第99話「エピローグ(前)」
「ニーナさん! 良か、良かったーー!」
「……で、これはどういう状況?」
上半身を起こした包帯だらけのニーナ・ハルトの第一声がそれだった。場所は病院というには閉塞感のある一室。窓もなく白を基調にして辛うじて医務室のような雰囲気を醸し出している殺風景な部屋だった。
ベッドから身を上げるなり抱き着いてきたミシェル・シュバーゲンの背中を軽く撫でながら、ニーナはその向こう、並んだ椅子のうち一つに座っていたフィル・フィリップ・アーゲンへと問いかけた。
「お前が一番重態だったんだよ。一週間近く寝込んでたんだ」
「ふーん。ここ、何処なの?」
「叔父貴。あー、13課局長の手配した隠れ家ってところだな」
「そっか。それで、どうなったの?」
ニーナが半泣きのミシェルを剥がしながら聞く。ニーナはフル出力で重力場を展開し続け、反動に耐えきれずに自壊し真っ暗になったところまでしか覚えていなかった。
我ながらよくやったと思う。弱い流れは強い流れに巻き込まれるもの、という強引な方法で空間檻をこじ開けようなんて。いや、最後はミシェルが解析して解除したんだったか。
「首謀者としてグビア組織軍事顧問ガナン・マクベルを拘束。気象管理局を包囲していた空間兵器を破壊したことで、グビアは名目通りただの救助活動へとシフトしていった」
「……あの行動がそれだけで許されるとでも?」
「証明のしようがない。レガシーの力を秘匿している以上、AI機器の暴走とその混乱下でブリッツ同士が一部交戦してしまった、程度で済まされる。表向きは」
「そりゃまた、随分な政治的判断じゃない」
その報告にニーナは不満そうである。とはいえ、最悪の事態だけは防ぐことが出来たというのは喜ばしいことでもあった。ベッドに腰かけたままのミシェルの頭を撫でながら、ニーナは考える。
今回の事でグビアが本格的に連邦と敵対する気なのが明白となった。さぞ連邦上層部も揺れていることだろう。キーを抑えたと言っても機能を振り分けられたグビアの機器は健在で、ガナン篭絡の前に何等かの手を打ってくるはずだ。
「裏は?」
「裏の表ではグビアの侵攻を現場救助にあたっていたテッド・ブライアン中将率いる精鋭ブリッツ部隊が食い止めたことになっている。ガナンはグビアの一部を扇動した犯罪者。身柄の引き渡し要請が来ているな。それと、今回のことで本格的なブリッツ部隊を増設するらしい」
「ブリッツ部隊? 本来の設計思想から外れた運用じゃない。馬鹿らしい。それにしてもあの男、見事にトカゲの尻尾切りされたわね。とはいえキーを手にした連邦側が有利、か」
「守りをしっかりして、グビアからキーの機能を全て奪えれば何とかなるだろうが……」
アーゲンはちらりと黙って座っていたミシェルへ視線を送る。その場合、彼からキーを剥奪するのはどう考えてもミシェルの役目となるのだ。あまり気持ちの良い話ではない。
「じゃぁ本題。裏の裏は?」
「この機会に連邦は上層部の毒抜きをしたいらしい。政争真っ最中」
「なによそれ。今そんなことしていてグビアにキーを奪われたらどうするのよ」
「そこで。各地のグビアの裏組織や秘密拠点を探り、あるいは破壊し、証拠を集め。相手の攻勢を削ぎつつ、上層部の毒を改心させる材料集めをするような秘密部隊が期待されている」
「聞きたくない」
「つまり、俺たち連邦保安部第13課の出番ってわけだ」
「たちって言わないでくれる?」
ニーナが半眼でアーゲンを睨む。アーゲンとしても半ば自棄になったような言い方で、本心で望んでいるとも思えない言い方だった。
そんな中。
「私は、良いと思います」
「ミシェル?」
「もう、こんな事は起こして欲しくないです」
ミシェルが座ったまま、静かに言い切った。決して声量のある発言ではなかったが、その確固たる意志に、室内は静かになってしまう。アーゲンとニーナは顔を見合わせていた。
「……そう、ね。確かにこれだけの事をしておいて何食わぬ顔で人命救助しちゃってまぁ、正直許せない連中よね」
「ニーナさん?」
「あなたはどうするのミシェル」
「私は。私は、アーゲンさんのナビですから。それなりに頑張りたい、そう思います」
「そっか。それがあなたのやりたいこと?」
「はい。あ、いえ。アーゲンさんの、とかは関係なくて。この降って湧いたような力を役立てたい。そのための居場所が欲しい。そんなところでしょうか」
力を役立てたい、そう言うミシェルの顔がニーナには眩しかった。かつての自分も、一般人とは違う力をどう活かすか悩んだ時期がある。あの時、その答えは軍属にしかなかったが、今はどうだろうか。
そして、ミシェルの居場所を奪った一端は自分にもあるのだ。あの時、卑怯にもアーゲンに伝言を頼んでしまった自分の弱さを噛みしめ、ニーナは口を開く。
「私は。その選択の前に、あなたの居場所を奪ってしまった。どんな理由であれ、あんなことをして。犯罪者としてあなたの祖父を吊し上げるような真似をしてしまって。本当に、ごめんなさいミシェル。もっと穏やかな道もあったのに、その道を」
「大丈夫です。大丈夫ですよニーナさん。あのあと私たち和解出来たんです。本当なら、お爺様のしたことは許されることではないんですけど。ミカ姉さん、あ大人の私のことなんですけど。色々と話し合って、局長さんにも協力してもらって」
「そう、なの?」
ニーナとしては、ミシェルにいくら嫌われたって弁解のしようがない事だと思い込んでいたので、嬉しそうに話すミシェルに言い方は悪いが拍子抜けしてしまっていた。
犯罪行為をなかったことにするというのも素直には頷けなかったが、あの境遇や顛末。それに、そのあたりを言い出したらこの場に居る全員が人として認められるか怪しいのかもしれない。
法やルールは所詮後付けの決め事、か。ニーナはそんな中逞しく笑うミシェルに苦笑してしまった。
「だから、気にしないでください。逆に、ああやって突きつけられたからこそ、お爺様も長年抱えていたものを吐き出せて、私たちはより良い関係が築けたんだと思います。黙って見守るような距離を取った関係じゃ、絶対こうはなれませんでしたし」
「……それは、それはあなたたちが頑張ったからこそよ。私がやったことは褒められたことじゃない。そのあと、あなたたちが御互いを想い合って行動できたからこそ、到達できたことだわミシェル」
「えへへ、そうでしょうか」
「そうよ。ってことは、本格的にミシェルは13課に?」
「はい。ランさんに色々と教わっているところです」
楽しそうに語るミシェル。秘密裏に活動する訳あり集団の一員になったというのに、その心持はどこまでも真っ直ぐだった。
「……第13課ね。確かに似た者同士が集まっているみたいだし、悪くはないのかもしれない。ただ、ひとつ言わせて欲しい。フィルも」
「ん?」
「私は弾かれた者だからこそ、連邦の犬にはならない。平和を脅かす相手への対処ならいくらでも協力する。それが、こんな力を持った自分のせめてもの矜持だと最近思うから。ただそれが、少しでも。力持つ者の怠慢や、自分たちの都合による道具としての扱いになったのなら、あるいはメンバーがそうなったのなら。私は容赦なく第13課を潰す。それで良いのなら、対グビアに限定せずとも力を惜しまないつもりよ」
ニーナは起き上がったばかりだというのに毅然と言い放つ。ミシェルのような、ただ良い事がしたいというだけの純粋な気持ちでは動けない。
法の裏で行われていたアーゲンのことや、見せつけられたランの力。どれも素直に従っていては見逃してしまう裏の顔だ。
この13課という組織が今後もずっと自分の掲げる正義に近い存在であってくれるとは限らない。
これまでは非公式だったからこそ維持出来ていた意志も、表立って各組織との関係性が出来れば必ず派閥や政権争いが染みのように纏わりついてくるだろう。
「その時は、ニーナさん。二人でぶち壊してやりましょう!」
「いいわねミシェル。その時は、ただ良いように使われるような安い存在じゃないって一緒に見せつけてやりましょう」
「おいおい。そうなったら俺はどうすりゃいいんだ」
「あら、フィルはこっちでしょ?」
「もちろんアーゲンさんもですよ」
「拒否権は?」
「なしです」
「ないわね」
三人はひとしきり笑い合い、ニーナは持前のインスタントソルジャーとしての力なのか病み上がりだというのに疲れることなく会話を続けることができていた。
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