寿退社で殺される



「どういうこと……? 芽以」


 翌朝、職場の更衣室で、芽以は、同期の柳川千佳やながわ ちかに壁ドンされていた。


 千佳は、芽以を冷たいロッカーに押し付け、

「なんなのよ、あんたっ。

 いきなり寿退社とかーっ」

と叫び出す。


「ええっ?

 芽以さん、寿退社なんですかーっ?」

と近くで着替えていた後輩たちもわらわらと寄ってきた。


「うそーっ。

 全然、彼氏とか居そうになかったのにーっ」


 おい、めぐみ……と先陣切って言ってくる後輩を芽以は睨んだ。


 失礼極まりない連中だな、と思っていると、千佳は芽以を壁ドンしたまま、こめかみに人差し指を当て、まるで、探偵のような顔で言ってきた。


「いや、待てよ。

 そういえば、一度、街でバッタリ出会って、幼なじみだとかいう凄いイケメンを紹介されたことがある。


 身なりのいい、お坊ちゃん風の――」


「えー。

 そんな幼なじみが居るなんて、芽以さんもお嬢様だったんですか?」

と訊いてくるめぐみに、


 いや、お嬢様だったんですか? と訊かれている時点で、既にお嬢様らしき様子がひとつもない、ということだよねー、と思いながら、芽以は答えた。


「いや、圭太たちとは、たまたま学校が一緒だっただけ。

 社会の荒波に揉まれにか、圭太たち、公立の小中学校に通ってたから」


 千佳が、

「で、その圭太とかいうイケメンと結婚すんの?」

と訊いてくる。


 いや、と言いながら、此処までの過程が説明しづらいなーと芽以は思っていた。


 とりあえず、みんなへのいい説明が思いつくまで逃げよう、と思ったのだが。


 千佳は、芽以が、チラ、と視線を右にやれば、右の隙をなくし、左にやれば、左の隙をなくす。


 ……さすが、インハイで優勝したバスケチームに居ただけのことはある、と思った。


 千佳いわく、

「いや、居ただけ」

 だそうなのだが。


 レベルの高い中に居た人はやはり、なにかが違うようだ。


 そう思ったとき、ノックの音がした。


「おーい。

 どうしたのー?


 誰も受付、出てないじゃない。

 警備員さんが帰れないよー」


 いつもおっとりしている総務の課長の声に、はーい、と全員で返事をする。


 芽以たちは受付嬢なのだが、夜間から朝までは、受付は警備員さんがやってくれている。


「いっ、今行きますーっ」

と千佳が振り向いている隙を突いて、芽以は千佳の腕の下を潜り抜け、更衣室のドアへと向かい、駆け出した。


「おっ、私を抜いてくとかっ」


 やるなっ、と変に感心しながら、千佳がバスケ部の本気のスピードで追いかけてくる。


 ひーっ、と急いで、受付に駆け込んでしまい、

「ちょっと、走らないでよーっ」

と課長に怒られてしまったが。


 受付にはもうお客さんが居て、こちらを見て笑っている。


 いつも訪ねて来られる若い男の人だ。


 金髪に近いような髪に、色素の薄い瞳。


「おっ、イケメンくんだっ。

 私やるやるっ」


 真後ろまで迫り来ていた千佳が、先程までの体育会系な雰囲気を完全に消し去り、笑顔で、


「いらっしゃいませ。

 大原様ですね」

と警備員さんに代わり、イケメンくんの応対をし始めた。


 さすが、素早い……と苦笑しながら、芽以は警備員さんから、夜間に行った業務の引き継ぎを受ける。


「まあ、結婚も女の幸せのひとつよね」


 エレベーターホールへと去りゆくイケメンの背中を見つめながら、千佳が言ってきた。


 女の幸せね。


 脅されながら、日々、パクチーの匂いを嗅がされる生活がか……と芽以は思う。


 全面ガラス張りのエントランスホールから外を見た。


 あー、寒そうだが、いい天気だ。


 今日は、圭太が婚約者と会うとかいうクリスマス。


 ……のはずなんだが。


 何故か、芽以の頭には、あのあと、逸人に嗅がされたパクチーの匂いしか浮かばなかった。


 すごいな。

 嫌な記憶も吹き飛ばす、パクチーの威力。


 とか考えている間に、その匂いが鼻に蘇ってきた。


 いや、ほんとに。

 クマさんじゃなくても、ゲーしますよ……。



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