7.化け物と虚勢

 そう呟いたアスコラクが手首を押さえながら立ち上がったとき、大きな音と共に地下牢が揺れた。アスコラクとイネイは地震かと思って顔を見合わせた。早くここから脱出しなければ、押しつぶされてしまう危険性がある。しかも今のアスコラクは急に走ったり飛んだりできないのだ。自分が何とかしなければ、とイネイに使命感と緊張が走る。しかし、音は徐々に近づいて来てその分揺れも大きくなった。どうやら地震ではなさそうだ。では、一体何が? と、イネイとアスコラクは音源に視覚と聴覚を集中させる。やがて、音が止み、揺れも納まった。ぽろぽろと天井から小石が落ちてきている。そろそろこの地下牢は寿命なのかもしれない。最後の大きな音と共に土煙の中で、一匹の獣の影が揺らめいた。イネイは主を守ろうと咄嗟に身構えたが、アスコラクは相変わらず平然と佇んでいた。舞い上がった埃の中から現れたのは獣ではなく化け物だった。化け物は蹄の音を響かせながら近づく。意外な事にその化け物の顔はアスコラクに似た顔をしていた。青い目はくすんだ色をしている。肩に垂れたセミロングの髪も、くすんだ銀色だった。白い肌に通った鼻筋。まつ毛は長く、顔に影を落とすほどだ。くすみがなく輪郭さえ整えば、どれもがアスコラクの特徴と一致する。様々な動物が混ざっていて、肩幅などでは判断しにくいが、顔は間違いなくアスコラク似の女だ。アスコラクは群衆の中に女がいたことを思い出した。群衆とは違う瞳をした女が一人、混じっていた。


「お迎えに」


「化け物」はか細い声で言って頭を下げた。イネイは先ほどの威勢をなくしてアスコラクの耳の後ろに隠れていた。自身が使い魔だというのに、「化け物」に恐れをなしたのだ。


「首狩天使様。私はスカリィといいます」


スカリィの精いっぱいの笑みに、大きな牙がのぞいた。それだけではない。スカリィの下半身は二本の馬の足であり、大きな蜥蜴の尻尾に支えられている。胴は魚の鱗に覆われ、そこから生える両腕は、右が虎で左が蛙のものだった。頭の上に兎と狐の耳を持ち、背中からは鳥と蝙蝠の翼が一対となって生えている。舌は蛇のように先端が二股に分かれている。人間と分かる部分は頭部と首しかない。くすんだ銀髪を肩まで伸ばし、青い目をしている。アスコラクよりも顔の輪郭や作りが控えめでぼんやりとした印象があるが、比較できるくらいには似ている。

 人は全く違うものを比較対象から無意識に外してしまう。例えばリンゴを説明するために教会を比較対象にはしない。他の果物などを比較対象にするのが普通だ。リンゴを説明するために、蜜柑を例とするように。その方が説明しやすいし、説明される方も理解しやすいと、無意識の内に知っている。


「ここの住人か?」


アスコラクは凛として立ち上がって問う。たとえ虚勢であったとしても、ここで弱さを見せるわけにはいかない。


「はい、アトラジスタの外れに住んでおります」


相変わらずスカリィの声は小さい。語尾などは聞き取りにくいほどだ。


、だな?」


アスコラクはなおも平静を装って首を傾げて相手を見下す。


「よくご存知ですね。アトラジスタは昔、そう呼ばれていたときいております」


スカリィは目を伏せて弱々しく微笑する。


「ここが?」


雨漏りのように単調で静かな言葉のやり取りを、一段と明るく威勢の良い声が破った。スカリィが突然飛び出してきたイネイの姿にのけぞり、蜥蜴の尻尾がそれを支えた。イネイはスカリィの鼻先で緑色のスカートの裾をつまんで一礼し、礼儀正しく名乗る。先ほどまでスカリィの姿に怯えていたが、スカリィの気弱さを見て、気分を持ち直したようだ。


「私はイネイ。よろしくね」


お辞儀の所作とは打って変わって、イネイはくだけた挨拶をすると、スカリィは目を丸くしたままこくこくと何度も頷いた。イネイはその様子を確認してアスコラクに向きなおり、空中で仁王立ちになった。


「アスコラク、他にも質問はあるでしょ。その姿はどうしたのか、とか。何者なのか、とか。でも、今のは聞き捨てならないわ。ここがアトラジスタって土地だということは分かった。でも、次が問題よ。こんな貧しそうな所がザハトと同列ってどういうこと?」


身体が小さい割に声が大きいイネイの剣幕にスカリィはたじたじといった様子だ。

ザハトは古代において西の勢力の中心であった石匠の都市だ。石畳が整備され、家々の外観が統一された町並みはこのアトラジスタとは比べ物にならないほど美しかった。


「何でここが石の都なのよ? 百年後でもこんなに辺鄙な所が」


イネイの発言には語弊があった。文化が時を経つにつれて進化する、という考え方は間違っている。文化は変化するものであって、進化するものではない。


「それは、ここが……」


スカリィは小さなイネイに気圧されて、答えに詰まってしまった。しかし突然、畳んでいた兎の耳を立てると、それをぴくぴくと動かした。いや、スカリィの意思で動かしているというよりも、体中の獣がそれぞれ自然に反応しているようだった。


「人が来ます。話は後にしましょう」

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