第十三章 林の理由

第十三章 <Ⅰ>

「おおーい! 白銀しろがね! 大丈夫か! 桐原きりはら! 石動いするぎ! 靱負ゆきえ!」


 のどかな千尋縄ちひろなわの駅前に、聞き覚えのある豊かな声量が響きわたった。


権平ごんだいら先生!」


「ここで、なにしてんの?」


 蕎麦屋しかない駅前ターミナルに、大きな黄色のSUVが停まっていた。

 ぶんぶん手を振る大男の隣に、可愛いミックスツイードのコートを羽織った小柄な女の人が佇んでいる。


「ママ! なんで? どうしたの?」


 林が両手で頭をかかえる。


「僕が連絡しておいたんだ」


 林のパパがしてやったりの顔で、娘の肩を抱く。


「なんでっ?」


「権平先生がここまで送ってくれたの」


 林のママが恥ずかしげに頬を染める。


「なんで、ママまで……」


 あたしたちは、よろめく林を抱きとめた。

 この溺愛過保護両親は、もう少し子離れしないと危険だ。

 ――それと、お前もだ。権平。


「権平先生ですか? 白銀です! このたびは娘と家内がお世話になりました!」


 パパが右手を差し出して、先生に大股に近づく。


「光栄です! 白銀しろがね博士はかせ!」


 大男が二人、固い握手を交わす。


「し、白銀博士のお書きになった『地球学への誘い・序説』は、な、何度も読み返しました!」


 権平先生がアイドルに会いにきたファンみたいに、テンパっている。


「それはありがとう。照れ臭いな」


 ――え? リンリンのパパ、有名人?


 林のママが、機嫌の悪い顔でそっぽを向いている娘に、おずおずと歩み寄った。


「ごめんね、林。余計な事をして――。林があの家に行くまえに、これを返したかったの」


 ママが手にしたバッグから、茶色い丸いものを取り出した。


「ポンヌフ!」


 林と一緒に、あたしたちも叫んだ。


「どうして? なんでポンヌフが?」


 林が目をみひらいてポンヌフを見つめる。


「ごめんね。もっと早く渡さなくて――」


 ママがぬいぐるみの頭を差し出すと、頬を紅潮させた林が震える手で受けとった。


「この子、どこにいたの?」


「リンリンの部屋の、ベッドの枕元にいたよ。入院したとき」


 ――ついに言えたよ!


「どうして? 夢だと思ったのに……。どこから夢なんだろう……」


 林はその手触りを確かめるように、ぬいぐるみを胸に抱きしめた。


「リンリンが、見つけたんじゃないの?」


 陽蕗子が訊いた。


「見つけたんだけど、夢だと思ってた。――わたし、すごく変な夢を見るの」


 林がすこし恥ずかしそうにまばたきした。


「変な夢なら、あたしも得意だよ」


 あたしがそう言うと、青深と陽蕗子がゲラゲラ笑った。――なんでだよ。


「ポンヌフは、火事の焼け跡に落ちていたそうだ」


 コンパスの長いパパが、ママに寄り添った。


「村の和尚おしょうさんが見つけて、預かっていてくれていた。――木槿むくげちゃんの葬儀を上げてくれたお寺の和尚さんだ。焼け跡にぽつんと、ぬいぐるみの顔だけが落ちていたそうだよ。まるで、誰かがそこに置いていったようだったとおっしゃってた」


 ママが濡れた睫毛まつげしばたたかせる。


「林、ごめんね。火事の後始末に行ったときに、ママがポンヌフを貰ってきたの。お寺でおげして供養しますかって訊かれたんだけど。いくらこんな姿になっても、ポンヌフがかわいそうで、頂いて帰ってきたの。でも、林にはどうしても見せられなくて、ママのキャビネットに隠しておいたの。今日になるまで言わなくて、ごめんなさい」


「……そうだったんだ」


 林は怒るわけでもなく、なんだかぼんやりしていた。

 その手がポンヌフを愛おしそうに撫でている。


「ママは、こんな姿になったポンヌフを見たら、林がどうかしちゃうんじゃないかって、心配したんだよ」


 パパが、高い背を屈めるようにして二人の肩を抱く。


「――しかし、どうして、林の枕元にあったんだろうな?」


「やっぱり、私が運んだのかしら?」


 睫毛まつげを伏せたママが、こめかみに細い指を添えた。

 すると――。


「おねえちゃんが、ポンフヌを届けてくれたんだと思う」


 ぽつりと林がつぶやいた。

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