開店前の一番の難問
それからは、怒涛の一週間だった。
来週末にはもうオープンすると逸人が言うので、芽以は会社に出つつ、有休消化もしつつ、開店準備を手伝った。
ある程度、準備は済ませてあったようだが、次から次へと新たな用事が押し寄せてくる。
「最初は俺も自信がないし。
上手く店を回せるかわからないから、問い合わせがあった人と、知り合いと、たまたま立ち寄った人間だけで、客はいい」
と逸人は言う。
広告は特に打たないようだった。
自信がないとか言うんだ、この人、と意外に思ったが。
おのれに対しても、自信過剰にならずに、冷静に分析できるところが、逸人だな、と思わないでもなかった。
「……一番悩んだのは、お前の制服だ」
ある晩、逸人は、そんなことを言い出した。
今、このクソ忙しいときに、なにで悩んでるんですか、貴方は、と思いながら、芽以は相変わらず、似合いすぎるくらい似合う白いコックコート姿の逸人を見た。
「スタイリッシュな店にしたい。
だが、どうやら、お前は、可愛い制服の方が似合うようだ。
それで客を呼ぶのもいいが、お前は一応、俺の妻だからな」
おかしな男に言い寄られては困る、と逸人は大真面目に語ってくる。
「いっそ、似合わない服を着せた方がいいのか。
いや、おかしな服を着せたら、俺の理想の店から遠ざかる……」
パーフェクトな店を目指す逸人には、何故かそこが一番の悩みどころのようだった。
「こんな感じでいいんじゃないですか」
とテーブルの上で開かれたユニフォームの分厚いカタログを適当に指差すと、
「……俺はこっちが似合うと思うが」
と逸人は違う場所を指差してくる。
白いシャツに茶系ストライプのネクタイとエプロン、それに、キャスケットまでが一セットになっている。
結局は、お前の好みか、と思いながらも、ご主人様の好みに従うことにした。
届いたものを着てみると。
うん、悪くない。
店内の縦長で大きな鏡に全身を映して見ながら、
「すごく仕事の出来そうな店員さんに見えますっ」
と自分で言って、
「格好だけはな」
と言われてしまったが。
ユニフォームを身につけると、なんだか気持ちが引き締まるなーと思い、鏡を見つめる。
だが、これに袖を通して店に出るときが、受付嬢の制服とはお別れするときだ。
あれも可愛かった……とお前は会社の何処に未練があるんだ? と逸人に訊かれそうなことを思いながら、ユニフォームを畳んだ。
翌日、会社で千佳たちが、店員姿の写真を見せろと言うので、逸人が撮ってくれたそれをスマホで見せると、
「わー、可愛い。
私も次の仕事、決まらなかったら、雇ってくださいー」
とどうやら、いずれ、辞めるつもりらしい、めぐみが言ってくる。
……あの王様みたいなオーナーシェフに耐えられるんならな、と思っていると、
「なによう。
イケメンシェフの写真がないじゃない」
と千佳が言ってくる。
店内の写真はあるが、逸人は映っていなかったからだ。
「いや、写真撮らせてくださいなんて、恥ずかしくて言えないし」
と言いながら、ちょっと赤くなっていると、千佳は、
「どんな夫婦よ……」
と言ったあとで、
「週末オープンだよね?
行って、入れるかなー?
混んでるんなら、落ち着いてからの方がいいかなー」
と訊いてきた。
いやー、混むのかなあ? パクチー専門店、と思いながら、
「来てくれるの?」
と千佳に訊くと、
「行く行く、もちろんー」
と満面の笑みを浮かべて言ってくる。
「イケメンシェフを拝みに行くわよ。
あ、料理はパクチー以外のものを出してね」
そのイケメンシェフに殴られると思う……。
なんだかんだで、日は過ぎ、芽以は職場の荷物を片付けつつ、開店準備を手伝った。
しかし……やったことがないのだが、ウェイトレスとか。
上手く出来るだろうか。
オープンが近づいてきて、芽以はいよいよ不安に思う。
此処には先輩の店員も居ないので、誰かに教わることもできない。
レストランのゲームはよくやるのだが、ああいうのじゃないだろうしな。
あのゲーム、外国のゲームなので、物は投げるように置くし、客に動きがないときは、店員なのに、欠伸をし始めるし。
うむ。
参考にならないな……。
ゲームを参考にしようというのが、そもそもの間違いなのだろうが。
ホールに立ち、頭の中で仕事する自分をシミュレーションしていた芽以は振り返り、厨房に居る逸人に訊いた。
「あのー、ウェイトレスって、どんな風にしたらいいんですかね?
なにか極意とか、気をつける点とかありますか?」
と訊いてみたのだが、ソースの味見をしていたらしい逸人は、チラ、とこちらを見たあとで、
「本を読め」
と言ってきた。
「この世の中の大抵のことは本に書いてある」
……この人も私レベルに駄目な人のような気がしてきた。
ゲームに頼る店員、本に頼るシェフ。
大丈夫だろうか、この店。
まあ、特に宣伝もしてないし、そんなに、てんてこまいするほどお客さん来ないだろうしな、と思い、とりあえず、気を落ち着けることにした。
失敗しようものなら、この帝王様にどんなお叱りを受けるかわからないからだ。
仕事中は厳しいが、普段はやさしい……
とか言うわけでもないしな、と最早、こちらには興味を失ったように、ソースの入った小鍋を見つめている逸人を見る。
でも、初めて、此処に引っ越して来た日、部屋を暖めてくれていたのは、逸人だったし。
あのスノードームもどうやら、クリスマスだからと飾ってくれていたらしい。
スノードームを手に、
「お忘れでしたよ」
と翌日言ったら、
「使ってない部屋になにを忘れるんだ。
あれはあそこに置いておけ。
お前が気に入らないのなら、廊下にでも出しておけ」
と素っ気なく言われた。
昼間、食器などを買い足すときに見つけて、可愛いから買ったのだと言う。
「俺が持ってても仕方ないだろう。
お前がいらないのなら、捨てろ」
と喧嘩腰に言ってくるが、要するに、クリスマスプレゼントということなのだろうかな? と思った。
包んでもいないところがこの人らしいというか。
でも、クリスマスだし、私もなにかあげるべきだったろうか、と後から思ったのだが。
あまりの忙しさに、あっという間に、クリスマスな雰囲気の残る期間さえ、終わってしまった。
っていうか、何故、このせわしない年末にオープンするんだ。
この洋風な店に、注連飾り似合わないしっ、と買い出しに行ったとき、ついでに注連飾りを買いながら、芽以は思った。
今更、下手に気を使ってお返ししても殴られそうだなあ。
お礼にとお年玉でも渡したら、もっと殴られそうだし。
そうだ。
もし、来年まで一緒に居たら、少し多めにクリスマスプレゼントをあげようかな。
いや、もし、来年まで一緒に居たらって、夫婦もどうかと思うが……。
などと考えながら、疲れ果てた芽以は、意味があるのかないのかわからない南京錠をかけ、今日も爆睡してしまった。
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