第71話「ミシェルの自宅」

 ランと現状確認や今後の話を進めたあと、アーゲンたちは首都東部にてニーナと合流していた。時刻は既に遅く、天球が光を調整して見事な夕焼けを映し出している。


 思ったよりも話し合いに時間がかかってしまい、ディーンの墓参りは後日という形となったのと、ニーナの調査が順調に行ったとの報告を受け、予定を前倒してミシェルを自宅に送り届けることになったのだ。


「ユータスとは連絡つかず?」

「ああ、ダメだな。まぁカジノに夢中なんだろうし、仕方ないか」

「そうねぇ。せめて予定変更だけは伝えておきたかったけど」


 ミシェルの自宅であるシュバーゲン家は首都東部の東側、ノーヴァレスという喧騒とは離れた高級住宅街に位置しているらしい。集合したのはまだ西寄りの地点だったため、ここから更に移動しなければならなかった。


 向こうに合流する気があるなら待とうと思っていたアーゲン達だったが、どうやらその気はなさそうである。そう判断した一行は都市部間の交通網エアトレインの駅へと向かった。


「あの、ディーンさん。すみません私の我儘で」

「ん? なに、気にすることはないさミシェル・シュバーゲン。それに妻への挨拶は朝の方が良い。あいつは私の淹れたモーニング珈琲が好きでね。それを手土産にしていくと、随分前から決めている」

「素敵ですね」

「はは、ありがとう。それにしても、こんな気分は久しぶりだ」


 エアトレインは中空、高さ20mほどに位置する透明なパイプを通る連結した箱だった。

 一定間隔でパイプを支える柱が原動力を伝え、更には駅として人々の搭乗口となる構造で、住宅街から中央に向かう便から住宅街各地を巡る便までいくつもの運航がなされている。


 駅前に着くと、丁度帰宅時間なのか何人もの人たちが柱内部へと入って行くのが見えた。これは結構混みそうな様子である。

 あまり時間がかかるようなら先に夕食を済ませた方が良いかもしれない、そう考えてアーゲンはミシェルへと声をかけた。


「ここから何分くらいで着くんだ?」

「ここからだと東地区まで10分くらいで、そのあと歩いて15分くらいでしょうか」

「……面倒ね。待ち時間もあるし、こっちで行きましょう」


 ニーナがそう宣言し、さっさと横手にあった塀へと向き合う。そこには一般利用のエアトレインとは違って、より細かな移動が可能の交通手段を呼び出す端末があった。こちらも飛行便と同じくポーターと呼ばれる企業や一部にのみ許された交通手段であり、割高なものである。


 ニーナは躊躇なく端末へ接続し、自分の権限でそれを呼び出した。路の一画が周囲を走査してからせり上がり、下から滑り出すように地上走行用の箱が現れる。


「あーあー、ったく短気な奴だな」

「あら、文句があるならフィルは乗らなくても良いのよ?」

「それは、ちょっと大人げないと思うんだが……」

「乗るの? 乗らないの?」

「わかったわかった。乗るよ乗りますよ。まぁ、助かったよニーナ」

「わかれば宜しい」


 灰色の飾り気のない箱にニーナが真っ先に乗り込み、目的地を設定し始める。それは先ほどアーゲンたちが乗った飛行便と似たような箱ではあったが、その造りは武骨なもので、窓も小さく内部もただアノンチェアが並べてあるだけの簡素なものだった。


 乗ってから内部のあまりの落差に驚いたミシェルは、見回して飲み物の端末を探してみたがそれらしいものは見当たらない。ディーンのあと、最後に乗り込んだアーゲンはその様子に苦笑して、このタイプにそういう機能はないと思わず耳打ちしていた。


 途端、ミシェルは赤くなって俯いてしまう。まるで自分が物欲しそうにジュースを探していたみたいで恥ずかしくなったのだ。ただ違いを確かめていただけなのに。


 それでもある程度の権限がなければ呼び出せないだけあって、アーゲンたちの乗せた箱、ポーターは軽快な走り出しだった。地面すれすれを滑空する箱は静かで振動もなく、快適な旅路である。


「それで。どうだったの?」

「ああ、ひとまず俺の無実証明というか、後ろ盾は引き受けてくれたよ」

「随分豪気なところね。まぁディアナのことだから握り潰すって可能性は低いけど、それでも威信が潰れて宙賊の数が増えても困るだろうし、何処まで配慮されるか未知数よ。誰も後ろ盾が居ないなら、いよいよ私が交渉するしかないかと思ってたけど」


 ニーナは頷きながら自身のナビ端末をかざし、座り合った空中にデータを表示していく。ミシェルも何か仕事があるかもと身構え、ちらりとアーゲンを見るがアーゲンからの指示は一向になかった。


「多分何とかなると思う。それで、そっちは?」

「怪しい動きをいくつか拾ったのと、信頼できそうな目星はつけたわ。ただ、ミシェルの検査の件はしばらくかかりそうね。いくら何でも民間の医療施設でもない中枢のメイン分析に一般人を連れ込むなんて。どういう口実にしたものか」


 表示されていた人物データが区分けされて行くが、ミシェルにもアーゲンにも軍関係者の名前や顔を見たところで何が何だかわからなかった。

 ディーンだけは腕を組んでそのデータを真剣に見ていたから、もしかしたら元軍人として見知った顔があったのかもしれない。


「ま、そんなわけだからミシェル。しばらくは腰を据えてじっくりいきましょう。幸い私の報告する部署は大丈夫そうだから、一旦元の生活に戻ってから考えましょう」

「はい」


 そうこうしているうちにポーターは東地区ノーヴァレスに入り、ミシェルの自宅であるシュバーゲン家の前で止まる。降り立った一行は家というには少々大きな屋敷を前にして声をあげていた。


「もしかしてミシェルの家って結構な金持ち?」

「フィル、その言い方はどうなのよ……。まぁ、資産家ではあるみたいね」


 囲い込むような塀が左右に伸び、開かれた正門すぐに両開きの扉が見える。煉瓦調の建物は二階建てで、レトロだが雰囲気のある造りをしていた。豪邸、というほどではないが十分この高級住宅地でも大きい部類の家である。


「はぁ……。なんだか、すごい。見ただけでほっとしちゃいますね」

「まだ家の前だろ。さっさとお爺様とやらに顔を見せてやれ」

「はい!」


 ミシェルは自宅の扉へと近寄り、手をかざして認証を起動させた。しかし、扉は来客を告げるメッセージを中に飛ばしただけで開かない。ミシェルは首を傾げつつ、中からの反応を待った。認証を変えたのかもしれない。


 少しして、ロックが外れた通知音と共に扉は横へスライドし、中から一人の女性が現れた。出て来たのは二十代半ばくらいの若い女性である。


「どちら様ですか?」


 女性はウェーブした赤茶色の長髪を手で撫でつけながら、目の前のミシェルとその後ろで並んだ人数を見て困惑した表情を見せていた。そして、困惑していたのは女性と相対するミシェルも一緒である。ミシェルに姉は居なかった。


「え、あの。こ、ここにおじい……ヴェレン・シュバーゲンはご在宅でしょうか」

「ああ、お爺様? 居ますけど。あなたは?」

「私、私は……。ミシェル、です。ミシェル・シュバーゲ、ン……」

「えっと、ミシェル・シュバーゲンは私ですけど」


 ミシェルは立っていられなかった。女性を見た瞬間感じたもの。自分の本能が出した答えを理性は受け入れなかったから、それは動揺と困惑となってミシェルを揺るがした。


 まるで鏡を見ているかのよう。成長度合いは違っても、左右反転していないそれは不気味なくらい似ていたから。嫌な汗が噴き出て身体が熱い。吐き気で口の中も酸っぱくて、目の前も歯もガタガタと揺れていて。


 あなたがミシェル・シュバーゲンなら、私は? 私は一体――。

 ミシェルは、気を失った。


 アーゲンは固まっていて、女性も事態を理解していない。唯一ニーナだけが、倒れ込むミシェルへと駆け寄って、その身をしっかりと受け止めていた。

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