書き初めに新年の野望として書こうと思っていた




 ぜ、全身筋肉痛で起きられないのですが、どうしたら?


 元日の朝、芽以は布団の中で、固まっていた。


 痛いよー。


 如何に普段身体動かしてないかが、よくわかるな、と思いながら、とりあえず、手探りで枕許のスマホを取る。


 寝過ごしてないか、確認するためだ。


 すると、母親からメールが入っていた。


『今日、逸人さんとおせち食べに来る?

 もし、あちらにご挨拶に行くのなら……』 

と延々と注意書きが入っていた。


『行かない。


 それどころではない。


 ありがとう』

と返信する。


 水澄みすみに、いつも、

『芽以ちゃんのメール、男らしいわ~』

と言われる短さだ。


 いや、ちゃんと絵文字も入れてるんですよ、一応、と今居ない水澄に向かい、弁解しながら、起き上がる。


 そして、気づいた。


 そういえば、昨日、布団の上に、ぱたっと行き倒れて寝た気がするのだが、いつの間に、布団の中に入っていたのだろうかな、と。


 寒くて、もぐりこんだのかな? と思いながら、一階に下りると、もう、逸人は厨房に居た。


 ……いやー、なんかこの顔と真っ白なコックコートを見ただけで、新年でなくとも、身の引き締まる思いがするな、と思いながら、

「あけましておめでとうございます」

と頭を下げると、


「あけましておめでとう。

 芽以、開店まで、まだ時間があるから……」

と言いかけ、逸人は言葉を止める。


 再び、視線を鍋に戻し、

「向こうに朝食は用意してある。

 すぐに行け」

と言ってきた。


「えっ、ありがとうございますっ」


 どひゃー、新年早々、忙しい旦那様に食事を用意させるとかっ、と申し訳なさで慌てる。


 しかし、今の言葉、前後がつながっていなかったような、と思いながら、いつも食事をしているテレビの前のコタツのところに行くと、黒豆、数の子、刺身、煮物、と重箱にこそ入ってはいないが、如何にもなおせち料理が並んでいた。


 可愛らしい淡いピンクで寿と描かれた、口に入れると、ほろっと崩れそうな和菓子もついている。


 いつの間に、こんな完璧に準備をっ。


 も、申し訳ございません、と土下座しそうになっていると、後ろから、

「買ってきてたんだ、気にするな」

と逸人の声がした。


 コックコートを脱いできた逸人に、

「急いで食べろ」

と言われ、


 はっ。

 では、ありがたくいただきますっ、

とコタツに入って、二人で食べる。


 うん、美味しい。


 お雑煮も美味しい。


 ころんとした可愛いお餅が入ってるな。


 逸人さんちはお餅、焼くんだな、と思いながら、出汁の旨味うまみたっぷりの雑煮を食べた。


 見るともなしにテレビを見ながら芽以は思う。


 しかし、あれだな。

 なんか年始からしてもらってばっかりだな。


 私も、逸人さんになにかしてあげたいんだが。


 正月といえば……


 お年玉。


 いや、お年玉なんぞあげたら、殴られそうだ。


 というか、妻から夫にお年玉とか、あまり聞かないが、と思ったが、他になにも思い浮かばない。


 朝から、きちんとしていて、神々しい逸人の顔を見ているうちに、何故か、『お賽銭をあげる』という言葉が浮かんだが、そんなものあげたら、逆に殴られそうだな、と思う冷静さは、まだあった。


 そんなことを考えながら、じーっと逸人の顔を見ていると、それに気づいたように、逸人もこちらをじっと見つめてくる。


 な……


 なんでしょうか?


 は、早く食べろって、意味でしょうかっ、と思って、急いで食べ始めると、よく響くいい声で、

「落ち着け」

と言われる。


 まるで、散歩に連れて出たら、はしゃいで駆け回る犬に向かって言うような口調だった。


 ……この人の心の中の私のポジションはどの辺ですか? と思いながらも、芽以は言った。


「でも、今日も忙しいんでしょう?

 早く準備しないとですよね」


 いや、元旦からパクチー食べに来る人が居るのかは、知らないが……。


 でも、大晦日でもあれだけ押し寄せてきたんだから、居るかもな、と思っていると、

「いや、店の準備は昨日して寝ただろう。

 俺ももう下ごしらえは済んでる」

と言ってくる。


 じゃあ、なにを急いでるのかな。


 大掃除とか?


 いやー、さすがに引っ越したばかりで、まだするとこないよなー、と思ったとき、テレビが初詣の中継を始めた。


 今、逸人にお賽銭をあげたくなったことを思い出しながら、

「そういえば、今年は、初詣には、行けませんねー」

となんの気なしに言うと、逸人は、


「行けばいいじゃないか。

 まだ時間はあるぞ。


 ……実家にも寄れなくもないし」

と言ってきた。


「ああ、逸人さんちですか?」


 やはり、あれから挨拶に行ってないことが気になっていたのだろうか、と思い問うてみたが、

「そうじゃない」

と言う。


「うちになんか行かなくていい。

 お前の実家だ」


「えっ?


 うちですか?

 いや、いいですよ。


 この間行ったばかりですし」


 そこで会話は止まってしまった。


 なんなのかなー。


 なにかが噛み合っていないような、と小首を傾げながら、芽以は黒豆を食べた。


 実家の甘すぎる黒豆も美味しいけど、この上品な味付けのも美味しいなー。


 金粉ついてるとこ、より美味しく感じるし。


 ……いや、気分の問題だが、と思いながら、また、黒豆をつまんだ。





 俺は目標に向かって、コツコツ物を積み重ねていくのが好きだ。


 そうしているうちに、嫌いなものも、苦手なものもなくなったりするから。


 だから、いつでも、段取り良く、きちんとやって行きたいのだが――。


 おせちを用意したのはまずかっただろうか。


 そんなことを考えながら、逸人は黒豆を食べていた。


 芽以が忙しそうだったから、準備などできないだろうと思って、買ってきてしまったのだが。


 かえって恐縮してしまったようだ。


 ……のわりには、パクパクよく食べてるが、と思いながら、芽以を眺める。


 自分が早く食べろと言ったので、急いでいると芽以は思っているようだ。


 いや、急いではいる。


 だが、その理由を芽以には言い出せないでいた。


 さっきも言えなかったな、と思いながら、逸人は熱いお茶を飲む。


『あけましておめでとう。

 芽以、開店まで、まだ時間があるから……』


 時間があるから、初詣に行ってみないか?


 着物着て。


 ……圭太だったら、笑顔で言えるんだろうにな、と思ってしまう。


『芽以、行くぞ、初詣。

 着物着て。


 可愛かったじゃないか、この間着てたの』


 さらっとそう言う圭太を想像し、自分もそのまま言えばいいじゃないかと思うのだが、性格的に言えるわけもない。


 口に出来たとしても、なにか重々しく言ってしまい、芽以が、

『は……逸人さんのおうちには、初詣には、着物着て行かねばならない風習とか、因縁とか怨念とかあるんですかっ?』

とか青ざめて言ってきそうだ。


 こいつの発想も少しおかしいからな、とテレビを見ながら、おせちを食べている芽以を見る。


 芽以は、先ほどから、チラチラ、寿の和菓子を見ている。


 最後のお楽しみなのだろう。


 顔見ただけで、考えがすべて読めるってすごくないだろうか、と妙な感心をしていると、テレビが初詣のニュースを始めた。


「そういえば、今年は、初詣には、行けませんねー」

となんの気なしにと言った感じで、芽以が言ってくる。


 今だな。


 今だ。


 今しかないっ、と思い、逸人は口を開いた。


「行けばいいじゃないか。

 まだ時間はあるぞ。


 ……実家にも寄れなくもないし」


 着物を着せてもらいに、と思いながら言うと、


「ああ、逸人さんちですか?」

と芽以は言ってくる。


 いや、うち、今、関係ないだろうが。


 うちの母親なんぞ、着物を着せられるわけもない。


「うちになんか行かなくていい。

 お前の実家だ」


「えっ?


 うちですか?

 いや、いいですよ。


 この間行ったばかりですし」


 そこで会話は止まってしまった。


 行き当たりばったりに夫婦になってしまった我々の間に、以心伝心という言葉はないようだ、と思う目の前で、芽以は、なんなのかなー、という顔をして、小首を傾げている。


 そのとき、芽以のスマホが鳴った。


「あ、おにーちゃんだ」

と芽以がとる。


「おにーちゃん、昨日はありがと……。


 は?

 着物?」


 普段から大きな聖の声が、こちらまで、もれ聞こえてくる。


 着物は着るのかと芽以の母親が側で訊いているようだ。


『着るのなら、すぐ来いってさ。

 こっちも初詣に出かけるから。


 今、水澄が着せてもらってる』


 聖さんっ。


 やはり、神!


 素晴らしいタイミングで電話してきてくれた聖に感謝しながら、逸人は、この機を逃すまいと立ち上がる。


「芽以、せっかくお義母さんが言ってくれてるんだから。

 早く支度しろ。


 此処は俺が片付けるから」


 よかった。

 新年の野望は、書き初めに書くまでもなく、達成できたようだ。


 いや、書き初めに『振袖』とか書いていたら、芽以に、

「……どうしたんですか」

とか言われそうだが……。






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