……それはジョークなんですか?
そのあと、芽衣のアパートに寄り、少しだけ荷物を持って、店に戻った。
店の二階が住居になっているからだ。
「この部屋を使え」
と逸人は廊下の突き当たり近くにある部屋のドアを開けてくれる。
はい、ありがとうございます、と芽衣は頭を下げた。
よく考えたら、なんで、逸人さんの言いなりに動いてるんだろうな、と思わなくもなかったが。
チラ、と逸人を見上げる。
腕を組んで立つ逸人は、子どもの頃から変わらぬ帝王のような目をしていて。
圭太ではなく、この人を会社のトップにと望む人が居るのはちょっとわかるな、と思っていた。
しかし、実際には、この帝王様は、パクチー専門店の店主になられるそうだ。
店がパクチー専門店だと気づいて出て行こうとしても、この目で脅され、無理やり、山盛りのパクチーを機械的に食べさせられそうだ、と思っていると、暗い部屋の前で立ったままの芽衣に、帝王様は言ってこられた。
「布団は運んである」
はっ、ありがとうございます。
わたくしごとき庶民のために、わざわざ、と言いそうになる。
およそ、夫婦の会話ではない。
「それと」
と運んでくれた芽衣のキャリーバッグを部屋に入れ、電気をつけながら、帝王様は、
「大家さんに許可を取って、鍵をつけたから」
と鍵を渡してこられた。
「年末だから、すぐには無理だと業者に言われたので、自分でつけたから、南京錠だ」
何故、南京錠っ!?
と部屋の内側を覗くと、なるほど、鍵が開いたままの南京錠が引っかかっている。
外側でなくてよかった、なんとなく……とそのひんやりとした鍵を手に芽衣は思う。
「ちゃんとかけておけよ。
夜中に俺が忍んで来ないように」
……ジョークですか?
ジョークなんですよね?
と思いながら、芽衣は固まっていた。
このような人が私のところに忍んでくるとは思いがたいのですが。
っていうか、よく考えたら、我々は夫婦ですよね?
鍵の必要性がよくわからないのですが、と思っている間も、逸人は家の中の説明をしてくれる。
「風呂もキッチンも好きに使っていい。
店を手伝うのは、仕事を辞めてからでいいが。
朝晩空いた時間に、感心なことに店を覗きに来たりするのは構わないぞ」
「の、覗きに行きます」
感心なことにと付け加えてはいるが、最早、脅迫……と思いながら、芽衣は逸人を見上げた。
「じゃあ、おやすみ」
と言って、逸人はさっさと階下に下りていってしまう。
なんだかよくわからないクリスマスの夜。
と、ともかく、部屋に入ろう、と芽衣はこれから自分の部屋になるらしい部屋へと入ってみた。
窓際に木のデスクがひとつと、部屋の中央に布団が一組畳んで置いてあるだけの部屋。
新しい人生の始まり――
なのかもしれないが、よくわからない、と思いながら、部屋を見回した芽衣は気づいた。
部屋が暖かい。
エアコンにタイマーがかけてあったのか、付けっぱなしだったのか、外から帰ったばかりなのに、程よく部屋が暖まっていた。
そして、カーテンが開いたままの窓際のデスクの上には、小さなスノードームがあった。
中にはツリーとスノーマンが居る。
可愛い。
この部屋に逸人さんが置き忘れたんだろうかな、と思いながら、それを引っ繰り返し、戻してみた。
愛らしいスノーマンと緑の木の上に雪が降り積もる。
「あれ? 雪……」
窓の外。
先程まで、チラチラとしか落ちていなかった雪が、はっきり目に見えるほどの大きさになっているのが見えた。
芽衣はスノードームを手にしたまま、雪を見つめ、
「……メリークリスマス」
と誰にともなく呟き、ちょっと笑った。
しかし、後から思えば、平穏だったのは、このクリスマスの夜までだった。
いや、此処までの過程が平穏だったかどうかは、ともかくとして――。
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