一緒に寝てみるか



 少し酔いの覚めた芽以は、お風呂に入ったあと、逸人と一緒に戸締まりをした。


「今日はありがとうございました。

 おやすみなさい」

と廊下で頭を下げた芽以は、さて、と寝ようとした。


 が、

「待て」

と言われる。


 相変わらず、犬に命令するか、生徒に号令をかけるかのような口調だ、と思いながらも振り向いたが、逸人は、何故か、そのまま黙り込む。


 な、なんでございましょう、と芽以は緊張する。


 今日、間違えて、違うテーブルに料理を運びかけて、引き返したのが見えてたとか?

と怯えていると、逸人は、


「……一緒に寝てみるか?」

と言い出した。


 言っている自分自身が戸惑うような感じで。


 貴方、今、誰に言わされているのですか……という感じだった。


 宇宙からの指令か? と思いながら、視線を合わさない逸人を見ていると、


「いや、心配するな。

 なにかしようって言うんじゃない。


 せっかく夫婦になったんだ。

 ちょっと……一緒に寝るくらいしてみるかと思っただけだ」

と言ってきた。


 こちらを見た逸人に、

「いいか?」

と問われ、


「あっ、はいっ。

 了解ですっ」

と仕事のときのくせで、即答してしまっていた。





 どっちで寝るのかなーと思ったのだが、逸人の部屋になったようだった。


 そういえば、初めて入るな、逸人さんの部屋、と思ったが、此処も、芽以の部屋と変わらないくらいなにもなかった。


 思わず、笑ってしまう。


「どうした?」

と訊かれ、


「いえ。

 私も逸人さんも部屋になにもなくて。


 なんか仮の宿やどりみたいだなって」

と言うと、微妙な顔をされる。


「俺は元から物は置かない主義だ」

と言われ、そうでしたね、と思う。


 実家の逸人の部屋は知っているが、あそこもあまり物がない。


「実家のお前の部屋はなんだかわからないものがごちゃごちゃあるな」


 そーですね……。


「まあ、運んでこなくていい」

と言われ、


 では、いずれ、出て行けとっ!?

と思っていると、


「店が軌道に乗ったら、もっと山の方に入ろうかと思ってるから」

と言ってくる。


「あのー、なんで、山の方に……」


 まあ、今は遠くても美味しいなら、お客さん来てくれますけどね、と思いながらも問うと、


「そこまでパクチーを食べに来るのなら、本物のパクチー好きと言うことだからだ」

と言う。


 いや、貴方、パクチー嫌いなんですよね……?


 何故、お客様のパクチー好きを試すような真似を、と思いながら聞いていた。


 部屋の入り口に立つ逸人は、自分のシングルのベッドを見、

「……狭いな」

と言い出す。


 そーですね、と思っていると、

「ちょっとお前の部屋に入ってもいいか」

と言ってきた。


「ど、どうぞ」

と言うと、逸人は芽以の部屋に行って、布団を抱えてきた。


 そして、自分のベッドの布団を下ろし、横に並べる。


「じゃ、おやすみ」

と唐突に言われ、は、はいっ、と慌てて、芽以は、おのれの布団に入った。


 部屋はもう充分温まっていて、すぐにも眠れそうだった。


「お、おやすみなさい」

と言うと、逸人は、うん、と言って、電気を切った。


 だが、月明かりと街の明かりで、そんなに暗くはない。


 わー、ちょっと緊張するなーと思う。


 自分の家で、自分の布団なのに、なんだか全然別の場所に居るように落ち着かない。


「芽以?」

と呼びかけられ、


「なんだか、交差点の真ん中に布団を敷いて寝ている気分です」

と言ってしまい、


「……それは落ち着かないな」

と言われてしまった。


 そのまま、沈黙する。


 寝られそうで、寝られないな、と思いながら、身じろぎもせず、じっとしていると、逸人が口を開いた。


「お前、さっき、なんでパクチー専門店を開いたのかと訊いたな」


 あ、は、はい、と言いながら、逸人の方を向く。


 逸人は目を開け、天井を見ていた。


「昔、パクチーを我慢して食べたら、いいことがあったと言ったろう。


 親がみんなの前で、お前風に言うなら、げー、するなというから、こらえて呑み込んだんだ。


 いつまでも、鼻から突き抜けるようにパクチーの匂いが残ったが。


 ぐっと堪えて、他の招待客の手前、笑顔で食べた。


 そしたら、次の日、……ちょうど圭太が居なかったんだ」


 話はそこで終わりのようだった。


 圭太が居ないことのなにがよかったんだろうな、と芽以は思う。


 ケーキを切るときに、圭太が居なかったから、割り当てが増えたとか?


 ……いや、我が家じゃないんだ、そんなせこい話ではあるまい、とか考えていると、逸人は、

「芽以、手を出せ」

と言ってきた。


 は、はい、と布団の中から手を出すと、逸人はこちらを見ないまま、手探りで手を握ってきた。


 ひーっ。

 やめてくださいーっ。


 緊張して、眠れなくなるではないですかっ、と芽以は逸人の方を見たまま固まる。


 逸人がこちらを向いた。


 じっと自分を見つめてくる。


 も、もう無理ですっ。

 緊張で失神しますっ、と思ったとき、逸人が目を閉じた。


「おやすみ、芽以」


 いや、寝られませんっ!






「おやすみ、芽以」

と言って、逸人は目を閉じた。


 今日は俺にしては上出来だな、と思いながら。


 手を握るくらいなら、芽以も文句は言うまい。


 昔、我慢してパクチーを食べたら、次の日、芽以が遊びに来たとき、圭太が歯医者に行っていて、居なかった。


 芽以が、

「今日は圭太、居ないから、二人で遊ぼうね」

と言って、にこっと俺に笑いかけてきた。


 緊張して、上手く遊べず、芽以はつまらなさそうだったのが、残念だったが、貴重な二人だけの思い出だ。


 あのみんなでカウントダウンに行ったときも、最初は芽以は自分の側に居た。


 寒い寒いとみんなは言って、ウロウロしていたが。


 自分はあまり寒さがこたえない体質なのか、気にならないのか、そう寒くは感じなかったので、花火が上がるのを待ちながら、ベンチに座ってじっとしていた。

 

 そのとき、

「寒いですねー」

と言って、芽以が側に来た。


 ひょい、と横に座る。


 兄貴と居なくていいのかと思いながらも、夕方、アトラクションに乗ったときの話を楽しそうに語る芽以の話を聞いていた。


 やがて、圭太がやってきて、

「観覧車越しに見た方が綺麗だってよ、花火」

と芽以を誘う。


 芽以は自分も誘ってくれたが、一緒に行っては悪いかと思い、もうちょっとしたら行くと言って、そこにとどまった。


 微かに雪が降る中、自分は、芽以が居なくなったベンチをひとり見つめていた。


 ベンチには、きっと、まだ、芽以のぬくもりが残っているのに――。


 顔を上げると、芽以たちはもう橋のところまで行っていた。


 芽以がくしゃみをし、圭太が笑って、自分のマフラーをかけてやっている。


 祖父のイギリス土産で、圭太が大事にしているものだ。


 圭太は躊躇無くそれで芽以をぐるぐる巻きにしていた。


 鼻水つくぞ……と思いながら、遠目に見ていた。


 笑いながら行ってしまう二人が、あのとき、確かに恋人同士に見えていたのに――。


 逸人は今、手の先に居る芽以を見る。


 彼女が、此処に居ることが今も信じられない。


 だが、

「……芽以」

と呼びかけてみたが、返事はなかった。


 寝てる!


 もうかっ!?


 手をつないだ瞬間は緊張してる風だったのに。


 逸人はつないだ手は離さないまま、近くに行く。


 空いている方の手を芽以の顔の横につき、上からその顔を見下ろした。


 子どもの頃から変わらない、あどけない顔がそこにある。


 昼間、慣れない仕事を必死にやっている芽以を思い出し、爆睡しているが、疲れてるんだろうな、と思った。


 受付の接客と店の接客はまた違うだろうから。


「おやすみ……芽以」

とそっと彼女が起きないように、その額に口づけた。


 身じろぎすることもなく、芽以は眠っている。


 なんだか笑ってしまった。


 笑ってしまったが……。


 街の灯りでそんなに暗くはない部屋の中、芽以を見ていると、なんだか落ち着かない気持ちになり。


 自分が一緒に寝ようといったくせに、結局、布団を芽以の部屋に抱えて行き、ひとりで寝た。




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