第39話 くのいち岩根①

「ちょっと、この車遅くない?」

 この松下とかいう子、なに私が借りてきた車に文句言ってるのよ。

「そうね。行きは峠道なんて全く気にならなかったけど、あなた達が乗った分かしらね」

「いや四人だし、装備も載せたんだから行きと比べないで下さいよ」

 やっぱり女同士じゃない方がよかったかしら。

「それより岩根さん。運転どこで変わりますか?」

「一回、熱海で変わろうかしらね」

「温泉に行くでチュ」

 この小さいのが根津のところの娘か。

「あのね、遊びに行くんじゃないんだから。今日のうちに島田宿まで行くわよ」

「島田ですか? 間に合いますかね?」

「間に合うわよ。昔と違って橋があるんだから」

 今日は島田まで行くと話すと、熱海ではなく沼津で交代でいいと松下が言うので仮眠することにした。


 キー

 停車音が聞こえる。

 富士山が綺麗に見える、沼津に着いたようね。

「おかげで休めたわ。少し休憩したらすぐに出るから、ちゃんとかわや行っておきなさい」


「穂見月、大丈夫だった?」

 出発前、車の外で集合するのを待っていると、寄ってきた中条が仁科に話かけている。

「うん? 何がかな」

「箱根峠で車が揺れてたから、車の調子でも悪かったのかと」

「そんなことないよ」

 全くだ。車はどこも悪くない。

「そうなんだ。じゃあ、霞が暴れてたとかなんでしょ?」

 この子、平然としているけど、彼の気持ち知っているのかしら?

「誰が暴れてるでチュか」

「おかえり霞」

「うむ、ただいま穂見月。それでこやつまた、あたいに言いがかりをつけていたのだろう」

「えっと……まあ、言いがかりかな」

 確かに根津は暴れていなかったが、ここのところを正直に答えるとは。

「ひ、ひどいな。言いがかりだなんて。あ、厠空いたみたいだから俺も行ってくるよ」

 逃げたか。中条では、仁科嬢は荷が重いか。

 アホ臭いやり取りと休憩を終えて出発する。


 府中はもうすぐだ。

「もうすぐ府中でチュ。安倍川餅食べに行くでチュ」

「言ってるでしょ、急いでいると。日が落ちるまでに安部川を渡らないといけないんだから」

「岩根さん、日が落ちるまでなんですか?」

 仁科は知らないのか?

「そうよ。橋は細いし、暗いし、手すりもないから夜間は通行止めにしているわ」

「そそ、冬は増水の心配は少ないけど日が短いからね。川ごとに足止め食ってたら大変だけど、おかげで駿河するがの連中は儲かってるわけで」

「松下先輩は、駿河も嫌いなんですか?」

「なによ穂見月~。それじゃあ私が嫌い嫌い星人みたいじゃない。私が嫌いなのは、お・わ・り、だけよ」

「安倍川餅食べるでチュー、食べるでチュー」

 緊張感のない連中だ。

「ねえ、岩根さん。間に合いそうですし、食べましょうよ」

「そうでチュ。穂見月もっと言うでチュよ」

「しょうがないわね」


 私はお店の横で車をとめた。

「どうかしましたか?」

 後ろの車から堀田が降りてきて聞いてくるので説明する。

「そう言うわけで、食べに行くわよ。別に、私が食べたかったからじゃないんだからね」

「はぁ……分かりました。みんなも呼んできます」

 なにかしら? 変な間があったけど。

「いらっしゃい!」

「八人分ね」

 注文し、私たちだけで狭い店内を半分占領していると、すぐに安倍川餅とお茶が出てくる。

「おまちどうさまです」

「はい。領収書は大渕で頂戴」

「へぃ、毎度」

「経費なんですね……」

「当たり前でしょ。堀田君もこの先、領収書をもらう癖をつけた方がいいわよ」

「そうですか……覚えておきます。それより僕、安倍川餅食べるの始めてなんでちょっとうれしいです」

 堀田はともかく、他の男共は黙々と食べている。感想はないのか?


 そしてこちらを見れば、女子たちは騒いでいる。

「美味しいでチュ、穂見月じっと見てないで食べるのだ」

「えっと、黒蜜はかかってないんですか?」

 穂見月が言うと松下は怪訝そうな顔になる。

「ええ? 安倍川餅の特徴は白糖を使っているところなんだから、黒蜜なんてかけないよ」

「そうなんですか? 前に食べた時はかかっていたのですが」

「どこで食べたのよ?」

「山梨の親戚のところに行った時に食べました。お供え物にしたりもするとか」

「そうなの? でもそんなの邪道邪道。こっち本家だから」

 恐らく松下の話に根拠はない。

「おかわり食べたいでチュ」

「もう、あなたはうるさいわね。急いでるって言ってるでしょ」

 声に出てしまった。

「岩根さん、島田まで行くんですよね? ギリギリになりそうだし、もう行きましょうか?」

「はい、浅井教官。それでは、お願いしますね」

 一息ついて運転する気が失せる中、車に乗り込むとすぐに出発した。


 日が傾いてきてるけど、間に合いそうね。って、何よあの隊列!! ジャマだわ。

 前を行く商人の隊列を追い抜こうとしたが、隊列の先頭はすでに橋の管理所についていた。

「ちょっと通りたいんだけど」

 橋の管理所に行き管理人に話す。

「今日はもう無理だよ。この隊列見ただろ?」

「何言ってるのよ。後ろに車が二台ぐらい引っ付いて行っても変わらないでしょ?」

「いや、まだ向こうから渡って来る連中がいるからその後だから。商人の隊列だけでも長すぎて時間過ぎての入場にかかるのに、その後の者など認められない」

 私は外套がいとうの胸元に手を入れて、通行証を取り出すとチラつかせる。

「議員特権ですか? いいですけど、あなた方が先に渡ると、そこの商人さんの隊列は渡れませんよ? 優先には出来ますけど、渡る時間の制限はそれでは変えられないので」


 橋の管理人は毅然とした態度だ。それはそうだ。この者たちは守護に雇われていて意識も高く、これを決めたのは朝廷だからな。何人なんぴとにも文句は言わせないだけの自信があるわけだ。

 今の状況で問題なのは、横にいる商人だ。私と管理人とのやり取りを見ていたのだから、ここで私が特権を行使すれば大渕に悪い噂が立ちかねない。おおやけにできる事案での行使なら言い訳もできるが、この件は目立たないように進めろと言われている。

 府中に戻るか?


「おやおや。急いでいらっしゃるようですね?」

 商人は、自問し迷っている私に話しかけてくる。

「ええ、しかし決まりなら仕方がありません」

「いえいえ、お待ちください。このような長い隊列を組んでご迷惑をおかけしているのですから、どうぞお先に行ってください」

 かしこまっているが、議員の関係者だと知ってのことだ。隊列と併走している時に見たあの屋号、近江おうみ商人のはず。

 借りを作りたくない相手だが、今更遠慮しても仕方がないか。

「なんと! 助かります」

 互いの芝居が終われば、近江商人の隊列は府中に引き返し始める。また明日の朝、出直してくるそうだ。


 しばらくし、対向してくる隊列が終わると薄暗くなり始めていた。見にくくなった幅が狭い橋をやっと渡り、島田宿へ入る。

 そして床に就けば、移動した距離に合わない苦労をしたなと思いながら寝てしまうのであった。

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