第四章 露天商

第四章 <Ⅰ>

 途切れがちな眠りに見切りをつけると、午前三時だ。

 黒いジャージとキャップで、林は今夜も少年になる。

 深夜の扉を開ければ、鋭い風に頬が冷えた。


 夢でビスクドールに出会った街角に来てみたが、そこには誰もいなかった。

 寂しさに耐えきれなくなった林は、その場を離れ、走りだす。


 光を避けて暗がりをたどるうちに、見慣れた街が迷路になった。

 どこを走っているのか分からない。

 おや。あんなところに、三叉路さんさろがあったろうか。


 見覚えのない坂道が、暗がりの先へ消えている。

 蛇のようにくねった道をおりてゆくと、古ぼけた街灯がぼんやりと灯っていた。


 ――なに、あれ?


 林は自分の目を疑った。


 街灯が光の輪を投げかける路地に、露天商ろてんしょうが店を広げていた。

 縁日でよく見かけるような、売り台の四方に柱を立て、紅白の幕をめぐらせた屋台がある。


 耳の奧で一瞬だけ、祭り囃子ばやしと華やいださざめきが聞こえた気がした。

 切り取られたセピアの写真のような光景は、ぞくりと林の背筋を凍らせた。


 ――まちがった場所に来てしまった。


 手足が冷える。動悸が早くなる。

 戻らなくちゃ。

 早く!


 だが、どうしても目がそらせない。


 露天商の紅白の幕には、小さな浴衣や、三尺さんじゃくの帯や、リボンのついた麦わら帽子が吊り下げられている。

 売り台には、ガラス玉や貝殻を入れた瓶、プラスチックのおままごとセット、うさぎの絵のついた茶碗、竹の行李こうりに詰めた子ども服、ビニールの子馬、サイズの小さな運動靴などが、雑多に積みあげられていた。


 不思議なことに、そこに並んだ品々には、どれにも見覚えがあった。


「お嬢さん」


 しゃがれた老婆の声が、林に呼びかける。

 あわてて身をひるがえそうとすると、露天商は声を張り上げて呼びとめた。


一寸ちょっと――。お待ちなさいよ。ここに、あんたの欲しいものがあるよ」


 大きな日よけ帽をかぶっているせいで、露天商の顔は見えなかった。


「わたしの欲しいもの?」


 心臓が胸郭を痛いほど連打している。

 恐怖に突き上げられながらも、なぜか林は横目で振りかえってしまう。


「そうさ」


 帽子のつばの下で、紅をさした唇が笑った。


「へええ。あんたは、人と口がきけないんだね」


「どうしてわかるの?」


 林のスニーカーが、灯りの輪の中に踏み込んだ。


「そんなことが分からなくちゃ、こういう商売はできないんだよ」


 露天商は、ごたまぜに見える商売物の山をかき回す。


「さて、あんたが気楽におしゃべりができるものは、と……」


 たたんだ青い蚊帳かやの陰から、なにやら引っ張りだすと、露天商は黒っぽい丸いものを、林の手元に放った。


「ほれ。こいつだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る