第八章 母の嘘

第八章 <Ⅰ>

「今夜一晩様子を見て問題無ければ、明日退院して構いませんよ」


 医師はりんの診察を済ませると、機嫌良く病室を後にした。


 母が一階の受付へ手続きをしに赴いたので、林は一人残された。

 病室の天井を見上げてぼんやりしていると、ドアをノックする音がする。


「――はい」


 スルリと侵入してきたのは、濃紺サムライブルーの部活ジャージがスーツアクターのジャンプスーツにみえる石動いするぎ青深はるみだった。

 そのうしろから小柄でふっくらした靱負ゆきえ陽蕗子ひろこも顔をのぞかせる。


「きちゃった♪」


 くすっと笑って、陽蕗子が二本指を揃えて前髪にあてた。

 栗色の巻き髪がピンクのカーディガンの肩でさらりと流れる。


「検査の結果はどうだった?」


 青深が、揺るぎない眼差しで林を見つめた。逆毛を立てたようなショートカットがよく似合う。


「う、うん。なにも問題なかった。明日、退院していいって」


 いきなり過ぎて、気後れする余裕もなく返事をする。


「リンリン、うちらがつき合うよ!」


 陽蕗子が林の両手を取って揺すった。


「――リンリン?」


 揺すぶられるまま林は、ひたすら目を見開く。


「話は聞いた。場所はどこだ?」


「……えと、葛籠谷つづらだにっていうとこなの。M市の――」


「知ってるー。そんなに遠くないよねー?」


 陽蕗子がはしゃぐ。


 ――なぜ、この人たちはここにいるの? なぜいろいろ知っているの?


「よし。経路は調べておく」


 青深がうなずく。


「あの、どうしてここに?」


 ようやくのことで、林が質問する。


「こいつと時雨しぐれが、ここまで救急車に同乗したからな」


 青深がニヤリと笑う。


「ええっ? ほんとに?」


 林が真っ赤に頬をそめた。昏睡する顔を見られたなんて恥ずかしい。


「救急車、はじめって乗っちゃったー」


 陽蕗子がVサインを見せる。


桐原きりはらさんは?」

 

「廊下で見張ってる。お母さんが戻ってきたら、知らせに来る手筈てはずだ」


 その頃、桐原きりはら時雨しぐれは階段の踊り場に片膝をついて、エレベーターホールをうかがっていた。ときおり通りかかる人間から、不審な視線を浴びていることには、本人は気づいていない。


「あの、このこと、ママには……?」


「親には黙っとけ!」


 青深が凄みのある目つきでにらんだ。


「あれだけ過保護な感じだと、たいがい反対されるぞ!」


「リンリンのママ、超やさしいママだよね」


 陽蕗子が瞳をうるませてうなずく。


「あとは例のノートで連絡する。じゃあな。――陽蕗子、行くぞ」


 青深は陽蕗子のえり首をつまんで病室を出ようとした。

 二人の身長差が大きいので、大人と子どもに見える。


「あ、待って……」


 二人の背中に、林の声が追いすがる。


「なんだよ?」


 青深が横目で振り向く。

 その胸元で、陽蕗子が子ウサギのようなにまばたきしている。


「どうして、わたしのこと、助けてくれるの……?」


 林は二人の顔を代わる代わる眺めた。

 同級生とはいえ、昨日まで顔も知らなかったのに。


「力になるって、言ったろ?」


 青深が片眉をしかめて変顔を作る。


「だって、うちらはチームだから!」


 えくぼを浮かべた陽蕗子がささやいた。


 そのとき、カワウソに似た動きで、時雨がドアの隙間から鼻先をのぞかせた。


「ママ、キタ!」


「ヤバい。行くぞ。――リンリン、またな!」 「リンリン、がんばろうね!」


 友だちの後ろ姿が夢のように消えた。

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