第九章 <Ⅱ>

「おねえちゃんって、誰?」


「むくげちゃん!」


 あどけない声でりんが答えました。


 そのときの私と叔母は、顔を見合わせるばかりでした。

 すると夫が、娘のそばに喪服の膝をつき、あの子を引き寄せて言いました。


「あのね、林。木槿むくげちゃんは死んでしまったから、二度と帰ってこないんだよ」


 あの瞬間の林を、いまでも覚えています。

 あの子はふしぎそうな顔で、夫の肩越しに何かをじっと見つめました。

 そして、ふふっと笑って「わかった」と言ったのです。


 林がいつも一人で遊ぶようになったのは、それからです。

 それまでは、私や木槿の姿が見えなくなると、泣いて探していたのに。


 誰もいない椅子に話しかけたり、見えない相手に笑いかけたりするのです。

 はじめは、子どものごっこ遊びだろうと思いました。――でも。

 その後もいく度となく、幼いあの子の口から、その日の「おねえちゃん」の話を聞かされるうちに、私は言いしれぬ不安を覚えました。


 あれは、木槿の新盆を営んだ夜のことでした。


 晩夏の夕暮れは、いつまでも空に残照の名残を宿しておりました。

 私たちは家族揃って村はずれの菩提寺へお墓参りをして、宵闇に包まれゆく道を提灯ちょうちんの明かりで帰ってまいりました。

 門口で迎え火をたいて家に入ろうとすると、どこからともなくほたるがふわりとやってきて、林の肩にとまりました。


 いざなうように明滅する螢を追って、林が門口から出ていくので、私はあとを追いました。あの子は幼い頃から足が早くて、声をあげて笑いながら、先へ走っていってしまうのです。

 ようやく追いついたのは、小川に架かる宵待ち橋という木橋のたもとでした。



 そこは木槿が浮いていた場所でした。



 螢がふわりと、宵待ち橋の向こうへ飛んでゆきました。


 橋を渡ろうとする林の小さな体を、私は夢中で抱きとめました。


「どうしたの、ママ? なんで泣いてるの?」


 こちらを振り向いた林がふしぎそうに訊きました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る