第40話 くのいち岩根②
今日は、朝からいきなりの大井川である。
「この橋も怖いですね」
大井川の管理所を通過して川を渡り始めると、仁科が言うので推測になるが私は答える。
「洪水のたびに流されるから簡単に作っているんでしょ」
この川幅と水量を考えれば、丸太の橋脚に板を渡してあるだけの橋では不安があるのは当然か。
「ねえねえ、橋を渡ると私の地元、遠江なんだけど、もっと怖い話があるよ」
「なんと! どんな話しか聞きたいでチュ」
松下がうれしそうに話すと、根津は興味があるとばかり催促しているが、仁科は顔を背けてしまった。
「次の
「ほほう」
「昔、身重の女性がその石あたりで陣痛に見舞われ苦しんでいたところ、通りがかった男が介抱していたんだけど女性がお金を持っていると知ると斬り殺してお金を奪い逃げたんだって。子供は助かったけど女性は死んで、その霊が石に乗り移ったらしく夜な夜な泣くらしいわよ」
「ほほう、しかしそれでは夜でないので聞けないでチュ。なあ? 穂見月」
「そうね」
仁科の顔色が悪いが、橋の心配ではなさそうだ。
「他にないでチュか?」
「えっ!」
「穂見月、どうかしたのか?」
「う、ううん、川で魚が跳ねたと思っただけだから。だから霞、なんでもないよ」
「そうなのか?」
「他ねぇ、『桜ヶ池の大蛇』なんてどうかな?」
「どんな話でチュ?」
「怖い話しでもないんだけど、なんでも昔の偉い僧侶が、神社にある池に自ら沈んで竜神様になったという話があって、今では秋の彼岸に赤飯を詰めたお
「むむ! 竜神様は赤飯を食べるのか?」
根津はそこが気になるようだ。それよりも仁科の反応が変わる。
「聞いたことあります! なんでもそのお櫃が諏訪湖に浮いたことがあって、池が地底でつながっているという言い伝えがあるんですよね」
嫌な予感がする。
「その池、見てみたいです。岩根さん、何とかなりませんかね?」
やっぱりだ。
「そうねー、見るだけなら。でも少しだけよ」
「ありがとうございます」
仁科は礼を言う。
「ええ? 海までは行かないけど池宮神社って言ったら、ずっと南の方ですよ。急いでいるんじゃ?」
松下は、私が行くと言ったことに驚いている。散々急かしていたのだから、そりゃ不自然だろうな。
橋を渡り終え、金谷宿に入ると道のりについて浅井教官たちと話す。
「峠に行かずに川沿いを南下して寄るので」
後ろの車の連中も松下と同じで不思議そうにしていたが、まあいい。
日が差して暑くなってきた車の窓を開ければ、川沿いの穏やかな空気が流れる。多少道は悪いが、街道と違い人がいないので気が楽である。
「ここね」
神社に入っても正月前の中途半端な時期だからか、ここでも人はいない。
「おみくじ引くぞ」
でしょうね。
「参拝が先でしょ」
松下が根津を注意しているが、社務所にも人が見えないようなところなのだから全てを飛ばして池に行き、用事をさっさと済ませて欲しい。
「穂見月は何おねがいしたの?」
「内緒!」
あしらわれた中条は、伊丹に呼ばれている。
「隼人、早くおみくじ引こうぜ」
寒いから社務所の奥の方で隠れていたのだろう。よれよれの神主が出てきて相手をしてくれる。
「ここは私が八人分払いますよ」
浅井教官が自腹で払ってくれる。正直、領収書がもらえるのか分からないので悩んでいた。
「お主も引くでチュか?」
「おみくじぐらい引くわよ!」
私が八角形の筒から棒を引くと神主は、そこに書かれた番号の札を背後にある棚の小さな引き出しから取り出し渡してくれた。
“凶”
「いま悪い運を使ったことで、これからいいことがありますじゃ」
神主は私にやさしく声をかける。
ここに来るまでに悪い運は使い果たしていなかったのか?
「まあまあ岩根さん、そんな肩を落とさずに。池に行くんでしょ?」
松下は私を慰めているつもりか? お前らを送るこの仕事こそが凶だというのに!
私は大人なので、くじなど気にせず爽やかに池まで移動する。
「着いたわよ。特に何もないわね」
「そうですね岩根さん、でも立派な池ですよね」
もっとしょぼくて、所詮こんなものとなるかと思いきや仁科が言うように立派で、想像していたより上だ。
「池の平にある、七年周期で現われる幻の池も竜神の通り道として関係があると言われているわね」
松下が補足する。
「なら、そこも行くのか?」
「根津さん、さすがにいつ湧くか分からない池までは行けないわよ」
「池だけに」
この時、浅井教官がおやじだと分かる。
「なんちゃって」
……。
「さて、このままここにいても寒いだけだし、みなさん車に戻ってもいいかしら?」
私がそう言うと、みんな車の方へ振り返る。
そして池を背にして歩きだしたその時だ。
ザッバーーーーン!!
鏡のようにおとなしかった池から大きな水の音がすればまた、振り返るしかない。
「うそだろ」「うそでしょ」「チュチュッ!」
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