第86話「アーゲンの力」

 アーゲンはすぐに動いた。自分の三半規管がどうのだとか言っていられる状況ではない。目の前には今にもミシェルを撃ちそうな男がいる。アーゲンはその男が構えたライフルを下から弾くように跳ね上げた。


 右手に握ったグリップで成したその動きは鈍い金属音を響かせ、その場にいた兵士たちを驚愕させる。誰もがその出現に虚を突かれていた。

 居なかったはずのもの。潜めるような場所もない通路。いくらセンサー類を使わないゴースト部隊だとしても、人ひとりを見逃し、あまつさえ至近距離からの攻撃を許してしまうとは。


 ミシェルを撃とうとしていた男はその驚愕から回復する前に、アーゲンの左手のグリップを胸部に受けていた。


 最新の対電子素体として生まれたアーゲンが、本来持っていた力。群れの王、全ての共通規格であるナノマシンへの絶対的な命令権。

 その力の強弱や指向性を制御するのがグリップの役割だ。もちろん素手でもコントロールは可能だが、グリップで収束させることにより強力に即効性を持たせることができる。


 その力を最大にしたグリップは、効果にあてられた兵士を一瞬で卒倒させていた。心臓付近のナノマシンが全てアーゲンの命令によって行動したことで、脳貧血を起こした男は気を失っている。


 ナノマシンに複雑な命令は出来ないが、生体を守るという基本命令を持っていた。それを過剰にするか反転させるか、いずれにせよディーンが撃たれたものと同じような暴走をさせる。というのが一般的な手段だ。


 アーゲンはそれに対し、アーゲンそのものが大きなナノマシン、仲間として認識されることで仲間たちに共通命令を伝播させている。それにより、本来は条件に対してパターン化されている回路を組み替えて誘導することが出来た。

 傷が出来たら塞ぐ。という不可侵なプログラムの対象や発生条件などを組み替えてしまう。


 ゴーストが存在を0にしようとする方向性だったのに対し、アーゲンは死体と誤認させフィルターを通過したように、挿げ替えや組み換えで潜り抜ける設計思想で生まれた存在だった。


 アーゲンは右腕で倒れ込む兵士を引き上げ、盾にしつつ左手のグリップを振るう。ライフルを向ける兵士たちをなで斬りにするように。

 それだけで、後方3~4m先に居た兵士たちは倒れていた。一人は半分透明になっていたので、後方監視要員だったのだろう。


「奴の動きに注意し散開!」


 アーゲンは未だ地形を把握していなかったが、その声に反応。指示を出す奴は潰さないといけないと、前方で物陰に散って行く兵士をおよそ7mの距離から斬りつける。

 ナノマシンへの命令信号。絞られ、グリップの延長10mほどまで届くそれは、まるで見えない切っ先のように動く。アーゲンの動きに、グリップの延長に触れた二名の兵士が倒れていた。


「一体何をされた!?」

「不明だ。いいから止まるな!」

「連れ込んで分析しろ!」


 たとえ彼らが検査機器で味方が何をされたのか調べたとしても、異常は出てこないだろう。ナノマシンが怪我を見つけ、治しつつ仲間たちを呼ぶ行為。探知能力がナノサイズしかない故に、隣り合った仲間に伝言ゲームのように伝えていく信号。


 アーゲンの行っているのはそれと同類なので、ナノマシンの行動も暴走ではなく正常なものとみなされ、異常状態とは見抜かれにくい。

 狂わせるのではなく認識阻害。戦闘中に分析されにくく、戦闘が終わる頃にはナノマシンは通常業務に戻ってしまうから痕跡にもならない。


 相手は、そんな得体の知れない力を見て慎重になっていた。力の正体が判明していればこうはいかなかっただろう。

 アーゲンとしては10m以上の距離から狙撃されるか、集団で一気に距離を詰められるのが一番怖い。ゴーストたちは引き込んだ兵士を分析して見極める気だろう、とその隙にアーゲンも地形を確認した。


 地形は、管理用の区域なのか一本の大きな通路があって、一定距離ごとに左右に入り設備を点検するための作業通路が伸びているようだ。

 つまり隠れる場所はあっても進軍や攻撃には身を晒さなければならず、アーゲンは通路の真ん中に居るので防御面はまずいが先手が取れる。


 そこそこ広い通路なため瞬時に左右のスペースに飛び込むといったことは出来なかったが、ゴーストの兵士たちは攻撃せず通路先で左右に隠れていた。

 分析もそうだが不測の事態に体勢を立て直す気だったのだろう。完全に作業通路に入ったことで、兵士たちは攻撃を恐れ迂闊に顔を出せなくなっていた。


 相手が分析している間に距離を詰めて斬り伏せるか、まずミシェルを治療するか。それを考えている間に相手が動いた。おそらく指揮官を倒されたというのに判断が早い。


 左の作業通路から飛び出して来たのは小さなボールだった。それは右の壁に当たって跳ね返り、アーゲンへと迫る。

 惑星ナーベルではしてやられ、ステーションではこちらが利用した閃光を発する球体、フラッシュバンだ。


 アーゲンは冷静にそれを目で追い、グリップを向けてナノマシンを射出した。惑星ナーベルでやった相手の信号弄りではなく、ステーションで行っていたナノマシンの集合体を利用してのクラッキング。

 とは言えフラッシュバンは電子機器というよりはたんに強烈な光を発する化学反応をするだけのものだ。表面に被膜のように貼り付き、また阻害して効果を弱める程度にしかならない。


 通路に閃光が走り、顔を背けて盾の男を掲げながら、アーゲンはまたもグリップを振るった。

 こんなものを投擲して来たという事はその隙に距離を詰めようという考えしかない。向かって左の通路から飛び出て来た一団がことごとくグリップに斬り伏せられていく。


 しかし右から向かってくる集団は止められなかった。左の四人を止めている間に、右の四人が一列となって走り込んで来て、ライフルを構え終えている。

 たった数分のやり取りで、グリップの攻撃が人体に作用することを見抜かれていた。同時に広範囲攻撃ではなく、点での攻撃であることも。


 アーゲンは人質としていた兵士を無理矢理あげた脚力で、向かってくる兵士たちへと強引に蹴り出した。向こうが火力連携を捨てたのなら、こちらもそれを利用するまで。

 勢いよく飛んで行く兵士を遮蔽にし、アーゲンはグリップからナノマシンを噴出させる。アーゲンは飛沫や水滴のように、斜め上に向けたグリップから細かく散布していた。


 対する兵士たちは飛び込んでくる仲間ごとアーゲンを狙う。この距離ならば仲間の致命傷を避けることが出来たし、なにより向かってくる仲間を弾丸の衝撃で止めることができた。仲間の身体で相手の動向は見えないが、潜んでの不意打ちはそれで防げる。


 そうやってこちらへと向かってくる男の手足など命に関わらない部位を削り、勢いを殺して落とした兵士たちが見たのは、少女を抱きかかえ右の作業通路へと走るアーゲンの姿だった。


 ライフルで狙いをつけようとする兵士たちへアーゲンの散布したナノマシンの霧が降り注ぐ。男たちはそれに構わずアーゲンたちを撃っていた。

 しかしその銃撃は届かない。兵士たちの撃った銃弾は見事アーゲンたちを撃ち抜いたかに見えたのだが、それはアーゲンたちの姿を歪めただけに終わっていた。


「なんだ、これは」

「噴霧。……毒か!?」


 騒ぎながら、残った兵士たちは全員倒れて行った。ゴーストに限らずナノマシンを持つ現行人類に多くの毒は通用しない。アーゲンが散布したのは変わらず反乱命令を下したナノマシンと、鏡面状に加工されていくナノマシンの二種類だった。


 ナノマシンは隣り合うものに伝え、作業の仲間にする。伝播させる。それは付着した霧状のものだとしても変わらない。皮膚に付着しただけで、その皮膚に最も近い血管を行くナノマシンへ命令を伝播させ、あとはそこから全身に広がって行くだけだ。


 そうやって細かな動きが阻害され正確な射撃が出来なくなっていくのと、鏡面状態になったナノマシンが空中に広がるタイミングで、アーゲンはミシェルを抱えて走ったのである。

 兵士たちが逃がすまいと判断力の落ちたまま撃ち抜いたのは、実体とズレた位置に出た鏡像だった。


 初手で相手の指揮官らしき人物を倒していたのが良かったとアーゲンは物陰となる作業通路でほっとしていた。指揮官かあの髭が居たならば、迷わず倒れているミシェルの頭を撃ち抜かせていたか、爆発する方の手榴弾を投げてきただろう。


「ミシェル、おいミシェル! 大丈夫か? しっかりしろ!!」


 アーゲンはグリップで修復命令を出しながら、出血している場所にナノマシンを散布していった。かなりの血液を失っているが、重要器官に優先して酸素を回させる。

 脚の付け根は動脈が傷ついており、かなりまずかった。赤く染まっているスカートの端を切り裂き、ナノマシンを散布して即席の医療キットに変える。


 内部のナノマシンは維持で手一杯だ。部位の修復は外部から閉じた方が早い。アーゲンは右脚の付け根と、失われた足首のあたりをしっかりと押さえ、ミシェルに呼びかけ続けた。


「ミシェル! ミシェル!! こんなところで死ぬんじゃない。やっと戻って来たんだろ!? これから、ニーナとも話して。これからのことを考えるんだろ!? せっかく会えた爺さんを放っておいて良いのか!」


 その声が届いたのか、薄らとミシェルの目が開かれた。焦点の合っていない目は揺れ、アーゲンを見ていない。その目はすぐにまた閉じかけ、アーゲンが叫ぶ。ミシェルの顔は真っ白だった。


「ミシェル……! 帰るんだろ!? 起きろ!」

「けほ……。だって。おじい、さま。他の私。私要らないって。だって」

「要らないわけあるか馬鹿野郎!」

「しらべ、ちゃった。あれ、私を。あっちの私で。もう、いいよ……」


 再び閉じられていくミシェルの瞳。アーゲンは包帯をおさえていた手を離し、ミシェルの頬を軽く何度か叩く。寝坊した子を乱暴に起こすかのように。


「良くないだろ! ステーションでジョシュにまた会いに行くって、ギルバートのステーキを食べに行くって言ったのは誰だ!? ナーベルでもステーションでも、俺たちを救ってくれたのは誰だ!? ここまでの旅路で一緒に笑ってきたのは誰だ!? あっちのミシェルじゃない。全部お前だろうミシェル!」


 アーゲンの必死の言葉に、ミシェルの目は再び開かれ。一筋の涙が、真っ白の頬を伝った。乾いてがさがさになった唇が震えて、再び動く。愛玩機体として最低限の容姿維持すらされていない。


「もう、帰る場所。ない、んだよ……?」

「帰って来いミシェル。お前、俺のナビやるんだろ? ランの奴に特別申請させよう」

「へん、たいさんに。なっちゃうよ」

「いいさ変態でも。だから戻って来いミシェル」

「いい、のかな」

「良いさ」


 その言葉に、ミシェルは唇を噛みしめた。そして、とめどなく涙が溢れだす。漏れ出す声は言葉にならず、嗚咽を絞り出すように鳴っていた。


「うぅぅう。あーげんさあああん」

「ああ。ああ、良いんだミシェル。よく頑張った。もう大丈夫だ」


 力の限り抱き着いてきたミシェルを、アーゲンは優しく支えその背中を撫でていた。ミシェルの自宅で行った時のように。安心させるように。


「こわかった。私、怖くて。頑張ってもダメで。だったら頑張らなくていいかなって。誰も待って居てくれないなら。それでって」

「大丈夫だ。もうあいつらは倒した。安心しろ。実は強いんだ俺は。守ってやるさ」

「うううぅぅ。はい。はい……!」


 そこからは再び大きな泣き声が続き、アーゲンは戻って行く顔色に一安心していた。そっと、空気を読んだのか、ミシェルの生きたいという気持ちに沿ったのか。ミシェルの持っていた力が急速に生命維持へと向けられていた。

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