トレンチコート、お好きですか?
トレンチコート、好きなんですか?
逸人のあとをついて歩きながら、芽以はそんなことを考えていた。
やたら似合ってますが……。
身長があるからかなー。
肩幅もあるし。
まあ、顔が綺麗だからだよねー、と思いながら、逸人の後ろを歩いていると、男性までもが、彼を振り返っているのがよくわかる。
この後ろに、ちまちま付いて歩いている女がこの人の妻だとは誰も思わないですよねー。
まあ、私自身、信じられないですしね、この状況が、と芽以が思ったとき、
「おい」
と逸人が振り返ってきた。
ただ、おい、と言われただけだったのだが、なんとなく、
この人の口調にも視線にも、そういう鋭さがあるからだ。
思わず、おのれの顔と頭をかばうように上げた手を見て、逸人が、
「……なんだ、それは」
と言ってくる。
いや……、条件反射です、なんとなく。
まあ、子どもの頃から、この人が暴力的行為に走るのを見たことはないのだが、と思っていると、
「おい、なんで後ろを歩くんだ。
俺が引率の先生みたいになってるだろ」
と逸人が言ってきた。
いえその、妻は、三歩下がって付いていくものかと……と芽以は誤魔化すように笑いながら、心の中だけで言い訳をしていた。
口から出てはいなかったが。
はは、と苦笑いしていると、溜息をついた逸人が、
「なにかしゃべれ」
と言ってきた。
「は?」
「黙って二人で歩いてると、気まずいだろ」
貴方でもそういうことを思うんですか、と芽以は意外に思う。
しかし、急に、しゃべれと言われても。
なにか……、えーと……。
「あのっ、トレンチコート、お好きなんですかっ?」
と言ってみた。
とりあえず、頭の中で考えていたことだからだ。
すると、逸人が少し赤くなったように見えた。
なんでだ? と思っていると、彼は歩き出しながら、
「……だって、格好いいだろ? トレンチコートって」
と言い出した。
ええっ?
この人でも、あ、これ、格好いいな、と思って着たりするのか、と新鮮に思う。
なにか機械的に似合いそうな服を選んでそうな気がしていたからだ。
ちょっと可愛いな、と思い、笑ってしまった。
つい、
「トレンチコート、いいですよね。
手榴弾も投げられますしね」
と言って、
「……お前の発想がわからんが」
と言われてしまったが。
逸人はもちろん知っているだろうが。
トレンチコートのベルトについているDリングという金具は、手榴弾をぶら下げるためのものだ。
トレンチコートは元々軍用コートだったからだ。
そして、肩についているエポーレットという肩飾りは、階級章をつけるだけでなく、仲間が倒れたときに、それを引っ張って、助け起こすのにも使われていたものだ。
だから、今の日本の自衛隊や警察の制服にもこのエポーレットは付いている。
あのエポーレットがあるから、肩幅が広い人が特に良く似合う気がするんだよね、トレンチコート。
そう思いながら、
「ランドセルと一緒ですよね」
と笑うと、逸人は沈黙した。
ランドセルの横の金具も、戦時中の名残りで、もともとは手榴弾をぶら下げるためのものだったからだ。
逸人は、
「……圭太はよくお前と会話するな」
とその禁句な名前を出して、ぼそりと言ったあとで、
「なんでもいいが、横に来いと言ってるだろ」
と言い、芽以の肩に手を回すと、自分の横へと引っ張った。
うひゃっ、と間抜けな声を上げそうになる。
やっ、やめてくださいっ。
どきりとしてしまうではないですかっ、と思ったが、逸人は、すぐに手を離した。
こちらを見ないまま、歩き出した逸人は、
「荷物運ぶ前に、お前の実家に挨拶に行くか」
と言い出した。
久しぶりだな、と言う逸人に、
「なんでですか?」
とうっかり言ってしまい、
「結婚するのに、親に挨拶しないとかあるか」
と言われてしまった。
歩幅の違いか、気持ちのせいなのか。
やはり、少し逸人から遅れながら、歩いていく。
その広い背中を見ながら芽以は思っていた。
……あのー、私たち、ほんとに結婚するんですか?
いや、もうサインもしたし、ハンコも押しちゃいましたけどね。
でも、まだ、全然、信じられないんですけど。
そんなことを考えていたとき、曇った空から、ちらりと雪が落ちた気がした。
そういえば、クリスマスだなー、と芽以はイルミネーションで華やかな街を見上げる。
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