第十六章 <Ⅲ>

 木槿むくげは、梅酒で朦朧もうろうとしたまま、川まで歩いていったのだ。

 そして、あの子のことだから、そこに咲いていた花を摘もうとしたのだろう。

 小川は梅雨で水かさが増して、川縁かわべりはぬかるんでいた。

 木槿はきっと足を滑らせて、流れに落ちて溺れたのだ。


 あのとき、私がもっと捜していれば、あの子は助かったのに――。




(――ちがうでしょ)



 沙羅さらの胸に抱かれた、木槿のむくろつぶやいた。



(おねえちゃんは、わざと違うびんを指差したんだよね)



 むくり、とその顔が上がる。


 感情の無い瞳が沙羅を見つめる。



「木槿……」


 沙羅の顔が蒼白になる。



(おねえちゃんは、わたしが邪魔だから、死ねばいいと思ってたんだよね)



「そんな……。私は……」



 心を凍りつかせるような視線に耐えかねて、沙羅は目を閉じる。

 もう何も見たくなかった。



 ――そうね。そうだった。



『わたしは鬼なんだ。鬼だったんだ。』




 あの頃、私は心の底に深い穴を掘って叫んでいたのだ。


 ――木槿なんか死ねばいいのに、と。




 私はわざと、一昨年の梅酒の瓶を指差したのだ。


 アルコールに弱い木槿が飲めば、死ぬかもしれないから。




 自分がどれほど後悔するかも知らずに。


 自分がどれほど木槿を愛しているかも忘れて。


 私は木槿を殺してしまった。




『明日もこんなにつらいなら、死んでしまおうと宵待ち姫は思いました。』



 固く抱きしめていた木槿の冷たいむくろを手放すと、沙羅は仰向あおむけに闇の底へに沈んでいった。


 絶望のたゆたう暗い深みへ。

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