……貴方は何者ですか

 


「千佳、パクチー好き?」


 芽以が社食で唐突にそう訊くと、千佳は海老天うどんを食べる手を止め、

「喧嘩売ってんの?」

と言ってくる。


 ……喧嘩は売っていません。


 お嫌いなようだ。


 駄目な人はほんと駄目だもんな~、パクチー。


 やっぱり、あの匂いがなー、と芽以は思う。


 一般的には、カメムシのようだと言われるが。


 私は、香水のような匂いだな、と思うのだが。


 香水。


 嗅ぐにはいいが、食べ物として口に入れろと言われたら、非常に嫌だ。


 そして、口に入れたときの鼻に抜ける感じがいつまでも残り、もう見るだけで嫌になる。


 一時の流行りが消えたら、お店が立ち行かなくなるんじゃなかろうか、とまだオープンもしていないのに、芽以は気の早い心配をしていた。


 ふたたび、甘いんだか辛いんだかよくわからない社食のカレーを食べ始めたとき、千佳が、

「あんた、今日、暇?

 暇なら、あんたんち行っていい?」

と言ってきた。


「いやー、それが今日から新居に荷物運ぶことになっててさ」

と言うと、


「うそーっ。

 結婚式はっ?」

と千佳が言ってくる。


 そうだ。

 結婚式は? とそのとき気づいた。


 包丁突きつけられて、血判状に拇印を……


 違うな。


 婚姻届にサインをさせられて、既に結婚した気になっていたが、気がつけば式も挙げていない。


「なによ。

 あんたも挙げない気?」

と千佳が睨んでくる。


「最近、結婚式やらないか、海外でとか、うちうちでとか多くてさ。

 セールになったからって買った私のドレスはどうなるのって感じなんだけど」


 うん。

 まあ、その気持ちはわからないでもない、と自分も、着る当てもないのに、うっかりドレスを買ってしまったことのある芽以は思う。


 ワンピースかスーツくらいの感じで来てくれとか言われるレストランウェディングも多いしなー。


 レストラン……。


 はた、と気づく。


 まさか、結婚式、自分の店でやるとか?


 いや、あの人の性格からいって、式自体、やらないとかっ?

と芽以は青くなる。


 いやいやっ。

 私、ウェディングドレス着たいんですけどーっ、と思っていると、

「なによ。

 ほんとにやらないの?」

とこちらの顔色を見て、千佳が訊いてくる。


「いやー、どうなるんだろー?」

と不安げに呟いて、


「ほんとに、なんにも決めてないの?

 なんで結婚したの? 勢い?」

と問われてしまった。


 うう。

 まあ、ある意味、と思っていると、

「ま、結婚って勢いなのかなとは思うわよね。


 チャンスがあるときには逃さないことよ。

 すぐにお互い気が変わっちゃったりもするしね。


 適当に結婚した方が意外と長く続くとかいうし」

と言ってくれたあとで。


「でも、えらく急いで結婚したものね。

 この間まで、付き合ってる風でもなかったのに。


 ……もしや」

とお腹の方を見るので、


「いや……手もつないでな……


 いや、握られたか。


 包丁つかんで、手を切られそうになったときと、パクチーの匂いを嗅がされたとき」

と思い出しながら、呟くと、


「なにそれ、どんな危険な男?」


 っていうか、私、包丁より、パクチーの方が怖いわ、と千佳は言ってくる。


 いや、あんた、どんだけパクチー嫌いなんだ、と思ったとき、千佳が窓の外の他所様よそさまのビルを見て、あーあ、と言った。


「移動すんの、此処より大きなビルらしいけど。

 嫌だなー、家引っ越すの。


 今のまま、実家が楽だし。


 結構みんな辞めるらしいよ、女の子は」

と言ってくる。


 まあ、そうなるかなーと思いながら、芽以は水を飲む。


「新幹線か高速でなら、通えなくもないけど。

 バリバリキャリア積もうって子以外は、やっぱりちょっとね。


 完全移転するまで、あと二年あるらしいけど。


 あっちの支社と合併したら、周りの人もずいぶん変わっちゃうだろうしなー」


 そう社食を見回しながら、千佳は言う。


 総務の課長が、スーツにカレーをこぼし、

「奥さんに叱られますよー」

と前に座っていた人事の女の子がおしぼりを取りに行きながら、笑っている。


「そうだねー。

 今が平和でよかったから、環境変わるの、ちょっと怖いよね」

とそちらを見ながら言うと、


「なに言ってんの。

 あんたが一番激変すんでしょ、結婚するんなら。


 ところで、パクチーパクチー言ってるけど。


 あんたの旦那、ナニじん?」

と言ってくる。


 さっきまで、圭太と結婚すると思っていたらしいのに、いつの間にか、千佳の頭の中の芽以の夫は、エスニックな国の人に変わってしまっていたようだ。


「……日本人だよ」


 しかし、この会社ともお別れか、と感慨深く芽以は社食を眺める。


 陽気な食堂のおばちゃんたちや、年季が入ってはいるが、小綺麗な室内。


 入社して人事の人に初めて此処に連れてこられたときのこと思い出し、ちょっとしんみりしてしまった。





 定時に仕事が終わり、ビルの外に出ると、ロングの黒のトレンチコートを着た背の高い男が立っていた。


 うわっ、格好いい人っ、と思わず思ってしまったが、逸人はやとだった。


 ダブルブレストのトレンチコートに同色の革の手袋。


 ……お前は何者だ、と思っていると、側に居た千佳が、

「なんだ、やっぱり、あのときの人じゃん」

と笑って肩を叩いてきた。


 違うよ。

 そっくりなのは、顔だけだよ……。


 お前の目は節穴か、と思っている芽以に、千佳は、

「引っ越し、なんか手伝うことがあったら言って。

 じゃ」

と言うと、逸人に頭を下げ、さっさと行ってしまう。


 どうやら、お邪魔にならないよう、気を使ってくれたらしかったが。


 ……一緒に居てくれてよかったんですよ、と芽以は逸人を見上げ、青ざめる。


 逸人と二人きりになると、緊張するからだ。


 幼なじみなのにな、と思っていると、千佳に頭を下げ返した逸人が、

「今日とりあえずの荷物運ぶんだろ?

 手伝おう」

と言ってきた。


 まだ青ざめたまま、芽以は、

「……はい」

と小さな声で頷いた。





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