第十四章 <Ⅴ>

沙羅さら? どうしたの?」


 ママの華奢な背中が震えている。


「ねえ、沙羅。具合がわるいのかい?」


 ハンカチで目元を隠し、パパの手から逃れるように、ママは二三歩離れた。

 パパは困惑顔で、差し出した自分の手のひらを持て余す。

 その隣で、権平ごんだいら先生が青深はるみに蹴飛ばされている。


「沙羅? ――なにか、僕がした?」


「――パパ!」


 りんがぎこちなく母親の腕を取りながら、横目でパパをにらんだ。


「パパのそういうところ、どうにかして欲しい」


「そういうところとは?」


 パパが大きく目をみはる。


「その、そういうところ! なんでママに、おねえちゃんのこと聞かすかな? わたしにだけ話せばいいでしょ!」


「いや。僕はただ林に……」


「わかってるよ! わたしの為にしてくれたことは、分かるけど! いきなり前触れも無しに、あんなこと聞かされる身になってみなよ! もう、パパって、デリカシー無さ過ぎ!」


「……あ、そうか。しまった。わるかった――」


 ガックリと項垂うなだれたパパは、やつれた白髪のオジサンになってしまった。刑事ドラマみたいに聞き込みまでしてくれたのに、報われなくてかわいそう。

 科学者 だましいが暴走したわけじゃないのにね。――したのかな。


「へええええーん!」


陽蕗子ひろこ、うるさい!」


「へええええーん!」


 青深はるみに怒られても、陽蕗子が泣いている。

 だってショックだもん。――こういうところだよね。林とママが怒るポイントは。


 人の死という生々なまなましい現実が、胸にのしかかる。

 いきなり手渡されたカバンが、想像以上に重たかったみたいな気分。


 なんにも知らない前だったら、ぎゃー恐い、だけだったかも知れない。

 でも、あたしたちはもう木槿さんを知っているから。

 リンゴは剥かないけど、林のためにポンヌフを作ってくれる女の子だ。

 あたしたちと同い年の女の子だ。


 経験が景色を変えるって、こういうことなのかな?


 ため息をついて横を見ると、権平先生の愛らしい眼差しと目が合った。


「先生――?」


「なあ、桐原きりはら。――白銀しろがね博士はかせになにか質問したいことはないか?」


 権平先生が、やや引きつった顔で頬笑んだ。


「――質問?」


 あたしには、ひとつ気になっていることがある。でも――。


「まずいでしょ? この空気で質問したら――?」


 いまにも青深の拳の雨が降ってきそうじゃん。


「いや! この空気だからこそ、今こそ君が必要だ。――行け、桐原! 君にしかできない!」


 なんのことか分からないが、あたしはゴーサインに従った。


「あの――」


 片手をあげたら、パパがかかとでターンして、あたしを指差した。


「はい。どうぞ! 桐原君!」


「木槿さんは――溺れたんじゃないんですか?」


「いい質問だ!」


 一瞬、パパの顔が生気を取り戻したが、はっとママの後ろ姿をうかがった。


「私もそこに疑問を感じました」


 権平先生も口を添えると、パパは目尻に笑い皺を寄せる。そして、あたしたちの肩を抱いて引き寄せると、小声でヒソヒソと解説をはじめた。

 ――青深と陽蕗子がそっと近くに移動してきた。


「状況から見て、はじめは溺死と思われたんだが、検死の結果、肺に水がほとんど入ってなかったんだ。(ヒソヒソ)木槿ちゃんは若くて健康だった。持病も無い。――なんらかのショックで心不全を起こしたのだろうという所見だった(ヒソヒソ)」


「なんらかのショック?(ヒソヒソ)」


 あたしが頭上に疑問符を浮かべる。


「いわゆる突然死ですよね。(ヒソヒソ)たまたま体調が悪かったのかな。冷たい川の水にパニックに陥ったのかも知れないな(ヒソヒソ)」


 権平先生が首をひねってつぶやいている。


「その状況から事件性はないと判断されたので、遺体のCTも撮っていないし、もちろん解剖もしなかった。(ヒソヒソ)――なぜ木槿ちゃんが死んだのか。真相はいわゆる謎だ(ヒソヒソ)」


 パパの口元が不本意そうに歪んでいる。


「林や沙羅が受け容れられないのも無理はないよ。(ヒソヒソ)血の繋がらない僕でさえ、立ち直るのに時間がかかったんだからね(ヒソヒソ)」


「――眞彦さなひこさん。ごめんなさい。皆さん、取り乱してすみませんでした」


 いつの間にか、パパの背後にママが立っていた。

 目元を赤くしたまま、弱々しく頬笑んでいる。――そして林はまだパパをにらんでいる。


「沙羅!」


 パパが飛び上がってママを抱きしめた。


「僕がわるかった! もうしません! どうか許してはくれまいか?――え、許してくれるのかい? ほんとうに? ――はあああ、助かった!」


 ――やれやれ。仲直り早くない?


「桐原、Good Job!(ヒソヒソ)」


 あたしの耳元で権平先生がささやいた。

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