第19話『黒き誅罰者(パニッシャー)』



「クソ……目がぁ! あの野郎ォ!! どこに逃げやがった!」



 ダエルはレイブンの姿を探す。エストバキアの弓兵も姿を消していたが、後者はどうでもよかった。問題は自らの命が掛かっている前者――レイブンの行方だ。是が非でも、彼を逃すわけにはいかない。


 だが、彼らの必死な捜索が実を結ぶ事はなかった。


 煙幕が薄くなり、周囲の景色が分かるようになる頃には、もうレイブンの姿はどこにもなかった。目に前にいたにも関わらず、まんまと逃げられたのだ。


 ダエル達は捜索を諦め、仲間を中庭に集結させる。


 彼らの顔には苛立ちと焦りに染まっていた。自分の身体が、致死性の高いウィルスに冒されているのかもしれないのだ。しかも発病すれば、死を懇願するほどの苦痛に身を裂かれ、悍ましい死を迎えるのだ。

 彼らは絶望の女神に目をつけられた挙句、死に神の大鎌デスサイズを喉に押し付けられている状態だった。


 ダエル達は出血熱による死が、どれだけ惨たらしものかを十分知っている。――いや、知らないはずがなかった。彼らは拉致してきた村人にレパン出血熱を感染させ、檻の中でもがき苦しむ余興を散々愉しんでいたからだ。


 この場にいる者達は、なぜレイブンがレパン出血熱を選び、それを感染させたのかを勘付く。


――カルマ


 自分達がしてきた所業を、自らの体で精算させようというのだ――。



 一人の勇者がダエルに詰め寄る。彼は死の恐怖に怯え、焦点の定まらない眼で我を失っていた。彼は興奮気味に捲し立てる。



「リーダーッ! あ、アイツの言っていた事は本当なんッスか! レパン出血熱って! 俺たちこのままじゃ、体中から血を吹き出して死んじまいますよ!! どうするんですか!」



 これ以上下手に喚かれては、他の連中にまで動揺が伝染してしまう。

 ダエルは苛立つ気持ちを抑え、我を失っている仲間を宥めた。


「あぁ? そんなことあるはずがねぇだろ馬鹿! なに奴のブラフにまんまと引っ掛かってんだ?」


「でもリーダー!」


「おい聞けって、な? あれは俺らを罠に引っ掛けるためのハッタリさ。お前みたいに動揺して焦りに駆られれば、それこそヤツの思う壺じゃねぇか。レパン出血熱を改良しただぁ? そう簡単にウィルスや病原菌を改良できるわけねぇだろ、デマカセだよデマカセ」


 ダエルは首を掻き切るボディ・ランゲージを行う。


「観測者? ハァ? まさかそんな現実味のない話を、信じてんじゃねぇよな? 現実と虚構が区別つかない馬鹿の戯言を。信じてんのか、あんな与太話を。

 俺の言葉を先読みしたのだって、なんらかの魔法かコールドリーディングの類だろ。――そうやって統率を乱した俺たちを、ジワジワと追い詰めて仕留めるつもりなんだよ」


 それが虚勢であれなんであれ、綻びのない堂々たる姿勢は見る者を魅了し、勇気づけるものだ。ましてや部隊を率いるリーダーであれば、尚の事それは顕著に現れる。

 臆していた仲間たちは、一切動揺していないリーダーの姿勢に感化され、安堵の表情を浮かべ始める。



『(リーダーの言う通りだ。ハッタリに決っている)』

『(敵の言うことを信じ、乗せられた俺たちがバカだった)』



 レイブンの言葉をブラフと受け止め、少年たちは取り越し苦労だったと笑った。

 動揺し、リーダーに詰め寄った彼もまた、その希望にすがろうとする。



「じゃ、じゃあ! 俺達が死ぬ事はないんですね!」


「当たり前じゃねぇか。こんな古典的な陽動作戦に踊らされるようじゃ、まだまだ甘ちゃんだな」


「へへへ、すみませんリーダー。だってあの野郎自信満々で言うんですよ、誰だって本当にウィルスが仕込んであるって思いますよ!」



 彼はそう言いながら、自らが犯した醜態を恥じつつ、照れ臭そうに笑った。

 周囲の仲間たちも「この程度でビビってんじゃねぇよ」と笑い、彼をからかった。



「デマとハッタリは基本。リーダーがいつも言ってんじゃねぇか」


「そうそう。騙されるバカが悪い。所詮この世は弱肉強食。お人好しや人の言うこと信じるヤツは、真っ先に死ぬ運命なのさ」


「だよな。最後に生き残るのは、ずる賢くて有能な頭を持つ奴だけさ。 ゴホッ! ゴホッ!」



 茶化していた一人が咳き込み始める。最初は笑いながら小さく咳をするだけだったが、次第に痰を詰まられたような苦しげなものへと変わり、周囲の笑い声を掻き消すほどの、耳障りな音と化した。


 あまりにも苦しそうな咳に、仲間の一人が彼を気遣う。


「おい大丈夫か? さっきの煙幕が肺にでも入っ―――、ッ?!!」


 少年は急いで咳き込んでいた仲間から離れる。その挙動に何事かと、他の仲間達も視線を向けた。



 咳き込んでいた男は口を押さえながら嘔吐する。

 指の隙間から制止しきれなかった吐瀉物が勢い良く噴出す。



 その色はまるで鮮血のように真っ赤だった。



「うわぁあぁああぁあぁあ!!」

        「クソ! コイツ感染してやがる!!」

  「ふざけんな! ありゃブラフじゃなかったのかよ!」

     「いったいどうなってんだ?! こっち来んじゃねぇ!」

 「嘘だろ! 俺達感染してんのかよ!!」


      



 中庭はパニック状態になる。

 少年達は勇者とは思えない表情でうろたえ、悲鳴を上げながら感染者から離れた。


 咳き込んでいた男は真っ赤な目を見開く。ギョロリ、ギョロリと眼球を動かしながら血反吐を吐く姿は、さながらホラー映画だ。

 だが彼はゾンビ役を演じているわけではない。現実に死の烙印を押され、その身に絶望を孕んでいたのだ。

 感染者は苦痛から逃れようと、必死に手を伸ばし、悲痛な声で助けを求めた。



「死にたくない! ゲボッ?! 誰か助けて! 嫌だ! ごんな死にがた、イヤだぁあぁあぁああ!!」


 感染者は仲間達に向かってヨタヨタと歩み始めた。


 だが仲間たちは誰も手を伸ばそうとしない。距離を置き、――それもそのはずだ。自分が感染していない可能性もある。わざわざ手を差し伸べて感染するリスクを冒すほど、彼らの友情と結束は固くない。


 誰もが感染者から距離を置き、「早く死ねよ」という冷たい視線を送る。



「だずけて……なんでたずけてぐれないんだよ? 死にたくない! だずげで――ゴホッ! ゴホッ! ゲボッ! たひゅけて! たひゅけてぇ!」



 皮膚下が壊死し、次第に呂律が回らなくなる。徐々に嘔吐物に固形のものが混ざり始め、言葉すらままならない状態と化す。体内が溶解し、液状化した臓器が吐瀉物として排出されているのだ。

 感染者は苦しさから逃れようと発狂する――それは、あまりにも人の枠組みからかけ離れた断末魔だった。



 勇者達はその地獄絵図に唖然とする。レパン出血熱の致死性は高いが、ここまで症状に即効性があるものではなかった。


 ダエルは自分の認識の甘さを嘆く。


「ヤツの言っていたことは、全部本当だったのか!」



 仲間の変わり果てた姿に、その場に居合わせた全員が絶望していた。次は自分が、レパン出血熱を発病するかもしれないからだ。


 そんな唖然としている彼らに、ダエルは癇癪気味な声で命令を下した。



「なにぼさっとしてんだマヌケ! 早くあの野郎を探しだしてワクチンを奪うんだ!」


 仲間の一人が「もうお終いだ」という諦めの声で、ダエルの命令に意見する。


「で、でもそのワクチンが本物かどうがわかりません。もしかしたらハッタリかも――」


「バカ! そんなことあるはずねぇだろ! あのガスを撒いた時、ヤツは防護服どころかガスマスクすら着ていなかった! 確実に効力のあるワクチンがあるから、それができたんだろうが! ちょっとは脳みそ使って考えろマヌケ! 

 ワクチンは絶対にある! つべこべ言ってねぇであの糞野郎を追うんだ!」


 だが予備のワクチンを持っている確証はない。しかしダエルはその希望に縋るしかなかった。

 どの道ここで嘆いていても死ぬだけだ。ならばレイブンの言葉を信じ、『ワクチンがある』という望みに賭けるしかない。


 勇者達に、それ以外の選択肢は残されていなかった。


 勇者達は立ち上がる。そして死への恐怖で折れそうな心を、ヤケクソ気味に叱咤させ、急いで走りだす。


 ダエルは殺意すらも感じる怒鳴り声で、仲間の背中に鞭を打った。


「いいか、間違っても殺すんじゃねぇぞ! ワクチンの在り処を吐かせるんだ! さぁ行け! あの糞野郎を捕まえるんだ!!」




           ◇




 エストバキアの弓兵達が地下迷宮を疾走する。

 だが次第に疲れが見え始め、足並みが徐々に遅くなっていく。無理もない。躾と称し、満足に食事も水も与えられず、この地下迷宮を進軍していたのだ。


 少女たちは焼けるように傷んだ肺と脇腹を休ませるため、十字路でその足を止めた。彼女達は滝のように汗を流しながら「ぜぇはぁ、ぜぇはぁ」と深く呼吸を行い、肺に大量の酸素を送り込む。

 皆、息をすることで精一杯で、会話できる余裕はいない。だが弓兵の性なのだろう、息をするのがやっとの状態にも関わらず、見張りだけは決して怠らなかった。互いの死角をカバーし合い、周囲を警戒する。そして些細な物音も聞き逃すまいと、耳をうさぎのようにそば立てていた。


 少女たちの一人が何者かが走ってくる音を感じ、合図を送る。

 彼女達は、もっと酸素を肺に取り込みたいという欲求を抑え、息を殺し、隠し持っていたシーフナイフを手にした。


 走ってくる人物は足並みを緩め、彼女達を怯えさせないよう手を上げる。そして交戦の意志がないことを報せた。


「敵ではありません。どうか武器を収めて下さい」


 それは脱出の機会を与えてくれた、魔族の勇者、レイブンだった。

 ポニーテールの少女が弓兵を代表し、レイブンに感謝を告げた。


「礼を言わせて。助けてくれてありがとう、えーと、名前は――」


「レイブンです」


「レイブン。もし貴方がいなかったら今頃、私達は……」


「間違いなく凄惨な最期を迎えていたでしょう。ああして身内同士で殺し合いをさせるのが、彼らのやり口なのです。全員無事で良かった」


「どうして助けてくれたの? あなた、魔族の勇者なんでしょ? 同じ人間とはいえ……私達を助ける必要はないはず」


「実は大いにあるのです。昔、あなたの里親に助けもらいましてね。どうしても、その礼がしたかったのですよ」



 レイブンは懐かしさと共に語る。それば別の世界線で起こった未来の話ではあるが、同じ人生を繰り返している彼にとっては、遠い昔の思い出だった。



「彼女から、あなたの話しをよく聞かされました『私が育てた自慢の娘』そして『エストバキア随一の弓兵だったのよ』――と」


「あの人がそんなことを…… ――ちょっと待って。だった?」


「その世界線におけるあなたは、すでにダエルによって殺されていたからです」


 ポニーテールの少女は『その世界線』という単語が理解できず、刹那の間考えに耽る。そしてレイブンとダエルが交わした会話を思い出し、ようやく、その言葉の意味を理解した。


「まさかあなた本当に、同じ人生を何度も繰り返しているの?!」


 驚く彼女に対し、レイブン無言で頷いた。


「苦労しました。間接的に他者の行動を操作して、あなたとダエル達を誰一人欠落させることなく、この砦に誘導させるのは」


「でも彼女が、私のことを自慢の娘なんて言うはずがない。だって……血が繋がっていないのよ?」


「あなたはそれを気にしているかもしれませんが、里親の彼女にとっては、些細な要素に過ぎなかったようですよ。ですからもう一度、里親に会って下さい。今もきっとあのパン屋で、あなたの帰りを待っていますから……」


 レイブンは優しく諭しながら、ポニーテールの少女にタクティカルライトを手渡した。

 少女は異世界のガジェットであるライトを手にすると、興味深気に視線を注ぐ。


「この筒はなに?」


 レイブンは少女の手をそっと掴む。そして彼女の指の上から、ライトのスイッチを押してあげた。


「これはタクティカルライトという軍用照明具で、火や魔法を使用しないランタンのようなものです。ここのスイッチを押すことで照明が点灯します。そのライトで、あそこの壁を照らして下さい」


「こ、こう?」


 ライトを壁に照らすと、今までなかった巨大な矢印が現れる。紫外線が特殊な蛍光塗料に反応し、矢印を浮かび上がらせたのだ。レイブンの世界ではありふれたものであるが、異世界の彼女達にとって、なにか得体の知れない力を使用しているように思えるものだった。

 エストバキアの弓兵達は一様に驚嘆し、浮かび上がった蛍光塗料の矢印に目を奪われてしまう。

 ポニーテールの少女も例外ではない。彼女も喫驚の目色で矢印を凝視していた。


「光る矢印が浮かび上がった! どうなっているの?!」


「このライトでしか見えない矢印です。あの矢印に沿って行けば、すべてのトラップに突き当たることなく、ダークエルフの大砦に辿り着けます」


「ダークエルフですって?! 彼らは魔族に加担する敵よ!」


「それを言ったら私だって、魔族に属している勇者じゃないですか。――安心して下さい。エストバキアの少女達を保護するよう、私からすでに要請は出してあります。危害を加えられる心配はありません。

 それに、このダンジョンの出口はすでに封鎖されており、脱出路はすでにもう絶たれています。ここから出口方面に戻ろうとすれば、勇者と鉢合わせする危険性もあるのですよ。どの道、大砦に向かうしか道がありません」



 ポニーテールの少女は戸惑う。

 魔族の勇者であるレイブンを信じ、敵の本拠地に逃げるかどうかを。


 行くも戻るも危険な賭けには変わりない。


 レイブンに他意がなければ良いが、万が一にでも、これがなんらかの策略があるのであれば、仲間を危険に晒すことになる。そもそもダークエルフや魔族が、エストバキア兵士を快く迎えてくれるとは思えない。


 そしてポニーテールの少女は気付く。レイブンという男が信頼にたる人物であるかどうかを測る、天秤を持っていたのだ。彼女はレイブンが善良な人間かどうかを見定めるため、その天秤に彼の言葉を乗せた。


「ひとつ質問させて。あなたが私の里親の世話になったのなら、彼女特製のフィッシュパイをご馳走になったはずよ」


「ええ。振る舞って頂きました」


「なら、その味がどうだったのか言えるわよね?」



 レイブンは目を閉じて思い出す。食卓に並んだ温かな料理の数々――、その中で一際大きく、キツネ色にこんがり焼きあがった香ばしい匂いを放つ、あのフィッシュパイを――。



「あのフィッシュパイは…… 最高に不味いの一言に尽きます。まさに悪夢の具現化と称して過言はないでしょう。なぜパンはあれだけ美味しく作れるのに、フィッシュパイだけは絶望的な味に豹変するのか……あれだけは本当に理解しかねます」


 それを聞いたポニーテールの少女は、クスクスと笑い出す。そして我慢できなくなり、腹を抱えて「アハハハッ!」と笑い始めてしまった。

 少女はあまりの可笑しさに涙を浮かべなら、同じフィシュパイの犠牲者に同情する。


「あのフィッシュパイ香辛料入れすぎなのよ。なんでもね、昔、傷んだ魚を食べたら当たったらしいの。それ以降は、ああして香辛料やらハーブやらをたんまり入れるようになったの。それにしても、あなたも私と同じフィッシュパイの被害者だっだなんて。ウフフ、おかしな話」


「そう楽しげに言わないで下さい。あのパイのせいで、三日三晩魘されたんですよ」


「それはご愁傷様」



――二人の会話に割り込むように、見張りをしていた弓兵が叫んだ。



「なにか来る!」


 レイブンとポニーテールの少女は、同時にその方向を見た。


 通路の遥か彼方から松明の炎が見える。

――だがその速度が尋常ではない。まるで飛翔しているかのような速度でこちらに接近していたのだ。

 眼の良い弓兵の一人が、いち早くそれの姿を捉える。



「松明の灯りじゃない! あれは……鳥?!」


 彼女の言う通り、それは炎に包まれた鳥だった。

 火の化身であるかのような燃え盛る鳥は、弓兵達を発見するやいなや、羽ばたきながら甲高い鳴き声を上げ、さらにその速度を上げた。


 レイブンはジャケット裏から、SAAシングルアクションアーミーを引き抜く。そして急速に彼我距離を詰めようとする火の鳥に向け、躊躇いなく引き金を引いた。


 地下迷宮に銃声が轟く。


 発射された弾丸は螺旋を描きながら、火の鳥の眉間へと喰らいつく。

 迎撃された炎の鳥は空中で火の塊となり、砕け散った。火の粉がレイブンの足元に転がる。


 レイブンは火の鳥の正体を拾い上げる。それは、魔導弓兵用に改良を施された矢だった。それはまだ魔力を帯びおり、未だ紅蓮の色合いを保っている。


 その矢を目にしたレイブンは、弓兵達に危機が迫っている事を報せる。


「敵に我々の居場所が知られました。ここは私が引き付けます! 一刻も早く大砦へ退避して下さい!!」


 レイブンと弓兵の一団は、互いに別々の方向に向かって走り出す。だがポニーテールの少女は一度立ち止まって振り向き、レイブンの背中にある言葉を投げかけた。

 それはどうしても、戦場に向かう彼に伝えておかなければならない、大切な言葉だった。



「レイブン! 貴方に戦女神のご加護を!」



 そして少女たちは大砦に向かって走る。先導しているポニーテールの少女に、一人の仲間が声をかけた。


「本当に信用していいの? 彼、魔族の側にいる人間なのよ」


「大丈夫。彼はパイの味を知っていたから。私の里親があの料理を振る舞うのは、信頼している相手にしか出さないの。彼がパイの味を知っていたということは、彼女が信頼できる人物と認めたということ――。だからレイブンは信用できる! 私が保証するわ!」



           ◇



 矢を放った魔導弓兵が、地下通路でレイブン発見の一報を叫ぶ。

 火の鳥の眼は弓兵の眼とリンクしており、レイブンがどこにいるのか手に取るように分かったのだ。


 索敵を行った魔導弓兵が、地下迷宮内を探索している仲間に届くよう、全力で叫んだ。



「いたぞぉおぉおおおぉ――――ッ!!! 奴だ! ヤツがいた! この先を右に曲がって突き当りの十字路だ!」



 そう叫んだ弓兵を追い越すように、魔導弓兵の相棒である双剣士が、華麗なスタートダッシュをきめる。


「野郎ぉ! ぶっ殺してやる!!」


 双剣士の血気盛んな言葉に、弓兵が「早まるな!」と警告する。


「バカ殺すな! 奴はワクチンを持っている! 無傷でとっ捕まえろ!!」


「ハイハイ分かりましたよォ! 生きてりゃいいんだろ! 生 き て れ ば !」


 双剣士は舌打ちし、相棒を置いて独断先行する。彼が殺意と焦燥感に駆られるのも無理はない。自分の身体にレパン出血熱に感染しているかもしれないのだ。


 その悪夢を植え付けたレイブンを斬り刻み、勇者に逆らった報いを受けさせてやろう。――そうした報復の想いを抱くのは、なにも双剣士にだけに限った事ではない。レパン出血熱に感染した勇者達全員が、同じ殺意を抱き、レイブン目指して進軍を開始していた。


 その中の一人である双剣士が、ついにレイブンの姿を捕らえた。



「見つけたァ! 殺すなって命令だが、手足のぐらいは許容範囲だよな!!」



 接近用の武器を持たないレイブン。彼は不利を悟ったのか、双剣士の姿を確認すると、踵を返して逃げ出した。


 双剣士は逃げ出したレイブンを腰抜けと罵る。


「また逃げて時間を稼ぐつもりだな、このチキン野郎が! 神速の双剣士と謳われた俺から、逃げられるとでも思っているのか!」


 双剣士の脚に紋様が輝く。それは仲間の魔導師が掛けてくれた、高速化のエンチャント魔法だった。

 魔力の力を借り、双剣士はさらに加速――レイブンの背中を捉えた。


「もらったァアァアア!!」


 双剣士はレイブンの背中を切り裂くため、渾身の力で剣を振り下ろした。



 ――――ガキィイィンッ!!



 だが斬撃がレイブンの背中を斬り裂くことはなかった。彼は斬撃が繰り出される直前、飛び込み前転で避けたのだ。双剣が虚しく石畳に喰い込み、甲高い金属音と火花を散らす。

 双剣士は石畳に喰い込んだ剣を急いで引き抜くと、レイブンに斬り掛かった。


「殺ァアアアァ!!」


 双剣士は次々と斬撃を繰り出すが、レイブンは宙を舞う鳥の羽根のように、双剣を躱していく。

 迫り来る死の恐怖に加え、自慢の攻撃がかすりすらもしない――双剣士の苛立ちが限界に達し、それが癇癪となって表面化する



「なんで?! なんで当たらないだ! 畜生ォオォ――――ッ?!」



 レイブンはいつの間に手にしてしたSAAを使い、斬撃の軌道を逸らす。そしてガラ空きになった双剣士の顎目掛け、サマーソルトキックを炸裂させる。


 まさに会心の一撃。


 双剣士は仰け反った姿勢で一回転すると、そのまま顔面から着地してしまう。双剣士の前歯が折れ、鼻と口から血が流血する。それでも反撃のため、すぐさま立ち上がろうとしたのだが、彼は反撃に転じることはなかった。


 チャキリ


 コルト ピースメーカーこと、シングルアクションアーミーの銃口が、双剣士の額に押し付けられていたのだ。


 双剣士は剣を置き、両手を上げる。その最中、彼の目に仲間の姿が映る――レイブンを殺すなと助言した、相棒の魔導弓兵だ。

 レイブンは、魔導弓兵に背を向けて立っているため、まだその存在に気付いていない。


 双剣士は命乞いをして、魔導弓兵が狙撃する時間を稼ごうとする。


「頼む! こ、殺さないで! 俺はダエルの命令で、仕方なく人を殺していただけなんだ! 俺だって好き好んで人を殺したくはなかったんだよ! ででで、でも! あいつに逆らったら殺されるんだ!!」


 レイブンはSAAのハンマーをコックし、引き金に指を乗せた。


「頼む信じてくれ! 嘘じゃない!嘘じゃないんだよ!! この世界で生きていくためには、ダエルの命令に従うしかなかったんだ! そもそも俺なんて殺したって、なんにもなんねぇだろうが!」


 魔導弓兵はレイブンを射抜くため、詠唱を開始――彼の足元に魔法陣が煌々と輝き、矢に魔力が注ぎ込まれる。


 双剣士は『あともう少し! もう少し時間が稼げれば!』という期待と焦りを秘め、命乞いの演技をする。――いや、銃口を向けられているため、半ば演技ではないのだが、とにかくこの瞬間を乗り切ろうと恥を棄て、無様な弱者を演ずる。


「誰が無抵抗な村人を好き好んで殺すんだよ! 俺だって人を斬り殺して心が傷んだんだ! この世界に来て、罪悪感で眠れない日が何度もあったんだよ! 信じてくれ……信じてくれよぉ!!」


 レイブンは泣き喚く彼に同情したのか、SAAの銃口を双剣士の額から外す。そして懐中時計を取り出した。


『(バカが、俺の演技に騙されやがって。へへへ……同情はなァ! 命取りに繋がってるんだよぉ!!)』


 双剣士は心の中でニタリと笑った。レイブンの背後には、捕縛用の矢を放とうとする魔導弓兵の姿があったのだ。双剣士は勝利を確信し、命拾いしたと安堵する。


 そんな彼をよそに、レイブンは懐中時計に目を通すと、こんな独り言を呟いた。


「そろそろですね」


 その言葉に、双剣士は思わず訪ねてしまった。


「はい?」


 レイブンは目の前で平伏している双剣士ではなく、地下迷宮の中枢にいる、魔導師に語りかけたのだ。


「お願いします、エステラ」



           ◇



 大砦 タルヌングフェーニクス


 円卓の間。その中央部にある球体フェーニクスツァイヒェンの中に、エステラはいた。エステラは球体の中で浮遊し、身の丈を越える大きな杖を掲げている。

 エステラの呪文詠唱に導かれるように、紋様のリングが球体の周囲に展開した。そして台座に設けられた地下宮殿のミニチュアが光り出し、その色合いを一斉に変えていった。

 機能停止を意味する黄色から、起動状態を表わす青色へと変化していく。


 それはレイブン達のいる区画も例外ではなかった。魔剣カインフェルノの魔力が区画全体へと行き渡り、停止していたトラップが稼働を始めたのである。



          ◇




 レイブンの遥か後方で、侵入者を感知したトラップが作動する。

 壁の隙間から高速回転したサーキュラソー円盤ノコギリが飛び出し、矢を放とうとしていた弓兵の首を刎ねたのだ。



 ズシャンッ!!!



 肉と骨を断つ、生々しい音が通路に響き渡る。


 魔導弓兵が絶命したことにより、詠唱は失敗に終わり、纏っていた光と魔法陣が砕け散った。

 そして刎ねられた頭は壁に当たると、まるでゴムボールのように通路を跳ね、速度を弱めながらレイブンの足に当たって静止する。



 レイブンは足元に転がる生首に気を留めることなく、双剣士にこう告げた。


「残念。あと、もう少しのところでしたね」


「――――ッ?!!」



『(ウソだろ……なにもかも、最初からバレていたのか?!)』



 双剣士は剣を手に取り、反撃に打って出ようとする。『接近戦ならば、銃よりも剣のほうが早い』コミックスやスクリーンで聞きかじった知識を信じ、不意を突いて形勢を逆転させようというのだ。


 だがその判断と知識は、大きな間違いだった。


 レイブンの手にしている銃はSAA、――コルト社製のシングルアクション・アーミー。西部劇の早打ちで使われる名銃だ。高練度のガンマンが手にすれば、わずか0.02秒で攻撃が行える代物である。そういった側面では、既存のハンドガンやリボルバーとはわけが違う。


 それを知らない双剣士は、不幸にも、SAA熟練者に牙を剥いてしまった。


 レイブンは剣を手にしようとした双剣士の手に、ロングコルト弾を二発撃ちこむ。それはまさに一瞬の出来事。発砲音は一発にしか聞こえなかったが、確実に二発、弾丸は発射されている。その証拠に、双剣士の両手の甲に穴が空き、鮮血と共に中手骨を砕いていた。



「手が! 手がぁああああああ!」



 双剣士は剣に触れることもできず、激痛に悲鳴を上げた。

 レイブンはそんな彼に一切同情しない。表情一つ変えず、SAAでガンプレイに興じながら糾弾する。


「罪悪感で夜も眠れなかった? 村の襲撃をダエルに提案したのは、他でもないあなたでしょう。たしか理由は、『結婚式を挙げているリア充がいるから、いっちょ懲らしめてやりましょうよ』――でしたっけ?」


「痛ぇ……うぅ、なんでその事を知って――」


 双剣士は気付く。なぜレイブンがその事知っているのかを――。


 双剣士の顔色がみるみる青ざめていく。その様を目にしたレイブンは、まるで心を覗いたかのように頷いた。


「そうです。 他でもない別の世界線のあなたが、自慢話でも語るかのように、ベラベラと喋ってくれましたから」


 諦めの悪い双剣士は、それでも生に執着し、情けをかけてもらおうと言い訳を並べ立てる。


「ち、違う! 違うんだ誤解だ! あれはちょっと魔が差しただけで――」


「魔が差した? 新郎の前で新婦に暴行を加え、許しを請う彼等に対して非道の限りを尽くしたお前が! そんな言葉を口にするのか!」


 双剣士は演技ではなく、本当の命乞いを始める。嗚咽混じりに泣き叫び、男とは思えないほど顔をくしゃくしゃにしながら、許してくれと懇願した。


「俺はちょっと悪戯するつもりだっただけなんだよ、でもダエルがもっと派手で気持ちいい事にしようって言うから! あんな酷い事になっちまったんだ! 俺はあそこまでするつもりはなかったんだよ! だから、こ、殺さないでくれぇ! 死にたくない! 死にたくないよぉ!」


 双剣士は少しでもレイブンから離れようとするのだが、あまりの恐怖で腰が抜け、仰向けに倒れこんでしまう。


 レイブンはSAAのシリンダーを回しながら、双剣士に銃口を向けた。



「私があなたを殺すとでも? そんな生温いもので済むと思うな――」



 レイブンは双剣士に二発の弾丸を撃ちこむ。ロングコルト弾は双剣士の膝を貫き、その健脚を永久に封じた。


 関節部に鉛弾をぶち込まれ、激痛に襲われる双剣士。顎が外れんばかりに口を開け、再び絶叫する。


 レイブンは鼓膜を貫くほどの断末魔の中、激痛に呻く双剣士に判決理由を告げた。


「お前は嬉々として新郎の手足を斬り刻み、新婦を穢し、その魂と心に決して消えることのない傷を負わせた。その非道な行いをしたお前に、同情の余地などない。自分がしたその悪業を悔い、激痛に悶絶しながらそこで息絶えろ。今さら祈りや懺悔をしても無駄だ。お前に慈悲も救済もない」



 そしてレイブンは去り際、この言葉を言い残した。



「――苦しみなさい。それが唯一、今のあなたにできる、せめてもの善行なのですから」



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