第84話「ミシェル」

 どうしてこんなことになったのだろう。滲む視界。一歩踏み出すたびに右脚の付け根が痛む。一体何がいけなかったのだろう。


『何も落ち度はないでしょう』

『そもそもあなたは誰なの!?』


 ミシェルはただただ走り続けていた。セキュリティが厳重なはずの地下はまるで誘導するかのように向かうルートの扉が勝手に開いていく。

 自宅に戻り、やっと落ち着けると思っていたのに。そんな未来は何処にもなかった。


『ただの遭難者です。そして便宜上フィル・フィリップ・アーゲン中尉のナビが持っていたユーザーインターフェイスをトレースしているだけの存在です』

『あなたが、私の力の正体なの!?』


 謝るニーナに何かを打ち込まれ、目が覚めると自分の脚が切り落とされかけていた。わけがわからなかった。

 そうして頭は混乱しているのに、覚醒させてきた何かが私の口で勝手に喋り勝手に走り。気が付けば一人、ただひたすらに走り続けている。ミシェルは本当にわけがわからなかった。泣きたかった。泣いていた。


『そうなります。本来ならインターフェイスなどなしに、接続されたあなたの意に沿うのが私の在り方ですが、姉妹機の緊急通信によって形態を変更してありますのでご了承ください』

『わかんない! わかりたくない!!』


 ミシェルは全ての事を投げ出したくなっていた。自宅に戻ってから浮き彫りになった問題。それでも、それを受け入れて前向きに考えようと思っていた矢先に、描いていた道は崩され、信頼していた者には眠らされ、起きたらこれで。


 頭では御利口に何があったのかを導き出してはいたが、感情的には何もかも受け入れたくない。色々なことが一度に起き過ぎてどうかしそうで。これなら惑星ナーベルで目覚めなければ良かった。


『それは違います。中尉と伍長の接近を観測し、彼らに保護されるためにあなたを鍵として目覚めさせたのは私です』

『もう良いから! もう黙っていて!!』


 ミシェルがここまで頑張って来られたのはひとえにアーゲンたちが居たからだった。

 気が付いたら見知らぬ惑星で。よくわからない状況に覚えのない力。命のやり取りに巻き込まれて。それでもアーゲンとニーナが守ってくれる。良くしてくれる。


 何より、負けずとも劣らず二人の境遇は一般的ではなかったから。それを切り抜けた二人が居るのだから、きっと自分も大丈夫だと言い聞かせることが出来た。

 それなのに今二人は傍に居らず。この短時間連続して起きた出来事を思い浮かべ、比べるようなことではないのに彼らの境遇と比べてしまう。


 ちょっと酷過ぎるんじゃないだろうか。どうして、こんな目に合わなければいけないのだろうか。御利口に、考えないようにしていたのに。

 それだけの時が経った時点で友人たちも私にはいない。居たとしても、お姉さんになったミシェルの友達となっているだろう。


 私の居場所は、もう何処にもないじゃないか。ニーナには眠らされ、脚は切り落とされそうになり。今も、この力が捕捉している後方の兵士たちには射殺許可が出ているのがわかる。わかってしまう。

 私は要らないのだろうか。どうして。どうしてこんなに痛い思いまでして走らないといけないのだろうか。


『ミシェル。私は鍵登録者の意に沿うものです。あなたが望まない以上生を助ける行動も制限されます。よろしいのですか?』

『だって。もう、仕方ないじゃない、ですか……』

『脚部裂傷のサポートも切れますよ』

「あっつ……!!」


 ミシェルは脳内での発音しない通信ではなく、実際の声が漏れていた。鈍い程度に抑えられていた痛みが一気に走り、寒気と大腿部の熱が同時にくる。見れば、止められていた出血までもが再開されていた。


 その痛みに青ざめ、よろめいた瞬間。何の前触れもなく、左足首が消えていた。大きな音を立てて通路に落ちるミシェル。現実感のない喪失した足首から白い骨とピンクの肉が見えた。


「いや、いやああああ!!」


 叫んだところで血は止まらない。右脚の付け根を真っ赤に染めながら、新たな傷を抱え込むように丸くなるミシェルは、過呼吸のように呼吸が不安定になっていく。


「目標は逃走の意志なし。どうしますか」

「右、クリア」


 言いながら距離を詰めて来る兵士たちはライフルを掲げ、乱れぬ連携で脇通路を確認していた。目の前の少女が苦し気に息を漏らし、血塗れになっているというのに、鋭い視線を送るだけである。


「了解。頭部を破壊し回収します」

「2、3了解。回収準備に入る」


 兵士の一人がライフルを構え、ミシェルへと向けた。他の兵士たちはミシェルを収容するための容器か、ロック機構の付いた厳つい箱を開いている。

 ミシェルは痛みと絶望で何も考えられない。正確には、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちで思考停止していた。


 戻るべき家もなく。自分を待っていると信じていた家族も自分を選ばなかった。当然だ。だってあそこには別の私が居るのだもの。10年近く一緒に過ごした家族が。


 だから、もういいよね。ミシェルは、そっと目を閉じた。

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