お酒はもう結構です

 


 正月も開け、仕事に出た圭太は行きつけのレストランで夕食を取っていた。


 ああ、これ、芽以が好きだったなとかぼちゃのニョッキを食べながら、芽以のことを思い出す。


 歯の調子が悪いから、パスタはやめてニョッキにする、と言った芽以に、


『食べたいもの我慢するくらいなら、歯医者に行けよ』

と言って笑った自分が、今はとても遠い。


 まるで、違う人間に起こっていた出来事のように感じる、と思っていると、いきなり、頭からスパークリングワインをかけられた。


 ……気のせいかな、と思ったのだが、周りの客がみな、こちらを見ているので、気のせいではないのだろう。


 目の前にいたショートカットの女が立ち上がり、

「今日は帰ります」

と言い出す。


 そうか。

 お疲れ様、と思ったあとで、いや、これはのちのちまずいな、と気づく。


 慌てて立ち上がり、

「待て、日向子」

と呼び止めたが、もう彼女はさっさと出口に向かってしまっていた。


 上得意様の日向子を、支配人が慌てて追いかけていく。


 そうだ。

 今日は日向子と来てたんだった。


 なにか目の前に居て、しゃべっているのはわかっていたのだが、と思いながら、追おうとすると、顔見知りの店員が、


「甘城様は、支配人が引き止めてますので、お早く」

と小声で言ってくる。


 確かに、このまま、追いつかなかったから、大変なことになる。


「ありがとう。

 すまない」

と言って、そっと札を渡そうとした。


 日向子のせいで、テーブルも椅子も少し濡れていたからだ。


「いえ、結構です」


 さあ、お早く、と急かされ、出口に向かうと、手渡されたコートを手に、支配人と話しながら待っていた日向子がこちらを見る。


 この間買うのに付き合わされた、ミックスカラーのミンクのコートだ。


 あのときも、似合う? と訊かれたのに、適当な返事をして、バッグで殴られた。


 こちらが悪いのだからと思って、文句も言わなかったのだが、このままでは、妻による家庭内暴力の日々になりそうな予感がしていた。


 今も日向子は、かなりお怒りのようだ。


 彼女の許に行きながら、圭太は、

「ごめん。

 ちょっと仕事のこと考えてた」

ととりあえず、言い訳をしてみた。


 それで怒りが収まるかは知らないが。





 さて、今日もいい感じに回せたな。


 逸人は満足して、厨房を片付け、生ゴミを出しに外に出た。


 店は忙しかったが、効率よく仕事がこなせると楽しい。


 そこのところは、会社に居たときと変わりない。


 芽以も時折、ドジは踏むが、意外に、いや、小さな頃から彼女見てきた逸人としては、意外にでもないのだが――。


 頭できちんと整理して動く方なので、動作はそう早い方ではないが、出遅れない。


 さあ、風呂にでも入って、寝るか。


 ああ、少し残り物があるから。


 もちろん、パクチーを入れる前の状態の料理だが……。


 シャンパンでも開けて、芽以と、と思ったとき、それは居た。


 ポリバケツの横に捨てられた猫のようにしゃがんでいる。


 一瞬、驚いたが、いつものように顔には出さなかった。


「なにをしている。こんなところで」


 びしょ濡れじゃないか、と頭から肩にかけて濡れている圭太を見た。


「いや、日向子に酒をかけられて」

とポリバケツの横で膝を抱えていた圭太が言う。


「なんでだ」

「……俺が日向子を見てなかったからだろうな」


 強引に結婚に持ってっといて、強気だな、日向子……。


 逸人は溜息をつき、

「まあ、いい、入れ。

 いや、ちょっと待て」

と言ったあとで、裏口から中に向かい、叫んだ。


「芽以ー。

 ちょっと上に上がっとけ。


 下りてくるなよー」


 圭太が、なんだそれは、という顔をしていた。





「芽以ー。

 ちょっと上に上がっとけ。


 下りてくるなよー」

と逸人が言うのが聞こえた。


 なんだろうな、と思いながら、芽以が、

「はーい。

 なんでですかー?」

と訊くと、


「なにかが来たから」

とよくわからない返事があった。


 なにかが来たってなんだ、と思いながらも、素直に二階に上がろうとしたのだが、スマホを厨房の棚の上に忘れていたのを思い出し、急いで取りに戻ってしまった。


 すると、ドアが開き、圭太が現れた。


 何故か頭が濡れている。


「圭太」


「芽以……」


 この間のように、圭太は瞳をうるませ、側まで来ると、両手で芽以の手を握ってくる。


「芽以っ」


「そこまでだ」


 ……今日も肉切り包丁、大活躍ですね、逸人さん、と後ろから、圭太の首筋に包丁を突きつける逸人を見る。


 逸人さん、死にます、その位置だと……と芽以が思っていると、圭太が逸人に文句を言い出した。


「何故、そこまでお前に制限されなきゃならんっ。

 今、付き合っていないとしても、ずっと友達だったんだ。


 手も握ってはいけないというのはおかしいだろうがっ」


「いや、そういうことを声高に叫ぶお前がおかしいが……」

と言った逸人だったが、包丁を下ろし、


「まあ、いい。

 座れ」

と顎をしゃくって、ホールを示した。


「シャンパンがあるが、呑むか?」


 ああ、酒はもういいか、と頭から肩にかけて酒臭い圭太を見て、逸人は言う。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る