11.抜け殻

「あの人です」


遠くから、聖堂の出入りを管理していたあのいかつい門番がツェンリャを指差しながら駆けて来る。

昨日のことがツェンリャの頭の中を過ぎった。門番の目だ。親の敵を見るように教会を見つめた、門番の目だ。


「火をかけたのは貴方ですね⁉」


ツェンリャは門番に向かって叫んだ。しかし門番も負けじと叫んだ。


「この人が昨日最後に教会に出入りした人です。記録にも残っています。石の教会を一日で全焼させるほどの呪詛の力を持っているのはこの人に違いありません」


呪詛の力とは、民間で信じられている神通力の一種であった。僧侶はその得度によって神通力が使えるが、他の階級の人には使えない。この神通力を持った人が闇に捕らわれた場合、呪詛の力は発生するという。つまり、憎悪や怨恨などによって、神通力が呪詛となるのだ。そしてその力をもっとも強く持つことができるのは、現人神であるクワリだとされている。門番が連れてきた村人がツェンリャの顔を見る。


「クワリだ。クワリの抜け殻だ」


昔のツェンリャの顔を覚えている者はそう言った。「抜け殻」は元クワリの少女たちのことを指す。化粧や衣装の違いで「抜け殻」をほとんど覚えている人はいないが、ツェンリャは最近までクワリだったことが仇となった。


「それだけではありません。不思議な力があるらしく、誰もいない教会で異国の青年と会っていたなどと申すのです!」


「隠れだ。政府に見つかったら大変な事になるぞ!」


「この女、抜け殻のくせに隠れだったんだ!」


人々は口々にツェンリャに対する嫌悪感と政府に対する恐れを口にした。一人の「隠れ」が見つかれば、町人全員が「隠れ」の汚名を着せられて拷問を受ける。その拷問はすさまじく、その最中に死者が出ることもしばしばあると聞く。中には、「隠れ」が元々いなかったにもかかわらず、「隠れ」の疑いをかけて豊かな町を一つ政府が乗っ取ったこともある。


「違います。私は寺院に仕えています。それに火をかけたのは……!」


門番です、という言葉を発することができなかった。ツェンリャには証拠がないのだが、門番には記録という証拠があるのだ。文字の普及した土地では、文字記録は圧倒的に権力を持つ傾向がある。文字記録は信用性があるが、言葉は口から出まかせを言っているのだと誰もが思うものなのだ。


「寺院に仕えている人間が、逃げる人々の面倒を見ずに、何故こんなところにいるんだ?」


「教会なんかが心配か?」


人々の冷たい視線の中に佇むツェンリャは、拳を握りしめて奥歯を噛んだ。


(悔しいが、何も言い返せない)


 今までツェンリャに触れることすらできず、ひざまずくことしか出来なかった人々が、ツェンリャに身に覚えのない罪を着せて蔑んでいる。

ツェンリャは教会を燃やした犯人として寺院の一室に幽閉された。クワリの選定が行なわれた部屋だった。ここで自分も首を切られて誰かに晒されるのだろうか。そんな暗い予感が頭を過ぎる。ここは相変わらず暗く、風の音も鳥の声も遠すぎた。外から鍵をかけられ。手を縛られて足を柱に固定された。ほんの少し前まで、自分がクワリだったことを思い出す。人々に存在そのものを祝福されていた。大事に扱われ、本当に自分が神だと思っていた。しかし股から出た血が足を伝った瞬間から、自分は寺院の学生の身となった。そして今度は「火付け」の罪人としてここに戻ってきた。髪を結っていた紐もさえ奪われ、服は罪人用の臭くて汚いものになった。それでも着るものに苦労していた幼少よりはまともなのだろう。ツェンリャは手を握り締めた。そしてクワリの輿を見ていたときも、こうやってカーテンの裾を握り締めていたことを思い出す。


(嫉妬)


ツェンリャはあれが現在のクワリに対する激しい嫉妬であることを今更ながらに理解した。クワリの選定の仕方でも分かるとおり、クワリに選ばれる少女は感情が欠落している幼女である場合が多い。そしてクワリはそのまま無感情、無表情、無声を強いられる。そのため「クワリの抜け殻」になったあと、感情を取り戻す作業が必要となると教わった。表情や声は感情の後からついてくるものなのだという。ツェンリャはおのとき確かに嫉妬という感情を取り戻していた。しかし今服を握り締めているのは「嫉妬」からの行動ではなかった。


「悔しい、悲しい、空しい、怖い、寂しい」


ツェンリャは思いつくまま感情を口にした。それらに優劣はなく、入り混じっていた。あのままクワリの座にいられなかったことが悔しく、悲しい。それを願う自分が悲しく、空しい。今の状況が悔しく、悲しく、怖く、寂しい。貧困を恐れ、寺院に残って家族と離れて思うのは、寂しさだった。ツェンリャが意識できなかったが、後悔もあった。教会に行ってしまったことだ。教会に行かなければ自分が「主」の為の建造物や「隠れ」に感動を覚えずに済んだ。そして夜にもう一度教会に行かなければ、ツェンリャの記憶の中の教会はいつまでも荘厳であることができた。


「クワリめ、何がクワリだ……!」


ツェンリャは蹲りながらそう呟いて泣いた。おそらく赤ん坊の時以来流してはいなかったものだ。そしてツェンリャは思う。自分は自身の保身のために家族を捨て、友人の死を踏み台にしてクワリの座に着いたのだと。全く、後悔は先に立たない。ここまでして外民の地位から脱したというのに、自分は何をやっているのかと、情けなくなる。


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