボコボコと泡立ち、二匹のワイバーンが姿を表した。だがそれは、ただ複製されたクリーチャーとは、一線を画すものだった。


 ソードフィッシュと同じく、頭部に剣のような一角を備えている。そしてなにより目を見張るのが、明らかに飛行速度が桁外れな点だ。零戦を上回る速度で上昇し、レイブンに迫ろうとしている。



 ワイバーンに神速の恩恵を与えていた要。それは、ワイバーンの体内にあった。



 その体内にカインフェルノの魔導機関を模倣した、魔導増殖器官が存在していたのだ。器官という炉の中で魔素連鎖反応を意図的に起こし、膨大な魔力を創生。そして尾の根本にある噴射口から、その魔力を一気に噴射。――それによって生み出される噴流を推進力とし、ワイバーンは神速を得ていたのである。


 ヴェノムドラゴンによって生み出されたクリーチャー。この新手は、異世界の概念によって生み出されたものではない。

 勇者ダエル達のいた世界――彼等の住む世界では常識である、戦闘機や旅客機、そして固形燃料によって音速で飛行するミサイル。追激に必要な既存の概念や知識を、彼等の脳内から引き釣り出す。それらを基礎に零戦に匹敵する、新たな追跡者を創り上げたのだ。


 さすがのレイブンも、急速に距離を詰めるドラゴンの登場に、驚きを隠しきれない。



「くっ?! ――疾い!!」



 レイブンはこのままでは不利と悟る。ソードフィッシュを振りほどきながら、直撃を避けるため雲の中へ没した。


 ワイバーンがソードフィッシュの群れを追い越し、零戦が突入した雲の中へと侵入する。


 雲の中は漆黒ではなく、仄かな灯りに満たされていた。その優しい明るさとは裏腹に、命を奪い合う熾烈なデッドチェイスが繰り広げられる。


 ぼんやりとした明るさはあるものの、雲の中であるため視界は明瞭とは言い難い。しかしこの視界の悪さが、零戦に味方していた。


 追跡していたワイバーンが、視界不良から零戦を見失ったのだ。


 ワイバーンは視力による探索を早々に諦め、魔力による索敵に切り替える。レイブンは魔力で居場所を探られないよう、体外へ自然放出される魔力排出量を絞っていた。だが憎しみがなせる技なのだろう、ワイバーンは、その微かな残渣すらも嗅ぎつけてしまう。


 ワイバーンは雲の中を逃げ惑う零戦を見つけ出す。零戦を上回る推進力で加速。魔導増殖器官の出力を上げ、魔素の燃焼光による光の軌跡を描きながら、体当たり攻撃を仕掛けた。


 レイブンは敵の最大の強みである、速度を逆手に取る。空戦において相手に追いつくための速度は重要だ。だがしかし、過剰な速度は急激な進路変更に追随できないという、デメリットも存在していた。



 旧式のレシプロ機と、レーダーを搭載していないジェット戦闘機――。この二機が、機関銃のみでドッグファイトするようなものだ。



 しかし、強みとなるはずの爆発的な加速も、相手によっては翻弄される原因となる。

 現に零戦は、突貫して来るワイバーンを、持ち前の軽快な起動で避け続けている。雲の中という視界の悪い中で、バレルロールを描きながら、零戦はさらに高度を上げ、雲の上を目指した。




 そして零戦は雲を抜けた。




 ワイバーンも逃すまいと、魔導増殖器官の出力を限界まで上げる。噴射口から吐出される炎の尾が、さらに長く、大きなものと化す。


 雲を抜けたワイバーンの目に、零戦の姿が映る。もう空には、零戦が身を隠す場所はどこにもなかった。

 広がるのは雲一つない、水色の空だけである。


 ワイバーンの後を追う形で、ソードフィッシュの大群が雲を抜けた。まるでその群れに護衛されるかのように、巨大な邪竜――ヴェノムドラゴンが雲突き破り、出現する。



 零戦は青空の中を悠々と飛んでいた。

 まるでヴェノムドラゴンとの戦いを忘れ、遊覧飛行でもしているかのような姿だ。



 ワイバーンやソードフィッシュ、そしてヴェノムドラゴンが、戦いを忘れた零戦に鉄槌を振り下ろすべく、攻撃態勢をとる。


 狙いは翼背面に描かれた太陽のエンブレム――日の丸だ。


 やはり青空の中で赤という配色は、異様なまでに目立つ。距離の離れたヴェノムドラゴンから見ればほぼ赤い点であるが、的として狙うにはうってつけだった。


 ヴェノムドラゴンが日の丸に向けて、巨大な口を開く。体内で増殖させた魔力を口の中で蓄え、それを高密度に圧縮させる。――魔素による高圧縮粒子砲を放とうとしていた。


 ワイバーンやソードフィッシュも加速し、体当たり攻撃ラムアタックで零戦の翼を斬り裂こうとする。


 三者三様、それぞれの方法で零戦の息の根を止めようとする――だが向けられた数多の矛が、零戦に届くことは永久になかった。




――闇を消し去る光が、長く続いた夜に終わりを告げたのだ。




 その光は、空を飛ぶすべての者を平等に照らし出す。零戦を照らし、ソードフィッシュやワイバーン、そしてヴェノムドラゴンに至るすべてを、遍く、平等に照らし出したのだ。


 零戦の欠けた塗料から顔を覗かけるジュラルミンの下地。それが光に反射し、光沢を帯びたかのように煌めく。


 そんな零戦とは対照的に、邪悪なる者達は炎に包まれた。ヴェノムドラゴンにとって、その光は、身を滅ぼす死の閃光に他ならない。――なぜならその光は、邪竜が決して浴びてはならない、太陽の光だったのだ。



 小さなソードフィッシュは一溜まりもなく、一瞬で灰燼と化す。ワイバーンも炎に包まれて落下。その姿が雲の中へと消えた瞬間――内部の魔導増殖器官が臨界を起こし、大規模な爆発を引き起こす。



 爆発音が夜明けの空に響き渡る。



 だがその轟音すらも掻き消すように、ヴェノムドラゴンの断末魔が轟いた。


 ヴェノムドラゴンはあまりの苦しさに身を捩りながら、なんとか太陽の光から逃れようとする。だがここは雲の上――日の光が届かぬ場所はどこにもない。


 ヴェノムドラゴンはたまらず、雲の中へと逃げる。だが雲の中に逃げ込んでも状況は変わらなかった。雲の中に隠れても、天敵である紫外線は遮断できないからだ。未だに巨大な体は松明のように燃え盛り、灰になろうとしている。


 体が消えていく恐怖の中で、ヴェノムドラゴンは生きようともがく。その生を渇望する執念が、あるものを捉える。森の中にあった黒い亀裂。地下という光が届かぬ闇だ。


 ヴェノムドラゴンはその闇に向かって飛ぶ。しかもその闇の中からは大量の魔力が溢れ出ている。その魔力を捕食すれば、体の崩壊を防ぐことができるだろう。


 光の地獄から逃れるため、邪竜は脇目も振らず闇に向かって降下する。



 そしてヴェノムドラゴンが目指す先――黒き闇の中から、二筋の光が駆け上がった。

 



 ドシュ!! ズブシュ!!




 その二筋の光跡が、ヴェノムドラゴンの眼球を射抜く。眼球を粉砕した光の鏃は留まることを知らず、肉を貫き、目を動かす総腱輪にまで到達する。そしてその中で、紫外線を帯びた光が解き放たれた。


 ヴェノムドラゴンの頭部で生まれた光。その光が、邪竜のすべてを侵食していく……――。


 ドラゴンの頭部がヒビ割れ、その隙間から光が溢れ出る。そして亀裂は頭部から全体へと広がり、ヴェノムドラゴンを完全に破壊した。



 ヴェノムドラゴンは、洞窟に逃げ込むあと一歩というところで、灰燼と化す。 その黒き灰は砂塵の如く空に溶け、朝靄の中へ消え去っていった。


 ヴェノムドラゴンを葬った最後の一撃。


 それはエストバキア弓兵であるポニーテールの少女と、ダークエルフの長――シルエラが放った天空石の矢だった。



 ガッドナー博士が生み出し、バルドが育て、ダエル達によってこの世ならざる力を手にした邪竜――ヴェノムドラゴン。この世界に生み出された悪夢の最後は、勇者レイブンではなく、この世界に住む人と亜人の手によって幕を下ろしたのだった。



 すべてを見届けた零戦が、次なる戦場へと向かう。



 魔族の竜騎兵団を救うべく、零戦は速度を上げる。心臓部である栄二一型エンジンが唸りを上げ、機体が武者震いするかのように震えた。



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