第6話『ダンジョンを護りし者』





「うぅ…………。――ッ!」



 エレナの意識が覚醒し、大きく目を見開く。仰向けの状態から急いで飛び起きると、周囲の状況を確認した。

 近くには地下水脈が流れており、心を落ち着かせるせせらぎが聞こえる。先程呑まれた濁流との違いから、かなり川下に流されたことが分かった。


 流されたといっても、地下であることには変わりない。だが幸い、ここにも魔光石の鉱脈があり、灯りに困ることはなかった。


 エレナはさらに注意深く、周囲に目を配る。



「ん? あれは…………?! ゼノヴィア!」



 近くにはゼノヴィアが倒れていた。半身を川に浸かった状態で、川岸に浮いていたのだ。

 エレナはゼノヴィアへと駆け寄ると、彼女を急いで引き上げ、容態を確認する。


「ゼノヴィアしっかりしろ! ………クッ! ダメだ、息をしてしない!!」


 ゼノヴィアの脈はあるものの、呼吸をしていなかった。エレナは急いで人工呼吸を行う。幸いゼノヴィアすぐに息を吹き返し、意識を取り戻す。そして「なにするんだ!」と声を上げ、人工呼吸を行っていたエレナを押しやった。


 エレナはゼノヴィアから口を離し、彼女の体調を気遣う。


「ぷはっ! ゼノヴィア大丈夫か?」


「ケハッ! ケハッ! 大丈夫なんかじゃない! 今、俺になにをした!!」


 ゼノヴィアはそう言いながら、腕で必死に口を拭う、何度も拭うその姿は、まるで口に汚いものを押し付けられたかのような仕草である。


 エレナは「やれやれ」といった表情で肩をすくめ、ゼノヴィアにこう問いかけた。


「息をしていなかったから、私が人工呼吸をして助けたんだ。なんだ? 穏健派に助けられたのが、そんなに屈辱だったか?」


「じ、人工呼吸?! じゃあお、おお、俺の口にキスをしたのか!!」


「互いの口を付けなければ、人工呼吸はできないだろ。なんでそんなことを訊くんだ? まさかファーストキスは、愛する男とするはずだったとか言わんでくれよ」


 ゼノヴィアは涙を浮かべ、エレナに怒鳴り散らした。




「馬鹿野郎ぉ……赤ちゃんが……赤ちゃんできちゃうだろうがァ!」




 エレナは意味が分からず、頭の上に『?』マークを浮かべて困惑する。



「………。ん、ん?」



「なに首傾げてんだよムカつくなァ! キスしたら! 赤ちゃんできちゃうって知らねぇのかよ! てめぇ女なのに全然デリカシーのねぇのな! バカだな! バカ!」


 状況が飲み込めないエレナは、再度首を傾げて考察する。



(もしかして、これは私をバカにしているのか? いや、それにしてはゼノヴィアはえらく真剣だ。顔を真っ赤に染め上げ、涙まで流している。これはウソではなく……もしかして本気なのか?)



 エレナは「まさかそんなはずは」という半信半疑で、ゼノヴィアにこんな質問をしてみる。


「ゼノヴィア。念のため訊くが、子供はどうやってできると思う?」


「ぁあ?! んなもんキスに決まってんだろ! 口と口を付けると愛で妊娠すんだよ!! ガキのおめぇは知らねぇかもしんねぇだろうが、子供はそうやってできんだよバカ!!」


 『バカはお前だ』と言いたい衝動を抑えつつ、エレナはすべてを理解した。


 魔界では古来より、幼い子から『子供はどうやってできるの?』という問いかけに、『愛する人と一緒にいると、精霊がお腹の中に連れてきてくれるのよ』――という答えをするのが一般的だ。


 おそらくゼノヴィアの住む地方では、口づけとすると赤ちゃんができるという教えが浸透していたのだろう。そして信じられないことに、ゼノヴィアは未だその教えを信じているのだ。


 エレナは迷う、正確な子供の作り方を伝授しようかどうかを。

 だが混乱させてしまう可能性を考慮し、あえて、ゼノヴィアの信じる教えになぞり、間違った解釈を修正する。



「ゼノヴィア、女性同士のキスでは子供はできないんだ」



 それを聞いた途端、ゼノヴィアのしおれていた耳をピクッ!と起立させる。そして希望に満ちた眼差しで、エレナのことを見つめた。



「……え? それは……本当か? ウソじゃないよな! エレナの子供を産まずに済むんだな!」



「嘘なものか。女の子同士でキスをして子供ができるのなら、男なんていらなくなるだろ? 男と女でキスをするから、子供ができるんだ」


 それを聞いたゼノヴィアは心の底から安堵する。彼女はコシコシと涙を拭き、冷静さを取り戻した。そして取り乱したことによる気恥ずかしさからか、女の子のようにもじつく。



「そ、そうだったのか……。ま、まぁアレだ。うん、俺もカッとなって悪かったよ。実はその……恋愛とかの経験がないから、そういうこと全然知らなくて――じゃなくて! いいか! こ、このことは絶対に誰にも言うなよ! とくにアーシアに知られたら最悪だ!! もしてめぇが誰かにチクったら、ただじゃおかないんだからな!! 他の男さらって来て無理矢理キスさせっかんな!!!」



 穏健派であるエレナに弱みを握られた。そう思ったゼノヴィアは謝罪の途中からなぜか恫喝になる。恫喝といっても気恥ずかしさから弱々しいもので、とてもイニシアチブを握れるようなものではなかった。


 エレナは言い争いを避けるため、「騎士の名にかけて、そんなことはしない」と誓いを立てる。

 ゼノヴィアはそんな言葉が返ってくるとは思わず「お、おう。ならいいんだ」と意気消沈してしまった。


 騒動を収拾させたエレナは、川岸を眺めながらレイブンの姿を探す。


 だが彼の姿はどこにもない。


 唯一見つかったものは、レイブンが背負っていた、カインフェルノ用の大きな鞘だけだった。



 あの濁流の波に呑まれ、死んだのではないか?



 そんな想いが頭を過るが、エレナはなんの躊躇もなく否定することができた。心配どころか彼は、絶対に生きているという確証すら抱くことができる。

――理由は崩落の間際、グレイフィアに告げたあの言葉だ。

 まるで地面が崩落するのを予測し、誰が崩落に巻き込まれるのかさえも、すべて知っているような口調だった。


 不可解な点はそれだけに留まらない。


 なぜ、グレイフィアに竜騎兵の経験があることを、城内の内情に詳しくないはずのレイブンが知っていたのか。

 四天王のみならず、騎士団長のエレナでさえ、グレイフィアがドラゴンに乗れることを把握していなかったのだ。


 エレナは数々の疑問を胸に、この場にいないレイブンにむかって問いかけた。


「レイブン。お前はいったい……」




           ◆




 その頃レイブンは、地下迷宮の中にいた。


 レイブンは立膝をついていた状態から立ち上がると、オリーブドラブ色で横長なケースを両手に持つ。手に持ったケースは明らかに、この世界で作られたのものではない。



 作業を終えたレイブンは、足早にその場所を去った。



 レイブンはジメジメした通路を走る。この辺りは魔光石の結晶がまばらにしかなく、松明を必要とするほど暗かった。


 しばらくして十字路に差し掛かる。彼は十字路を横切らず、崩落した壁の溝へ隠れた。

 少しの間を置き、レイブンの進行方向と交差する形で、右側から松明を持った一団が現れる。

 松明の灯りで照らされた一団は、人間でも、魔族でもなかった。


 彼らはツノツキと呼ばれる、人間と魔族の間に産まれてしまった種族だ。魔族と人間の混血という異端な種族ゆえに、人間や魔族からも迫害され、その多くが人さらいや野盗といった、ならずものへと成り果てていた。


 地下迷宮の中を進む彼らも、そういった類の輩だった。



 ツノツキの男の一人が、ニタニタと気味の悪い笑みで尋ねる。



「かしら。ダークエルフの女はどうするんです?」



 先頭を歩くガタイの良い男が、その問いかけに答えた。



「決まってるだろ、いつも通り好きにしろ。だが神機は俺が頂くからな」


「ヒヒヒッ! やっぱ御大将は気前いいっすわ~。にしてもかしらぁ、本当にダークエルフの奴ら、神機なんて持ってるんですかねぇ?」


 ツノツキを束ねる頭が、自信あり気にこう答えた


「間違いない。魔族との戦いに勝利した神兵達は、人間からエルフ率いる亜人連合の側に鞍替えした。亜人であるダークエルフが神機を持っていても、なんら不思議じゃない」


「それじゃあダークエルフが神機を持っているわけないじゃないですか。だって大戦時、ダークエルフはエルフから迫害を受けて、戦争にすら参加できなかったんっすよ」


「――見たんだよ。この目でな」


「え?」


 ツノツキの頭は確信を意味する笑みを浮かべ、手下に語った。


「グリフォンよりも疾く、そして奇っ怪な姿と鳴き声を放つフェニックスの姿……。俺は空に飛ぶそれを見たんだ。あれは間違いなく、神兵達が使用していた神機に違いない」


「いったいどこで見たんです?」


「空だ。ちょうどこのダンジョンの真上くらいだな。フェニックスは魔族の住むアルトアイゼンの方角ではなく、山の麓のラガンシエル渓谷で見失った。そしてココに住む連中は、魔族の庇護下にあるダークエルフしかいない」



「なるほど。神機を持っているから、魔族は報復を恐れてダークエルフを庇い、庇護下に置いたってわけか……」


「それを手に入れることができれば、俺達は世界各地のツノツキを束ね、ツノツキの国を建国できる。そしてお前らは、王であるこの俺の家来になるんだ」


「腕っ節の強ぇかしらが王になってくれれば、俺達ツノツキ族は安泰だ! なぁ野郎ども! そうだよなァ!」


 ツノツキの男たちはその掛け声に、雄叫びを上げて沸き立った。そして他の手下達も続く。


「もう人間どものいいようにされないっすね!」

「かしらが王になっても、俺たちゃ死ぬまでついていきますぜ!」

「神機さえあれば、肥え太って戦うことを忘れた人間なんて、軽く一捻りですよ!」

「人間どもはどうせ、勇者頼りで実戦をしらねぇひよっこ揃いだ。神機と俺達ツノツキの力で、ぞんぶんに可愛がってやりましょうや!!」



 ツノツキ族の指揮が次第に高まっていく。



 ツノツキの頭は、手下をさらに鼓舞するため、すべてのツノツキ――いや、人間から迫害を受けている、すべての種族の悲願を叫んだ。



「同胞を奴隷化し! その上で贅沢な日々を貪り尽くし! 醜く肥え太った人間という名の豚ども! うつつを抜かしている人間どもに、俺達ツノツキが受けた家畜としての屈辱を味あわせてやるんだ! 奴隷という家畜未満の扱いが、どれだけ惨めで、屈辱に満ちた世界ということをな!!」



 それを聞いた手下から、一斉に歓声と雄叫びが上がる。



 彼らは魔族との混血ということから、様々な種族から迫害を受け続けた。――とりわけ、人間からの迫害は常軌を逸している。

 奴隷であるツノツキを森に解き放ち、“ツノツキ狩り”と称した猟を愉しみ。またあるところでは魔導学の発展と銘打って、生きたままツノツキを解剖したりなどと、凄惨で非道な行いが跋扈していた。

 すべての国で行われているわけではない。

 小国ではそういったことは稀だが、巨大な権力が渦巻く大国や列強国になると、途端にその頻度や凄惨さが増していく。

 中には実験のために、ツノツキの繁殖場まである国も存在しているのだ。



 積年の恨み。

    人間達への復讐。

       それを叶えてくれる絶対的な力――神機。



 力に魅せられた者達は悟る。人間への報復の時は近い。それはもうすぐそこにあるのだ――と。

 悲願成就に彼らの戦意は、みるみるうちに向上していく。

 復讐という甘美な麻薬に魅せられ、意気揚々と進軍するツノツキの一団。

彼らはダークエルフの里を目指し、地下迷宮の奥深くへ侵攻をしていった……。



 息を潜め、ツノツキが通り過ぎるのを待っていたレイブン。彼は壁の溝から出ると、十字路の中央に立ち、ツノツキが手にしている松明が遠くへ去るのを待った。

 松明と声が消えるのを確認すると、懐から懐中時計を取り出す。そして静かに、その時を待った……。



「…………」 



 レイブンは暗闇の中で懐中時計を見つめ、静かに時を待ち続ける。

 果たしてこの暗闇の中で、時計の秒針は見えているのか? そう疑いたくなるほどの闇中にも関わらず、それでも彼は、懐中時計に視線を注ぎ続けた。



「そろそろですね」



 ツノツキの一団が過ぎ去ってから数分後。レイブンは懐中時計を閉じ、ある方向へ向かって手をかざした。


――風を貫く音と共に、レイブンに一筋の殺意が襲い掛かる。



 シュパッ! ビィイィン………



 レイブンは自分に向かって放たれた矢を、素手で掴んで止めた、、、、、、、、、

 その鏃の先端が、レイブンの眼球に接するかしないかの直前のところで制止している。矢は放たれた時の速度を示すように、振動という余韻を残していた。


 悪寒が走るには十分すぎる状況なのだが、レイブンは鳥肌を一つも立てることなく、矢が放たれた方向を見る。


「相変わらず良い腕です。次に放たれる矢は二筋――」


 彼の宣言通り、二本の矢が襲い掛かった。

 レイブンは精悍な表情を維持したまま、二本の矢を軽く仰け反って躱す。


「――三筋。続けて四。」

 

 レイブンは打たれる矢の数を言い当てながら、最小限の動きで避け続けた。



           ◇



 レイブンを奇襲した弓兵は、ありえない光景の連続に、目を疑うことしかできなかった。地下迷宮は彼女たちのテリトリーであある。住み慣れた場所であるがゆえに、先手さえ打てれば常に有効打となっていた。


――だが、十字路で佇む男は違った。


 打ち出した矢が彼を拒んでいるかのように、まったく当たらないのだ。



「どういうこと?! なんで当たらないの!!」



 光の届かない闇の中で、正確な矢を放っていた弓兵。それはこの地下迷宮を住処とする、ダークエルフのシルエラだった。


 シルエラは対峙している敵が、尋常でない相手だと悟る。


「あの男……一昨日前から見かけている奴だ。さっき見かけたツノツキの仲間なの?」


 シルエラは、相手が自分の手に負えない強敵であると判断し、急いで撤退を始める。

『退くことは恥ではない。プライドにこだわり、無駄死にすることこそが真の恥なのだ』――前族長であり、彼女の父が教えてくれた言葉だった。


 シルエラは父の助言に従う。


 例え一人では太刀打ちできない敵でも、仲間同士で協力し、団結して戦えば撃退できる。シルエラは戦いの中でそれを学んでいた。

 それに今はこんな事をしている場合ではない。彼女には一刻の猶予もなかったのだ。



「今は薬草を届けることに専念しないと……」



 ダークエルフは俊敏な健脚を活かし、十字路を迂回してダークエルフのアジトへ向かった。


 この地下ダンジョンには、様々なトラップが仕掛けてある。


 そのトラップは魔族討伐のために派遣された遠征騎士団や、人さらいを目的とするツノツキといった連中を、幾度と無く退け続けてきた。

 シルエラは、もしあの男が追いかけてくるようであれば、そのトラップに誘い込もうと画策する。


 T字路に差し掛かり、右へ曲がろうとした瞬間――シルエラは驚きと共に足を止めた。


「なッ!!!」


 先回りしたレイブンが、シルエラを待っていたのだ。

 レイブンは懐中時計をポケットに収め、シルエラに警告する。



「この先に、落とし穴とソーサーギロチンがあるので危険ですよ。迂回することをオススメします」



「クッ!!」



 もはや撒くことはできない――シルエラは覚悟を決め、シーフナイフで斬りかかる。


 レイブンはシルエラの手首を掴み、手にしていたナイフを叩き落とす。


 だがシルエラは諦めない。

 手首のスナップを効かせ、隠し持っていたナイフを取り出すと、最後の抵抗に打って出たのだ。


 その攻撃もすでに読まれており、レイブンは腕を交差させ、シルエラの攻撃を受け止める。そして身を引き、シルエラの態勢を崩しながら背後に回り込む。レイブンはシルエラを床へと押し倒し、彼女を無傷で拘束した。


――もはやこれまで。

 そう悟ったシルエラは、自分を殺すようレイブンに叫んだ。



「殺せ! 辱めを受けるくらいなら、ここで死んだほうがマシよ!!」


「そんなことを言えば、男達のいいようにされてしまいますよ。シルエラ、時間がないので簡潔に話します。ツノツキがダークエルフの住処を襲撃するつもりです」

 

「なんで私の名を?!」


 レイブンはシルエラの問いかけに答えることなく、話しを進める。


「このままでは病床の弟だけでなく、村の女もツノツキによって蹂躙されるでしょう。貴女の今想像している悪夢が、現実のものとなってしまうのです。それを避けるには――」


 シルエラはレイブンの言葉を遮り、「そんなことありえない!」と否定した。


「バカを言わないで! この地下迷宮には数多くのトラップが配置されているのよ! そう簡単に村まで辿り着けるものですか! 例え辿りつけたとしても――」


「そうですね。村の守りも硬く、今まで数多くの侵攻を返り討ちにして来ました。正面からの突破は困難を極めるでしょう。――ですが、もしトラップを回避する抜け道があり、それがダークエルフの村の真下まで続いていたとしたら、どうです?」


「ありえない! だとしたら堀るのに何百年もかかるわ!」


「鍾乳洞です。ダンジョンの崩れた壁の先に、村の下まで直結している鍾乳洞を見つけたのです。ツノツキは襲撃に必要なものを鍾乳洞から村の真下まで運び、穴を開けて襲撃しようと目論んでいます」


「だから最近、地下迷宮でツノツキの目撃例が多発していたのね……」


「それだけではありません。村の守りを崩すために、ツノツキはレパン出血熱を地下ダンジョンにバラ撒いています。最近ダンジョン内で、やたら高級な防具が落ちていませんでしたか?」


 レパン出血熱は、男性のみ発病する致死性の高い難病だ。


 この急性ウイルス性感染症は、ツノツキ以外の男性のみに発病する奇病であり、先の大戦中 人間、魔族、亜人の間で広く蔓延した。この世界で男性の人口が極端に低いのは、この奇病が主な原因だった。



 シルエラの表情が、みるみる青ざめていく。



「たしかに落ちていたわ。仲間が弟にそれをプレゼントして、弟たちが英雄ごっこをして、楽しそうに遊んでいた……」


「装備品の裏生地にレパン出血熱で死んだ者の血を塗り、香油で臭みを消した上で、このダンジョン内に置いたのです。ダークエルフが鹵獲するのを見越した上でね」


「……迂闊だった。どうして気付かなかったの!」 


「このままでは、あなたの弟のカイムと友人のナダルは死にます。だがどちらにせよ、あなたの腰に下げている薬草の量では、二人のうちどちらかの命を救うかで、辛い選択を迫られるでしょう」


 シルエラはレイブンの言葉に疑問を持つ。彼はあまりにも、詳しすぎたのだ。


「……なぜそんなことまで知っているの! なにが目的! 答えなさい人間!!」


「私の目的は明確です。ツノツキからダークエルフの村を守ること。そして、ダークエルフが守り続けた神機を、この私に譲ってほしいのです」


「なぜ神機のことを!! あれは戦争の形態を豹変させてしまう、恐ろしい兵器! 誰の手にも渡さないわ!」


「分かりました。神機譲渡の話しは後回しにしましょう。今優先すべきは、失われようとしている命を救うことです」 


 レイブンは、細長い銀色の筒を取り出す。


「ナダルとカイムを救うためのワクチン――特効薬がここにあります。私がツノツキを撃退し、彼らの仲間でないことを証明した上で、神機の譲渡をお考え下さい。それなら問題はないでしょう」


 シルエラの目が色めき立つ。喉から手が出るほど欲しいものを、レイブンが手にしている。彼の言うとおり、手に入れた薬草だけで二人を救うのは難しかった。


「と、特効薬?! ――いえ! それが本物である確証がないわ!」


「これを使うかどうかは、貴女の判断に委ねます――」


 レイブンは手にしていたワクチンを、シルエラに渡す。


「ど、どうして……神機が欲しいなら、この特効薬を交渉の材料にすればいいのに――」


 シルエラの言葉に、レイブンは悲しそうな眼でこう告げた。


「時は一刻を争います。二人の命が消えかかっているこの状況で、駆け引きをしている場合ではないのです。そのワクチンは注射器が内蔵されています。表面に描かれたイラストに従い、使用して下さい」


 レイブンはダークエルフの村に向かって走り出す。


「まずはツノツキの襲来から村を守ります。話はその後で――」


 残されたシルエラは、手渡されたワクチンを見つめる。そして村に向かうレイブンへ視線を向けた。



「あの男……いったい何者なの?」



            ◇



「あの男……いったい何者なんだ?」 



 ゼノヴィアがシルエラと全く同じ台詞を口にしていた。

 先を進んでいたエレナが立ち止まり、ゼノヴィアの方向へ向き直る。


「レイブンのことか?」


「あぁ。アイツと戦って、なんか……妙な感じだった」


「妙?」


「俺が技を繰り出す時、レイブンは一度も俺のこと見ていないんだ。なんつーか、うまく表現できないんだけど……。あれはまるで、俺がどのタイミングでどんな攻撃をするかをすべて知っていて、決まった振り付けを淡々とこなしているような……そんな動きだった」


 エレナもレイブンの戦いを振り返る。ゼノヴィアが抱いた違和感は彼女だけではなかった。やはりエレナもレイブンの戦いに、言いようのない奇妙な感覚を覚えていたのだ。


「ゼノヴィアもそう感じたか。私もあの男の戦いは二度も見たが、どれも今までに見たことのない、形容しがたいものだった。普通なら眼で軌道を見極めたうえで、攻撃を避ける――だがレイブンは違った。あの男はあさっての方向を見ながら攻撃を避けていた。まるでどこから攻撃が来るのが、初めから分かっているように……」


 ゼノヴィアは足元に落ちていたアミュレットを拾い上げる。金色に輝くアミュレットには、エストバキア王国の紋章が刻まれていた。

 ゼノヴィアは人差し指を使い、拾ったアミュレットをくるくると回す。そしてレイブンとの戦いを振り返りつつ、自分なりの考察を語った。


「もしかして……アイツがこの世界に来る時に得た能力って、敵の殺気や気配を感じ取る力なんじゃねぇか?」



 エレナはゼノヴィアの言葉に納得しそうになるが、それでは説明しきれない部分がまだ残されていた。



「だとしたらなぜ、グレイフィアに竜騎兵の経験があることを、レイブンが知っていのだ?」


「言われてみればそうだな……。誰かから聞いたとか?」


「騎士団長の私ですら知らないばかりか、仲間である君でさえ知らないのに、いったい誰から聞くというのだ?」


 ゼノヴィアは顔をしかめて考えこむ。


「う~む……たしかにそうなんだけど、だってもうそれしか説明が――てかお前はなにしてんだよ」


 エレナはカインフェルノを鞘から引き抜き、レイブンが改造された箇所を念入りに確認していた。


「レイブンが勝手に、私のカインフェルノを改造したのだ。今のうちに使い方を、習得しておこうと思って……」


「んなもんあとにしろよ。人と話している時に勝手なことするなって」


「すまない。なにかあった時に、剣の使い方が分からないようでは話にならんのでな。これは……なんだ?」


 魔剣の多くは、契約を交わすとその者の体の一部と化す。

 中には、文字通り魔剣と身体が物理的に融合するものもあるが、カインフェルノのように、精神が繋がる魔剣も存在していた。


 エレナはとりあえず、魔剣を動かしてみる。

 刀身に組み込まれた、新造パーツ群が動き出す。せり上がったパーツの下から、放熱プレートに酷似したスラスターベーンが露出する。


「この板状の物体はなんだ?」


 エレナの意志に反応し、スラスターベーンが小刻みシャカシャカと動く。


 ゼノヴィアは、シャカシャカ動いているスラスターベーンを指さし、闘技場での戦いを思い出す。


「この部分あれだな。ハーミットクラブのハサミを受け止めた時に、炎がブワッと出ていたところだ」


「ん? あぁそうだったな。あの時は咄嗟に動かすことができたが……どうやって動かすんだ?」


 ゼノヴィアは『いいこと思いついた!』という顔をすると、なぜか隣に流れている川に飛び込んだ。




――数分後。ゼノヴィアが手と口に川魚を捕まえた状態で、川から上がって来る。



「ふごぁ、ふごふごごご?」



 ゼノヴィアが言葉を投げかけるが、エレナにはなにを言っているのかサッパリだった。

 ゼノヴィアはこのままでは駄目だと、口に加えていた魚を鳥のように、ゴックンと飲み干す。



「んくッ! ……ふぅ! いやさ。そこから炎が出るなら、この川魚でも焼いて食べようと思ったんだ」


「こんな場所で食い意地を張っている場合か? そもそもカインフェルノで魚を焼くなんて――」


 呆れてるエレナ。だが彼女の腹が、川魚という単語に反応してしまう。ぐぅ~と腹が鳴ってしまったのだ。恥ずかしさからエレナの顔が真っ赤に染まる。



「ん、ゴホン! まぁ腹が減っては力が出ないからな。し、仕方あるまい」



 前言を撤回したエレナは、カインフェルノを地面に突き刺してグリップを撚る。

 魔導機関が燃焼し、けたたましいエンジン音が鍾乳洞に反響した。



「なるほど。この刀身に埋め込まれたこの部分で魔力を生成し、収束させるのか……」



 エレナは、新生カインフェルノを自分の身体に馴染ませつつ、地面から引き抜く。そして準備が整ったことをゼノヴィアに知らせた



「いいぞ! いつでも来い!!」



 ゼノヴィアは暴れる魚の頭を叩いて気絶させ、スラスターベーンの前に二匹の魚を出し、スタンバイする。



「準備完了! 美味しく焼いてくれよな!!」


「いや……さすがにそれは危ないだろ。指が燃えるぞ」


「え? そうか?」


「いっそ爪を伸ばして、魚の口に刺して焼いたほうが安全だと思うのだが……」


「おぉ! 頭いいな!」



 ゼノヴィアは爪を伸ばすと、その爪先を魚の口へと突き刺し、再度スラスターベーンの前に出す。



「今度こそ準備完了! いつでもいいぜ!」


「うむ。ではカウント3でいくぞ」


「頼むから、魚を吹き飛ばして炭なんかにすんなよ~!」


 エレナは「そんなお約束をするものか」と、自信満々に豪語する。


「なにを言っている。私と魔剣は一心同体。そんな間の抜けた事を、この私がするわけないだろ!」


「ほほぉ~。――そんじゃあ! 騎士団長様のお手並み、とくと拝見させてもらうぜ!」


「案ずるな。魚二匹どうということはない! ドラゴンを味方につけたつもりで、この私に任せろ! さぁいくぞ! 3! 2! 1――」



 エレナがカインフェルノのスラスターベーンに、灯を入れようとした瞬間――盛大な爆発音が鳴り響き、鍾乳洞が揺れた。


 衝撃で鍾乳石が折れ、天井の一部が崩落を始める。



「危ない!!」



 ゼノヴィアが身を挺してエレナを庇う。彼女はエレナを急いで抱えると、崩落に巻き込まれないよう、鍾乳洞の壁面まで跳び退った。

 その最中にも、天井から岩盤や鍾乳石が落ち、拳ほどの大きさの石が、天井からボトボトと落ちてくる。

 落ちてきた岩や小石によって、まるで川が沸騰したかのように波打つ。


 エレナは眼と耳を頼りに、なにが起こったのかを探った。


「今の爆発はなんだ?!」

「そう遠くはなかった! なんなんだよクソが!」


 眼と耳を頼り探るエレナとは相反し、ゼノヴィアは嗅覚で状況を探る。ゼノヴィアは獣魔族のストームタイガーであるため、他の種族よりも五感が鋭い。目や耳も良いのだが、こういった場所では嗅覚のほうが、眼や耳よりも敵の情報を正確に入手しやすかったのだ。


「この臭いは……陸竜騎グランド・ドラグーン?! それと混ざって大量の雄の臭いがする」


 陸竜騎とは、翼を持たない陸戦用ドラゴンである。主に戦場の露払いとして敵陣に突入し、敵の陣形を崩す役割を担う兵科の一つだ。

 陸竜騎は馬と比べると機動性が劣るのだが、それを補うほどの防御力と火力を誇っている。敵の足並みを乱し、味方のために隙を作る重要な兵科であり、戦場には欠かせない存在だ。



「陸竜騎に多くの“男”…… 人間ではなくツノツキの一派か?」


「それもかなりの数だ。戦争でもおっ始める気か?」


「急ぐぞ! 相手がなんにせよ、ここは我々魔族の領土だ。誰の好きにもさせん!!」


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