第十五章 <Ⅱ-2>

 突然、闇の底が割れたような稲光いなびかりが走った。

 続けざまに轟音ごうおんが大気を揺さぶり、沙羅さらは気を失いかけてうずくまった。


 闇に、きな臭い匂いが立ち籠める。

 沙羅の背後で激しく木のぜる音がした。


 暗闇の一所ひとところを照らし出して、かえでの大樹が、炎を吹きあげて燃えていた。

 激しい炎が、今まさに隣の建物に燃え移った。


 沙羅は息を飲んだ。


 ――あれは、私の家だ。木槿むくげと私たちが暮らしていた家だ。


 二階の出窓から黒い煙が渦を巻いて吹きだす。

 誰かが手を振って叫んでいる。


(助けて! おねえちゃん!)


 ――りん? なぜ、そんなところに?


 恐怖が全身を貫く。

 沙羅はためらいもなく炎に飛び込もうとした。


(助けて! はやく来て!)


 だが、ほんの一瞬、沙羅は体を硬直させた。


 ――違う。この声は林ではない。


(おねえちゃん! おねえちゃん!)


 ――木槿むくげ




『おねえちゃんが林を待ってる! あのおうちで今も待ってる!』


 


 林が見た夢はほんとうだったのだ。


 あれは木槿だ! 早く助けにいかなくては!


 だが沙羅の体は、金縛りに遭ったように動かない。

 心臓だけが、別の生き物のように激しく跳ね回っている。


 ――逃げて! 木槿! 逃げて!


 石になった体で地面に倒れ込みながら、沙羅は必死に叫ぶ。


(助けて! おねえちゃん!)


 為すすべもなく、家全体が猛火に包まれた。

 窓の人影が、こちらに両手を突き出した姿のまま燃え上がった。


(おねえちゃん。どうして助けてくれないの?)


 泣き叫ぶ木槿を、崩れおちる屋根が飲み込んだ。


 ――木槿! 木槿!


 沙羅は壊れた石像のように地面に倒れ伏したたまま慟哭どうこくした。





 どれほど そうしていただろうか。

 闇の奧から、くぐもった声がした。


(どうして助けてくれなかったの? おねえちゃん)

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