第十七章 <Ⅰ-3>

 ――間に合った。


 いま、りんは、母の冷えたを握りしめている。

 息は乱れ激しい鼓動が胸を連打しているけれど、林の瞳は輝いていた。


「こんな夢を信じちゃだめ! ママは何もしてない!」


 娘は母の顔をのぞきこむ。


「この暗闇は毒の煙なの! ママがさっき見たものは、全部うそなの!」


「でも、あの日、木槿むくげは、ほんとうに川で――」


 沙羅さらは、目を固く閉じてうつむいている。


「ママ! 目を開けて! わたしを見て!」


「林……」


 母はわずかに顔を上げ、濡れた瞳で娘を見る。


「パパが教えてくれたよね? おねえちゃんは溺れたんじゃなくて、心不全だったって。――検死でお医者さんがちゃんと調べたんでしょ? おねえちゃんが、もしお酒を飲んだのなら、アルコールの反応が出たはずだよ。パパはそんなこと、何も言ってなかったよ? 」



 ――なぜ木槿ちゃんが死んだのか。真相はいわゆる謎だ。



 目を見開いた沙羅は、口元をでおおう。


「よく思い出してよ、ママ。――おねえちゃんは、梅シロップのグラスをしたんでしょ?」


 沙羅が弱々しげにうなずく。


「木槿は――美味しいねって」 また涙がこぼれる。



 ――最高だよ! これ、道の駅に出したら売れるんじゃない?



「それなら、最初の一杯で、梅酒だって気づくんじゃないの?」


「――あ!」 沙羅が小さく叫ぶ。


「おねえちゃんはお酒に弱いから、一口目で真っ赤になったはずだよ。それなのに誰も気がつかなかったなんて、おかしいよ!」


 沙羅の眼差しが揺れてうろたえる。


「――でも、でも、私はよく見てなかったから」


「もう、やめなよって、言ってるでしょ!――あ、ごめん」


 れて声が大きくなってしまった。林は深呼吸して自分を落ちつかせる。

 ママも、わたしと同じように傷ついているんだ。

 パパみたいに話そう。にこやかに。感情的にならないで。


「――あのね。そうやってママは、おねえちゃんが死んじゃったのを、自分のせいだと思いこんでるけど。それって、わたしが思ってたことと同じだよね?」


 林の手のひらが、母の肩をつかんだ。


「みんなが、わたしに言ってくれた。――あれは林のせいじゃないって! ママも自分を責めないで! ――あれは、ママのせいじゃない!」


「林――」


 沙羅の瞳から涙があふれる。


「ママを助けてって、わたしに言ったのは、おねえちゃんなんだよ!」


 林の強い眼差しが、沙羅の瞳をまっすぐに見つめた。


「木槿が私を――? そんなはずないわ。だって、私はあの子を――」


「ママ! 目を閉じちゃダメ!」


 林の温かい指が、沙羅の濡れた頬に触れた。


「わたしだって、ママのことキライだと思うことあるよ! たまには、死んじゃえって思ったりもするよ。――ゴメン。でもほんとは大好きだもん。家族なら、そんなの当たり前じゃない! ママはいつも我慢しすぎるの! ママは全然悪くないの!」


「林――」


 林は思いきり母を抱きしめた。


「わたしを信じて! もう二度とママを泣かせたりしないから!」

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