今、それを言いますか
ダイニングの照明は、廊下と同じキャンドル型のライトが使ってあった。
ただ、廊下のように一灯ではなく、スワロフスキークリスタルが煌めく豪奢なシャンデリアになっていたが。
洞穴をくぐってたどり着いたラスボスの宮殿って感じだな、と思いながら、芽以は大きなダイニングテーブルに逸人と並んで座っていた。
オレンジ色の灯りに照らし出されながら、供される食事はとても美味しかったが。
ひとつ、困ったことがあった。
「そうなのよ。
この間、芹沢さんの奥様がね」
富美の金持ち仲間の話を聞きながら、芽以は心を遠くへ飛ばしていた。
困ったお客さんを前にしたときのように。
ちょっとついていけないかったからだ。
どうも、日向子の手前、そういう話をしているようなのだが、日向子は特に姑の自慢話は聞きたくないらしく、同じく心を遠くに飛ばしているような目をしていた。
この席での唯一の安らぎは美味しい料理と、追加の野菜を届けて帰る途中だったらしい神田川が、外を通ったとき、たまたま目が合い、
『芽以さん、頑張って』
と視線で励ましてくれたことだ。
ありがとう、神田川さん。
どっしりとしてヒゲ面の神田川は、なんとなくマスコットっぽくって和む。
ちなみに逸人は、かぼちゃのポタージュに入っていたパクチーに釘づけだった。
食事中に圭太のスマホが鳴り、圭太が立ち上がる。
職場からの電話のようだった。
「落ち着かんな」
と逸人の父、光彦が溜息をついた。
「いちいち上に指示を仰ぐなと言っておけ」
と廊下に出て話している圭太には聞こえていないだろうに、そんなことを言っている。
次期社長を小間使いのように使うなと言いたいようだが、それを聞いていた逸人が言った。
「ああして、呼ばれるうちが花だろうが。
社長は当てにならないと、社長、これどうでしょう、と問うこともなく、部下が自分たちだけで進め出したら、やばいだろうが」
光彦がぎくりとした顔をしていた。
やがて、圭太が戻ってきて、また、富美の話が始まる。
意識を遠くに飛ばしていたら、ちょうど、日向子の横、斜め向かいに座る圭太と目が合ってしまった。
というか、圭太は先ほどから、食事もせずに、ずっとこちらを見ていたようなのだ。
何故か、すがってくる仔犬のような目で見てくる。
ひ、日向子さんの視線が痛いので、ぜひとも、やめていただきたいのですが、と芽以は知らぬ顔をしようとした。
け、圭太……。
食べて、お願い。
ラスボスじゃなくて、ずっと一緒に旅してきた仲間に殺られそうだから、と思ったとき、日向子がフォークを置いた。
かなり大きな音がしたので、富美が話すのをやめ、日向子を見る。
日向子は、あまり減ってはいない、おのれの皿を見たまま、口を開いた。
「私、貴方と一緒になりさえすれば、幸せになれると思ってた」
顔は圭太の方を向いてはいないが、圭太に向かって言っているようだった。
「でも、婚約してから、楽しくなかった。
ただの友だちだったときより、苦しくなった……。
貴方の心は私にないのに。
最初からそんなことわかっていて、結婚したいと言ったのは、私だったのに。
婚約してみても、ただそれがよくわかっただけだった」
圭太、と日向子は圭太を振り向く。
「それをわからせるために、私と婚約してくれたの?」
いや、そんな小器用なことの出来る男ではないですが。
よくご存知でしょうに、と思いながら、芽以は二人を見つめていた。
圭太は、日向子がなにを言い出したかと、ただ戸惑っているようだった。
日向子は立ち上がり、みんなに向かい、頭を下げる。
「すみません。
破談にしてください」
富美たちが、えっ? という顔をした。
「私、圭太と芽以さんの優しさに甘えてました」
いや……私は既に関係ないですが。
っていうか、今は、自分の気持ちに気づかせてくれた日向子さんに感謝してるんですが。
そう思いながらも、日向子の真剣な語り口調に、口を
「貴方には、今でも芽以さんしか見えてないのね」
そう寂しそうに圭太に言ったあと、日向子は、もう一度、みんなに向かい、頭を下げた。
「ごめんなさい。
こんな席で、こんなこと言い出すこと自体、私、子どもなんだと思います」
かき回してごめんなさい、と日向子は真っ直ぐ圭太を見つめて言った。
「ありがとう、圭太。
ごめんなさい、芽以さん」
日向子はそのまま出て行った。
「お、……追え、圭太」
と一瞬あとに、正気に返った光彦が言う。
「困った人だが、甘城の後ろ盾なくしては、お前は社長にはなれん。
うちが作った会社とはいえ、会社はもう――」
そんな父の言葉に、逸人は淡々と返す。
「今どき、世襲しようと思うのが、そもそもの間違いだったんですよ。
会社も子どもと一緒です。
産み出したのは自分たちでも、大きくなり、意思を持ってしまったら、もう、こちらの思う通りにはならない。
あそこまで大きくなった企業は、最早、誰のものでもない。
それが嫌なら、一から会社、作り直したらどうですか?」
そう逸人が言ったとき、ふいに圭太が、
「……逸人にやらせなよ」
と言い出した。
「俺はもともと器じゃなかったんだ」
圭太はナフキンをテーブルに投げ、椅子に背を預ける。
「逸人なら、甘城のバックアップがなくともやっていける。
重役たちもそう思ってるさ」
だが、逸人は、
「そんなことを本気で思っているのなら、そいつらの目は節穴だ」
と言い出した。
「お前はあれだけ好きだった芽以を諦めてまで、会社のために尽くそうとしたんだぞ。
そんなお前の覚悟に俺なんかが敵うわけがない。
そう思ったからこそ、俺は会社を辞めたんだ。
俺だったら、会社を捨てても、芽以を取る」
……どうしよう。
そんな場面ではないのに、ちょっと泣きそうになってしまった。
圭太、と逸人は兄に向かい、呼びかける。
「お前がどうしても社長になりたいと言うのなら、俺が手を貸してやる。
お前に甘城がついてなきゃ認めないと言ってる奴らは、俺を担ぎ出したいんじゃない。
お前に難癖つけたいだけだ。
今すぐ、そいつらを此処へ連れてこい」
光彦と富美の顔には、いや、連れてきたら、なにが起こるかわからないから、この息子の前には連れて来られない、と書いてあった。
「そいつらが、俺に社長になれと言うのなら、なってやろう。
お前の覚悟も見抜けないような連中は、会社に居ても、役には立たないからな。
即行、クビにしてやる」
ひっ、と芽以は身をすくめた。
本当に、即行、クビにしそうだ、と思ったからだ。
逸人さん、逸人さん、その人たちにも養わなければならない、妻や子や孫や愛人さんが居るかもしれませんよ。
いや、愛人さんはいいか……。
しかし、この人、パクチーの店をやってる方が害がなくていいかも、と改めて芽以は思った。
なにかと、決断が早すぎる……。
まあ、それが上に立つものとして、向いている、ということなのかもしれないが。
だから、たぶん、その重役さんたちの目が節穴なわけでは、決してない。
そんなことを思いながら、逸人を見たとき、日向子が、神田川に連れられ、戻ってきた。
というか、扉の外で話を聞いていたようだった。
戻るタイミングを窺っていたのだろう。
たまたま、出くわした神田川に説得されたようだっだが。
まあ、マスコットみたいな神田川さんに、
「戻りましょう」
とか言って、微笑まれたら、逆らえないもんなー。
ゆるキャラに言われてるみたいで、と思いながら、ニッコリ微笑んで去っていく神田川を見送った。
罰が悪そうにしている日向子をチラと見て、富美が言う。
「……私だって、好きでこの人と結婚した訳じゃないのよ」
ええっ? お義母様っ、今、言うっ?
と芽以は富美を見た。
お義父さんが呆然とされてますけどっ?
と思ったとき、富美は日向子を見ずに言ってきた。
「でも、今では、私が一生を共にするのは、この人しか居ないと思ってる。
……まだ若いのに、結論早すぎなのよ、貴女たちは。
人生は長いのよ。
何度でも、何処からでもやり直せるわ」
一度は、ほっとしかけた光彦だったが、すぐにまた、やり直す気かっ? という顔をしていた。
なんだかんだでラブラブなようだ、と思い、笑ってしまった。
「ほら、舞い踊りなさいよ、鯛やヒラメ。
私のおかげで、逸人があんなはっきり告白したんだから」
……すっかり元に戻ってしまったようですね、日向子さん。
翌日、珍しく営業時間内にやって来た日向子はそんなこと言い出した。
ちょっとした照れ隠しなのかもしれない。
いや、そう思いたい……、と芽以は、昨日のしおらしい様子は何処へやら、いつものように高圧的にしゃべり出す日向子に思っていた。
「ところで、あれから、さすがになにか進展した?」
と日向子は逸人の方をチラと見ながら、訊いてくる。
「いえー、相変わらずなんですけど。
今朝なんか、俺が芽以のそばにいると芽以が静たちと浮気をするから、別れてくれ、とかよくわからないことを言ってました」
「……本当に、相変わらずね」
ええ、本当に……。
「っていうか、むしろ、別れてくれってことは、付き合ってるつもりだったのか、とちょっとビックリしましたが」
「いや、なに言ってんの、夫婦なんでしょ」
と日向子は言うが、いやいや、まだ婚姻届は出してませんしね、と思う。
むしろ、あの婚姻届は書き直したい気もしている。
なんだかわからないが、包丁で脅されるようにして書いたあれじゃなくて、ちゃんと好きだと思った今の気持ちで書きたい気がするからだ。
そのとき、静が窓の外を通るのが見えた。
静はチラと中を見て、日向子を見ると、うわっ、という顔をしたが、行きかけて戻ってきた。
そのまま、中に入ってくる。
「……静さん、待ってたんじゃないですよね?」
笑顔で静に手を振る日向子に不安を覚え、芽以はそう訊いてみた。
「違うわよ。
でも、居たらいいな、とは思ってた」
と言われ、ひっ、と身をすくめる。
「静と話してると、あー、駄目な男ねーと思って、圭太がより好きになれる気がするの」
いや……そのわりに楽しそうなんですけど、と思いながら、結局、日向子の前に座った静の注文を取り、芽以は、すすすす、とその場を去った。
厨房から、チラチラと日向子たちの方を窺っていると、
「どうした?」
と逸人が訊いてくる。
「いえ、ちょっとあそこが気になりまして」
と日向子たちを見ながら言うと、
「放っとけ」
と言いながら、逸人は日向子たちのテーブルの料理を出してきた。
それをトレーにのせながら、
「あれ? そういえば、二人ともパクチー抜かなかったですね。
また張り合ってるんですかね?」
と芽以が言うと、
「いいだろ。
パクチー専門店なんだから。
食べられなくて、さっさと帰ってくれれば、それでもいい」
と逸人は言ってくる。
いや……だから、此処、パクチー専門店なんですよね、と思いながら、芽以は料理を運んだ。
静は微妙にパクチーを避けながら食べていたが、日向子は普通に口に運び、顔をしかめていた。
だが、すぐに、おや? という顔をして、もう一口食べて、驚いたような顔をする。
「芽以っ」
と戻りかけていた芽以を呼んできた。
はいはい、なんでございましょう、乙姫様、と芽以が行くと、
「食べられるわっ、パクチーがっ。
嫌なんだけど、もう一口食べてみたいと思ったっていうかっ」
と叫び出す。
「ええっ?」
「っていうか、パクチー専門店来といて、その一言、どうかなと思うけど」
と見事に避けて食べている静が苦笑いして言っていた。
しかし、周りのお客さんたちは、ウェルカム! という顔で見ている。
ようこそ、こちらの世界へ! と言った感じだ。
……すみません。
私はまだ、行けそうにありません、と思いながら、
「よかったですね」
と言うと、日向子は、おや? と気づいたような顔で言ってきた。
「そういえば、なんで、あんた、私に敬語なの?」
「え、今?」
と静が、芽以の気持ちを代弁してくれた。
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