第5話 夜 ~命短し騙れよ乙女~

「まずは、あの子・・・月岡つきおかクンの話から始めましょう。少し前に亡くなったあの子の事は覚えているかしら。……忘れる筈ないわよね、ほんの少し前の事だもの。あの子と月岡クンの仲って、天田あまだクンの目にはどう映っていたかしら?」


「そうよね。きっと、天田クンに限らず他の生徒たちにもそう思われていた筈よ。大人しくて仲の良いふたりの女子。あの子はあんまり愛想が良くなかったから、好んで話しかける人はいなかったわよね。そう、月岡クンを除いて。……ところで、どうして月岡クンはあの子に好んで接していたと思う?」


「……きっと分からないでしょうね。仲良しこよしになるきっかけなんて見当たらなかったもの。……月岡クンはね、自分が支配できる弱い人間を見つけたから接近したのよ。仲良しの振りして孤立させないようにしながら、自分にだけ依存するように働きかけていったのよ。たとえば、移動教室のときとか体育のペア作りのときとかに、他の誰かに取られないように真っ先にあの子を誘ったりしてね。初めにそういう動きをしておけば、後は楽なものだわ。他の生徒にも、あの子は月岡クンと一緒に行動するものだから、という意識を植え付けて牽制けんせいできるから。そうやってあの子は月岡クンとしか関わらず、月岡クンもあの子としか積極的に関係しようとしなかった。すると、自然にあの子と月岡クンは傍目はためにも無二の友人として映り、あの子のほうでもそれと認識してしまうの。……そう仕向けたのだから当然ね」


「少し落ち着きましょう、天田クン。目付きが険しくなってるわ。ここからが大事な部分なんだから。話の途中で早とちりして押し倒すような真似だけはしないでね。このお洋服は気に入ってるんだから」


「宜しい、続けましょうね。ここからは私の話になるわ。春もようやく終わって、そろそろ夏服の出番が来るような季節の事よ。その日は土曜日で、私は友達の家に向かう途中だった。日差しは強くて、風ひとつない夏日だったわ。友達の家までは距離があったから、私は多少うんざりした気持ちでコンビニに入ってジュースを買おうとしたの。レジに並ぶと、丁度私の前に並んでいるのがあの子だって気付いたわ。声でもかけようかと思ったけれど、何だか様子が変だった。あの子はハーゲンダッツと棒アイスを籠に入れて、何だか泣きそうな顔をしていたのよ。……想像して御覧なさい。真昼のコンビニで、不揃いなアイスを、涙をこらえて買う姿を。それを見たら放っておけなくなるでしょう? 私は距離を置いてあの子についていったの。あの子は脇目も振らずに歩いていたから気付かれる心配なんてなかった。あの子は噴水公園に辿り着くと、急に駆け足になって木陰のベンチに向かったわ。そこで待っていたのは、案の定月岡クンだった」


「ねえ、天田クン。全て過ぎ去ったことなのだから、落ち着いて聞きなさい。月岡クンはあの子の手からアイスを受け取ると、ニッコリ笑ったの。本当に、見せてあげたいくらい見事な笑顔よ。加虐者かぎゃくしゃが見せる、凍り付いた最低の笑顔だったんだから。月岡クンはスプーンでアイスを掬って、随分と美味しそうに食べていたわ。あの子はお追従ついしょうの下手くそな笑顔を作りながら、棒アイスを手に持って一向に舐めようともしなかった。何故だか分かる?」


「天田クン、あなたの目は少し薄暗いわ。同調せず、ドライに聞いて頂戴。ただの事実なんだから。……月岡クンはあの子に命令したのよ。自分が食べ終わるまで、それをしっかり手に持ったまま動かずにいる事。……理不尽な押し付けよね。月岡クンはそれであの子の従順さを計っていたみたいよ。それに応じてしまうあの子を見て、私はすぐに悟ったの。これはきっと、以前から段階を踏んで行われていたに違いない、ってね。天田クンは、『イエスセット』ってご存知かしら?」


「……そう、残念。たとえば月岡クンがあの子に、次の移動教室へ一緒に行こうと誘うわね。当然、断りはしない。高校入学してすぐなのに嫌われたくないし、ふたりでいるほうがずっと心強いから。その次は、一緒にお昼ご飯を食べようと誘う。これも断らない気持ちは分かるでしょう? 暫くそれを続けて、友人と言って差し支えない関係になりつつあるタイミングで、一緒に帰ろうと誘う。今よりも関係性を発展できるチャンスなんだから、これも当然断らない。それを続けながら、次は月岡クンにのみ実益じつえきのあるお願いをするの。……たとえば、そうね、消しゴムを借りる程度の事でもいいわ。これだって断りはしない。宿題を見せてもらう、ボールペンを一日借りる、お弁当のおかずを貰う。あの子は断らない。だって信頼できる友人ですもの。そんな場面、天田クンも見た事くらいあるでしょう? 親密なように見えて、その関係性はゆがんでいたの。とんでもない意図があるのに、それとは気付かず微笑ましく感じるだなんて、侮辱されてるみたいね」


「……続けましょう。その次は金銭のやり取りになるわ。当然よね。月岡クンはあの子にジュース代をねだる。あの子はそれくらい何てことないと気前良く渡す。月岡クンはたっぷりの賛辞と抱擁ほうようをあの子に与える。そうやって、あの子から先に、返さなくていいからと言わせるの。そうやって善意のコントロールも織り交ぜながら、あの子の口からイエス以外の返事を奪ってしまった。……イエスセットの説明はもう充分よね?」


「天田クン、私に敵意を向けないでよ。これは全て、後で月岡クン自身が私に語って聞かせた真実なのよ。月岡クンを信用したいなら、私の言葉も素直に受け取って頂戴。ね?」


「要約すると、月岡クンはひとつひとつ丁寧にステップを踏みながらあの子を支配していったのよ。……ただ、ほころびはあった。それはさっき話したあの子の哀しみを月岡クンが取り払えなかった事と、それどころか逆に加虐的に進んでしまった事よ。本当に支配したいと望むなら、相手に充足じゅうそくを与えなければならないのに。月岡クンはあの子の心のもつれにはっきりと気が付きながらも、好奇心を抑えることができなかった。あの子はどこまで自分の言う通りにしてくれるんだろう、って。……天田クン、思春期の女の子にとって絶対に他人に踏み入れられたくない領域が何か分かるかしら。この街の繁華街は、それを散らすのに哀しいくらい絶好の場所だと思わない?」


「天田クン、座りなさい。話の途中よ。聞き始めた以上、最後まで頭に入れなければフェアじゃないわ。……そう、良い子。続けるわね。あの子はその翌日亡くなったのよ。だから、つい最近の事なの。事故死には違いないわ。だって一番そばにいた月岡クンが、あの子の両親から直接聞いたいつわりのない言葉なんだもの。……ここからは私の想像よ。でも、確かだと私は信じてる。あの子はその日、ひとりで帰路を辿ったの。家に向かって真っ直ぐに。心はどろどろと重たくて、頭には月岡クンへの愛憎で溢れかえっていた筈なのに、どうにもできない自分を呪っていたでしょうね。そんなおり、背後からトラックが唸りを上げて迫ってきている事を耳で知る。振り向く事なく、考える。今車道によろめいたら、この地獄は終わるんだろうか、って。……嘆かわしいわね。あの子は自分を終わらせるため、途方とほうもない諦めにわずかな勇気をえて旅立ったのだから」


「天田クン。天田クン! 耳を閉ざさないで。……そう、ゆっくりでいいから手を下ろして。ここまでは月岡クンの醜い過去のお話よ。でも、ここからは違う。月岡クンには贖罪しょくざいの意志があるのよ。手前勝手な感傷だなんて思わないであげてね。月岡クンは相応のむくいを受けて、罪にいたる自分を殺そうとしているのだから」


「あの子の死の翌日、私は下校途中の月岡クンにたずねたの。あの日の公園での出来事が何だったのか。月岡クンはすがるように、今までの事を話してくれた。そうしてあの子の身体で一度だけかせいだお金をみんな破り捨てて目の前でみ込んだのよ。わざわざ持ち歩いていたこともそうだけど、全部口に入れて呑み込むなんて……。けれどね、それは月岡クンなりの意味があったのよ。けがれたものを自分の体内に収めてしまう事で、あの子への贖罪しょくざいの意思表示をしたのよ。勿論、それで終わるわけじゃない。月岡クンは自尊心やエゴを全て消し去ってしまいたいと私に打ち明けたの。その手伝いをして欲しい、って。自分が自分に与える罰では何の意味もない、って。だから私は私なりの方法で今の月岡クンを壊す・・事に決めた」


「ねえ、天田クン。勘違いしないで。私はあくまで月岡クンを救済するために手伝っているのよ。……いいわ。私にとっての救済と、月岡クンにとっての贖罪しょくざいについて説明しましょう」


「天田クンも知っている通り、私は昼と夜とでは全く別の人間でいるようにしているの。夜の私によって鬱屈うっくつした青春の欲を、昼の私によって承認欲求を、それぞれのやりかたで満たしているのよ。……つまり、変化する事に慣れきっているの。だから変わる方法も知っているし、コツを教える事だってできる」


「話を戻すと、月岡クンは徹底的に壊されたがっていた。私はそれを叶えようと思ったのよ。徹頭徹尾てっとうてつび無感情な、がらんどうな人間へと月岡クンを変えようとね。白痴はくち一歩手前まで作り上げて、後は当たり前の感情を違和感なく引き出せるようにしてあげよう、ってね。……表面上は全く問題のない平凡な人間なのに、内面は無感情。機械のようにシグナルを指令に合わせてアウトプットできるようにするだけなのよ。哀しくないけど、哀しいように。冷めきっているのに、熱意たっぷりに。全く心は動かないまま、笑ったり泣いたりできるように。それは死んでいるのと同じだと思わない?」


「……最初はね、月岡クンは自分を徹底的に痛めつけて、それで私がやり切ったと判断したときに自分に対して死ぬゆるしをください……そう言ったのよ。私はね、生きて苦しめばいいと思ったから月岡クンにさっきの提案をしたの。それに納得してくれて、心底ほっとしたわ。死んでしまうよりは、死んだように生きるほうが苦しいけれども、ずっとずっと意義があると思わない?」


「……私はまず、月岡クンのそれまで大事にしていたものを壊していったの。ぬいぐるみとか、ポーチとか、昔貰ったラブレターも、例外なく目の前で滅茶苦茶にしたの。それから月岡クンには無表情でいる事、何に対しても感情をあらわにしない事、画一的かくいつてきな動きをする事を義務付けて、見事こなしてくれたわ。……月岡クンが毎日花瓶の水をトイレの個室で飲んでいた事、天田クンは知らなかったでしょう? 生温い水が、死と呵責かしゃくに満ちた水が喉を通るときも、心を一切動かさず、表情も崩さないでいるように注意しながら、ね」


「……ただひとつ、月岡クンの身体を痛めつける事はしなかった。痛みに無反応ではいられないし、何よりそこまでしてあげる義理もないわ。だってそうでしょう? 傷だらけの身体で過ごしていて誰にも不審に思われないわけがないし、一度疑われてしまったら私が月岡クンを救済する事も難しくなってしまうから。だから慎重に慎重に、心だけをえぐり取って空っぽにしてしまうよう頑張ったのよ。工夫をらした罵倒を何時間も続けながら、月岡クンが昔大事にしていた愛くるしい人形の首を折る私の気持ちを考えて御覧なさいな。大切な過去が詰まったアルバムをズタズタに裂いて、踏みにじり、最後に唾を吐きかけてから燃やし尽くす私の苦しみを想像してみなさいな。……とても無報酬でできる仕事じゃないわ」


「……ところで天田クン。今夜は何時に浜辺にいらっしゃったのかしら? 前の晩は? いいのよ、正直におっしゃってみて。私、全部気が付いているんだもの」


「そう、天田クンが見た光景が私の報酬よ。……誤解しないで頂戴。夜の自分をより耽美たんびに、より完成されたものにするための協力者がいれば、って常々思ってたのよ。そんな矢先だったから、私は月岡クンに相手をするよう頼んだのよ。……勿論、キスまで。それ以上はナシ」


「どう? 天田クンの目から見て、私はどのように映ったのかしら? 或いは、私と月岡クンは? ……ふうん。いいわ。そうやってずっと誤魔化していればいいのよ。私は私のやりたいようにするし、相応の対価は払っているつもりだから」


「……ああ、月岡クンの話だったわね。そう、驚いたのは天田クンの乱入よ。教室で行う意味はあったけれど、タイミングが悪かったわね。……正直に打ち明けるなら、天田クンになら別に見られても構わなかったのよ。天田クンは自分でも気が付いていると思うけれど、月岡クンの完成形に割と近いから。必要なときに必要な感情を引き出しているのに、それが後を引く事なく、一過性のもので終わってしまう。感情を引き出す自分と、とっても虚しい傍観者ぼうかんしゃの自分がいる。どう? 私の見立ては当たっているかしら?」


「……そうね、答える意味もないと思うわ。天田クンが現れて怒鳴ったときは、昼の私らしく、面倒臭いと思ったわ。けれども考え直すと、これは悪い事じゃないって思ったの。むしろ、絶好のチャンスだ、ってね。私は月岡クンをほとんどお人形に近い人間に仕立てる事はできたと思うの。けれども、その先に進むのは私ひとりでは難しかった。無感情の入れ物に、恣意的しいてきに感情を引き出せて後に残らないようにするための訓練には私以外の第三者が必要だって事くらい、理解できるわよね? 天田クンはタイミングとしても立ち位置としても絶好の相手だったのよ」


「さて、そろそろ結論よ。シンプルにまとめるわ。月岡クンは実質無感情で死んだように生きるか、さもなければ本当の死を望んでいる。前者として月岡クンを導くなら、天田クンの力は必要なの。今ここで決めてしまうんだけれど、天田クンがこれ以上協力したくないなら月岡クンは後者に進む事になるわ。第三の選択肢はナシ。決定権は天田クンにあるけれど、全ての責任を押し付けるわけじゃない。私は月岡クンが生き残る方向にかじを切って来たし、天田クンがここで降りても何とかするつもりよ」


「……けれどね、私ひとりの力で果たして何とかなるかしら。疑問だわ。天田クン以上の先生はいないんだもの。……ねえ。月岡クンががんとして死ぬと決めてしまったら、私にはそれを防ぎようがないのよ。きっと月岡クンは、私が感情を入れるよりも、天田クンのやりかたを真似る事でしか先に進めないでしょうね。その部分に関しては私よりもずっと上手なんだから」


「天田クン、話はここまでよ。これから先どうするか……決めるのはあなたよ」

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