第十四章 懐かしい場所へ

第十四章 <Ⅰ>

 金色のにれの葉が祝福するように、サンルーフにふりかかる。

 はなやかに紅葉をまき散らしながら、秋の森は風に透きとおってゆく。


 あたしたちを乗せたSUVは、山間やまあいの狭い県道を走っていた。


 りんのパパがなめらかにカーブを切ると、木の間隠れに渓流が見えた。森を見飽きていたあたしたちは、思わず歓声を上げる。

 崖下から、せせらぎの調べが響いてくる。汐見しおみ川の上流がこんなにきれいなところだったなんて知らなかった。


「みなさん、遠くてお疲れになったでしょう?」


 助手席から、林のママがあたしたちを気遣ってくれた。


「いま見えてる谷川の支流が、うちの村へ流れこんでいるんですよ」


 運転席のパパが、前を向いたまま教えてくれた。


「ここはヤマメがいそうですね」


 権平ごんだいら先生がマルチーズの子犬のような目をしばたたいて川を眺めている。


「昔はたくさんいましたよ。釣竿を持ってくれば良かったですね」


 パパがミラー越しに笑った。


「でも、だいぶ減っただろうな。上流が開発されて生態系が大きく変わったから」


 権平先生が眉間に皺を寄せてうなずく。


「土砂と一緒に、必ず外来種の植物が持ち込まれるんですよね」


「ええ。こんな山の中でも、ナガミヒナゲシやアメリカフウロを見かけますからね。キクイモなんかは、どこにでも咲いている。ドクニンジンまで入ってきているらしいですね」


「それは、恐ろしい」


「先生、ドクニンジンって?」


 ぱちぱちまばたきして陽蕗子ひろこが訊いた。


「その名の通り、猛毒の野草だよ。原産地はヨーロッパだ」


 権平先生が説明すると、運転席からパパも言い添える。

 

「ソクラテスの処刑に使ったので有名だね。セリに似た花が咲くらしいよ」


「こわーい」 「うぎゃー!」 「助けてー」


 あたしたちが思い思いにリアクションすると、パパが朗らかに笑う。


「食べたらどうなっちゃうんですか?」


 青深はるみが質問すると、速やかに解答が返ってきた。


「僕も詳しくは知らないが、コニイン系の中毒症状だから、まず軽い開放感のあと吐き気や目眩に襲われる。さらに手足の先から徐々に麻痺が進行して昏睡状態に陥り、呼吸困難のまま死に至るらしいね」


「すごく詳しいじゃないですか!」


「いやいや。アガサ・クリスティの受け売りだよ」


「マジッすか?」


 助手席でママが笑っている。――こんなパパと一緒にいたら面白いだろうな。


「そういえば、ママ。『よいひめ』って絵本、覚えてる?」


 後部座席の林に話しかけられて、驚いた顔が振り向いた。


「ええ。あの絵本でしょう? 林が入院した夜に、ママ、なんだか急に読みたくなって、林の本棚から借りて読んだのよ」


「そうなの?」


 林がふしぎなものを見たような顔をした。


「どうして?」


「別に。なんでもないよ――」


 自分で振っておいて妙にそっけない。――反抗期なのか?


「『宵待ち姫』って読んだことない。どんな絵本なの?」


 あたしが訊いたら、林が別人のような明るい笑顔を見せた。


「あのね。昔々、宵待ち姫って女の子がいて。すごく良い子なのに、毎晩、自分が鬼になる夢をみるの。そのあと夢が本当になっちゃって、恐い鬼になって暴れまわるの」


「うわ、こわい!」


 あたしの隣で、陽蕗子も震えている。


「そうなの。それでね――」


「待って、待って。その先は自分で読みたい!」


 林が楽しそうに笑った。


「わかった! 帰ったら貸すね」


「やったあ! 楽しみ!」


「リンリン、うちも借りていいかな?」


「もちろん!」


「そうなんですよ。古い本なんだけど、すごく絵がきれいなのよ。ねえ、林?」


 ママが口を添えると、林が鼻白はなじろんだ顔をした。――やっぱ反抗期?

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