13.黒飛天
「そんな」
時間は既に夕闇が迫っている。もう朝が来るまで、つまりはツェンリャの余命は数刻しかないのだ。
「かしこまりました」
ツェンリャの横に控える少女がそう言って頭を下げると、高僧と町長は満足気に頷いて部屋を出て行った。ツェンリャは絶望的な目で扉が閉まるのを見つめていたが、完全にパタリと小さく音をたてて扉が閉ざされると同時に座り込んだ。
「大丈夫か?」
少女がツェンリャを支えようと伸ばした手をツェンリャは払いのけた。
「見張り役ってわけね、そうでしょ? 明日舟の上から放り投げられるのは私だけで、貴女は見てるだけでしょう?」
「いや、一緒に海の底まで行く」
「嘘よ」
「本当だ。そのために侍女になった」
ツェンリャは手枷と足枷を見せる。鎖がじゃらじゃらと音をたてる。手足には擦過傷が出来ていた。まだ侍女の言葉が信じられなかった。誰が海に沈められるのを良しとするものか。
(何が一緒に海に行くために侍女になった、よ。片腹痛いわ)
「逃げないわよ。逃げたいけど逃げられないわよ。どこに自分の命をすすんで捨てに行く馬鹿がいるのよ?」
そう言ってツェンリャはある憶測に辿り着いた。一つだけ、ツェンリャと共に命を落とす事に意義が生じる場合がある。それは、自分の命と引き換えにお金を家族に届けることだ。
「まさか、貴女も私と同じ?」
この美しい少女が人柱となることを選んだ理由として「貧困」があるならば、ツェンリャと同じ境遇に生まれたに違いない。そう思うと、急に仲間意識のようなものが芽生える。ツェンリャが思わず顔を緩めると、少女は首を振った。
「まだ気付かないのか? 俺だ」
親指で自分を指した。それは女性には似つかわしくないしぐさだった。褐色の肌に黒い瞳と黒の長髪。粗野さの中に気品が滲むその雰囲気を、ツェンリャは覚えていた。
「まさかあの時の?」
教会で出会った青年だ。今は確かに女性であるにも関わらず、口調も雰囲気もその青年だと証明しているかのようだ。
「俺たちには人間で言う性別というものがないんだ」
ツェンリャが教会で出会った青年は「青年」であり「少女」であり、それと同時にどちらでもないのだ。
「アスコラクだ。カケラを意味している」
「カケラ。変な名前ですね。私はツェンリャ」
二人は改めて自己紹介をする。
「そっちの方が言いにくいな」
そう言ってアスコラクは顔を歪めた。ツェンリャははっとしてアスコラクの袖をつかんだ。
「聞きたいことが沢山あるの。明日の朝までに教えて頂戴」
ツェンリャの必死の形相に、アスコラクは「答えられることなら」と頷いた。
「まず、あなたは何者なの?」
門を潜らずに教会に入ることは出来ない。しかしこのアスコラクは門番の目をかいくぐって教会の中にいたばかりか、焼け跡からも脱出していた。
「首狩天使と呼ばれる異形だ。教会への出入りは簡単だった。入る時には最初から教会内に降ろされ、出るときは窓から出た」
「てんし?」
この国では「主」に対して禁教令がでているため、教会が立ったこの海辺の町でも詳細を知るものは少ない。アスコラクの調べでは、「主」を新しい「仏」と間違っている者が大多数を占めていた。アスコラクは町の調査の中で耳にした物を自分の説明として使う事にした。存在自体はかけ離れているが、格好が似ていた。
「飛天だ。俺は黒い飛天で、罪人の首を狩ることを仕事にしている」
「まあ、なんてこと。御仏の遣いが目の前で話して下さっているなんて。通りでこのお美しいお姿」
合掌するツェンリャに、アスコラクは「仏とは違う」と言いかけたが、話がややこしくなりそうなのでそのままにしておく事にした。
「しかし、黒飛天様は教会で妙なことを言っていましたね。あれはどういうことです?」
「今回俺が首を狩る標的は、ツェンリャとその夫だ。ツェンリャの方が優先順位としては先だったが、お前には夫がいないと聞いたから様子を見ていた」
ようやくツェンリャにも話が見えてきた。アスコラクはツェンリャに夫が出来るのを待っていたのだ。そしてこの人身御供の話が「婚儀」として出てきたから、アスコラク自身もツェンリャに同行しようとしているのである。
「私、ですか? 何故?」
「それが、分からないんだ。お前は人の道を外れてはいない。俺たちが首を狩るのは人間の道を外れた者のはずだから、お前が何故標的に含まれ、しかも優先順位が上なのかもわからないんだ」
標的が夫婦と言うことは、おそらく結婚によってツェンリャは首狩の対象になるのだろうとアスコラクはふんでいた。
「だから心配するな。お前が人の道を外れることがなければ、俺がお前の首を狩ることはない」
ツェンリャは胸を撫で下ろしたが、複雑さは消えない。夜が明ければ海で殺されるのだ。
「クワリも主も、守ってはくれないのですね。全て脆弱です」
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