遠慮せずにしてくれ




 翌朝も逸人の店は通常どおり営業していた。


「ランチBですー」

とお客様に向けた笑顔のまま、芽以は逸人に言いながらも、内心、のたうち回っていた。


 目が覚めたら、逸人が居なくなっていたからだ。


 もう起きたのかと思ったら、厨房にはおらず、何故か芽以の部屋で寝ていた。


 しかも、珍しく遅く起きてきて、

「すまん。

 なかなか寝付けなくて」

とだけ言う逸人は、何故、部屋を移動したのかは教えてくれなかった。


 ……なんだろう。

 恐ろしい予感がするんだが、と芽以は逸人を窺う。


 私が夜中に蹴ったとかっ?


 イビキがひどかったとかっ?


 突然、立ち上がり、ウロウロし始めたとかっ?


 更にそこから、ブツブツ言いながら、泣き出したとかっ!


 どんどん妄想が膨らんだとき、

「あけましておめでとー」

「おめでとうございますー」

と陽気な声がした。


 振り向くと、千佳たちが立っていた。


 はい、お祝い、と可愛らしい大きな籠入りのフラワーアレンジメントをくれる。


「ありがとうっ」

と突然の訪問に驚いて、芽以が言うと、


「いやいや。

 あのパチンコ屋の開店祝いみたいなの送った方がいいのかなと思ったんだけど、よくわからなかったから。


 手土産と、開店祝いと結婚祝いも兼ねて」


 これも、と洒落た包装紙の包みもくれた。


「あんたの好きな猫柄の夫婦茶碗。

 結婚式はまたやるんだろうから、お祝い、ちょっとだけ、と思ってね」


 みんなで出し合ったから、少しずつだから、気にしないで、と言う。


「あ、ありがとう。

 びっくりした。


 今日来るなんて言ってなかったから」

という、こちらの話はまったく聞く気のない彼女たちは、


「やだーっ。

 厨房に居るのが、旦那様?」


「めっちゃイケメンーッ!」

と騒いでいる。


「お静かにー。

 みなさん、お静かにー」


 個室を作っておくべきだった、と後悔しながら、千佳と総務系の女子五人組を隅の方に連れていく。


 もうランチタイムも終わりで、少し手が空いていたせいか、逸人が出てきて、テーブルと椅子を五人用に寄せるのを手伝ってくれた。


 間近で逸人を見た、めぐみが祈るように手を合わせて言う。


「ご主人、めちゃくちゃお美しいですね」


 逸人は沈黙したまま、椅子を寄せている。


 は、逸人さん、お客様ですっ。


 お返事をっ。


 って、この人に愛想振ることなんて期待しても無駄かっ、と思った芽以が口を開きかけたとき、逸人は彼女らを振り向き、


「……いらっしゃいませ」

と言って頭を下げた。


 はっ、逸人さんが、挨拶をっ!


 いや、いらっしゃいませ、くらい普通言うだろうと思うのだが。


 この人の場合、いつも黙々と作っているだけで、挨拶といっても、客と目が合うと、ぺこりと頭を下げる程度のことなので、驚いた。


 妻の友人たちがわざわざ来てくれたのに、いらっしゃいませだけと言うのもどうかと思うのだが。


 芽以は、いらっしゃいませと言っただけで、びっくりした、褒めてあげたいっ、と思っていた。


 実際、めぐみたちは、逸人が挨拶しただけで、ぽーっとなって、あまりこちらの話も聞いていないようなので、お客様に対する挨拶としては、それだけで充分なような気もしていた。


 しかし、面白いものだな、と芽以は思う。


 例えば、圭太が此処に居て、挨拶したとしても、彼女たちは、きゃーっ、と騒ぐだけだろうに。


 ほぼ同じ顔なのに、逸人だと、何故か、崇め奉る感じになっている。


 なんとなく、わかるようなわからないような、と思ったとき、芽以は気づいた。


 食べる手を止め、こちらを見ている年配のご夫婦が居ることに。


 開店当初から通いつめてくださっているご夫婦だ。


 しかも、ご近所さんでもないらしいのに。


 おい、あのシェフがいらっしゃいませとか言ってるぞ、という顔をしている。


 ……すみません。


 接客スキルのないシェフで……。


「わー、どれも美味しそうー」


「私、いパクしちゃおー」

と逸人が厨房に戻ったあと、席に着いたみんなは楽しげにメニューを眺め始めた。


「いい店ね、芽以」

とこちらを振り向き、千佳が言ってくる。


 いつも一緒に居る友だちからのその言葉がなんだか心に染みた。


 いや、私はこの店の最初の段階から関わってたわけでもないんだが、と思いながらも、

「……ありがとう、千佳」

と、じんとしながら、芽以は言う。


 圭太にフラれてから怒涛の展開で此処まで来たことなど改めて思い出している芽以に、千佳は笑顔で言ってきた。


「じゃあ、私は、このランチBね。

 パクチー抜きで!」


 千佳……、お前もか。

 




 千佳たちに料理を運んだあと、芽以は、さっきのご夫婦の会計をしていた。


 レジで、奥さんの方が笑って言ってくる。


「やだもう。

 初めて、シェフが挨拶するの聞いちゃったわー」

と案の定言われた。


 ほんとにもう、どんなシェフだって感じですよね、すみません……と思っていると、

「だって、シェフ、貴女になにか指示するとき以外、口開かないじゃない。


 機械のように手際良くお料理してるし、実はホログラムで生きてないんじゃないかとか思っちゃってたわ」

と奥さんは笑い出した。


 いや、この人も変わった人だな、と思いながら、芽以は、すみません、と苦笑いして、頭を下げる。


 逸人も聞こえていたのか、ご夫婦が、じゃあ、と言いながら出て行くのを見て、ぺこりと頭を下げていた。


 ……すみません。

 これがこの人の精一杯で……。


 って、会社の仕事のときはしゃべってたんじゃないのか、おーいっ、と思いながら、芽以は深々と頭を下げ、ご夫婦を見送った。






 騒がしい芽以の友人たちも、いつものご夫婦も帰るらしい。


 ……なにか自分も言うべきだろうか、と逸人が思っている間に、みんな帰っていってしまった。


 他の客も居なかったので、芽以は二組とも見送りに出たようだった。


 厨房を片付けていると、戻ってきた芽以が言う。


「ありがとうございました。

 逸人さん、みんな喜んで帰りましたよ」

と言われ、逸人は、いや、とだけ言った。


 いい友人たちだな、と思ってはいた。


 特にあの、パクチー嫌いなのに来てくれたらしい千佳とかいう子など、みんなの食べているパクチーの匂いに顔をしかめながらも食べてくれた。


「いつものご夫婦も逸人さんがご挨拶されたのでびっくりされてましたよ。

 すごいですねって」


 いや、すごいですねってのもおかしいだろう……と多少反省していると、芽以が、

「私も、頭を撫でてあげたいとか思っちゃいました」

と友人たちと軽口を叩いていた流れでか、つるっとそんなことを言ってくる。


 だが、すぐに気がつき、

「あっ、すみませんっ。

 テーブル片付けてきますねっ」

と恥ずかしそうに言って、行ってしまった。


 逸人は、

 いや……、撫でてくれてよかったんだぞ、芽以、と思いながら、その後ろ姿を見送った。





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