第一章 <Ⅱ>

 風に吹き飛ばされた枯葉が、林の乾いた頬を打った。

 汐見しおみ川の堤防には、川筋に沿ってサイクリングロードが弧を描き、オレンジ色の街灯が遠近法に従って闇を刻んでいる。


 川音が高く響く右手に、コンクリート製の小さな橋があった。

 日中はおよそ目立たない簡素な橋が、深夜には過剰なまでにライトを浴びて周囲から隔絶する。まるで闇に開く異世界へのゲートのようだ。

 橋の名は、宵待橋よいまちばし

 その中央に立つと、林の影が放射状に分裂した。


 宵待橋のたもとから始まる長い坂道のふもとには、終夜灯がステンレスの校門を照らしている。夜が明ければ、長い欅並木が初秋の佇まいを見せているだろう。

 この県立高校に、林は通うはずだった。



 ――花束を抱いて水面に浮かんでいたんだよ。



 あの日、林は自分の壊れる音を聞いた。

 喉にヒビが入って、仲の良かった友だちとも言葉を交わせなくなった。

 楽しみにしていた卒業の打ち上げパーティーも旅行も、心をこめたお見舞いも心配する手紙も、ひび割れた隙間からこぼれ落ちていった。


 入学式以来、一度も足を踏み入れていない校門の前で、林は枯葉のようなため息を一つ落とした。


 校庭の樹木が張りだして街灯の明かりを遮るから、高校の周辺の歩道は暗がりが続く。だがフェンスの角を曲がると、まぶしい輝きが林の目を眩ませる。

 正門の斜向かいには、二十四時間営業のコンビニがあった。

 ちょうどドアが開いて、笑い声とともに数人の男女が出てきたので、林は暗がりに顔を背けてキャップを目深にかぶり直した。そのとき。


 林は自分を見つめる視線に気がついた。


 歩道の暗がりに、小さな子どもがいた。

 その瞳が、まばたきもせずに林をみつめている。


 林はよろけて尻餅をついた。

 キャップがぬげた。長い髪がほどけて風に流れる。


 その子がぎこちない動作で、街灯のもとに姿をあらわすと、林は息を引いた。


 歩きはじめて間もないくらいの幼児に見えたものは、古風な灰色のドレスを身につけたビスクドールだった。

 光沢のある白い肌が、コンビニの明かりをキラキラと反射した。

 と、花びらのような唇が動いた。


「ミルクがほしいの」


 円らな灰青色の瞳が、林を凝視している。


「――ミルク?」


 林はオウム返しにつぶやいた。足が動かない。


「ミルクがほしいの」


 ビスクドールが手を差しのべて、一歩一歩近づいてくる。


「ミルク」


 叫ぼうとしたが、声にならなかった。

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