21.幸せの形

「私は、嫉妬したのです。彼女の美しさに、気高さに。彼女を連れてくるのをやめようと思いました。連れてきた後は、会わせたくないと思いました。彼女が彼の記した本を手にした時には泣きました。彼女が彼の名前を指でそっと触れたとき、彼女ごと全てを壊して私も死のうとさえ思いました」


「ならやめれば良かったでしょ⁉ どうして最後までやり直そうとしなかったの? 何故私やアスコラクに助けを求めなかったの?」


スカリィはどこまでも追ってくる。しかも速い。これではらちがあかないと、イネイはスカリィに向き直った。


「私は、彼に幸せになって欲しかったということを思い出したのです。私の幸せは彼の幸せだということも。だから、天使が永遠に天使でいられるように、半身である貴方を消し去る」


スカリィの声が初めて聞き取りやすい明瞭な言葉となった。それは彼女の覚悟の大きさに比例しているに違いない。


「別の方法だって、あるはずだ」


アスコラクは黒い翼を羽ばたかせ、スカリィを押さえ込みに掛かったが、やっとつかんだスカリィの蛙の手は粘液で滑って逃げられる。体勢を崩したアスコラクの鳩尾に、スカリィは蜥蜴の尻尾を叩き込み、アスコラクが落下する所をひずめで踏みつけた。イネイはアスコラクの体を地面直前で受け止め、何とか蹄の直撃を免れた。もし、直撃していたなら、あばら骨を三本か四本は確実に折れていただろう。

 スカリィはもう、気弱で臆病な女ではない。明確な殺意を持った敵になったのだ。アスコラクは大鎌に変じさせられる剣を持っているが、スカリィ相手にその剣を抜けずにいた。スカリィは今回の標的ではない。それ以上に、フィラソフの被害者である。天使のアスコラクに体力があったならば、迷わず剣を抜いて応戦しただろう。しかし、「人間の情」を理解するアスにはそれが出来なかった。


「スカリィ、もう止めろ。お前とは戦いたくない。フィラソフの幸せがお前の幸せなら、お前の幸せがフィラソフの幸せだっていいじゃないか。お前は自分のために行動すれば良かったのに。お前だって、幸せだったんだろ? フィラソフが自分の正体を打ち明けたときや、お前を見ながらアスコラクを描いたとき、幸せだったんだろう?」


「危ない!」


アスコラクがイネイを抱えて横に跳んだ直後、翼をたたんだスカリィが地面に刺さるよう急降下してきた。赤い土煙が上がり、辺りの視界を奪う。そんな中、大きな影がむくりと起き上がった。土煙の中から山羊のように捩れた大きな角を持ち、巨大な蛙の前足と虎の前足、馬の二本の後ろ足で四つんばいになっている。胴には魚の鱗がびっしりと生え、大きなトカゲの尻尾が垂れている。首には急所を守るように獅子のような鬣がたなびく。


「スカリィ、なの?」


イネイは自分の問いかけに虚しささえ覚えた。かろうじて人間だった部分までもが動物になっていたのだ。アスコラクに似ていた顔も、大きな山羊のような顔になり、犬歯がむき出しになって伸びている。もはや牙である。


「そうです。これが満月の夜の私の姿です。もはや他の動物に元の体は侵食されています」


スカリィの目は兎のように赤く光っていた。太い舌の先は二股に割れて、もはや声以外でそれが人間であったと判断することは出来なくなっている。


「私が幸せになど、どうやってなることが出来るのですか? このまま他の動物たちに精神も飲み込まれてしまうでしょう。それならば、こんな姿になった私ですら受け入れてくれる彼のために、私の人間としての時間を使いたい」


「間違ってる! それは貴女が彼の正体を受け入れたからよ。貴女達の関係は初めからお互いの外見を問題にせず、お互いを認め合えていたはずよ」


「イネイ、前に出るな。それより、俺が引き付けている間に鏡を守れ」


「でも」


「もう一人の俺が、このまま何もぜずにいるとは思えない」


「無茶、しないでね。アス」


イネイは鏡へと走った。それを追おうとしたスカリィの前にアスコラクは立ちふさがった。アスコラクはやっと剣を抜き放った。その剣でスカリィの猪突猛進を防いだが、二股の舌で首を絞められた。長い舌に首を巻かれ、足の先が赤い砂を掻く。アスコラクの口からは苦しげな喘ぎ声がもれていた。アスコラクは剣で舌を切りつけてそれを逃れる。アスコラクはふらつきながら、激しくせき込んでいた。スカリィの口から大量の血が吐き出されるが、しばらくすると止まった。アスコラクの血もすぐに止まり、肉も再生する。元々人間の姿であっても普通の人間よりも再生能力が高いアスコラクだが、今はこの地がその能力をさらに高めてくれる。「反主」である黒いアスコラクは、白いアスコラクとは反対に力が満ちてくるのだ。スカリィにも満月とドゥーフが力を与えている。おそらく黒いアスコラクとスカリィの戦闘能力は五分五分だろう。スカリィはそのことを十分に分かっているようだ。

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