第72話「ヴェレンの事情」

 椅子に座り、前のめりに頭を抱えていたミシェルの祖父ヴェレン・シュバーゲンはたっぷり時間をかけてから、その重い口を開いた。


「今から、もう20年近く前のことになる……」


 あれから倒れたミシェルを来客用の一室へと運び込み、事態に気付いたヴェレンともう一人のミシェルに事情を説明したアーゲン達は、ディーンを看病に残して応接室へと集まっている。


 ヴェレンはもうだいぶ歳をとり、もう少しで第二の人生に入りそうな細身の老人だった。

 事の次第を知ってからずっと俯いて頭を抱えていて、もう一人のミシェルが横に付き添って心配そうに背中をさすっている。対面に並んで座ったアーゲンとニーナは辛抱強く続く言葉を待っていた。


「ミシェルの脳に腫瘍が見つかった。なんてことはない治る病気、そのはずじゃった」

「20年前、人格の移しが禁止された頃のことですね?」

「ああ。10年近く続いた人権保護運動の最後のことじゃ。その頃彼らの主張は人種保護法と結びつき、ありとあらゆる悲劇を回避するため。起こり得そうな事柄を潰しておった」


 顔を上げた老人は血の気の引いた顔で過去を語る。真っ白になった髪を乱し、隣のミシェルの手を握り、声を震わせながらゆっくりと噛みしめるように。


「ほんの少し前に見つかっておれば助かった。治療は脳に障害が残らぬよう、一時的に人格を他に移して行うもので。その一時的にすら、許されんかった。何が人種保護じゃ、と医者を怒鳴ったのを覚えておる」

「それで裏ルートを?」


 ニーナの問いにヴェレンは頷いた。当時を想ってか、その目に涙を湛えている。アーゲンは、何も言えなかった。


「いくら積んでも正規ルートで診てくれる医者はおらんかった。だから、わしはミシェルの病状が進行しないようスリープ状態にし、五年かけて方法を見つけ。……それに縋った」

「どんな治療方法だったんですか?」


「ピーシーズの研究を利用したものでな。まず人格を移し、スリープのまま身体を輸送して治療を行う。その後、人格を戻すことで何事もなかったかのように生活に戻れるはずじゃった。ただ、万が一治療が失敗した時のことを考え、移した方の機体だけとなってもその後の人生を歩めるよう最善の手配をした。……それが、いけなかったのかのう」


「いけなかった、なんて言わないでください。私たちが保護した彼女も、成長してそこに居る彼女も、どちらも一つの生命でありミシェルです。それで、そのあと何があったんですか」


 ニーナの言葉にヴェレンは目を見開き、何度も頷きながら隣の成長したミシェルを見て、見られたミシェルも頷いていた。本人にとっては衝撃的な話、なのだろうに。芯が強いところはやはりミシェルなのだなとニーナはその様子をみて思った。


「手術は成功したんじゃ。ただ、連邦の目を逃れて辺境の惑星で行ったのがいけなかった。いきなりグビアが惑星ナーベルの全てを買収し、ピーシーズは一方的に追い出され。物資を持ち出すことも許されんかった。裏ルートだったというのもあって強く主張することも出来んかった」

「それじゃぁあのミシェルは、取り残されて眠っていたと」


「うむ……。手術は成功したというのに。孫娘が居る場所もわかっておるのに。その惑星に降りる事すらグビアは許してくれん。取り残されたミシェルを前に、わしには、どうすることもできんかった」

「だから、そちらのミシェルを起こしたんですね?」

「そうじゃ。すまん。すまんかったのうミシェル」

「良いよお爺様。気持ちは……、わかるもの」


 ニーナは一つ一つ確認している。その様子が、アーゲンは少し気に入らなかった。

 ミシェルの自宅に別のミシェルが居るということは、ニーナの調査能力ならおそらく知っていたはずだ。それなのに、何故話さなかったのか。アーゲンはその意図が読めず、ずっとニーナの言動を観察している。


「失礼ですが、ミシェルさん。あなたは過去の記憶がありませんね?」

「はい。目覚めてからの10年間の記憶しかありません。お爺様からは手術の後遺症と言われていましたが。違うん、ですね……?」

「そうです。それまでミシェルとして生きて来た記憶と意識は、私たちが保護した機体が有しています。移動、である以上残された脳にそれらは残りません」

「ニーナさん、でしたっけ。ええっと、これから私たちはどうなるんですか?」


 姿勢を正し、真っ直ぐ問いかけて来るその眼差しは強く。ニーナには第四ステーションで身を案じてくれたミシェルの強さとダブって見えた。


「私としても不幸な結果は招きたくありません。ここまで一緒に来た情もあります。ですが、私は。失礼、所属まではまだ言っていませんでしたね。改めて、私はニーナ・ハルト。連邦軍第三師団情報部所属の身です」

「軍の……。お爺様を、どうするつもりですか?」

「自分のことよりもそちらへの思考が早いのは、やっぱり一緒なのね。祖父の身を案じる気持ちもわかりますが、あなたも。……記録上ミシェルとして人生を歩んできたのは眠っているミシェルの方となります。その意味は、わかりますね?」


 その突き付けられた言葉に、大人のミシェルは祖父の身を案じながらも、しっかりと頷いた。

 たとえ肉体が本物で、目覚めてからの10年間ミシェルとして生きて来たのだとしても。産まれてからミシェルとして生きて来たという情報蓄積がある以上、本物のミシェルと認められるのは今眠っているミシェルだった。


「少し、少しお爺様と二人で話す時間を頂けないでしょうか」

「ええ、いいわ。私も摘発で来たわけじゃないから……、行きましょうフィル」


 アーゲンとニーナは部屋を出て廊下を進む。応接室を出てその先、階段脇の談話用スペースのような椅子に二人は腰かけた。


「どういうつもりだニーナ」

「どうって?」

「あんな詰問みたいなことをして何様だ」

「連邦軍の情報部下士官様よ」


 重い沈黙が二人の間に漂った。ニーナの態度はどこかふざけているようで、アーゲンの怒りを受け止める気はなさそうな態度である。


「知っていたんだろ?」

「……まぁね。識別はミシェルなのに、接続するとあなたのナビになる。あそこでは深く考えなかったけど、軽く調べたらすぐ出たわ。他の誰かがミシェルとして再登録されているってね」

「なんで言わなかったんだ」

「あなたなら言えたの?」


 アーゲンは言葉に詰まってしまった。あの時、あんな状況で。自分の不可思議な力の正体もわからず、おそらくそれで狙われているだろうこともわかっていて気丈に振る舞う彼女に。泣き出して全てを否定して、ただ祖父に会いたいと駄々をこねることもなかった少女を前に。自分は言えるだろうか。


 そして事前に知ったとして、ミシェルの性格なら。祖父ともう一人の自分の、10年平穏に暮らして来た生活を壊すような真似が出来るだろうか。


 おそらく答えはNO。考える時間がたっぷりあれば、彼女はきっと身を引いただろう。賢くて、良い子なのだ。アーゲンとしても、そんな身の引き方はさせたくない。そう思う。


「だからって、こんなやり方で何かが解決するのか……?」

「いきなりで納得できないのかもしれないけど。これが私の出した結論で、やり方よ」


 ずっとこれをニーナは抱えて来たのか、と。アーゲンはそう考えると、何も言えなくなってしまった。

 それでも、自分の中でもやもやと燻ぶるやり場のない感情が、ぐるぐると回っているのがわかる。ただ、今すぐそれがどんなもので、どう解決すれば良いのか。結論を出すことはできなかった。

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