第17話『観測者(ビジター)』



 レイブンはエレナと零戦の護衛をゼノヴィアに託し、一人、決戦の場へと向かう。


 レイブンは馬に跨がると、常歩を待たずして、駆歩で一気に駆け出した。彼の騎乗した馬はとても気性が荒く、レイブンを振り落とそうと暴れだす。だがレイブンは巧みに手綱を捌き、蛇行する暴れ馬を自分の手足のように乗りこなした。

 レイブンは大きな掛け声をかけ、馬の速度を上げるため足で腹を蹴る。


「ハァッ! ハァッ!!」


 レイブンは大砦を後にし、決戦の地となる地下迷宮へと向かった。



――同時刻。偵察兵オラクルの指揮官クロエは、偵察を終え、大砦に向け馬を走らせていた。


 大砦に向かっていたクロエは、行軍している仲間の列を追い越す。実はこの時、列を挟んで反対側に馬を走らせるレイブンの姿があった。だが馬車が遮蔽物となり、クロエは彼とすれ違ったことに気付かなかった。


 馬に跨ったクロエが、大砦の門を颯爽と潜る。


 砦内は他の砦から集まったダークエルフで溢れており、まるでなにかの祭りでも始まるかのように、喧騒とした雰囲気に包まれていた。


 だがその顔に笑みはない。


 皆、これから死線を潜り抜ける覚悟を決めた、戦士の目をしている。彼女達は木材を城壁へと引き上げ、籠城用のプラティスを増築させたり、他の砦から輸送した兵站や武器を、城内に移動させたりなど、戦いの準備を着々と進めていた。

 束の間、平和を謳歌していた砦は一変し、戦争前の慌ただし前線基地へと変貌を遂げていた。

 クロエは人々が行き交う砦内で馬を止めると、右足を鐙から外し、その右足で半円を描きながら馬から降りる。そして近くにいた仲間に「この子を頼む!」と馬を預け、シルエラの元へと急いだ。



           ◇



 地下宮殿 大砦 『タルヌングフェーニクス』 円卓の間



 円卓の間は沈黙に支配されていた。


 誰も居ないわけではない。


 シルエラ。ゼノヴィア。エステラ達は皆、うつむき加減でその場に立ち尽くしていた。


 室内が沈黙に支配されているのは、誰も言葉を交えようとはしないからだ。――否、交えようにも、それをすることができなかった。

 ただひたすらに、レイブンが発した言葉を、重く、そして深く噛み締めていたのだ。


 その沈黙を打ち消すように、凛とした声が円卓の間に響き渡る。



「姫様! クロエ、偵察より戻りました! ……みんな神妙な面持ちで、どうなされたのです? なにかあったのですか?」


 シルエラは「いいえ大丈夫よ。ちょっと話し込んでいただけだから」と言いながら、反射的に笑みを作る。人の上に立つ者は、悪戯に不安の種を巻いてはならない。とくに最前線に立つ者に対しては、繊細と思われるほど留意する必要があった。


 クエロは大量の汗を流し、報告のために息を整える。そして焦燥感に満ちた口調で、偵察の報告を行った。


「ミューリッツ湖に大量の竜騎兵が飛来。その数は尚も増加中です! そしてエストバキアを出陣した大隊が、ルト二ア平原を越え、ミューリッツ湖に集結しつつあります! あの数は断じて、亜人狩りを想定したものではありません! レイブンの言っていた事は、すべて正しかったのです!」


 レイブンの言葉通り、開戦はもはや避けられない。――本来ならば、この場にいる全員が氷付き、息を呑むべき場面である。しかしクエロの言葉は耳には入るものの、頭にまで届いていなかった。

――皆、心ここにあらず。

 彼女達の脳裏には、未だレイブンの言葉が過っていたのだ。

 だがシルエラは心を切り替え、目の前のクロエに集中する。


「クロエ。引き続き我々の目としてエストバキアの動向を探り、逐次状況報告をお願いします」


 クロエは背筋を伸ばし、その任務継続を喜んで受諾する。


「ハッ!」


 クロエは実直で、忠実に任務を熟す偵察兵の鏡である。だがそれは逆に、任務遂行のためには己を犠牲にする危険性があった。だからこそシルエラは、最後に念を押す。


「くれぐれも交戦は避けて。いい? 生きて失態を取り戻すのよ。悪戯に命を落とすような事があれば、私はクロエを……貴女を許さないから」


 クロエは “その想い” 絶対に裏切りはしません! という決意の視線で、シルエラを見据える。


「その御言葉、この心と体に刻みました。クロエ・エンドハート! 出撃します!」


 そしてクロエは一礼し、課せられた任務を全うすべく円卓の間を去った。




 シルエラはクロエの背中を優しい瞳で見送り、エステラとゼノヴィアへと向き直る。そして真実を見定めようとする、訝しげな表情で口を開いた。



「レイブンの言っていた件なのですが……どう、思われます? 私やエステラよりも、貴女のほうが彼と居た時間が長く、詳しいとお見受けしましたので――」



 ゼノヴィアはシルエラのことを見ることなく、その声色だけで彼女の心情を言い当てた。

 むしろ分かって当然である。

 その声はあまりに純朴で、心から人を想う優しい声だったのだ。



「もうお前の中では、答え、決まってんじゃねぇのか?」


「え?」


「言葉にバッチリ描いてあんぞ。『それでも彼を信じたい』――ってな」


 そう告げたゼノヴィアは目を細め、ニカッと笑った。

 ど直球ストレートな茶化しに、シルエラの褐色顔が恥ずかしげな色へと染まる。


「そ、そんなんじゃありません! わ、私はただ!」


 場を和ますためのジョークだったのだが、まさかシルエラがここまで良い反応くいつきをしてくれるとは思わず、ゼノヴィアはたじろいでしまう。


「あぁハイハイ。分かってる、分かってるって。悪ぃ悪ぃ。俺も、お前の意見に賛成だからよ。――んで、エステラ。お前さんはどうなんだ?」


 エステラは俯いた視線で顎に手を置き、レイブンの言葉を思い返していた。ゼノヴィアに問いかけられたエステラは、顔を上げ、自分の考えを口にする。


「レイブン卿の言葉はあまりにも荒唐無稽で、聞いている私としてはお伽噺のように感じました。そもそも我々の持つ既存の技術や概念では、彼の言葉が真実であるかどうかを立証するのは、極めて困難……いえ、不可能であると判断します――遺憾ながら……。

 ですが、レイブン卿の話した事が、嘘、偽りない真実であると仮定した場合、すべてに納得がいくのです。彼が我々の内情や敵に精通していた件なども、あらゆる面において辻褄が合います。従って私も、姫様やゼノヴィア様と同じように、彼の言葉は真実であると判断します」


 ゼノヴィアは三人の意見が一致したのを確認し、自身もレイブンに抱いた印象を告げた。


「俺も、アイツの言葉を信じる。まぁ正直、奴の言っていたことのほとんどは信じられないものばっかで、わけわかんねぇけどな。

――でも、これだけは自信を持ってハッキリ言える。アイツが話している時の、あの淋しげな眼差し……あれは絶対に、ウソをついているじゃねぇ。嘘であんな重たい眼、できるもんかよ……」


 シルエラは暗澹さを湿らせた声で、今も苦しみ続けているレイブンを想った。


「あれほど、人間であることで蔑まれているというのに、それでも私達のために、今も戦い続けている」


 エステラも姫の意見に賛同し、姫の言葉を引き継ぐ。


「それも、いつ終わるかも分からない終天の中で――……」



 三人はレイブンを愁い、まるで喪に服すかのように俯いてしまう。





 シルエラが重い口を開き、暗き静寂に一筋の灯りを灯す。



「レイブン……あの人、中庭でも体調を崩して倒れそうになっていました。もしかして、彼の体調が思わしくないのは――」


 その可能性を示唆されたエステラとゼノヴィアは、そうあってほしくないという願いと共に、こう答えた。


「――力を得た代償。レイブン卿は勇者15人を、たった1人で殲滅させようとしています。その力がどれほど強大なものか、想像に難くありません。

 それによって生み出される膨大な負荷が、彼の精神や身体を蝕んでいても、なんら不思議ではないでしょう。もしかしたらすでに、限界を越えている可能性も否定できません」


 エステラの言葉に付け足すように、ゼノヴィアはこう言葉を繋げる。


「それに、レイブンが倒れる前に言っていた、“彼ら”というのも気になる。話しの筋から見て、こちらの世界に零戦の弾薬や燃料を輸送した、協力者なんだろうが……」


 シルエラはレイブンが倒れる前の言葉を振り返りつつ、眉間にシワを寄せて呟く。


「レイブンのいた世界すら上回る、高度なテクノロジーを持つ“彼ら”ビジター。ビジターとはいったい……何者なのかしら?」



          ◇



 地下迷宮 物資回収地点。


 レイブンは馬から降りると、その馬の尻を3回叩いた。これは馬だけを前線基地に戻す際の合図だ。長期偵察などの際、馬を同行できない場合がある。そういった必要性に押され、ダークエルフは馬だけを最寄りの前線基地に戻す訓練を、すべての馬に仕込んでいたのだ。

 訓練通り、馬は大砦に向かって走り去って行った。


 レイブンは隠し部屋こと、物資回収地点の前に立つ。

 周囲にはゼノヴィアが拳で打ち砕いた小さな破片が転がっていた。室内に散乱していた大きな破片は、搬送の邪魔になるため通路の壁際へどかされていた。その中には、目印の蛍光塗料が付いたものがある。


 レイブンは懐中時計を取り出す。その蓋を開けると同時に、レイブンの周囲に無数の文字や図形が浮かび上がった。


 それを見ることができるのは、レイブンただ一人だ。


 レイブンが手にしているのは、単なる懐中時計ではない。ユビキタス・インタフェースの粋を結集させた高機能端末デバイスである。

 そして、その情報をレイブンの脳内へリンクアップしているのが、彼のかけているメガネだ。必要に応じて拡張現実AR仮想現実BRといったフィルターを重ねるだけでなく、あらゆる戦術情報を共有し、脳に直接映像として表示する究極端末ウルテク・デバイスだ。そのため周囲に漂う立体映像ホログラムは、他の者には見えない。


 レイブンはメガネ介し送られてきた情報を確認する。文字とも紋様ともとれる文字が周囲を走り、その中で一際大きく表示されたグラフの波形が次第に乱れ始める。最初グリーンだった波形がある閾値へと達し、臨界点イエローラインを越えた。すると警告音が鳴り、グラフが真っ赤に染まった。


 その瞬間、隠し部屋の端に置かれていた4つの三脚――その最上部に設置されている板状の物体が、眩い光を放ち始める。


 時空転移装置。


 部屋の端に置かれていた4つの板状の物体は、異なる世界の時空を繋げ、別の世界との架け橋を創る装置だった。



 光が止むと同時に、なにもなかったはずの部屋の中央部に、オリーブドラブ色のケースが忽然と姿を表わす。レイブンがバルド戦に多用したHK51B。それを収めていた軍用ガンケースと同じものだが、こちらのほうが大きく、長方形だった。


 レイブンは懐中時計をジャケット裏に戻しながら、部屋の中へ入って行く。そしてなんの躊躇いもなくケースを開けると、慣れた手つきで分解されていたパーツを組み立て始める。組み上がったそれは、レイブンがこの日のために開発した、対勇者用コンバットライフルだった。


 『レイジングウルフ』


 独自の反動吸収機能を持つサブマシンガン、クリス・ヴェクターをベースに、銃身を対物ライフル並みの長さまで延長。50口径の弾丸を発射できるよう再設計・カスタマイズされたハイテク狙撃銃だ。

 弾薬はHK51Bの7.62×51NATO弾を越える、大口径の.50ベオウルフを使用。確実に息の根を止める事のみを追求し、凶悪なまでに洗練された 対人狙撃銃ディフィートライフルだった。


 レイブンはレイジングウルフのレシーバー下部に、マガジンを装填する。そしてレイジングウルフと同じように、異世界から送られてきたケースを開け、様々な弾薬や消耗品を補給した。


 レイブンは決戦の準備を完了させると、部屋の外へ出る。部屋の外に出るやいなや、彼は虚空に向かって言葉を投げかけた。




「そろそろ、来る頃だと思っていました」




 その言葉に導かれるように、暗闇から一人の男が現れる。



 頭にハットを被り、レイブンと同じフォーマルスーツを身に纏った、黒人の男性だった。

 黒人の男は、感情の篭っていない無機質な声で返答する



「それは違う。思っていたではなく、すでに知っていた、、、、、、、、と言うべきだ」



 レイブンも言動が淡々としているが、黒人の男の言動はさらに異様だ。すべての感情を除外した、機械にように言葉を発しているのである。

 そしてレイブンを見る視線も異質だ。とても彼を見ているように見えない。まるで自閉症のような視線――対象の奥にある別のなにかを見ているような目つきだった。


 スーツ姿の黒人は頭に被っていたハットを外しながら、無感情な言葉で驚嘆する。



「まさか自力でリミッターを解除とは。認識を再度、改める必要があるな」



 レイブンはその言葉を皮肉で打ち返した。



「貴方達も言っていたでしょう。『レイブンは規格外イレギュラーだ』と。」


「我々に反旗を翻すつもりか」


「まさか。これは戦況悪化に伴い、機能拡張を行っただけのこと。なにも問題はありません」


「――いいや、問題ならはるはずだ。それは今、君の頭の中で起きている」



 黒人の男はそう言うと、自分の頭に指を置き、トントンと叩く。


 彼はもうすべてを知っている。やはり誤魔化すのは無理だ。レイブンは偽るのを止め、自信あり気に断言した。



「耐えて見せます」


「無理だ。その機能をオミットしたのは、我々の技術が君の世界に漏洩するのを、防ぐためではない。そもそも君も言っていただろう? 『技術の独占は夢物語に過ぎない』と。いずれテクノロジーが進歩すれば、君の世界でもそれと似たものが開発されるだろう。――従って。我々が、その機能を隠す必要はない。機能を除外したのには、他に理由があるからだ」



 レイブンは顔を横に振る。


劣化版ダウングレードでは駄目なのです。私はフルスペックを必要としています。どうしても正規版以上の性能が必要なのです」


「フルスペックでは、君の脳が負荷に耐えられない。レイブン、君と我々は同じであるが、違うのだ」


「同じであるが違う……まるで哲学ですね。ではなぜビジターに使用できて、私に使うことができないのです?」


「君にあって、我々にないもの――感情だよ。感情がデバイスに干渉し、デバイスが常時トラッキングエラーを算出し続けているのだ。最初はシステムの誤差修正プログラムで対処できたが、次第にエラーが細菌のように増殖を始め、脳を冒していく。君の脳は、膨大な情報を処理できず悲鳴を上げているのだ。今、君が蝕まれている感受性の欠如と、頭痛がその初期症状だ」


「どうすれば、この症状を改善できるのです?」


「最適な手段は、根本原因の排除。――デバイスを使わないことだ」


 黒人の男性は、そう言いながら手を差し出した。それは「装備をこちらに渡して欲しい」という意思表示だった。


 レイブンは顔を横に振り、デバイスの返還を拒否する。


「それだけはできない。なにがあっても、絶対に」


「だがそのままでは脳が耐えられない。君の感情や意志さえも消し去れられてしまうぞ」


「生きながらにして消える……か。廃人化も覚悟のうえです。その危険を冒すだけの価値は大いにある」


「勝ちたいのは分かる。だが勇者を斃す前に、君が死んでは意味がない。違うか?」


「目的は忘れていない。ただ、勝利への方程式をより確固たる完全なものにしたい」


「演算によって約束された結末、“完全なる勝利への方程式”……か。それは無理だ。君にも、我々にもね」


「そんなはずはない。観測者であるビジターは、事象のすべてを把握しているはず――」


「それは誤りだ。我々は進化の過程で感情を切り離した。これは、人と人との衝突を避けるためだけではない。論理的に考え、もっとも最適な効率で物事や社会を運用するためだ。そして私のような存在にとって、これは無くては成らないものとなった。なぜなら感情を切り離した事により、理論上、観測する対象への影響を、ゼロにする事が可能になったからだ」



それを聞いたレイブンは、自分の世界で行われたある実験を思い出す。よくSF小説で用いられる事例だ。



「観察者効果。いえこの場合、量子力学における二重スリット実験が、一番的確でしょう。観測するという行為自体が、観測対象に影響を与えてしまう現象ですね」


「二重スリット実験。君たちの世界における考え方では、それがかなり近いと言える。感情を切り離した事により、我々の世界での理論上、観測対象に影響を与えることなく、純粋な形で見る事が可能になった ――はずだった。だがすべての感情を外しても、完全な状態での観測は不可能、、、、、、、、、、、、、。その結論へと、我々は辿り着いてしまった……」



「高度なテクノロジーを持つビジターでさえ、その域に踏み込めなかった」



 黒人の男は地下迷宮の天井に視線を向ける。いや、天井の奥にある夜空を見上げていた。



「純粋なる事象の観測。そして自らを次の段階へと進化させるために、我々ビジターは感情を放棄した。皮肉にも、それが完全な観測への道筋を閉ざすばかりでなく、進化の道筋を断ち切る形となってしまったのだ。

―― 一度零れた水は、もうコップには戻らない。

 感情のない我々に、感情の本質的な部分を理解できるはずがなく、感情を取り戻すにはあまりにも手遅れだった。だからこそ私は、進化の過程で遺棄した感情を研究し、完全な状態での観測を成功させようとしている。そして上層部と私は、君に、この現状を是正するなんらかの鍵があると認識しているのだ」



 黒人の男はレイブンに視線を移す。



「では今度は、私が質問する番だ」


 その言葉にレイブンは傾聴の姿勢を見せる。それを確認した黒人の男性は、思いの内を語った。


「レイブン。君は言っていたな。あの勇者達と自分は同じであると」


「あぁ。私はかつて彼らと同じ過ちを犯し、倒錯と倦怠の海に沈んでしまった。だから自分の事をそう言ったんだ」


「純粋な観測者として述べさせてもらう。その評価は誤りだ」


「誤り? なぜそう言い切れるのです?」


「勇者達は蛮行を喜びとして捉え、君は後悔として捉えている。そして君は、その罪から真正面から向き合い、償おうとしている。それも自分の精神を破壊してまで……」



 レイブンは淋しげな表情で、ボソリと呟いた。



「悪いことをしたんだ。こうして身を焼かれる程苦むのは、当然の報いさ」


「報い……か。興味深い解答だ」


「そんな私を、彼女達は受け入れてくれた。だから私は心に誓ったんだ、『命に変えてでも、彼女達を守ろう』と。

 例え心や肉体がバラバラになろうとも、自分という存在がズタズタに斬り裂かれてようが、何回斃れようが関係ありません。何度でも這い上がり、あらゆる恐怖を捻じ伏せて戦います。すべては彼女達の想いに、報いるために……」




 その覚悟を聞き届けた黒人は、レイブンにあるものを投げ渡す。


 レイブンは片手をかざし、投げ渡された物を掴んだ。




「懐中時計? これは――」


劣化版ダウングレードではない。君専用にチューンアップした特注品オーダーメイドだ。我々の使用している物に比べれば性能は劣るが、少なくとも今の状態を大幅に改善できる。――だが忘れるな。それでも過酷には変わりないという事を」


「すまない。なにからなにまで世話になってばかりなのに……」


「それに関して気に病む必要はない。感情ゆえの行動。論理ではなく感情に則った行動パターンは、非常に興味深いものがある。それに言ったはずだ、君は我々の進化の道筋を照らす、鍵であると」


「鍵……か。それでは、私を今まで支援してくれた御礼として、オーディエンスの方々には楽しんでもらわないと、いけませんね」



 レイブンはそう告げると、今まで使っていた懐中時計を投げ返した。


 黒人の男は投げられた懐中時計を手にしながら、機械的な口調で感心する。



「この状況でユーモアを口にできるとは、驚きだ」


 レイブンは受け取った懐中時計を揺らしながら、笑顔でこう答えた。


「勝てる自信がありますから。なにせこれまでとは状況が一切異なります。もう二度と、敗北することはありません」


「こういった時に、こういうセリフを口にすべきなのだろうな」


「セリフ?」


「レイブン。『因縁にケリをつけ来い』」


 まるでハリウッド映画に習ったようなセリフに、レイブンは思わずニヒルな笑みでニヤついてしまう。それはビジターに似つかわしくない、感情的なセリフだったからだ。



「今まで聞いた中で、最高にクールなセリフですよ……ゼロ」


「 “ゼロ”。これはそのパーソナルネームを貰った、せめてもの礼だ」



 黒人の観測者ビジター、ゼロはその言葉を言い残し、光と共に忽然と姿を消した。


 残されたレイブンは、この世界を後にしたゼロに向け、礼を告げた。




「礼を言いたいのはこちらのほうです。奴らを斃せる力を、授けてくれたのですから……」




 レイブンは手の中にある懐中時計を、強く握りしめた。



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