14.月の涙

 アスコラクがベールを深く被って外に出ると、土煙が遠ざかっていくのが見えた。そしてスカリィの隣の家の外壁が一部はがれている事に気付いた。イネイが剥ぎ取ったものだ。


(これが男の仕事か)


「これは……!」


衣服を着るのに手間取っていたスカリィが、剥がれた外壁を見て口を覆った。


「白い壁の下に何かあるな。青い壁、いや壁画か?」


「知りませんでした」


スカリィは口を覆ったまま首を振った。


「住んでいるのに、見なかったのか?」


「はい。常の棲家の中を女が守るものですから」


スカリィは羞恥のためか頬を赤く染めて俯いた。アスコラクはスカリィが先ほどから妙な言い回しをすることに気になっていた。スカリィ自身の言葉というより、どこかから拾ってきたような言い回しだ。しかも伝聞で聞いたような語り口とも、わずかに違っていた。


「それは何かに書いてあるのか? この土地のことについて書いてある物があれば見たいのだが」


アスコラクは駄目もとでスカリィにかまをかけてみた。手ごたえは十分だった。


「それは、はい。いえ、でも」


スカリィは俯いて、せわしなく視線をあちこちに走らせる。元々、スカリィは嘘をついたり秘密を守ることが苦手なのだろう。アスコラクはそこを見逃さなかった。


「あるんだな? どこにある?」


強い口調でアスコラクがたたみかけると、スカリィは黙り込んだ。やはり頬が赤く、小刻みに震えているが具合が悪そうには見えなかった。逡巡の後、諦めたようにスカリィは一つ大きなため息をついて「家に」と言った。アスコラクはスカリィの案内で地下の小部屋に入った。

 部屋の内側から鍵がついた狭い部屋だ。今はランプが無ければ中を見渡すことは出来ない。いくら夜目がきくといっても、明かりがあるに越したことはない。ランプの中では火鉢の中にあった黒い石から取った火種が燃えている。アスコラクが以前訪れたカーメニでは「燃える氷」と呼ばれる固形燃料を街頭などの夜の明り取りとして用いていたが、ここでは「燃える石」が用いられているらしい。本棚には本と画材などがぎっしりと詰め込まれている。アスコラクはアトラジスタの教会の地下牢を思い出したが、鍵が部屋の内側からついているということは機能が逆なのかもしれない。つまり他人を閉じ込めるための部屋ではなく、自ら閉じこもるための部屋だ。一脚の椅子と小さな机があり、必要最低限の学習部屋という印象を受ける。スカリィは何冊かの薄い本を手際よく取り出し、一冊の本の前で手を止めた。ややあって、スカリィは意を決したかのようにその本を手に取って中央の机の上に開いて置いた。どれもアトラジスタの習俗や歴史に関する本だ。スカリィはその中から一冊の本を取り出してページをめくった。

「ここに」、とスカリィが指差した部分に、東の国で使われている文字で『常の家とは』という記述があった。西の文字と東の文字では文法も様式も随分違っている。


『常の家とは人々の住処を言い、宗教施設を信仰の家と言う事にしよう。常の家は白い壁で出来ており、水草を練り込んだ独特の土壁である。土壁の材料は近くの川から採れる泥を使っている。信仰の家は教会を指しているがこの土地の人々はあまり信じていない。しかし〈常の家〉も〈信仰の家〉も人々が一種の仲間意識の下に集まって生活するということについて言えばまさしく両者は〈家〉なのである』


 この本の著者は偶然の一致か「フィラソフ」となっていた。アスコラクが表紙の著者名をなぞったとき、スカリィは突然泣き出した。美しい大粒の雫が、スカリィの頬を伝った。訝しげにアスコラクが目をやると、スカリィは「申し訳ありません」と数回謝りながら鼻をすすり、涙を拭いた。


「そんなに見られるのが嫌だったか?」


「何でも、何でもありません。驚いたでしょう。彼と同じ名前で。でも他の本は違いますよ。この一冊だけです」


 スカリィの目も頬も真っ赤だ。アスコラクはそれをちらりとうかがうと、次の本に目をやった。先ほどの本よりも厚く、これも古い本だ。見開きの左上に液体の写実画が描かれている。絵の下には、やはり東側の国々で用いられていた文字で『月の涙』と解説されている。説明によれば、かつてアトラジスタで採れたこの『月の涙』という銀色の液体は有毒であり、多くの人々が亡くなったという。他の本にも『月の涙』の有毒性とその被害について明記されていた。『月の涙』に触れたものは心身ともに病んで、最後には息を引き取ったというものだ。しかし初めにアスコラクが手にしたフィラソフ著の書籍には、この『月の涙』についての記述はなかった。


(フィラソフの著書。東の文字。月の涙。男女の仕事)


「もう一つだな」


 アスコラクは『月の涙』の挿絵を見つめていた。スカリィは手を握り締め、唇を噛んだままそんなアスコラクを見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る