第六章 <Ⅱ>

「これは、りんさんのものなんですか?」


 権平ごんだいら先生が大きな体を屈めて、そっとクマの頭を拾った。


「はい。林の宝物だったんです。小さい頃の――」


 青ざめたお母さんが、途切れがちにつぶやいた。「隠しておいたのに……」


 青深はるみが太い男眉をひそめた。


「隠しておいた?」


 子どもの宝物を、なぜ隠したりするんだろう。

 そんな意地悪なお母さんには全然見えないけど。


「ええ」とお母さんは悪びれるでもなくうなずく。


「絶対に林の目に触れないように、私の部屋に。――それが今日、なんでだか林のベッドにあったのです」


 林の家に行ったときに「あんなものが……」ってお母さんが言ってたのは、これのことだったのか。あたしと陽蕗子ひろこは顔を見合わせた。



 *  *  *



 林の部屋は、十畳ほどの洋室だった。広い本棚にぎっしりと本が詰まっている。

 窓寄りに置いたベッドに、小さな顔を仰向あおむかせて林が眠っていた。

 ゆるく三つ編みにされた黒髪が、枕辺に波打っている。


「林。林。起きて。お友だちよ」


 お母さんが林に呼びかけたが、おだやかな寝息が続いている。

 頬に触れられても林は目を覚まさない。手を取られても無抵抗に弛緩している。

 たしかに様子がおかしかった。


「あの……。救急車を呼びますか?」


 陽蕗子が緊張で白くなった指先でスマホを握りしめた。


「――お願いします。すみません」


 お母さんがベッドの脇に膝をついたとき、林の片腕が、なにかを抱いているのが見えた。それは、いかにも長年大事にされてきたらしき、このぬいぐるみの顔だった。



 *  *  *



 なんで、お母さんはこんなに取り乱すんだろう。

 まさか、このぬいぐるみは呪われてたりするんだろうか。


「林さんが、自分で見つけたんじゃないですか?」


 権平先生が落ちついた声で尋ねた。


「そんなはずは……。私のクローゼットの奧に包み紙でくるんでおいたのに……」


 突然、お母さんが、はっと口元をおさえた。


「まさか、あのとき? 私が自分で……?」


 恐ろしいものを見てしまったかのように、お母さんが息を飲む。


「――白銀さん!」


 権平先生の温かい眼差しが、お母さんを見つめた。


「もし良かったら、詳しく話してもらえませんか」



 そのとき、ふいに待合室のドアが開いた。


「白銀さん!」


 若い看護師さんが顔をのぞかせ、きびきびと呼びかける。


「どうぞ、病室においでください!」

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