アイム ノット イングリッシュ!
一体、この人は私と圭太のなにを見たというのだろう。
特にやましいところもないのだが、いつもシリアスな逸人の語り口調に芽以は勝手にドキドキしてしまう。
「二年前」
二年前っ!?
「テーマパークのカウントダウンに行っただろ」
ああ、そういえば、みんなで行ったな、と思っていると、
「観覧車の前で花火を見てたとき、お前、圭太と手をつないでた」
と逸人は言ってくる。
「……よく見てますね、逸人さん」
暗がりだったし、みんな、花火の方を見ていたから、誰も気づいていなかったんだと思っていた。
二年前の大晦日。
みんなでカウントダウンに行った。
私は、なんの罰により、こんな寒い中で、花火を見上げているのだろうかな、と思っていたら、横に居た圭太がふいに手をつないできた。
手袋はしていたが、寒いからかな、と思い、子どものときのように、ぎゅっと握り返し、
『寒いねー』
と笑いかけると、圭太は、
『……そうだな』
と言って、ちょっと恥ずかしそうに俯いた。
「あー、そんなこともありましたね」
と思い出しながら、芽以は呟く。
「俺はあれを見て、お前と圭太は付き合ってるんだろうなと思ったんだ」
「いや、あの、手をつないだのも、それ、一回きりですし――。
でも、そうですね。
考えてみれば、圭太と一番距離が近づいたのは、あのときだったかもしれません」
お前とは結婚できない、と言った一週間前の圭太の顔を思い浮かべながら、芽以は、そう言った。
「圭太はお前と結婚できないのを知っていたから、お前に触れなかったんだろうな。
よくそんな状態で我慢したな」
偉かったな、と言われてしまったのだが、
「いや、だから、そもそも圭太と付き合ってるつもりもなかったんですけどね」
と芽以は答える。
人から見たら、付き合ってるんだか、付き合ってないんだかわからない宙ぶらりんの状態で、何年も待たされた女、になってしまうのかもしれないが。
正直言って、圭太のことをどう思っていたのか、今でもよくわからない。
ただ、なんとなく、今までも側に居たから、これからもずっと側に居るんだろう、くらいに思っていただけだ。
「……じゃあ、お前は誰と付き合ってるつもりだったんだ」
と訊かれ、
「いえ、誰とも、
……ぼーっと」
と言って、
「ぼーっとしてそうだな」
と言われてしまった。
相変わらず、失礼ナリ……。
そんなこんなで夜も明け、大晦日の朝が来た。
何度も言うようだが。
何故、十二月三十一日にオープンしようと思ったのか、二、三発、張り手を喰らわして問い詰めたい。
オープンと年越しが重なって、より落ち着かなくなるではないかっ。
芽以は、ソワソワしながら、早朝から店内の点検をしていた。
ちゃんとお客さん、来るんだろうかな、こんな日に。
っていうか、私は、ちゃんと注文取れるんだろうかな。
いきなりパクチー求めて、外国のお客様とか、いらしたら、どうしたらっ!?
アイム ノット イングリッシュ!
(私は英語ではありませんっ!)
と逸人に後ろから、はたかれそうな怪しい英語を心の中で叫んでいたとき、ふと、異変に気づいた。
窓の外から誰かがこちらを見ている。
振り向いて、ぎょっとした。
外に行列が出来ているのだ。
何故っ!?
広告も打ってないのにっ?
ガラス窓から外を見ていると、逸人が側に来た。
芽以がその行列を見ながら、
「なにしに来たんですかね?」
と呟くと、
「……料理を食べに来たんだろう」
と言う。
「でも、パクチーが入ってますよ」
「……パクチーを食べに来たんだろう」
芽以は衝撃を受けていた。
世の中にこんなにパクチー好きの人が居たとは……。
だが、最初は少人数の客からでいい、と言っていた逸人にも、この行列は予想外だったのではないかと思う。
「やばい気がします。
お兄ちゃん呼んでもいいですか?
あの人、昔、レストランでバイトしてたんで」
と言うと、
「じゃあ、呼べ」
と言う。
さすが判断の速い逸人は、客の列を見て即決した。
すぐに兄、
「おいおい。
窓を高圧洗浄機で洗ってる途中だったんだが」
と言いながら。
「正月明けにお前らやれよ」
と言う兄がなにやら楽しそうなのは、久しぶりにウェイターをやるからか、掃除を途中で抜けられたからかは、わからない。
快く送り出してくれた
芽以は、水を運び、料理を運び、皿をさげ、テーブルを拭いた。
手ぬかりのないよう、口の中でブツブツ言いながら、その作業を延々と繰り返す。
水を運び、料理を運び、皿をさげ、テーブルを拭く。
水を運び、カメムシを運び、もうカメムシの居ない皿をさげ、テーブルを拭く。
繰り返しの作業に、途中から錯乱してきたようだ。
いや、どの料理も美味しそうなのだが。
何故か、どれにもパクチーが入っている。
しかも、山盛り入っている。
いや、最初から山盛り設定ではないのだが、客は何故かみな、山盛りにしたがる。
何度も言うようだが、美しいもちもちの半透明の生春巻きに、何故、パクチー。
香ばしい炒めたベーコンに粉チーズ、そこに何故、パクチー。
皮がカリッカリに焼けた、ジューシーなチキンの横に何故、パクチー。
鶏はこんな風になるために殺されたんじゃないと思う。
鶏に謝れ、と思いながら、次々と運ぶ。
ふかふかのシュウマイにパクチー。
白と緑で目に鮮やかだが、パクチー。
厨房のカウンターに料理を取りに行きながら、芽以は、この人、一体、何本手があるのだ、と手際よく料理を作っている逸人をチラ見する。
ともかく、徹底的に効率よく行くように、何度もシミュレーションしていたようだった。
聖も厨房を手伝った経験はあるようだったが、逸人のペースを乱さないよう、手は貸さないことにしたようだ。
代わりに、聖は楽しくお客さんたちとトークを繰り広げている。
……特に女子と。
そうして、聖が聞き出したところによると、この行列の原因は、SNSだそうで――。
恐ろしいな、SNS、と芽以は思う。
ひとりのパクチー好きの目にこの店の看板が止まり、そこから、ぶわっと広まったようなのだ。
パクチー専門店が増えてきたとはいえ、物凄く多いわけでもない。
新しいパクチーの店に飢えていた人たちが、全国津々浦々から集まってきてくれたようなのだ。
「とりあえず、オープンしたときは行列ができる、ラーメン屋みたいなもんですね」
昼過ぎて、一段落したときに、芽以はそう呟いた。
「つまり、今日失敗したら、それもすぐに広まるということだな」
あくまでも冷静に、逸人は言う。
ひい、と思っている間に、また店が混んできた。
嬉しい悲鳴だ。
というか、聖は本当に嬉しそうだった。
久しぶりに、たくさんの女の子たちとお話し出来て。
……手伝ってもらっといて、なんですが、お兄様。
お義姉さんに言いつけますよ、とその様子を眺めながら、芽以は思う。
聖は、一応、イケメンで愛想が良いので、女子ウケはいい。
それにしても―― と芽以は運びながらトレイの中を見た。
ああ、熱々のスキレットの中で煮えたぎる海老のアヒージョに何故、パクチー。
ピンクの皮に黒いツブツブの入った白い実。
可愛らしいドラゴンフルーツのサラダに、何故、パクチー。
季節の野菜のジェノベーゼの上に、何故、季節の野菜でないパクチー。
……しかし、なににのせても色鮮やかだから、サマになるな。
口に入れないのなら、と思いながら、芽以は走らない程度に早足で運ぶ。
っていうか、
この上、パクチーおかわりとか正気ですかっ?
私はさっきから、鼻の上をカメムシがもぞもぞしている気がして、息を止めて運んでいるのですがっ。
ちなみに、追いパクという言葉を初めて雑誌で見たとき、
「おいパク」
と呼んで、パクチーが追いかけてくるのかと思ったものだ。
芽以がそんなしょうもないことを考えている間に、十一時半になっていた。
みっしりパクチーの詰まったモヒートを運んで、営業は終了した。
普段はこんなに遅くまではやらないそうなのだが、まあ、オープンだし、大晦日だし。
せっかく行列してまで来てくださった、たくさんのお客様に申し訳ないので、延長して営業したようだ。
それにしても、大晦日に、パクチーで年を越したい気持ちがわからないんだが……、と思いながら、芽以はキャスケットを外し、ひと息ついた。
さすがに十時過ぎたところで、兄には帰ってもらっていた。
そろそろ帰さないと、笑顔の水澄さんに、グーで殴られそうな気がしたからだ。
聖に、パクチーののっていないケーキを渡し、今度、お義姉さんと翔平になにかお礼をすると言うと、
「俺には……」
と言っていたが。
いやいや、この年末の忙しいのに、男手を借りてしまったのだから、まず、お義姉さんをねぎらわねば、と思ったのだ。
それから店内を片付けて、時計を見ると、十二時はとっくの昔に過ぎていた。
「年越してますよっ、逸人さんっ」
「あけましておめでとう」
そんな淡々と……。
夫婦初めての年越しですよ……。
まあ、いいか、と思いながら、二人で、夕食をとった。
パクチーの入っていない海老のアヒージョもワインも美味しかった。
先に入っていいと言われたので、逸人さんもお疲れだろうと、と芽以は急いで、お風呂に入る。
「ではっ」
と二階に上がって、部屋の戸を開け、布団に倒れ込んだところで、既に意識が飛んでいた。
疲れた。
でも、なんかこの、よく働いたあとの、布団に吸い込まれてく感じが気持ちいいや。
たぶん、逸人さんもだろうなーと思いながら、芽以は眠りに落ちた。
「芽以?」
風呂から出た逸人は、一応、芽以の部屋をノックしてみた。
返事はない。
しかし、ドアが少し開いている。
……鍵が開いているが、うっかりだろうか?
新年を迎えるにあたり、一緒に寝てみようとか……
思うような奴ではなかったな。
そう思いながら、そっと覗いてみると、差し込む廊下の灯りの中、布団の上に、うつ伏せに倒れこんで寝ている芽以の姿が見えた。
死体のようだ……と新妻の寝姿に対する感想とも思えないことを思ったあとで、逸人は室内に入り、芽以を抱き上げた。
ぐっすり眠っている芽以は起きる気配もない。
仰向けに寝かせ、上から布団をかけてやった。
それにしても、なんという平和な寝顔だろう。
色気もクソもないとはこのことだが……。
逸人は笑いながら立ち上がり、芽以を見下ろす。
「……おやすみ、芽以。
あけましておめでとう」
白く小さな寝顔に、そう囁くと、逸人は、そっと部屋を出た。
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