第16話『魔王とユーミル』





――魔法都市 アルトアイゼン

    アイゼルネ・ユングフラウ城 謁見の間


 王座に腰掛けたガレオンが、威風堂々の面持ちでゴボラから報告を受け取る。本来騎士団長のエレナや王の副官・侍従武官などが立ち会うのだが、出払っているため王一人だけだった。


 ゴボラは赤いカーペットに立膝を付き、ダークエルフからの報告を魔王に伝えている。


「――そして現在、ミューリッツ湖に大量の竜騎兵が飛来しているとのこと。尚、エストバキアの騎士大隊がすでに出陣し、ミューリッツ湖の部隊と合流を図ろうとしています。もはや戦争は避けられぬかと」


「エストバキアが動いたか。ちょうどいい、むざむざ殺されに来るとは愚かな奴らよ。娘の仇、ここで討たせてもらう」


 魔王ガレオンが出陣のため立ち上がった。

 側に仕えていた従者が台座から剣と盾を持ち出し、魔王に差し出そうとする。だがゴボラが「早まるな! 下がれ!」と視線で圧力をかける。従者はその威圧に押され、持ちだそうとしていた剣と盾を台座に戻し、定位置へと戻った。


 出陣を邪魔されたガレオンは、仁王立ちのままゴボラを睨む。禍々しい兜の奥にある赤い瞳――返り血でも浴びたかのようなまなこが、殺意の色に彩られていたのだ。



「ゴボラ、なんの真似だ?」



 ゴボラは具申する。


「陛下、何卒お待ちください。娘の仇を打ちたいお気持ち、重々承知しております。あなたが竜騎士として出陣すれば、騎士たちの士気は大いに漲るでしょう。――ですがあなたは、国と国民の命を預かる身。万が一の事があれば――」


「万が一だと? ゴボラ、俺を誰だと思っている?」


「まさか暗黒騎士、騎士団長ガレオンを再び名乗る気ですかな? あなたはもう一概の兵士でも騎士ではなく、一国を預かる魔王なのですぞ。皇帝から授かったこの魔法都市アルトアイゼンと、そこに暮らす国民を守るのが責務のはず。それを放棄するおつもりで?」


「公私混同していると言うのか。フンッ、ずいぶんとバカにされたものだ……。国民が敬愛し、女神のように瞻仰されていた我が娘――エリス。その仇を討とうとしない王を、国民が歯がゆい気持ちで見ているとは思わんか?

 今こそ、国民をその苦しみから解き放ってやりたいのだ。俺は亡き娘のためでも、屈辱を晴らすために出陣するのでもない。娘を愛し、そして娘を愛してくれた国民の願いを、なんとしても叶えてやりたいのだ」


「――陛下。その国民を想うその御気持ち、感服いたします。ですが貴方を戦場に引きずり出し、その首を刎ねるのがエストバキアの狙いなのです。大事なのは仇を討つことではありません、エストバキアとの戦争に勝利すること――違いますかな?」


「……」


 魔王ガレオンは王座の前に立ち、無言でゴボラを見据える。

 ゴボラはその剣幕に屈することなく、より一層強く声を上げ、魔王を説得した。


「エリスに剣を振り上げたエストバキアに勝利するだけでも、国民の喜びにうち震えるでしょう。先の大戦以降、念願だった勝利を手に入れ、エリス殿下のために一矢報いることができるのですから。――ですがもし仮に、陛下が戦場へと赴き、もしもの事があれば……」


 ゴボラはあえてそれ以上は語らない。縁起でもないというのもあるが、ガレオンにその光景を想像してほしかったのだ。


 魔王が討ち取られた行く末が、どうなるのかを――。



「お願いです陛下! どうか不肖ゴボラに、この戦、任せてはもらえぬでしょうか。必ずや、雪辱を晴らしてご覧にいれましょう」


「俺の代わりに、罠に飛び込むというのか?」


 ゴボラは死を覚悟した瞳で頷く。


 一度は立ち上がったガレオンではあったが、己の命すら捧げようとするゴボラを前に、再び王座に腰を下ろした。そして瞠目した口調でゴボラを称える。


「かつて皇帝の軍師として仕え、卓越した頭脳で地上の者を震え上がらせた名将。やはりお前には……叶わぬな」


「滅相もありません。私が魔界に帰還しなかったのは、勝利を手にすることのできなかった、自身への戒めのため。真の名将・軍師と呼ばれる者は、敗北することなく、国を勝利へと導く者でございます。

 それができなかった私は、もはや名将でも軍師でもないのです。陛下のために仕える、ただの宮宰でございます」


 ゴボラは淋しげな口調でそう告げると、出撃のため謁見の間を後にしようとする。だが立ち去ろうとする彼を、魔王が呼び止めた。



「待て、ゴボラ」



 魔王ガレオンは王座から立ち上がると、ゴボラの元へと歩む。そして腰に下げていた一振りの短刀を差し出した。

 ゴボラは進呈された剣を受け取りつつ、注意深くそれに視線を注ぐ。


 白を主体としたカラーリングに、豪華さを際立たせる金のエングレーブが施されている。金色の鍔の中心部には、マーキーズカットで磨き上げられた、天空石が煌めいていた。

 とても魔王ガレオンが好むような剣でもなければ、アルトアイゼンで作られたものではない。


「まさかこれはエストバキアの剣? 陛下がどうしてこれを?」


「王女イレーヌが持っていた護身用の剣だ。娘を亡き者にした騎士に突き立てるため、今まで棄てず、こうして懐に忍ばせていたのだ。

 その短刀、お前にくれてやる。

 必ずや雪辱を晴らし、勝利と共に凱旋しろ! 我々に勝てると驕り高ぶるエストバキアに! 魔族の恐ろしさを存分に刻みこんでやるのだ!!」


 魔王の想いに報いるため、ゴボラは毅然とした態度で応える。


「ハハッ! 宮宰ゴボラ! 必ずや! 勝利を手にしてご覧にいれましょう!!」



 ゴボラは出撃のため、謁見の間を後にした。





 広々とした謁見の間は静寂に包まれる。


 しばらくして重厚なドアが開き、その隙間からひょこっと、少女が顔を覗かせた。



「ガレオン、ちょっとお時間頂いてもよろしいかしら?」



 レイブンが連れてきた少女、ユーミルだ。彼女はジェスチャーと目配せのみで『二人だけで話したい内密な話があるの』と語りかける。


 その姿を見たガレオンは、謁見の間にいた近衛兵や側近に下がるよう命ずる。


 魔王の命令は絶対だ。

 一概の家来が、それに逆らうことは許されない。断じて――、


 だが従者や近衛兵達は皆一同に『人間の少女相手になぜ?』と、疑問を抱く。だが質問することは許されていない。彼女達は疑問を胸に、謁見の間から退場していった。


 ユーミルは従者達が去った後も、その気配が完全に消えるのを待つ。


 そして完全に二人きりになったのを確認すると、ユーミルから沈黙を破る。彼女はガレオンのいる王座へ歩みながら、外交問題を切り出したのだ。



「ついに戦争が始まったわね。ほんと、あの子は驚かされてばかりね。まるで神が遣わせた使徒か聖人よ」



 魔王は王座から立ち上がると、階段を下り、ユーミルに対して最大限の敬意を払うため、膝をつき、ユーミルに深々と頭を下げたのだ。立場は逆になったが、それはゴボラがガレオンにしたのと同じ光景だった。


――魔王が少女一人に対し、まるで屈したかのように頭を下げる。

 それは前代未聞の光景だ。


 もしこれを側近たちに見られれば、ユーミルは尋問官のお世話になるばかりか、ガレオンもなぜそのような事をしたのか説明責任が生じる。納得した説明ができない場合、魔王に不信感を抱く者も出てくるだろう。

 もちろんこの場にいるのはガレオンとユーミルのみであり、他の視線に憚れることはない。だからこそ魔王ガレオンは、ユーミルに心からの敬意をはらうのだ。


 魔王とは思えない紳士な口調で、ガレオンは感謝の言葉を述べる。



「この度は魔法都市 アルトアイゼンのためにご足労頂き、恐悦至極。御挨拶遅れました、私の名は――」



 ユーミルは優しげな微笑みを浮かべ、ガレオンの言葉をそっと止めた。



「いいのよ、そんなに畏まらなくても。お互い数奇な運命の名の下、あの子に助けられた身。二人きりの時は堅っ苦しいの抜きにして、仲良くしましょ。ね?」


「あの子……そのあの子というのは、勇者レイブンのことですか?」


「うふふ。他にあなたを助けた人、いないでしょ?」


 ユーミルは「おかしなこと言うのね」と笑った。


「それにしても魔王ガレオン。あなたも人が悪いわ。レイブンの力を試すために、『ドラゴンの封印を解いて討伐せよ』ですって? ずいぶんと、勇者に無理難題を押し付けたものね。下手したら死んでたわよ」


「実はその命は私ではなく、勇者レイブンから要求されたものです。エストバキアとの戦争に勝利するには、それしかないと――」


 それを聞いたユーミルは、ほっぺをぷぅ~と膨らまし御機嫌斜めになってすまう。


「あらあら、レイブンったら大嘘つきね。あの子『私の力量を測るのに、このぐらいが適切と判断されたのでしょう』とか言ってたわ。 んもう! 本当に人が悪かったのは彼だったのね。帰って来たらアレコレお仕置きしちゃうんだから!」


 プンスカ怒るユーミルを宥めるように、ガレオンは彼女の体を気遣った。


「お体の具合はいかがですか? まだ慣れていのいのでは?」


「良好よ。レイブンの解呪はこっちが驚かされるものだったわ。あの状況下で何重にも掛けられた封印魔法を、すべて破壊するだなんて……ほんと、呆れるくらいデタラメな男ね」


「私も本当に可能なのかと尋ねたところ、『練習を積んだから大丈夫』と言われました」


「“練習”……か。彼が言うと、その言葉も重く感じるわね」


 


「不束ながらお尋ねしたいのですが、彼の言っていたことは果たして、本当なのでしょうか?」


「あら? 今まで彼のこと疑ってたの?」


「いえ、そういうことではないのですが……やはりどうしても、にわかには信じ難い話でしたので。是非とも、貴女の見解をお聞かせ願いたいのです」


 ユーミルは「そうねぇ」と呟くと、魔王に背を見せた。


「ま。無理もないわね。彼からいろいろと説明してもらったけど、私でさえ未だに信じきれていないもの。そもそもそれを立証しようにも、到底不可能な話だし――」



 魔王に背を見せていたユーミルがステップを踏み、華麗にターンする。


 くるりと回る際、スカートが花弁のようにフワりと開く。隠されていた無垢な素脚が、束の間露わになる。長い髪が美しく靡き、光に反射するその姿は、燦爛の美少女と呼ぶ他ない。


 スカートが重力に引かれてしぼむと同時に、ユーミルは人差し指を立て、弟に教えを説く姉のような口調を振る舞った。



「――でも仮に、彼の言葉が本当だとしたらどうかしら? レイブンがこの世界の事を隅々まで熟知しているのも、納得できると思わない?

 魔王ガレオン。だからこそあなたは、“あの時”救われることができた。違って?」



 魔王ガレオンは、ユーミルの言っていた“あの時”を思い出す。


 それは勇者レイブンを召喚中に起こった予期せぬ出来事アクシデントのことだ。


 彼女の言う通り、レイブンはすべてを知っていた――だからこそ、邂逅時にも関わらず、適確な動きを見せ、問題に対処することができた。

 事前になにが起こるのか、魔王達がどういう状況下に置かれているのかを把握していなければ、とてもではないが実行できるものではない。


疑う余地のない事実。――それは同時に、レイブンの言葉に嘘偽りがないことを物語っていた。



 レイブンに命を救われたガレオンは、改めて、彼に感謝する。そして置かれている境遇に深く同情し、沈痛な面持ちで想いを語った。



「レイブン……彼は煉獄という呪縛に囚われ、今もそこで苦しみ続けているというのか……」


「だからこそ、私達がいるのでしょ」


「?」


「鈍い子。今日ここで、レイブンの呪縛を断ち切ってあげるのよ。それが、彼に命を救われた私達の成すべきことよ。じゃないと……」



 今まで明るかったユーミルの声色が、曇天のように一気に沈む。



「――彼、壊れてしまうわ」




           ◇



 激しい目眩に意識は朦朧となり、追い打ちをかけるように頭痛が襲う。


 レイブンは人気のない通路へと、転がり込むように逃げ込んだ。そして蝕んでくる激痛と抗い、苦む。



「ぐぎ……グッ……ガハッ! ガハッ!!」



 歯にヒビが入るほど食い縛り、レイブンは激痛の奔流に逆らい続けた。


 もっとも実際は数秒たらずの苦しみだが、それを味わうレイブンにとっては、ともじゃないがそれほど短く感じない。まるで永遠に続くかのような拷問だ。


 頭痛だけならまだマシである。

 その苦しみに加え、幻覚や幻聴がレイブンの心を抉るのだ。それはどれも酷く、凄惨で、救いようのないものばかりだった。


 レイブンはこれが幻覚か現実なのか、判らなくなる。


 混濁した意識の中で気を失いかけたその時、誰かが、レイブンに手を差し出したのだ。

 レイブンは藁にも縋る思いで、その腕を伸ばす。差し伸ばされた手を掴んだ途端、レイブンは無理矢理立たされた。




「よう! 魔族の勇者ちゃん! 御機嫌いかが~? ヒャヒャヒャヒャヒャ!!」




 虫唾の走る下品な声。レイブンの背筋を、例えようのない恐怖と悪寒が襲う。

 手を差し伸べたのはシルエラでも、ゼノヴィアでもない。エストバキアの勇者――衝撃のダエルだったのだ。


「くそ!!」


 レイブンはダエルの手を振り払い、懐のSAAを抜こうとする。だが彼の指が硬いものに当たり、阻害された。邪魔をしたのは鎧の胸当てブレストプレートだった。

 レイブンはフォーマルスーツでなく、いつの間にかガレオンの鎧を身に纏っていたのだ。

 着替えた覚えのないレイブンは、何が起こったのか分からず困惑する。


(なぜ俺が、魔王の鎧を着てるんだ?!!)


 だが戸惑っている時間はない、レイブンは武器を探す。すると背中になにか背負っている、懐かしい感覚を見つけ出した。


(――カインフェルノ!)


 レイブンは背中に手を伸ばし、鞘からカインフェルノを引き抜く。レイブンの直感はやはり当たっていた――彼が背中に背負っていたのは、慣れ親しんだ相棒、魔剣カインフェルノだった。


 レイブンは剣先を向け、魔導機関を作動させようとするのが、それができない。あるべきはずの魔導機関が搭載されてなかったのだ。


「なっ?!」


 ダエルはもたついているレイブンを、ケラケラと嘲笑う。


「ハハハハハッ! おいおいおいおい、さっきっからなにしてんだよ。もしかして素人か? それとも俺様を目の前にして、ガチでブルってんのかぁ? 攻撃して来ないのなら、こっちから行くぜぇ!」


 ダエルは鞘からエリアスの聖剣を引き抜く。そして甲高い共鳴音を響かせながら、素早い動作で斬りかかって来た。

 レイブンは咄嗟にカインフェルノで受け止める。まるでチェーンソーとスチールブレードが衝突したかのように、派手な火花が飛び散り、レイブンの方向に降り注いだ。


 レイブンとダエルは鍔迫り合いになり、力任せに剣を押し合う。



「そらそらそらァ!! どうしたどうした! そんなんで俺に勝てると思ってんのか? 自惚れてんじゃねぇよザコが!!」



 ダエルは蹴りでレイブンとの距離を強引に離す。それもただの蹴りではない――お得意の衝撃魔法を足の裏に展開させ、それをレイブンの腹で炸裂させたのだ。


「グハッ!!!」


 レイブンは血反吐を吐きながら石畳の上を転がる。そんなレイブンに容赦なく振りかかる。


――雷撃。

   ――氷。

     ――――そして炎。


 ありとあらゆる方向から、バリエーション豊かな魔法攻撃に襲われたのだ。それはダエルが繰り出したものではない。いつの間にかレイブンを包囲していた、ダエルの取り巻き連中のものだ。

 最初の雷撃はカインフェルノで防げたが、レイブンは氷撃に呑まれ、脚が石畳に固定されてしまう。

 身動きの取れないレイブン。彼はそのまま炎の渦に呑まれてしまう。だが無傷だった。レイブンは炎撃が放たれた方向へと手をかざし、魔法攻撃を無力化したのだ。


 強制解呪スペルブレイカー


 レイブンがこの世界に召喚される際に授けられた、特殊能力である。


 この世界に出力された魔法構造を瞬時に読み取り、無力化。もしくは無害な物質へと変化させる防御魔法だ。

 炎撃魔法の場合、魔法によって生成された魔力を燃料物とし、それに大気中の酸素と熱を加えることによって炎を生み出している。

 レイブンはスペルブレイカーを用い、炎を構成する3つの連鎖化学反応を分解――無害な熱、酸素、魔力へと戻したのだ。


 炎を掻き消したレイブンが叫ぶ。


「この程度がなんだ! どうと言う事ない!」


「おっと。そいつはどうかな?」


 レイブンの背後でダエルが囁く。一連の魔法攻撃は、肉薄するための囮だったのだ。

 レイブンはスペルブレイカーで脚の氷を溶かす。そして後ろを振り返りつつ、ダエルが繰り出すであろう剣撃から身を防ごうとした。レイブンの直感は正しく、今まさにダエルの剣が振り下ろされる瞬間だった。


 魔剣と聖剣が交差する。今までにない凄まじい火花が飛び散り、金属の崩壊音が木霊した。


 魔剣カインフェルノが、聖剣によって砕かれたのだ。


 カインフェルノは見るも無惨に折れ、剣先が宙を舞う。


 レイブンはこの光景にデジャヴ感を覚えたが、その考えはすぐに消え去った。防御しきれなかった聖剣の剣筋が、レイブンの手首を捉えたのだ。手首を切断された耐え難い激痛が、レイブンを襲う。




「うあ? うああああ?!

     ぐああぁああぁあぁあああ―――――ッ!!」




 レイブンは切断された手首を押さえながら、悲鳴を上げた。動脈が切断され、心臓の鼓動と合わせて血がドバドバと噴出す。石畳が鮮血に染まり、辺り一面が鉄の臭いに包まれた。


 その悲鳴に触発されたように、少年たちの下劣な歓声が湧き上がる。まるで動物かなにかの獲物を仕留めたかのように――。


 少年たちが苦しむレイブンに声をかける。それは優しさのない、残酷な言葉だった。


 少年の一人が切断された手をつまみ上げる。それをぷらぷらと振りながらレイブンにこう言った。



「どうしたんだい魔王の勇者様! お困りかぁ? なんならこの “手”を貸してやろうか? ハハハハハ!」


「大事なお手々が無くなったんだ、もう夜に一人で愉しむことできねぇなァ! アヒャハハハッ!」


「弱っ! 超弱! ウケるわ~、なんなのマジで! なんのために産まれてきたの? あまりにも弱すぎて、すんげぇ笑えてくるんですけど」



 痛みにもがき苦しむレイブンに、非情な言葉が投げつけられる。


 そんな彼に、同情の言葉を投げかける者がいた。勇者ダエルだ。



「お前らひでぇ野郎だ。そもそも俺らが強すぎんだよ。そう勇者様を責めんなって。ほんと……俺、感動しちまったよ! 見ろよ! こんなになるまで戦ってよぉ! 俺……涙で……ぐずっ、涙で前が見えなくなっちまったよぉ~」


 ダエルの言葉に、彼の仲間たちも顔を俯かせ、ぐずりながら同じような言葉を並べ立てた。


「ほんと感動するよなァ! グズッ、弱いのに……勇気をふりしぼってよぉ! 偉いよお前!」


「まったくザコのくせにむちゃしやがって! 弱いんなら弱いって言ってくれよ! そしたら俺TUEEEしないで、ちゃんと手加減してやったのによ!」


「あぁまったくだ! 俺らみたいな心の優しい勇者はいないんだぞ! プッ! クククク、アハハハ! ハハハハハハ! ハハハハハ!」



 一人が演技に耐え切れずに笑ってしまう。それに釣られ、俯いていたダエル達も腹を抱えて笑い出す。



「お前マジふざけんなよ! 感動的なシーンが台無しじゃねぇかよ!」


「わりぃわりぃ! つーか自分で『心優しい勇者』って言って笑っちったよ!」


「ハァ? なに言ってんだ、俺らちょー優しいじゃん! 老人とか使いもんにならねぇのは殺すけど、女子供は殺さないだろ?」 


「そうそう。とくに若い女は丁重に扱ってるもんな。みんな俺らに、腰振りながら感謝してるぜ。なんせ女に生まれた喜びを、十分堪能できるんだからよぉ! ヒャハハハハッ!」


 ダエルはふとレイブンに視線を向けた。


 レイブンは失血性ショックで虫の息だった。いや、生きているのが不思議なほど、出血によって体力を奪われていた。無理もない。今も傷口から出血しており顔面蒼白。その目に生気はなく虚ろで、傷口を庇うように蹲り、横たわっている。


「つーかさぁ、おい。勝手に死んでんじゃねぇよ。お前もちょっとは会話に参加しろや!」


 ダエルそう言いながら、まるで当たり前のようにレイブンの腕を斬り落とした。

 レイブンはスイッチが入った人形のように目をカッと見開き、断末魔を上げる。




「ぎゃあああああああぁあぁああぁあああ!!!」




 満身創痍にも関わらず、レイブンは腹の底から絞り出すように悲鳴を上げる。

 ダエルは「じゃあ後はみんなで楽しみな」と告げ、後始末をするよう指示を出す。その去り際、レイブンにこんな言葉を投げかけた。



「エレナとシルエラだっけ? あの二人最高に気に入ったわ! あぁいう気丈な女。プライド折りがいあって最高に楽しいぜ! お前の代わりに、た~っぷりと愉しんでやんよ!」



 レイブンは「やめろ! 頼むからやめてくれ!」と叫びたかった。だがレイブンにはもう叫ぶ力すら残っていなかった。レイブンは少年達のから逃れるため、床を這い、逃げようとする。

 だが逃げ切れるはずがなく、彼の背中に様々な言葉が浴びせられた。



「ハハハ! おい見てみろよ! コイツまるでゴキブリじゃんか!」


「ゴキブリ? ヤベッ! そんじゃあ駆除しねぇとな! 1匹見ると30匹っと言うもんな!」


「さんせーッ! んじゃあとっとと、ブッ殺しますか!」



 少年たちは手持ちの武器えものをゆっくりと、まるで焦らすかのように振り上げられる。ウォーハンマー。モーニングサン。ショーテル……。


 それらの武器が、レイブン目掛けて一気に振り下ろされた。




          ◆




「レイブン! おいしっかりしろ! いったいどうしちまったんだよ! レイブン! レイブン!」


 女性の声が鼓膜を震わす。


 レイブンは体を揺すられ、意識を覚醒させられた。



「ハッ!!!」



 彼は目を見開き、周囲を確認する。


 レイブンの周囲には、心配そうな表情で見守る、ゼノヴィアとシルエラ、エステラ達がいた。そこは地下宮殿タルヌングフェーニクス内にある、円卓の間だった。


 レイブンはダエルに切断されたはずの手首を確認する。手首は何事もなかったかのように無傷だった。


「俺は……いったい」


「ビックリしたんだぞ。話している途中で、いきなり苦しみだしてぶっ倒れてよ! 死ぬんじゃないかと思って、本当に……マジで心配したぞ」


「倒れた? そうか、話している最中に……――ッ!! しまった! どのくらい気を失ってた?!」


 レイブンはそう尋ねるが、いきなりそんな事を訊かれて答えられるはずがない。

 レイブンは自分で調べたほうが早いと気付き、懐から懐中時計を取り出す。

 時間を確認したレイブンは、予期せぬタイムロスに眉を顰めた。


「くそっ! もうこんな時間か!!」


 レイブンはよろめきながら立ち上がる。シルエラとエステラが、辿々しく立ち上がろうとするレイブンに、素早く手を貸した。危うく倒れそうになった彼を、間一髪で支える。


 シルエラがそんなレイブンの身を案じた。


「レイブン! 早く救護室へ行きましょう! 目や鼻から血が出てるわ!」 


「いえ、その必要はありません。お気持ちだけで十分です」


 レイブンはシルエラの手を優しく振り解き、戦場へ向かおうとする。


 だがゼノヴィアがそれを止めようとした。とてもじゃないが、レイブンは戦える状態ではない。


「待てよレイブン! それ絶対に普通じゃない! 鼻や目から血が出てんだぞ! つーかそんな体で戦う気かよ!! そんなの無茶だ!!」


 レイブンは指で血を拭いながら、ゼノヴィアの制止を振り切る。


「問題ありません。このまま、タイムテーブルは回します」


「でもよぉ!」


「……ゼノヴィア。他になにか? 私はこれ以上、不必要なタイムロスを避けたいのですが」


 今までゼノヴィア達に見せたことのない、底知れぬ怒りを宿した瞳。――レイブンは憎悪の鎧を身に纏い、円卓の間を後にした。


 誰も、それ以上彼を止めようとはしなかった。いや、止めたくても止めることができなかったのである。



『これ以上 俺の邪魔をするな』



 戦場へ向かうレイブンの背中が、彼女達にそう告げていたのだ。

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