4.クワリ

 一人の少女が輿に乗って町を練り歩いていた。輿の前や後に、笛や鐘を演奏する男性たちが続く。荘厳で明瞭な楽器の響きが、人々にクワリの行進を告げているのだ。輿には花や羽飾りで豪華に装飾され、四人の男たちがそれを担ぐ。輿の前方にはこの町が旱魃になったときに訪れると言う白い蛇の魔物が描かれている。この鏡を弱点とする魔物はこの町の家々の門の上にも描かれる物で、魔除けとしても使われる。その歩調に合わせて真紅の布に金の房が揺れ、その奥に金の冠をかぶった幼い少女が乗っている。彼女はこの土地の言葉で「カーミュ・デ・クワリ」と呼ばれる女神の化身である。この言葉は外から持ち込まれた言い回しだといい、それほど使われない。この国の通称では「クワリ」と称される彼女を乗せた輿は、大勢の群集に囲まれ、進路を阻まれながらゆっくりと行進していた。


 その輿を二階の窓から見下ろす少女がいた。三つに編み込んだ黒い髪の毛を、長く後ろに一本だけ垂らしている。豪華な装飾が編みこまれた孔雀のようなクワリの髪型とは対照的だ。輿に乗ったクワリよりも年上だが、大きな瞳のせいで顔立ちは幼く見えた。少女の前髪は薄い。幼かった折に、長い間重い冠を頭に載せていたせいだ。少女はクワリの輿を見ながらカーテンを強く握り締めた。少女が見下ろす道は、クワリの姿を見ようとする人々でごった返し、身動きが取れなくなっている。不漁と不作が続く今年は、いつにも増して人々はクワリに熱を上げている。クワリの輿は進むことを諦めて地面に下ろされた。輿を担いでいた男の一人がクワリを抱きかかえ、他の三人が輿を持って進んだ。あどけない少女は顔に白粉をつけて、唇には真っ赤な紅をさす。そして額には赤い楕円の印しをつけている。その赤い楕円の印しは「龍の目」とも呼ばれ、人々の護符代わりになる。あれだけ輿に群がっていた人々だが、クワリに触れようとはせず、手を合掌させてその姿を拝んでいる。クワリに自ら触れた常人は穢れると言われる。土地も例外ではない。そのためクワリは足に装飾以外の何もつけず、一人で地面を踏むことはない。無表情でその様子を見ていた少女は、荒々しく踵を返した。灰色の袴が翻る。白い着物に薄い灰色の袴は、寺院の中でも最階級の者が身に着ける服だった。誰かが少女のいる部屋に近づく足音がしたのだ。彼女の先生に違いない。少女は慣れた様子で机に向かった。椅子に深く座り、経文や市井について書かれた教本を読んでいるふりをする。


「ツェンリャ、貴女は遅れているのですよ」


ツェンリャは無表情のまま席から立つと、年老いた女教師に向かって黙礼を返した。ツェンリャは何度も「遅れている」と指摘されたが、具体的に何がどう遅れているのかは指摘されなかった。それは自分で気付くようにという、配慮の為だろうが、ツェンリャにいまだにその答えが出せない。喧騒がツェンリャのいる建物を通り過ぎていく。かつてこの喧騒は自分のためだけにあった。人々が向ける熱い視線も、僧たちが頭を下げる行為も、自分の物だった。それなのに、たった十年ほどでツェンリャは最高位から最下位へと引きずりおろされた。最下位と言っても、寺院の中の最下位なので外民にしてみれば、雲の上の存在である。しかし一度最高位にいたという自尊心が、ツェンリャの中ではくすぶり続けていた。


 ツェンリャが幼かった頃、突然寺院に連れてこられた。貧しい身分に生まれたツェンリャの親戚じゅうがその尊き出来事に喜び、両親もうれし涙を流しながら下賜品を受け取ったと、僧から聞いた。良かったと安心する一方、自分の生家を失ったのだという悲しさが同時に来た。

一般市民にはクワリを頂点とする身分制度がある。クワリに下にはクワリを世話し、支える僧や祭司がいる。その下に職人、その下に農民、その他で働く平民までが市民生活を豊かに送っている身分であるとされる。そしてツェンリャはその身分制度にも含まれない「外民」という立場だった。この身分制度は個人だけでなく子子孫孫にまでわたって適用されている。つまり、外民に生まれた子供は一生外民であり、民としての扱いを一切受けない。寺院であっても、その敷地内に入れるのは税金を納められる身分の人間と決まっているのだ。ツェンリャの家系は税金を払えないほど卑しい最下層の身分だ。ゴミを集めてわずかな賃金を得るツェンリャの血筋にとって、寺院から招待を受けるということは天国に行くことと同じくらいに難しいのだ。

 朱色の巨大な柱の前で、付き添いの両親は足止めされ、本殿に通されたのはツェンリャだけだった。生まれて初めて見る寺院は形容しがたい美しさと荘厳さに満ち溢れていた。建物の柱や窓枠は朱色に塗られ、異国風の渦を巻くような文様が色彩豊かに縁どられている。遠くでしか見たことのない鳥や蛇のような生き物の装飾もあった。

ツェンリャの両親は心配でならなかった。ツェンリャが、いつになっても出て来なかったからだ。これが、両親とツェンリャの今生の別れになるのではないかと、ツェンリャの両親は心配だった。何故なら、ツェンリャの友人二人も、寺院に連れて行かれたまま帰って来なかったからだ。ツェンリャたちと仲が良かったおじいさんの死体も、寺院に回収されたと聞いている。寺院とはそんなにも居心地がいいのだろうか。ファンカイとフォングには世話をすべき人が待っているというのに。


「娘は?」


とツェンリャの両親は何度も門番に問う。


「すぐ終わる」


門番の屈強そうな黒づくめの僧は、冷たく言い放つだけだった。

やがて、高僧が出て来た。門番をしていた僧が頭を下げて一歩下がる。高僧は門番には一目もくれず、ツェンリャの両親に向かって一礼した。ここで、ツェンリャの両親は自分たちがただ事ではない事態に直面していることを理解した。身分制度で最上層にいるといっても過言ではない僧が、それも高僧が、外民に頭を下げることなど、絶対にありえなかったからだ。


「ツェンリャは、次のクワリに選ばれました」


高僧が重々しく告げる。ツェンリャの両親は、一瞬、虚を突かれたような顔になる。


「それはどういう……?」


「クワリの生みの親である貴方方に感謝し、贈り物を用意いたしました。どうぞお受け取りください」


高僧は両親の言葉を無視した。当然である。外民が高僧に口をきくなど、無礼千万だった。両親には、反物や食料品が押し付けられ、門番も高僧も寺院の敷地の中に消えた。両親はただ茫然と門の前に立ち尽くしていた。反物を手にした母親は、その場に泣き崩れた。この反物や食料があれば、一家は一時的に豊かに暮らせるだろう。しかしツェンリャはもう二度と帰ってこないのだ。別れの言葉もなく、ただ高価な品物を渡してきた寺院は外民にとって、あまりにも冷たく、残酷だった。

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