第18話『宣戦布告は愛と憎しみと共に』



 地下迷宮内は侵攻に備え、防衛及び、迎撃用の砦が各所に点在していた。



 エストバキアの勇者、ダエルとその仲間達は、内通者から得た地図を頼りに、トラップを回避しながら進む。道中、撃迎用の砦が立ち塞がったが、問題なく突破していった。


 いや。突破と呼ぶには贅沢なほど、実情はお寒いものだった。




――第二防衛砦 ヴァイスレーヴェ


 湖を発った勇者一行は、ここまで一切の休息なしで進軍し続け、この短時間で地下迷宮中央部まで侵攻していたのだ。ダエルとその仲間たちは、陥落した砦に居座り、陣を敷いていた。


 超人的な力を持つ勇者とはいえ、生物である以上疲労は存在する。動き回ればそれ相応に体を休ませ、補給を行う必要があった。


 ダエル達は砦の中庭に屯している。彼らは噴水の前で焚き火を取り囲み、くだらない話に華を咲かせていた。

 彼らが焚き火に使用している薪は、この砦内から勝手に持ちだした家具である。それを、ダエルのレーヴァテインで片っ端から斬り刻み、焚き火としてくべていた。

 かつて家具だった薪を焚き火に放り込む度に、炎と火の粉が舞い上がる。焚き火は魔光石が放つ瑠璃色な光を掻き消し、薄暗い地下を焰色へ染め上げた。


 まるで光量に惹かれる蛾のように、砦を探索していた者達が、ゾロゾロとダエル達の元へ戻って来る。



「いやぁ~全然駄目、収穫ナシっす。どっかに隠れているんじゃないかって、手当たり次第ひっくり返しまくったけど、やっぱものけの空っすわ」


「この砦も、俺達が来る前に逃げ出したらしい。まだ厨房の窯の火が燻っていやがった」



 その味気無い報告に、ダエルは苛立ちをふつふつと募らせてしまう。


 ダークエルフで試し斬りできると意気込んでいたのも関わらず、蓋を開ければ戦闘のせの字もなく。ただただ陰気な地下迷宮を探索する遠足へと成り下がっていたのだ。しかもここまで満足に斬ったものと言えば、無人の地下要塞を死守するオリハルコン製大扉ブラストドアぐらいである。拍子抜けもいいところだ。


 ダエルは不満を解消するため、焚き火の薪代わりに使っていた家具に、秘剣レーヴァテインを振り下ろす。切断と同時に衝撃波を発生させ、家具をバラバラに吹き飛ばした。戦いではないため力を抑えてはいたが、思いのほか家具は盛大に飛散した。


「んだよ全ッ然歯応えねぇ! なんで俺達が来る前に逃げてんだよ、腰抜けどもが!」


「リーダー、これなんか罠臭くないっすか? いくらなんでも行く先々の砦が無人なのは、なんか臭いますって」


「んなわけねぇだろ。だったら罠の一つや二つ仕掛けているはずだ。今までどの砦もそれが無かったつーことは、ダークエルフの連中にとって俺たちが来るのは、まったくの想定外だったってわけよ」


「奇襲は成功したけど、思いのほかダークエルフは目と耳が良く、砦を放棄して逃げまくるチキン集団だった――つーことっすね?」


「ま、そういうこと。んぁあぁッ! にしても超ムカつく!! せっかく剣を手に入れたのに、モノホンの肉を斬れなきゃ意味ねぇだろぉが!! クソ!」


 機嫌が悪いダエルは、わざと勢いをつけて椅子にドガりと座る。椅子は予期していなかった衝撃に、思わず悲鳴を上げてしまう。


「きゃ?!!」


 ダエルは椅子に向かって卑しい笑みを浮かべ、厭味ったらしい口調でこう尋ねた。


「おいてめぇ、ちゃんと椅子になりきれてねぇぞ。エストバキアの騎士様は、その程度の命令もこなせねぇわけ? えぇ? ポニテ巨乳ちゃんよぉ!」


 勇者達が腰をかけているのは、断じて椅子ではない。昨夜から辱めを受け続けている、エストバキアの弓兵達だった。彼女達は四つん這いになり、勇者達の腰を休ませる椅子という、望まぬ役割をこなしていた。

 少女たちはこのような恥辱に耐え続け、ギルバルドの命令通り、勇者達を退屈させないよう献身的に尽くしていたのだ。


 それが、エストバキアの繁栄に繋がると信じて……


 ダエルの言葉に触発され、仲間達も彼女達をいたぶり始めた。


「そうそう、リーダーの言う通り! もうちょっとやる気出さなきゃ駄目駄目」


 仲間の一人が弓兵のケツをピシャリと叩いた。


「きゃん?!」


「おい今の聞いたか? 『きゃん!』だってよぉ~。椅子の分際でエロく喘ぎやがって。へへへ、ほんとたまんねぇな! 勇者生活最ッ高! ハハハハハッ!」


 他の仲間達も、自分の座っている椅子を叩き始める。


「ウケる! じゃ俺もやって見るわ! そりゃそりゃ! そりゃ!」

「エストバキア弓兵のケツドラムだ!! オラオラオラ!」


 弓兵が逆らえないことに漬け込み、勇者達は我が物顔で彼女達を辱め始めた。座っていた椅子の尻を、まるで打楽器ようにリズミカルに叩く。


 ピシャリピシャリと、卑猥な音色が鳴り響いた。そして演奏会は過激さを増していく。彼らは負けじと平手を振り下ろし続け、誰が一番いい音を奏でられるか競い始めた。


 その恥辱は、すでに悪ふざけの域を越えており、少女の尊厳を斬り刻む虐待だった。


 エストバキアを護る守護者――勇者ダエルとその仲間。彼らはエストバキアに対する愛国心もないばかりか、人としての優しさも思いやりもない。

 だがしかし、勇者達の持つ力は絶大だ。何千もの軍勢と渡り合えるばかりでなく、単騎で魔王と渡り合えるほどの強大な力を持つ。他国との対等な関係を築き上げる切り札として、手放してはならない存在だった。

 そんな彼らを、小国のエストバキアに繋ぎ止めるためには、多種多様な“配慮”で彼らの御機嫌をとり、国内に繋ぎ止めるしかない。


 そうした政治的理由から、エストバキアの弓兵達は逆らうことができず、ただただ卑劣な暴行に耐え、精神を摩耗させるしかなかった。


 だが彼女達は、国を護るために騎士としてここにいる。いくら国家のためとはいえ、慰み者になるために騎士になったのではない。

 その憤りが、今まさに限界を越えようとしていた……。


 ポニテ巨乳と揶揄され、ダエルの椅子として四つん這いになっている少女。彼女もまた、この卑猥な嵐が過ぎ去るのを耐えている一人だった。

 ふと顔を上げた少女の目に、あるものが映る。

 あまりの屈辱に耐え切れず、涙を流す仲間の姿だ。せめて勇者達に泣き顔だけは見せまいと、俯いてはいるのだが、重力に導かれ、石畳へと落ちる涙までは隠せなかった。


 どんな過酷な訓練でも、涙どころか泣き言一つ零さなかった彼女達が、屈辱に心を折られ、ポロポロと涙を流していたのだ。――それを見た瞬間、今まで少女の中で抑圧していた感情が、一気に爆発する。

 



「……にして――」



 そのわずかに漏れた声を、ダエルは聞き逃さなかった。椅子のケツを叩きながら、彼女を服従させようとする。


「あぁ? なに許可無く喋ってんだ。椅子なんだから黙って――」


 もはや少女にとって、勇者は悪しき存在を罰する者でも、国の守護者でもない。手当たり次第に女を辱め、立場を利用して暴虐の限りを尽くす卑劣な暴漢者。仲間を悲しませる暴君に、もはや敬意など払えるはずがなかった。



「いいかげんにして!」



 ポニテ巨乳と囃したてられ続けた少女が、椅子であることを拒否し、立ち上がる。

 その少女に腰を掛けていたダエルは、無理やり立ち上がる形となり「おっとっと」とよろめきながら立ち上がる。そして振り向きつつ、勇敢な反逆者を嘲弄した。



「おいおいどうした、ポニテ巨乳ちゃん。俺は腰を休ませるための『椅子になれ』って命令しなよな?」


 少女は感情を剥き出しにし、勇者達を怒鳴り散らす。


「私達は奴隷でも、娼婦でもない! あなたを援護するために遣わされた弓兵なのよ! それなのに、こんな事させるなんて……あなた達! ほんと最低ね!!」


 ダエルはへらへらと笑いながら、彼女にこれでもかと泥を塗りたくった。


「昨日テントの中でへこへこ腰振って踊ってた女が、今日はうって変わって優等生かよ。お前だってその点、最低だよな?」


 ダエルは卑しい笑みを浮かべつつ、少女に舐めるような視線を注いだ。


 ポニーテールの少女は、昨日の恥辱を思い出し、死にたくなる程の恥ずかしさに襲われる。そして重く伸し掛かる自己嫌悪と背徳から、顔を俯きそうになる――が、ここで引き下がってはいけないと自分を叱咤する。彼女は騎士として、エストバキア国民としての誇りを胸に、その顔を上げた。そして攻撃的な視線をダエルに向けたのである。


 思いもしなかった反撃に、ダエルは楽しそうな笑みを浮かべ、口端の口角をニヤリと上げた。


「いいね~その眼、最高にソソるぜ。やっぱ女はそうでなくちゃな。躾のしがいがねぇ」


「躾が必要なのはあんたらのほうよ!! 勇者という特権を散々悪用するなんて、下劣も甚だしい! あなた達はツノツキ以下の俗物よ! 恥を知りなさい!!」


「おいおい、昨日あんだけ失態ぶっこいといて、今日はずいぶんと威勢が良いな」


「失態ですって? 魔王の勇者に負けたのは、私達弓兵の失態だって言うの? バカ言わないで! あなたが援護は要らないって言ったから、私達は極力手を出さなかったのよ。自分の犯した失態を人のせいにするの? そもそもあの勇者に負けたのは! あなたが弱かったからじゃない!!」


 弱かったという単語を耳にした途端、ヘラヘラしていたダエルの態度が豹変する。



「あぁ? 俺が弱いだと?」



 ダエルの声のトーンが落ち、どすの利いた声へと変わる。それでも少女は怯まなかった。毅然とした態度でダエルに立ち向かった。


「だってそうじゃない! 鎧も着けていない男に負けるだなんて、勇者が聞いて呆れるわ!! 私が閃光矢を放っていなければ、あなたは死んでいたのよ!!」


 ダエルのプライドに屈辱が塗りたくられ、彼の目元がヒクヒクとピキつく。

 ダエルは無言でレーヴァテインに魔力を注いだ。聖剣を媒介に、慟哭の音色を鳴らす。勇者の聖剣が少女の断末魔を上げた。


――だがダエルは、衝動的に湧き上がった殺意を、自制という鞘へ収める。


 このポニテ巨乳を殺すことは簡単だ、造作もない。だがバカにされたままで殺してしまうのは、どうにも癪だ。だからこそ、ただ殺すのではなく鬱憤晴らし兼、暇つぶしの余興のおもちゃになってもらおう。


 ダエルはの怒りに満ちていた眼が、愉悦な笑みへと変わる。


「俺に楯突くなんて、お前は怖いものナシか? ほんと良い度胸してんな」


「私は誇り高きエストバキアの弓兵! 屈辱という汚泥の中で死ぬくらいなら、騎士として、あなたにツバを吐いて死んだほうがマシよ!!」


「おほぉ! 口だけはいっちょまえだな! だがその命知らずな姿勢が、何時まで続くか観ものだな」


 なにか含みのある口調。少女は尋常でない胸騒ぎを感じ、反射的に何を企んでいるのか探り出そうとしてしまう。彼女は眉を顰め、怪訝な視線を勇者ダエルへと向けた。


「何が言いたいの?」


「別にぃ~。とくに深い意味はねぇ~よ~。でも、これ以上ふざけた口にすれば、大事なパパとママが大変なことになっちまうぞ――って、思っただけさ」


「お生憎様。私に家族は居ないの、なにせ孤児救済施設で育ちましたから。しかもその孤児救済所は国家直営の施設。いくら数千の軍勢と渡り合える勇者とは言え、エストバキア全兵力を相手に消耗戦はできないでしょ?」


 少女は今まで身の上の不幸を呪っていた。だがしかし、この時ばかりは両親がいない事を神に感謝していた。もし父と母が健在なら、勇者達はこぞって恫喝材料にしただろう。少女は心の奥底で冷や汗をかきながら、再び虚勢を張った。


 だがダエルは終始ニヤついた笑みを含ませたままだ。そして自らの発言に誤りがあったと訂正する。


「おっとっと、こいつは失礼。お前には身寄りがないだったな。でも今は違うよな? そんな途方に暮れたお前を救ってくれた、里親がいたはずだ。あれは確か……十字路の角に面した、パン屋のババァだったか?」



 少女は凍りつく。

 まるで全身が金縛りにでもあったかのように硬直し、悪寒が電流のように背筋を貫いた。



「なにを考えているの……止めて、止めなさい! あの人は関係ないわ! これは私とあなたの問題よ!! 部外者を巻き込まないで!!!」



 予想通りの反応に、ダエルは手を叩きながらゲラゲラと笑う。


「よっしゃビンゴぉ! へへへ、やっぱそれがテメェのアキレス腱だったか~。そのババァに、幸せな余生を過ごして欲しいよな?」


 少女はまさかの事態に絶句し、冷や汗を流すことしかできなかった。

 ダエルは主導権というイニシアチブを、完全に掌握する。少女の命は、もはやダエル達の手中にあった。


「ん~そうだな~、ギルバルドみたく靴を舐めさせると見せかけて、フルスイングの蹴りを、その顔面にめり込ませたいところだが……生憎俺は紳士な男でね。

 よし! じゃあこうしよう! 俺の聖剣の試し斬りがしたいから、俺達が座っている椅子の中で、斬って良いヤツを選べ。それで今回の件はチャラにしてやんよ」


 信じられない言葉に、少女は自分の耳を疑った。


「え?」


「『え?』じゃねぇよ鈍チン女だな。お前の仲間で一人だけ殺すから、一人殺して良いヤツを選べって言ってんの。お分かり?」


「う、ウソでしょ? そ、そんなことできるわけないじゃない! 今まで一緒に戦って来た仲間なのよ!」


「じゃあ里親がどうなっても知らねぇよ。ババァのパン屋、すげぇ評判良いんだってな。その人気のパン屋が、血みどろの精肉店にしてやってもいいんだぜ? スプラッタ映画みたいに、グロテスクな色に染めてやるよ」


「お願い……謝るから許して……」


 ポニーテールの少女はか細い声で懇願する。少女はエストバキアの騎士としてのプライドを放棄し、一人の敗北者として、育ての親と仲間の命を守ろうとしたのだ。

 だがダエルは、悪魔のような残忍な笑みを浮かべ、その申し出を却下する。



「いいや駄目だ。俺に楯突いた奴は、みぃ~んな死ぬほど苦しんでもらうのが、うちらのセオリーなんでねぇ~。

 もし選ばないんなら、仲間全員を殺すぞ。一人だけでケジメ付けてやるんだから、俺のサービス精神旺盛な慈悲深さに、感謝してもらいたいもんだ。フフ、ククク…… ハハッ、ヒャハハハハハッ!!!!」



 ダエルの下劣な笑い声が、地下に響き渡った。



 少女は耳障りな笑い声の中、死ぬほど後悔していた。あの時、正義感から衝動的に立ち上がってしまった事を。黙諾の中で服従し、ひれ伏していればこんな事にはならなかった……。


――あまりに浅はかであり、愚かだった。

 まさか勇者達がここまで腐っていたとは思わなかったのだ。


 勇者であり、人から尊敬の眼で見られている以上、ほんの僅かでも善意や良心の呵責が存在し、己を恥じる心があると考えていた。

 だがしかし、それは大きな間違いだった。彼らに人を想う心は微塵もなく、私欲のみで動く純然なる外道だった。


 この勇者達は、一切の躊躇いも後悔もなく己の手を赤く染め、女性の悲鳴と殺戮を心の底から楽しんでいる。現に彼らの眼は愉悦に染まり、この余興を存分に楽しんでいる。絶望的な選択肢を突きつけられ、途方に暮れる少女の姿に……。


「そんな……あぁ……そんな……」


 少女は残酷な選択を突きつけられ、腰が抜けたかのようにへたり込む。どちらも掛け替えのないもの。選べるはずがなかった。

 彼女はあまりの絶望から泣くこともできず、虚脱状態へと陥る。そして瞳から光が消え失せた。

 その滑稽な姿に、ダエルは腹を抱えて笑った。自分に楯突いた愚か者が絶望し、死ぬほどの後悔に晒されている。その醜態は、まさに彼が望んでいた姿だった。


 ダエルだけではない。

 その場に居た勇者達もまた、心の底から愉しそうに少女を嘲笑った。その笑い声は地下に反響し、まるで何百もの悪魔達が笑っているかのように反響する……――。




――だがその下賎な笑い声に、なにか異質な音が交じる。



 ダエルがその不協和音に気付き、笑うのを止めた。リーダーの異変に仲間達も気付き、彼と同じように笑うのを止めて聞き耳を立てる。


 異質な音の正体は拍手だ。

 妙に間の空いた拍手は、称賛とは無縁の侮辱を意味するものだった。



「誰だ!!」



 ダエルは、拍手をする何者かに向かって叫ぶ。

 そのご指名に、拍手をしていた人物が姿を見せた。


「仲間同士で殺し合いをさせるとは! 勇者が聞いて呆れますね!」


 砦の城壁から、勇者達を見下ろす形でその人物は現れる。


 勇者を馬鹿にした人物。同じ勇者でありながら相反する勢力によって召喚された男――レイブンだった。


 ダエルと勇者達は、城壁にいるレイブンを見上げる。暇を消化してくれる来客に、ダエルは嬉々とした笑みで歓迎した。


「来やがったな! 魔王の勇者ァ!」


「ええ、来ましたよ! あなた達を葬るため! そしてすべてに終止符を討つために!」


 レイブンは城壁から中庭に飛び降りる。音もなく着地すると、何事もなかったようにダエル達のいる方向へ歩き出した。


 ダエル達は余裕の表情を見せてはいるが、まさかの来客に内心、驚いていた。なにせ魔王の右腕が直々に馳せ参じたのだ。誰もが『なにかある』と勘ぐるべき場面だろう。


 ダエルを始めとする、勇者達の眼の色が変わった。彼等の目元は、強気にも相手を見下す笑みではあるが、その奥にある瞳は恐れと警戒色に染まっていた。


 だがダエルだけは違う。


 心の底からレイブンを見下し、嘲笑っていたのだ。

 ダエルはこの世界の名立たる猛者を斃し、エストバキアだけでなく近隣諸国に畏れられる存在となった――その実績が、絶対に負けることはないという確信へと至り、彼に揺るぎない自信を齎していたのである。


「すべてに終止符? 魔堕ちだけに飽き足らず、中二病までこじらせてんのかよ。救いようがねぇなァ!」


「エングレービングされた鎧を身に纏い、そんな姿で戦場に赴くようなあなたに言われたくありません。どんなに高価な鎧を纏っても、それが戦術的優位性には繋がりませんから」


「俺はてめぇとは違うんだよ。みんなに慕われているから、バカ高い高価な装備をふんだんに貢いでくれるんだ。んん? 見たところお前は違うな? 俺に喧嘩売って来た時と同じ服装ってことは、やっぱ魔族から重宝されてないみたいだな。かわいそうに……」


 ダエルの姿勢に感化され、臆していた取り巻き達が冷やかしを入れ始める。



「リーダー、魔族の連中が人間に敬意を払うわけないじゃないですか。この勇者、きっと向こうで奴隷扱いされてんすよ」


「一張羅しか服がないっていうのは、ほんと辛ぇよな? 洗えないからシャツにシミがつくし、臭いも最悪。うちらみたいに贅沢な暮らしを味あわせてやりたいぜ。食事も女も、全部無償で支給されるんだからよぉ」


「そうそう、毎日が豪華なバカンス! 貧乏人には一生縁のない生活を、俺たちは満喫してんだよ! どうだ? 羨ましいだろ?」



 そして勇者達は、恵まれた環境と縁のないレイブンを煽り、さらに囃したてた。


 レイブンは下劣な笑い声を浴びせられるが、一切物怖じしない。それどころか勇者達の自慢話を、「フッ」と笑い棄てた。


「それがあなた達の遺言ですが? 助言するとすれば、もう少し後世の人が敬意を払えるような、厳格な言葉にしたほうが無難ですよ。今のままでは、バカの戯言にしか聞こえません」


 その言葉にダエルは舌打ちし、レイブンの言葉を煽り返した。


「おいおい、もう少し利口になったほうが良いのは、お前のほうじゃねぇのか? 1対15、お前の負けは、すでに確定済みみたいなもんよ。遺言書必要なのは、どう考えても俺らじゃなくてあんただ」


「決まっている……ですか。それをあなたが言うと、なぜか示唆に富む言葉になりますね。ですが、今回負けるのはあなた達です。そしてこの地下迷宮が、勇者ダエルとその一味の墓標になるのです」


「ハハハハハッ! 超ウケるんですけど! わざわざ自分で死亡フラグおっ建ててんじゃねぇよ! マヌケぇ!」 


「ダエル。マヌケというその言葉、そっくりそのままあなた方にお返します。少しは頭を働かせて考えてみては? なぜあなたの技を、この私が使えるのか。その頭で考えて見たことはありますか?」


「んなの簡単な話だ。この世界に召喚される時、たまたま同じ魔法を授かっただけの話だろ」


「違います。これは他でもない、あなたから教えてもらったのですよ。あなたは私を殺す時、それはそれは饒舌に説明してくれましたから。衝撃魔法の発動方法や振動の収束、そして些細なコツに至るまで事細かにね。だから邂逅時、あなたと同じ魔法を使用して、エリアスの聖剣を斬り裂くことができたのです」


「俺がお前を殺す時? ハァ? なに言ってんだ?」


「失礼、少々説明不足でしたね。あなた方にでも分かりやすく説明するのならば、俗に言う『強くてニューゲーム』というものです」



 レイブンは語る。なぜこの世界の遍く全てを知っているのか、魔族のみならず、エストバキアやダエル達のことを事細かに知っているのかを。シルエラ達に語った時のように……。

 だがその口調は、彼女達に説明した時とはまるで違った。冷徹に、血も凍るほど冷たい口調だった。



「私は、この世界に召喚されてからの人生を、もう何万回も繰り返しているのです。あらゆる国の書物を読み漁りましたが、なぜこうなったのか、その根本的原因は以前不明のまま。恐らくこの答えは、“私が本当の意味で死を迎える”時に分かるでしょう……。

 レイブンという人生で得た経験や知識、技術に至るすべてを蓄積させ、死ねば、新しい自分へ移行され、引き継がれる。そして再び召喚されてからの人生を、ゼロからやり直すのです。

 まるで出来損ないのロールプレイングを、ただひたすら永遠に繰り返すように……――。ですが不思議と、結末は決まっているのです。私が死ぬ時は決まって、ダエルとあなた達の手によって殺されるのです。まるでそうなるよう、最初からエンデイングが決められているかのように……」


 到底信じられない言葉に、ダエル達はどう返していいのか戸惑い、絶句する。いや、彼の口から語られること以上に、言葉を失う要素があったのだ。


――底知れぬ憎悪と殺意。


 敵陣のど真ん中にいるにも関わらず、レイブンは他者を寄せ付けないほどの威圧を放ち、勇者達を押し黙らせていたのだ。


 まるで蛇に睨まれたカエルのように、息を呑む勇者達。そんな彼らに、レイブンは過去を振り返りながら語った。愛と憎しみを込めて。


「ゼノヴィア、グレイフィア、アーシア、エステラ、クロエ、シルエラ、そしてエレナ――。お前たちは彼女達を殺した。彼女達がどういう人格を持つ女性なのかも考えず、ただ魔族というだけで尊厳を取り上げ、いたぶり、辱めながら殺したんだ。

 あの人達は……あんな死に方をして良い人達ではない。人と魔族という隔たりはあるが、分かりあえば、とても良い人達だった。それをお前たちは惨たらしく殺した。私は彼女達の死を何万回も見てきた――だがそれも、今日で終わりです」


 勇者の一人が、このまま好き勝手に演説されるのは癪だという思いに駆られ始める。彼は無謀にも、殺気を身に纏ったレイブンに罵声を浴びせ、そそのかしてしまう。


「ハァ?! 魔族の女にべた惚れかよ! 性癖きっしょ。もしかしてアレか? 魔族の女共にあれこれされて、マゾヒストに目覚めちまったのかぁ?」


 その言葉に釣られ、他の勇者達もレイブンを冷やかし始める。


「あんな紫色の肌した、気っ色悪い連中の肩を持つなんてイカれてるぜ! 得体の知れない魔族なんてのはよぉ、みんなぶっ殺してしまえば良いんだよ!! あんな肌の色してんだ、変な病気うつされでもしたら、かなわねぇや!」


 仲間の威勢に続くよう、ダエルも立ち上がる。レイブンの言葉をハッタリだと決めつけ、勇敢さを誇示するための行動に出たのだ。

 ダエルはレイブンの目の前まで歩むと、ガンを飛ばし、堂々と神経を逆撫でした。




「あんな紫色の人間もどき、生きている価値もねぇんだよ。勇者は魔族を殺すのが仕事。お前の愛する魔族の女は、一人残らず俺が可愛がってやる。だから安心して、ココで死んどけや」




「―――ッ?!!」


 ダエルはレイブンの眼前で絶句する。自分が言おうとしていたセリフを、一言一句間違えることなく、レイブンが先に言い当てて見せたのだ。

 なおもレイブンは続ける。


「ど、どうなってんだ」「俺の思考を読み取ってんのか」「な、なんなんだよテメぇ」「俺の頭の中を読むんじゃねぇ。止めろ、止めろって言ってんだよ」


 一度だけではない。

 ダエルが口を開こうとする度に、レイブンはセリフを先読みし、彼を唖然とさせたのだ。


 あまりの衝撃にダエルは喫驚を通り越し、顔面蒼白になる。その姿にレイブンは気を良くし、笑みを浮かべた。

 そしてレイブンは、最後の説明を開始する。


「そういえば言い忘れていました。前回あなたに殺された後、私はここの世界ではなく、別の世界へと弾き飛ばされたのです。その世界は我々の世界を遥かに凌ぐ高度なテクノロジー持っていましてね。そんな時空の観測者を称する彼らが、輪廻に囚われた私に救いの手を差し伸べてくれたのです」


 レイブンは胸ポケットから懐中時計を取り出す。


「これは、その彼らから頂いた品です。懐中時計に見えますが、中身はまったくの別物。携帯可能な超高度電算機です。

 誰がどう行動し、それが他者にどう反映するのか。ミクロがマクロにどう影響を与えるのか――、あらゆる事象をすべて計測し、気が遠くなる無限のパズルを瞬時に計算・組み立て、その結果を出力するデバイス。これがなければ、私の復讐劇は完遂できなかったでしょう。

 あなた方がこの地下ダンジョンに足を運んだのは、他でもない、あなた方の意志です。――ですが、そうするよう仕向けたのは、この私なのですよ」


 ダエルは「まさか!」という顔色で叫ぶ。


「インテリ糞メガネ! テメぇが内通者だったのか?! いや、そんなはずは――。グエムの話しじゃ、裏で糸を引いている内通者は魔族のはず!!」


「それは面白い仮説ですが、事はそう単純ではありません。私は内通者の行動を間接的に操作し、この結果になるよう導き出しただけです。内通者も、まさか私が望む行動をとっているとは、夢にも思っていないでしょうが……」


 レイブンはダエルの傍らにいる、ポニーテールの少女に視線を向けた。そして何気ない仕草の中にハンドサインを混ぜ、これから何が起こるのかを説明する。それはエストバキア兵士の間で交わされるハンドサインだった。

 ダエル達はそのハンドサインを知らないため、彼らに知られることなく、作戦概要を彼女達に告げることができた。


 少女が小さく頷くのを確認すると、レイブンは行動を開始する。


「あなた達は今、怖じ気づき、逃げ出したい気持ちでいっぱいでしょう。まぁ無理もありません。所詮、あなた達は弱者にしか戦いを挑まない臆病者。こうして群れることでしか行動できない、ゴミ同然の烏合の衆なのですから。なにも恥じることはありません、至極当然の判断です。

 ですがここで逃げられてしまうと、せっかく用意した私のパーティーが台無しになってしまいます。だから逃げ出さないよう、嫌でも参加するようここで保険をかけておきますね」


 レイブンは、ジャケット裏から六つの擲弾を取り出す。そしてそれを、勇者達の足元目掛けて投擲した。


 彼らの足元で擲弾が爆発する。すべての色を掻き消す閃光が、勇者達の足元で炸裂した。


――眩い閃光と炸裂音が聴覚と視力を奪う。重ねてダメ押しでもするかのように、煙幕が視界を遮り、呼吸器官を阻害した。 


「なんだこりゃ?! ゲホッ、ゲホッ!」

    「目が!! くそぉ!!」

  「ゴホッ! ゴホッ! これはなんだ! ガスか?!」


 この混乱に乗じ、エストバキアの弓兵達が逃げ出した。


 レイブンも彼女達の後に続く。悠然とした足取りで離脱しながら、咳き込んでいる勇者達に宣戦布告を告げる――。



「聴け! 勇者達よ! この白い煙の中には、私が独自に改良したレパン出血熱の成分が含まれている! そして、解毒するためのワクチンはここにある!」



 レイブンは煙の中で笑みを零す。それは今までの彼からは想像もつかない、まるで悪魔のような笑みだった。



「死にたくなければ、私を殺して奪い取るがいい!!」



 レイブンはそう言い残し、煙の向こうに姿を消した。



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