昨日、大丈夫だったから、もしかして、今日も大丈夫
「私、逸人さんのお友だちに初めて会いました」
そんな芽以の言葉を思い出しながら、賄いを片付けたあと、逸人は二階に上がっていた。
そりゃそうだろうな。
会わせなかったんだから、と逸人は思う。
開店祝いに来たいと言った奴らには、芽以の居ない日に来いと言っておいたくらいだ。
みんな、気のいい連中ばかりだ。
きっと芽以も好きになってしまうに違いない。
そして、あいつらもチャラチャラしてはいるが、特定の彼女は作っていないので、芽以を好きになってしまうかもしれない。
俺も圭太もずっと芽以を好きだったくらいだからな、と砂羽が居たら、後ろからはたいて来そうなことを思っていた。
下に下りると、裏口の外から、芽以の話し声が聞こえてきた。
なんだかわからないが、男と盛り上がっているようだ、と思ったら、神田川とパクチー談義をしているようだった。
二人ともパクチー嫌いなのに、何故、パクチーの話で盛り上がる……と思っていると、
「私もパクチー苦手なんですけど。
逸人さんが作ったお料理、みなさんに、美味しく食べていただきたいですっ」
と芽以が、
「逸人さん、いい奥さん、もらわれましたね」
と神田川が言うのが聞こえてきた。
そっと覗くと、芽以が神田川の手を握っている。
無意識のうちに、そこにあった研いだばかりの肉切り包丁をつかんでいた。
芽以が俺の料理をそんな風に思っていてくれたのは嬉しいし。
神田川が芽以を褒めてくれたのも嬉しいが。
芽以、お前がその可愛らしい手で握ったら、男なら、誰でもお前のことを好きになってしまうじゃないか、と思いながら、包丁を手に外に出た。
芽以と神田川の間にその包丁を突き出した。
どちらにも当たらないようにしながら。
「芽以、その手を離せ。
三分以上、男と話すな。
ふしだらな女だな」
ひっと怯えた芽以と、自分を見、神田川は微笑ましげに笑っていた。
芽以が中に入ったあと、神田川は裏口の横に置いた青いカゴを手で示しながら言ってきた。
「これ、お試しで使ってみてください。
逸人さんのお気に召すかはわかりませんが」
「これ、全部ですか?
代金は払いますよ」
と言うと、いえいえ、これからご贔屓にしていただければ結構です、と神田川は言う。
「本家の方は今、大忙しですよ。
今度、
一応、人数には入っているようですが」
「……あまり行きたくはないが」
これ以上、実家と距離を置いて、芽以が悪く思われても困るな、とは思っていた。
今は、自分の我儘で来ないんだと思っているのだろうが。
あまり長引けば、姑の
だが、神田川は、
「芽以さんのことなら、心配することはないですよ。
奥様も芽以さんのことに関しては、多少は申し訳ないと思ってらっしゃるみたいなので」
と言ってきた。
「多少はだろ?」
と言うと、
「今回は、逸人さんが聞き分けが良くて、自ら、家のために、芽以さんを引き取ってくれたと思ってるみたいですから。
なんだかんだ言いながらも、お二人にそう悪い印象はないようですよ。
むしろ、甘城の家にあまりデカイ顔をされたくないと、そればかりが気になっておられるようですが」
と言ってくる。
「……本当に莫迦だな、あの親は」
と逸人は毒づく。
自分の親だから、憎み切れないところもあるが。
勝手で、自分たちのことと会社のことしか考えてないように思える。
本当に、今、一番苦しいのは、芽以よりも、あんたたちの大事な息子の圭太なんじゃないのか?
いや、芽以が辛くないわけではないとは思うが。
まだ、形だけでも笑ってくれるが、圭太は実際に会って、びっくりした。
あれは、ほとんど廃人だ。
なにを言い含められて、日向子との結婚に踏み切ったのか知らないが、と思ったあとで、
ああ、日向子を妊娠させたんだったか、と思い出す。
まったく、と逸人は溜息をついた。
「でも、逸人さん、よかったですね」
と言われ、神田川を見ると、
「芽以さんと結婚できて」
とにんまり笑って言ってきた。
……なにを言うか、と思いながらも、少し赤くなってしまう。
「ご両親はご存知なかったようですが。
……我々や使用人はみんな知ってますよ、逸人さんがずっと芽以さんを……」
「神田川さん。
そろそろ戻った方がいいんじゃないですか?」
何処で芽以が聞いているかわからない。
早口に話を遮ると、ああ、そうですねえ、と笑いながら、神田川は、
「では、今後ともよろしく」
と言って去っていった。
中に戻ると、芽以は、せっせと夕方からの営業の準備をしていた。
よく働くな、と思いながら、ホールに居る芽以の横顔を眺める。
そして、なんだかわからないが、いつも楽しそうだ。
神田川と嫌いなパクチーの話してても、楽しそうだったしな、と思って、ちょっと笑ってしまう。
芽以は苦手なパクチーをいつか克服できると信じて、息を止めながらでも、此処で頑張っているようだ。
パクチーにもそれだけ愛をそそいでいるのなら。
俺にも、いつかそそいでくれるだろうか。
……昨日キスしても刺されなかったしな。
今日も刺されないだろうか、と自分も開店準備をしながら、逸人は思っていた。
そんなこんなで正月は過ぎ、結局、芽以の実家の窓拭きには行けなかった。
もちろん、逸人の実家にも――。
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