第24話『仲間との絆』




 螺旋を描く鉛の殺意が、鍾乳洞に駆け込んだ勇者達を殲滅していく。




 レイブンという第三者による奇襲。仲間割れを起こしていた勇者達は、応戦すらできぬまま銃弾によって葬られていった。


――強豪、覇王の再来、悪鬼の末裔とまで恐れられた勇者達。だがその前評判とは相反し、呆気無く壊滅してしまったのである。土台と支柱を失った城のように、部隊は瞬く間に崩壊した。


 レイブンは瀕死の重傷を追ったダエルに、とどめを刺す。


 ただ息の根を止めるのではない。

 ダエルがこの世界の人々にしたように、少しずつ、ゆっくりと殺すのだ――それも、死を自ら懇願するほどの苦しみの中で……。


 怒りや憎しみ、そして哀しさ。ありとあらゆる負の感情――そのすべてを籠め、ダエルを死に至らしめる。


 どれだけこの世界で、残虐の限りを尽くしたのか。

 どれだけの人々から、愛する人を奪い、辱め、不幸にしたのか。


 それを体に刻み込むのだ。彼自身もまた勇者達と同じく、鬼畜外道と化し、修羅の道へと足を踏み入る――……。 




――そうなる計算シナリオだった。




 結果として、レイブンが人の道から外れることはなかった。


 なぜなら、ここに足を踏み込んだ勇者は一人。しかもそれは、ダエルではなかったのである……





 レイジングウルフの銃声が、鍾乳洞内に轟く。



 鍾乳洞に逃げ込んできた勇者。彼は銃声と共に足元がもつれ、無様に転倒してしまう。そんな勇者の真上を、ベオウルフ弾が亜音速で通り過ぎていく。


 予期せぬ偶然が重なり、勇者はベオウルフ弾の魔の手から、奇跡的に逃れたのである。


 この有り得ない出来事に、レイブンは動揺する。そして彼は引き金を引くのを忘れ、スコープの奥にいる勇者を睨んだ。

 スコープの中では、勇者が「ひぃ?! ひぃいい!」と情けない声を上げながら、必死に逃げ惑っている。


 レイブンは標的を変え、宿敵の姿を探す。焦りと緊張から額に汗を滲ませながら、銃口を出入口へと向けた。ダエルは必ず来る――演算が導き出した未来を信じ、彼の姿を追い続けた。


 レイブンはスコープ越しに、地下迷宮へと続く入り口を見渡す。迷宮へと続く通路には魔光石がないため、深淵のような闇が広がっていた。



 その闇の奥から、信じられないものが出現する。凄まじい勢いで無数の触手が飛び出したのだ。



 高速で伸びる触手が、獲物である勇者の背中を貫く。触手に貫かれた勇者は、そのまま出入口へと手繰り寄せていく。



「た、助けてぇ! だ、誰か!!! ゴホッ! ゴフッ!! 死にたくない! ぐぎぎ…… し、死にたくない!! 嫌だ! イヤだァアァアァアァ――――ッ!!!」



 勇者は口から血を吐きながら、最後の力で岩にしがみつく――だがそれも、触手の前では無力だった。触手の力に為す術なく、勇者は血と断末魔を撒き散らしながら、ズルズルと引きずられていった。



 その凄惨な姿が、薄暗い鍾乳洞出入口、その奥へと吸い込まれていく。そして断末魔を掻き消さんばかりの咀嚼音が、鍾乳洞内に反響した。



 グチャクチャ ボキッ! グチャピチャ……クチャ……



 勇者のしがみついていた岩には、彼の必死さを物語る、剥がれ落ちた爪だけが残されていた。



――計算上、存在するはずのない敵。

 その姿を目にしたレイブンは、驚きと共に納得した表情で語る。



「初期値鋭敏性。些細な値の違いが、未来に影響を及ぼす――なるほど、あんな馬鹿デカイものがうろちょろしてれば、計算も狂うというものです」



 そしてレイブンは、計算を狂わせたであろう元凶に、苦々しい笑みを浮かべた。

 彼が苦笑するのも無理はない。なにせ演算出力を阻害したのは、策略を考える知性すら持ち合わせない、異形のバケモノだったからだ。


 そして、そのバケモノが鍾乳洞に姿を現す。

 魔光石に照らされたその姿は、レイブンの想像を遥かに越える、巨体なヒルの集合体だった。まるで意図的に創造されたかのように、悍ましく、醜怪なる姿――。



 それはかつてバルドに寄生していた、魔界のヒルだった。



 バルド戦後。魔界のヒルは天空石の光から逃れつつ、倒壊した家屋の影に潜伏。そして影から影に移動しながら、放置されていた死体をすべてたいらげ、ここまで急激に成長したのだ。



――通常、魔界のヒルがここまで肥大化することはない。



 だがガッドナー博士が、魔力を生成する器官として様々な改良を加えた結果。本来のヒルとは掛け離れた性質を持つ、独自の種へ変貌を遂げたのだ。


 この世界における生物学を覆すほどの、異質なバケモノ。


 そんな危険な生物に、バルドはあろうことか、リミッターを解除するナイフを突き刺してしまったのである。

 ヒルをバルドに繋ぎ止める、拘束具の役割を持っていたドラゴンガントレッド。だがバルドがナイフを突き刺した時点で、すでに繋ぎ止める力を喪失していた。

 宿主であるバルドの死後――ヒルは器官としての“タガ”が外れ、新種の生物として自由の身となった。



 魔力の高い生物を暴食し、その魔力で際限なく増殖・巨大化する大群獣アラマダクリーチャーが、ここに誕生したのである。



 レイブンは忌々気な表情で、バルドの忘れ形見を吐き捨てた。




「バルド。厄介な置き土産を残してくれましたね……」




 魔界のヒルは、地下迷宮にいたエストバキアの勇者を喰らい尽くし、新たな捕食対象に狙いを定める。魔王ガレオンに匹敵し、高い魔力を生み出す至高の獲物――レイブンだ。

 このレイブンを前にすれば、他の連中は喰う価値すらない、有象無象の雑魚に等しい。魔界のヒルにとって、どんな犠牲を払っても食すべき存在だった。




 ヒルが高速で接近する中、レイブンはジャケットの裏から、ライトを取り出す。それはエストバキア弓兵に渡したものと同じ、軍用ライトだ。



 レイブンはその軍用ライトを、魔界のヒルに向け照射した。

 紫色の光が、魔界のヒルは照らし出す。



 すると照らされた箇所から、焦げ臭い煙が立ち昇り始めた。そして瞬く間に炎が燃え上がり、体表を焼き尽くしていく。


 その軍用ライトは、太陽の光や天空石と同じく、紫外線の照射機能が備わっていた。

 本来この紫外線照射機能は、拭き取られた血液や、目に見えない塗料を浮かび上がらせるために使われるものだ。想定されていない使われ方であったが、紫外線ライトの効果は抜群だった。



 体を焼かれたヒルは、口から体液を吐きながら悲鳴を上げ、神竜の骨の下でのたうち回る。

 苦しんでいるのは魔界のヒルだけではない。魔力の生成源として取り込まれた者達もまた、業火に苦しんでいたのだ。


 蠢くヒル群れ――その中から、苦悶に満ちた顔や、助けを求めようとする手が浮かび上がる。それがヒルの表面でしきり蠢き、見る者の背筋に悪寒を走らせた。

 取り込まれた者達は、ただ捕食されたのではない。その肉体はヒルの神経と同化し、感覚すらも共有しているのだ。



 死して尚、ヒルの一部として、もがき苦しむ勇者達――それを見たレイブンは、魔界のヒルにさらなる不快感を抱く。



「摂り込んだ屍すらも苦しめるのか……。まるで悪趣味の塊ですね。私の計画を邪魔するに飽き足らず、虫唾を走らせるとはいい度胸です」



 レイブンはそう言いながら、レイジングウルフの銃口を真上に向けた。



「大罪人とはいえ、死体に鞭打つ者がどうなるか――その身に刻みなさい!!」



 銃声と共に、弾丸が一直線に天井目指す。そして鍾乳洞の天井に張り巡らされた、プリマコードを撃ち抜く。それは万が一に備え、レイブンが設置していた導爆線だった。


 耳をつんざくプリマコード導爆線の炸裂音が、鍾乳洞内に響き渡る。その爆発の衝撃によって、天井の一部が抜け落ち、連鎖反応によって崩落が始まった。

 そして岩の猛雨が、神竜の骨もろとも魔界のヒルを押し潰していく。その巨体に岩盤が次々と突き刺さり、魔界のヒルの悲鳴が響き渡った。



 結果は赫々たるものだった。



 この崩落は鍾乳洞全体ではなく、神竜の亡骸があった一帯のみ留まる。鍾乳洞全体に崩落が及ばなかったのは、レイブンがそうなるよう計算し、プリマコードを設置していたからだ。


 崩落した岩の隙間から、得体の知れない液体が溢れ出す。ドロドロと滴り落ちる液体の中には、母体から離れたヒルが混じっていた。


 小さなヒルがボトボトと地面に落ちる。

 それらはビチビチとのたうちまわり、見る者の不快感を助長させながら、ドロリと形を崩し、溶解していく。


 そして、崩落から辛うじて免れた神竜の頭蓋骨。竜の頭蓋骨は半分土砂に埋まりながらも、物言わず横たわっていた。


 死して尚、威厳と威圧を放ち続ける神竜の亡骸。レイブンはそれに畏怖を抱きながら、崩落した鍾乳洞を見上げた。



「保険で用意していた導爆線が、こんなところで役に立つとは……」



 本来このプリマコードは、対勇者戦において不測の事態アクシデントを想定し、設置していたものだ。相手は今までどれだけ手をつくしても勝てなかった強敵である。呪われたかのような死と敗北の連鎖。それを断ち切りたかった故の、予防措置だった。


 それがまさか、焼き殺したはずの魔界のヒルが現れ、その圧殺に使うなどと、誰が想像できただろうか。

 この世界で起こりうる、すべての可能性を算出したはずの自律発展型演算装置。――その演算ですら、この事態を予測できなかった。




 起こるはずのない誤算。


 想定にない敵の出現。


――それがなぜ起きたのか、レイブンはその原因を思議しようとする。




 だがその時間は唐突に奪われた。鍾乳洞の暗闇から巨漢の男が現れ、手に握られたランスを、豪快に振り下ろしたのである。



 レイブンは攻撃の気配を察知し、咄嗟に飛び込み前転で回避する――そして敵へ向き直りながら、レイジングウルフで反撃に打って出た。 


 反撃という名の倍返し。銃口から解き放たれたベオウルフ弾が、大男の腕を力任せに引き千切った。

 大男はその衝撃でバランスを崩し、魔光石の上へ仰向けに斃れる。その光源に照らされ、襲撃者の全貌が露わとなった。




 それはダエルの一味であり、レイブンによって頭部を吹き飛ばされはずの、重騎士だった。




 なぜ、死んだはずの重騎士が蘇ったのか――レイブンはその疑問を抱いたが、幸か不幸か、その答えはすぐに出る。


 ベオウルフ弾によって引き千切られた首と腕から、無数の触手が飛び出したのだ。触手はバルドの時と同じように、損傷した宿主の体を修復し始める。




 レイブンは嫌な予感を感じ、流し目で周囲を見渡した。




「まさか――」




 そして彼の予感は的中する。

 鍾乳洞の暗闇から、ヒルに寄生された重騎士達が次々に現れたのだ。



 かつて重騎士だった者達は、手に握り締めたランスやシールドを使い、レイブンを攻撃する。だがそれは、知性ある攻撃とは言えなかった。重騎士達はただの鈍器として、乱雑に振り回していたのだ。


 レイブンは、クリーチャーと化した重騎士の猛攻を躱し続ける。知性がないゆえにモーションが遅く、軌道を読むのは造作もなかった。


 重騎士の合間をすり抜けながら、隙を見て、レイジングウルフを腰だめで撃つ。スコープ越しではないにも関わらず、その射撃は驚くほど正確だった。


 放たれたベオウルフ弾は、英雄の名に恥じることのない戦果をあげていく。ロングバレルで十分な加速を得た弾丸は、重騎士の鎧ではなく、装甲の弱い関節部に狙いを定め、貫いていった。


 関節部のチェーンメイルが砕け散り、内部の骨と肉、それを動かす寄生体を抉り飛ばす。



 レイジングウルフから放たれるベオウルフ弾は、ただの鉛弾ではない。



 XM25と同じように、発射された弾丸が正確な距離で爆発するよう設計された、バーストバレット炸裂弾である。


 目標物までの距離をスコープ、――もしくはバレル銃口上部に装備されたレーザー測定器で計測し、発砲すると弾丸に搭載されたチップが移動距離を計算。正確な距離で爆発するハイテク兵器だ。


 主にノーマル・ディレイ・エアバーストの炸裂パターンがあり、今回使用されたのはディレイ――遅延モードでの攻撃システムが使用された。着弾から少しの間を置き、起爆する。





 ベオウルフ弾は次々に関節に喰らいつき、自らの天寿を全うして逝く。

 騎士の移動手段と攻撃機能を、爆散という形で削ぎ落としていった。


 脚部の関節を失った重騎士は、その巨体を支えられず崩れ落ちていく。中には痛々しく、逆関節に折れ曲がった者もいた。



 普通の相手なら、この時点ですでに勝敗は決しているだろう。



 しかし相手は、自己修復機能を備えた敵である。本来なら戦闘不能となるべき傷さえも治癒し、その脆弱な部分をより強固な構造へ作り替えてしまうのだ。


 重騎士の体内に寄生しているヒル。その群れが、宿主を生かそうとする本能に従い、損傷箇所を修復していく。

 バルドの時と同じように、修復しきれない箇所はヒルそのものが関節の代用器官を生みだし、その巨体を支えた。


 次々に立ち上がる騎士の中には、ランスや近くにあった岩、魔光石などと腕を融合させた者までいる。

 種を残そうとする防衛本能が、宿主の体をより強く作り替えたのだ。



 レイブンは今、必要最低限の弾薬しか持ち合わせていない。



 計算の上では、今頃はダエルを討ち斃し、大砦に向かっているはずなのだ。そのため、このような長期戦を想定しておらず、弾薬が底をつこうとしていた。


 レイブンは使用する武器を変更する。長距離戦に特化したレイジングウルフから、ミドルレンジ戦に適したSAAシングルアクションアーミーへと持ち変えた。ベオウルフ弾と比べれば小口径ではあるが、取り回しの良さと汎用性の高さでは、こちらのほうが上である。


 鍾乳洞という特殊な環境下では、ショットガンなどの、より適した武器は存在する。しかしそれは無いものねだりである。現状で装備している中では、このSAAが一番の適人者だ。


 レイブンは重騎士の弱点を探りながら、SAAで攻撃を繰り出す。

 SAAから放たれるロングコルト弾は、鎧から露出している触手を貫いていく。だがどれだけ弾丸を撃ちこんでも、魔界のヒルによって瞬時に自己再生が行われ、何事もなかったかのように傷口が塞がってしまう。


 勇者という膨大な魔力を生成する、宿主が原因なのだろう。その回復スピードは尋常でなく、バルド戦を遥かに上回る速度だった。


 レイブンは軍用ライトも併用しつつ、重騎士を攻撃する。しかし効力は薄かった。

 そもそも魔界のヒルは、勇者の体内に寄生している。その死肉と分厚い鎧が、紫外線を遮っていたのだ。鎧を剥がし、肉を削ぎ落として内部を露出させない限り、紫外線ライトは効力を発揮できない。


 どれだけ手段を講じても、自己修復によって攻撃は無力化される。そして重騎士達は何事もなかったかのように立ち上がり、巨漢と豪腕を武器に、レイブへと襲い掛かる――。



 レイブンは重騎士の攻撃を匠に躱しながら、次の対応を迫られる。それも時間稼ぎではなく、決定打となる有力な一手だ。



(このままでは埒が明かない。ダークエルフの村までおびき寄せて、天空石で一気に殲滅するしか……――いや、それでは時間がない。早く空に上がらなければ)



 対策を練っている最中、視界の端をなにかが高速で横切る。レイブンはそれを見逃さなかった。



 巨漢の騎士達や岩の間を、高速で駆け抜けていく影。それは速度を殺すことなく、レイブンへと迫った。




「この機動力、まさか!!」




 レイブンはその動きに見覚えがあった。彼は眼を見開き、その影の跡を追う。だがレイブン瞬きをした瞬間に、その影は視界から姿を消す。


 淡い紫色の残影は、すでに、レイブンの目に映らない死角へと回り込んでいたのだ。そして手にしていた苦無、、を、レイブン目掛けて突き出す。




 ドウ!!!




 だが鮮血の憂き目を見たのは、影のほうだった。苦無よりも先に、ロングコルト弾が影の胴体を貫いていたのだ。


 レイブンはノールックショットで敵の方向を見ずに、影の強襲を阻止したのである。




『ギィいいぃイいイ?!!!』




 先手を撃たれた影は、人とも動物とも思えない悲鳴を上げる。銃創から体液をまき散らしながら、尋常でない跳躍で跳び退いた。

 影は鍾乳洞の壁へ張り付く。その場所は魔光石が多く自生していたため、影の正体を克明に浮かび上がらせる。



 それはレイブンと死闘を繰り広げた、あのアサシンだった。


 だがアサシンにかつての面影はない。



 手足の関節があらぬ方向へと曲がり、まるでカマドウマのような姿と化していた。顎は蜘蛛のように左右に開き、ギチキチとせわしなく動いている。


――アサシンの身体を、ここまで醜く変異させた原因。それが彼の口から現れる。

 アサシンの口が左右に開き、まるで体の所有権を主張するかのように、魔界のヒルがニュルリと姿を見せたのだ。



 そして身体をここまで変異させていたのは、アサシンだけではなかった。




 緩やかなアーチを描き、得体の知れない榴弾が降り注ぐ。 




 レイブンは関節視野でその攻撃を捉えると、咄嗟にサイドロールで榴弾を避ける。早期発見と迅速な対応により、不意打ちにも関わらず躱すことができた。

 だが、素早く動くことのできない重騎士は、哀れにも、放たれた榴弾の餌食になる。巨体に榴弾が着弾し、中に内封されていた液体が盛大に飛散した。


 鼻をつんざく悪臭と共に、重騎士は、断末魔を上げながら溶け始める。投擲された榴弾は、厚い鎧すらも溶かす強力な溶解液だった。




「やはり寄生されていたのは、アサシンだけではなかったようですね」




 レイブンは投擲コースを辿り、攻撃を行った敵の姿を捉える。



 溶解液を放ったのは、かつて追撃部隊として送り込まれ、命を落としたはずの人物――双剣士と魔導弓兵だった。



 二人はアサシンと同じように、もはや人としての原型はない。


 まるで生前使っていた能力を鑑みたかのように、双剣士の腕はカマキリのような腕と化し、魔導弓兵に至っては、失った頭部がアメフラシのように、歪な形状に変異していた。


 見渡しの良い場所に陣取っている魔導弓兵。その頭部が不吉に蠢き始め、風船のように膨張していく。そしてその口から、溶解液が内封された榴弾を射出した。


 その標的になったレイブンは、重騎士の攻撃を避けながら、彼等の巨体を盾代わりに利用する。


 同士討ちを誘発し、このまま弾薬消耗を抑えようというのだ。

 だがアサシンと双剣士がそれを許すまいと、高速移動を駆使し、レイブンに斬り掛かる。


 レイブンは重騎士の攻撃を回避しつつ、さらにアサシンと双剣士の斬撃を躱し、SAAで反撃する。だがその間にも、榴弾は容赦なく降り注ぐ。レイブンはそれを避けながら、彼等と交戦しなければならなかった。

 満足な対抗手段を持たないレイブン。それでも彼は、SAAでその場を凌ぎ、榴弾や斬撃を回避し続けた。



 レイブンにとって、未だかつてない不利な戦いだった。



 しかもここに来て、レイブンの筋肉が悲鳴を上げ始め、体力が限界に近づこうとしている。


――ただでさえ、戦闘の連続で酷使し続けていた体が、ここに来て、ついに悲鳴を上げたのだ。



 体はだけではない。

 心もまた、限界を越えようとしていた。



 今まで数多の自分を殺し続けていた相手を、ようやく斃すことができた。その念願の享受も束の間、数時間も経たずに強敵達は蘇り、醜悪なバケモノと化して再び牙を剥いたのである。


――戦慄や恐怖など生温い。レイブンにとって目の前の光景は、悪夢の具現化に等しいものだった。




 勝利を手にすることが許されない、呪縛。




 まるでこの世界そのものが意志を持ち、“勇者に殺される運命”という、歴史のあるべき姿へ戻そうとしている。レイブンというこの世界の人間ではない異物イレギュラー。それが行使したすべての結果を排除し、本来の姿へ修正されるかのように……。



 そう感じてしまうほど、すべてがレイブンの未来予測を覆し、負の方向へ誘っていた。



 



 運命は変えられないのでは?


 勇者に殺される結末は、どう足掻いても変わらないのか?


 永遠にこの世界で、同じ人生を繰り返し続けるのか?






 その弱気な考えが迷いを生み、刹那の隙が生じてしまう。そして――




「――ッ?!」




 動作の合間に生まれた隙を、敵に突かれてしまった。



 アサシンと双剣士から放たれた触手が、レイブンの手足を拘束し、動きを完全に封じたのだ。


 そして身動きがとれなくなったレイブンに、溶解液を満載した榴弾が射出される。榴弾は放物線を描き、レイブンへと迫った。



 世界のすべてがゆっくりと、冷たく、緩やかに流れ始める。




 タキサイキア現象。


 眼前に死が迫る時、人の脳は生命維持を最優先するため、出血に備えようと血管が収縮する。それによって血中の凝結成分を増え、視覚情報処理に不具合が生じ、脳内の視覚情報が、まるで映画のコマ落としのようにスローダウンするのだ。




 すべてがゆっくりと動く中、遅延した世界で一筋の閃光が煌めく。


 その鋭く、妖しき輝きが、目にも留まらぬ疾さで飛翔する。そして――、





―――――ズシュン!!!

         ガキィイイィイイン――――ッ!!!!





 その鋭利な光が、双剣士の触手を斬り裂き、レイブンの横にあった岩へと突き刺さった。



 突如去来した大剣によって、双剣士の触手は断たれる。そして双剣士は大きくバランスを崩し、転倒する。



 レイブンはその隙に、自由の身となった腕を伸ばす。そして岩に突き刺さった大剣を手にすると、グリップを三回、深く捻り上げた。




 大剣は甲高い唸りを上げ、七色に輝く燃焼光を吐き出す。




 その爆発的な推進力を味方に、レイブンは岩から大剣を引き抜く。そしてその勢いを利用し、立ち上がろうとしていた双剣士を、豪快に叩き斬った。



 レイブンが手にしている大剣――それは彼自身が改良を加え、地下迷宮の原動力として用意したはずの、魔剣カインフェルノだった。



 レイブンはここにあるはずのない武器を手に、襲いかかるアサシンの攻撃を受け止める。――そして『本物の斬撃』を見せつけるかのように、腕の鎌ごと、アサシンをぶった斬った。



 アサシンの上半身と下半身が地面を転がる。


 しかしその骸は、魔導弓兵が放った榴弾によって、跡形もなく溶かされてしまった。


 魔導弓兵は狙いを定め、今度こそ、レイブンに着弾させようする――だがそれは、永遠に叶わぬ夢となった。



 M82 バレットの銃声が轟き、Raufoss Mk 211の弾丸が放たれる。そして射線上にいた魔導弓兵を、粉々に吹き飛ばしたのだ。

 飛び散った後に残されたのは、彼の下半身のみ。魔界のヒルは再生を試みようとするが、損失した肉の量が多く、再起はできなかった。



 レイブンはこの有り得ない後方支援に、我が目を疑う。無理もない。自分以外の何者かが、異世界の武器を使用したのだ。



「今のは……対物狙撃銃アンチマテリアルライフル?! いったい誰が!」



 彼の口にした答えが、すぐ後ろに舞い下りる。

 レイブンは、何者かが自分の後ろに下り立ったことに気づき、すぐさま、SAAの銃口を向けた。


 銃口と視線の先にいた人物――それは、大砦にいるはずのエレナだった。


 エレナは銃口を向けられているにも関わらず、肩を竦め、いつもの平然とした口調でこう告げた。



「話は聞いたぞ、レイブン。私に隠れて戦争の下準備とは、ずいぶんと偉くなったものだな。四天王の連中と仲睦まじく、好戦派のリスト入りしたいのか?」



 レイブンは後ろに舞い降りた存在がエレナと知るや、すぐさま銃口を外し、彼女を問い詰め始めた。



「エレナ?! なぜ君が! なぜ君がここにいるんだ!!」



 レイブンの驚いた表情に、エレナは驚いてしまう。彼は常に冷静で、ここまで感情を表に出すことがなかったからだ。


 すべてを完璧にこなし、人間とは思えないほど理性的で、掴み所のない男。――それが今、レイブンは感情を晒し、自分の姿に驚いている。


 エレナは、やっと彼の本心に触れられたという安息感と、彼が無事だったことの嬉しさから笑みを零す。だがすぐさま騎士としての仮面を被り、緩みそうになった口元を締め、その内なる感情を隠した。



「『なぜここに』だと? この状況で呑気に寝てなどいられるか!! 貴様が死ねば、陛下に合わせる顔がなくなるのだぞ!

 いいかレイブン、お前の命は、もうお前だけのものではないんだ。もう二度と!! 一人ですべてを背負うような真似はするな!!!」



 レイブンの身を預かる、監督官という立場から叱責するエレナ――しかしその言葉には、レイブンの身を案じる彼女の“想い”が籠められていた。



 エレナの想いに触れた瞬間―― レイブンはなぜ、自分の計算が狂ったのかに気付く。 そして脳裏に、ゼロが言っていたある言葉が思い浮かんだ。






『感情のない我々に、感情の本質的な部分を理解できるはずがなく、感情を取り戻すにはあまりにも手遅れだった。だからこそ私は、進化の過程で遺棄した感情を研究し、完全な状態での観測を成功させようとしている』







「我々にあって、ビジターにないもの……そうか、感情。人の持つ心が、インターネサインの予測した計算を、凌駕したのか――」


「計算?」


「ゼロの言っていた通り、絶対に誤差のない、演算によって約束された結末は不可能だった。なぜなら私の使用した自律発展型演算装置インターネサイン懐中時計デバイスも、最初から正確な数値を算出できていなかったからです。彼の言う通り、不完全だった」



 レイブンは苦笑しながら語る。その苦笑は自分自身の愚かさを嘲笑う、自虐の笑みだった。



「ビジターの高度な知能やテクノロジーを持ってしても、感情によって動く者の予測には、微小のズレが生じていた。見逃してしまうほどの些細なズレ。でもそれが蓄積され続ければ、やがて重大な誤算エラーとなって表面化する。


 人はビジターのように、理性や論理だけで動いているわけではありません。


 エレナのように信念や想いに基づいて、行動する者がいるからです。すべての事象を観測できる自律発展型演算装置を持ってしても、心の奥までは、観測することはできない。

――そうか。だからゼロは、人の持つ感情や心を研究していたのか……」



事情を詳しく知らないエレナにとって、レイブンの言葉はまったくもって意味不明なものだった。


 だがレイブンの様子から、なんらかの理由で彼を出し抜き、一泡吹かせたという事は辛うじて理解できた。



「事情はよくわからんが、こちらとしては悪い気分ではない。――あぁそれとレイブン。年上の私から一つ君に、耳寄りなアドバイスだ」



「耳寄りなアドバイス? ほう。それは実に興味深いですね――」





 レイブンはカインフェルノの魔導機関を燃焼させてから、エレナに魔剣を投げ渡す。




 エレナは刀身の輝くカインフェルノを手にすると、推進力として燃焼光を一気に解放させる。そして渾身の力で、一閃を繰り出した。






「人生は! 計算よそく通りにならないからこそ、おもしろいのだ!!」






 青白い刀身が円を描き、襲い掛かろうとしていた重騎士達を殲滅する。エレナの清廉とは相反し、それはあまりにも力任せな太刀筋だった。

 過剰なる暴力によって、重騎士は上半身と下半身に捻じ斬られてしまう。


 分断された骸の数々が、ズシンと重々しい音を響かせた。



 斬撃を避けるため、身を屈めていたレイブン――、彼は立ち上がりながら称賛の拍手を贈る。



「いやはや。繊細さの欠片もない太刀筋。実にお見事です」



「レイブン。まさかとは思うが、命の恩人であるこの私を、バカにしてるのか?」



「いえいえ滅相もありません。私はただ攻撃方法を称賛したまでです」



「称賛? ほんとにそれは称賛なんだな?」


「ええもちろん。称賛です」



 エレナは「なんか納得いかないな……」というジト目で、レイブンを睨んだ。



 だがレイブンはそんな視線を気に留めず、エレナに質問する。



「ところで、私の対物狙撃銃アンチマテリアルライフルを使ったのは誰です? まぁだいたい察しはつくのですが――」



「あんな取り回し最悪なマスケット銃、扱えるのは“彼女”だけだろう」




 その人物はM82 バレットを肩に担ぎ、自慢の跳躍力で三角跳びを行いながら、こちらに向かってくる。そして二人の間に降り立つと、すぐさまレイブンの無事を確認した。



「よっと! レイブン無事か!!」



 それは四天王随一の怪力の持ち主、ゼノヴィアだった。



「ええおかげ様で。溶解液に溶かされず、こうして五体満足で済みました」



「へへ、そりゃよかった。――それとわりぃ、この神機を勝手に使っちまった。なんせ俺の脚じゃ間に合わなかったからよぉ、コイツを使わせてもらったんだ」



 ゼノヴィアはM82 バレットを返そうとする。それに対し、レイブンは笑みを浮かべ「あなたに差し上げますよ」というボディランゲージで答えた。



 レイブンは心底感心した様子で告げる。



「それにしても、よくM82 バレットを使うことができましたね」


「もう無我夢中だった。マスケット銃と似てたから、まさかと思って使ってみたらドンピシャ。俺はこういう武器は嫌いなんだが、コイツは悪くねぇ。むしろ好きだぜ」



 M82 バレットを見ていたゼノヴィアの目が、まるで悪ネコのような視線へと変わる。そしてレイブンに、あることを告げ口した。



「それにしても……レイブンに“あれ” 見せてやりたかったぜ」



 レイブンは首を傾げる。



「“あれ”? いったいなんです?」


「いやな。エレナがレイブンを見つけた時、お前の名前を叫んだんだ。それも女の子みたいに! エレナがあんな声あげるなんて、ほんと意外だったぜ!!」



 それを聞いたレイブンは、思わずエレナの方を見てしまう。



 当の本人であるエレナは、あまりの恥ずかしさからゼノヴィアに詰め寄っていた。



「ぜ、ゼノヴィア!! 余計な事を!!」



 エレナは、ぽかぽかとゼノヴィアを叩く。密告者であるゼノヴィアは、それを適当にあしらいながら謝罪する。



「ハハハッ! わりぃわりぃ。そ、そんな怒んなって! だってあまりにもおかしくってよ。 ぷっ アハハハハハッ!」



 レイブンは、この和やかな雰囲気に胸を撫で下ろしつつ、駆けつけてくれた二人に感謝した。



 彼女達がいなければ今頃、死んでいたかもしれない。


 そうなればまたすべてを失い、ゼロからのリスタートになる。



 だが目の前にいる二人が、この限られた状況下で最善を尽くしてくれた――だからこそ、まだ自分はこの世界に存在し、二人の団欒を見ることができる。




 レイブンは彼女達に聞こえないよう、小さな声で「ありがとう」と感謝の言葉を贈った。





――しかしその平穏は、長くは続かなかった。




 斃した勇者から、数えきれない量のヒルが飛び出したのである。それは群勢をなし、崩落した岩盤へと吸い込まれるように潜り込んでいった。


 そして岩盤から露出している神竜の頭蓋骨が、魔界のヒルに呑まれていく。永遠の眠りについたはずドラゴンが、ヒルによって再誕の時を迎えようとしていた――――。



 魔界のヒルは、勇者達から得た死肉と魔力を使い、エンシェント・ドラゴンを新しい宿主として、復活させようとしていたのだ。




「おいまさか…… そんなバカな!! エンシェント・ドラゴンを蘇らせるつもりか!!!」



「じょ、冗談じゃねぇ!! エストバキアだけでも手一杯だっていうのに!! 今度はエンシェント・ドラゴンを相手に戦うのか!!」



 まさかの事態に、エレナとゼノヴィアは狼狽える。そして『なにか策は!』という意味を籠め、レイブンの名を叫んだ。



「「レイブン!!!」」



 レイブンは蘇りつつあるドラゴンを凝視しながら、冷静に状況を見極める。


 彼の直面している問題は、目の前のドラゴンだけではない。


 夜が明ければ、エストバキアの竜騎兵が、魔都に向けて侵攻を開始する。その前になんとしても、零戦で空へと上がり、魔族の竜騎兵に加戦しなければならない。しかも日の出は、もうすぐそこで迫っていた。



 まるでレイブンの苦悩を嘲笑うかのように、目の前のドラゴンは神竜の象徴とも言える。翼の復元に着手し始めた。皮膜は高濃度の魔力で代用し、邪悪な色合いを帯び、邪神の如き輝きを放つ。




 そして禍々しく巨大な翼が開き、鍾乳洞内で羽ばたいた。




 レイブンは、その風圧を肌で感じた瞬間――これらの問題を一気に解決する、ある奇策を思いつく。かなり危険リスキーな賭けではあるが、やるだけの価値は十分にあった。



 レイブンは、エレナとゼノヴィアに向け、こう告げる。



「大砦に退却します!」



 だがゼノヴィアが「なにバカなこと言ってんだ!」と、それを引き留めた。目の前に復活前の敵がいる。完全体になる前に、ここで手を討つのが最善と考えたのだ。



「待てよ! あのエンシェント・ドラゴンもどきは、どうすんだ! このまま放置してたら! 奴は復活しちまうぞ!!」



 レイブンは自信に満ちた笑みで、こう答えた。



「私に良い考えがあります!」



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